誰よりも熱く、全てを照らし出す光。
けれど、無造作に近付けばその強烈な力で全てを溶かされてしまう。
それほど強い存在感と力を持っていた。
手塚国光という男は――。
空
手塚は、いつだって俺の光だった。
その存在だけで、俺の中の不安とか悲しみとか全てを洗い流してくれる。
側に居てくれるだけで、自分が強くなれる気がした。
だから、いつか手塚と同じ所に、彼の隣に立ちたいと思った。
その為に俺もテニス部に入ったのだと知ったら、手塚はあの整った顔に眉を寄せるだろうか?
今は決してそんな事はないけれど、テニス部に入部するきっかけは確かに手塚だった。
それは変えようのない事実だから。
そして今も手塚は俺の太陽だ。
手の届かない遠い存在。
触れる事の出来ない聖なる存在。
物理的にすぐ側に居る事は出来てもどこか遠い。
手塚を想う度に、俺達の違いを嫌という程思い知らされた。
でも、そんな俺でも手塚は…見捨てずにいてくれる。
テニスだけに限らず、勉強もルックスも何もかも中の上でしかない俺は、こうしてテスト前の勉強も手塚に助けてもらっている。
「、問い3の答え間違っているぞ。」
ボンヤリと向かいの手塚を見詰めていた俺に気付いたのか、手塚が呆れたように溜息をついた。
俺の手は先程から少しも動く気配がなく、手塚の言う問い3までしか解いてはおらず、やらなければならない範囲の3分の2も終わっていない。
それでも俺は、困ったように俺を見ている手塚に反応する事も出来なかった。
「?どうした?」
俺の様子が何かおかしいと思ったんだろう。
ボーッとしている俺の顔を正面から覗き込んでくる。
何て整った顔なんだろう――とぼんやり思いながら、俺は覗き込んでくる手塚の瞳をじっと見詰めた。
学校の女性徒が騒ぐのも分からなくもない。
確かに手塚は人より整った造形をしている。
それだけで女性徒の人気を得る事は充分に出来る位には。
でも、手塚がモテるのはルックスだけじゃないのは誰でも知っている。
テニスの腕は言うに及ばず、スポーツは基本的に何でもこなせるくらいは器用だし、学力はテストでは毎回上位に名前を連ねる位成績優秀だし、その上生徒会長まで務めている。
いまどきこんな奴が居るのかと思う位、絵に描いたように全てを兼ね備えた人物像が手塚国光だ。
こういうのを才色兼備というのだろうか――と考えて、その形容は女性に当てるものだと気付いて、俺は内心で苦笑するしかなかった。
あえて言うなら、青学のモットーである『文武両道』を地でいくのが、俺の目の前で眉を寄せている人物――手塚国光だと言えた。
「どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
心配そうに眉を寄せて手塚の大きな手が、俺の額に伸ばされる。
触れた手塚の手の平はとても暖かくて俺は小さく笑みを浮かべた。
「ごめん、何でもない……ちょっとぼんやりしてただけだ。」
やっと反応した俺に、手塚はほんの僅かだけ表情を和らげた。
普通だったら手塚のこの変化には気付かない奴の方が多いだろう。
その程度の手塚の変化にも気付ける位には手塚の側に居続けた――俺は。
「ならいいが……進められるのか?」
「ああ、悪い。まだ終わってないんだよな。すぐやるよ。」
苦笑して手の下の参考書に視線を落とす。
けれど、やはり俺の意識は参考書には向かなかった。
俺は一体いつまで手塚の側に居る事を許されるんだろう?
そんな想いが胸を占めて、目の前の事なんか考えられない。
いつまでも追いつけない俺と、どこまでも遥か先を目指す手塚。
もしかしたら一生二人の道は交わる事などないのかも知れないけど。
だったら、いつまで手塚の側に居る事ができるんだろう。
近付く事の出来ない遥か遠い俺の光に手を伸ばす事は、いつまで許されるんだろう。
俺は再び参考書に目を落とす手塚を見詰める。
共に歩きたいと思った。
俺が手塚を助ける事なんてもしかしたら一生ありえないかもしれないけれど、もし手塚が一人で居る事が辛くなった時、背中を貸してやれる存在になりたかった。
でも、このままなら…それも叶わないかもしれない。
「どうした?」
再び無言で手塚を見詰めていた俺に、手塚が訝しげに声を掛ける。
それに俺は無言のまま笑って見せた。
今は上手く言葉に出来ないかもしれないから。
でも、きっとそれは手塚を不安にさせてしまうのかもしれない。
事実、今も手塚は機嫌が悪いというより、困ったように俺を見ている。
「綺麗な――瞳……。」
俺は手塚の瞳を見ながら思わず呟いていた。
「おい、?」
ポツリと呟いた俺の言葉を聞き咎めて、手塚がこちら側に身を乗り出す。
その透き通るような茶色の瞳には、迷いの無い強い光が宿っている。
この瞳も好きだった。
「手塚って…太陽みたいだよな……。その瞳も、その声も、その存在の全てが………。」
「何を言っているんだ…?」
俺の言葉の意図する所を汲み取ろうと手塚が首を傾げる。
きっと手塚には分からないだろう。
太陽自身は、自分がどれだけ眩しい存在なのか分からない筈だから。
「いいんだ…俺の独り言だから。気にするなって。」
「気にするなと言う方が無理だろうが。さっきからお前変だぞ?」
「そうか?」
「ああ、何かあったのか?」
手塚の瞳が少しだけ細められる。
きっと心配してくれてるんだろう。
手塚は優しいから、幼なじみの俺の事をずっと気に掛けてくれていた。
そう…幼なじみだから。
でも、もし…俺達が幼なじみじゃなかったら?
手塚はここまで俺を――という一人の存在を見てくれるだろうか。
幼なじみだから、自然に側に居る事を許してくれていた。
でも、そうじゃなかったら……俺は手塚の側に居られるんだろうか。
不安がどんどんと大きくなっていって、潰されそうになる。
こんな不安は今まで感じた事が無かった。
「おい!っっ?!」
不意に手塚が慌てたように声をあげる。
その瞳は驚いたように見開かれていて、俺はボンヤリと手塚の顔を見詰めた。
「どうした?辛い事でもあったか…?」
伸ばされた手塚の手が俺の目尻に伸びる。
目元を拭う手塚の少し骨ばった指に、初めて俺は自分が涙を零していた事に気付いた。
「あ、あれ?何で…?」
「大丈夫か、?」
いつの間にか俺の隣に居る手塚が、覗き込むようにして更に俺の涙を拭ってくれる。
その手は酷く温かくて、俺は更に涙が溢れてくるのを感じていた。
「ごめんな、手塚。あれこれ考えてたら……何か俺の涙腺、ぶっ壊れちゃったみたいだ。」
俺は泣き笑いの表情を浮かべて、小さく俯いた。
こんなじゃ益々手塚に呆れられてしまうのに。
「………。」
手塚は小さく俺の名前を呼んで、俺の頭をそっと抱きしめてくれる。
その腕の中は…何も考えられない程心地良かった。
いつまでもこの心地良さに浸っていたいと思ってしまう程に。
こんな時、俺が女だったらきっと全てを委ねてしまいたくなるんだろう。
でも、俺は男だから。
守られるだけじゃなく、癒されるだけじゃなく、俺自身も手塚と同じ視点で同じものを見て、同じように生きていたいから。
手塚が俺を守ってくれるように俺も手塚を守りたいし、俺の力で手塚を癒してやりたいから。
だから、俺はいつまでも足掻き続けるんだ。
遥か遠い俺の光に手を伸ばそうと――。
「手塚……ありがとな。もう…平気。」
「そうは見えん。何かあったのだろう?俺では頼りにならないか?」
そう言って手塚は抱きしめた俺の顔を僅かだけ上に向かせた。
見詰めてくる眼差しは、昔も今も変わらず優しい光をたたえている。
でも、その優しさが嬉しいと同時に今は痛かった。
その暖かさに甘えてしまいたくなるから。
「手塚…もういいんだ。いつも足を引っ張ってごめんな?」
「何だって?」
「昔からいつもこうやって俺を助けてくれたよな。でも、もういいよ。幼なじみだって事に縛られなくていい。手塚は…もっと先にいるべき人間だから……。」
自分で言って自分で傷付くなんて、バカらしいと思うけれど、俺は自分の発した言葉に酷く打ちのめされた。
そう、本当なら俺なんかに構っている事自体、手塚にはありえない事じゃないか。
「……お前、何を言っている……?」
「幼なじみだからって、俺に無理に付き合う必要なんかないんだよ?手塚…。」
苦しい。胸の辺りが痛くて悲鳴をあげそうだった。
「…お前…俺が幼なじみだから無理にお前に付き合っていると思っていたのか?」
「……違うのかよ?」
「お前、何年俺と一緒に居るんだ?そんな事も分からないのか。」
どこか呆れたようにそう言って、手塚は大きく溜息をついた。
「俺はお前が幼なじみだから一緒に居る訳じゃない。お前がお前だから、という一人の人間としてお前と共に在りたいと思うからこうしているんだ。こればかりはお前自身に何と言われようと、変えるつもりは無い。」
そう言って手塚はもう一度俺をギュッと抱きしめた。
今度は俺の身体全てを抱き込むようにして――。
「て…手塚……?!」
「そんな事を言うな。俺が側に居る事はお前にとって負担なのか?」
「そんな!そんな事ある訳無いだろっ!逆はあったって、それだけはありえねぇよ!!」
「なら、どうしてそんな事を言う?」
静かな耳障りの良い声が、暖かな胸越しに伝わってくる。
俺はその静かな暖かい声に促されるように、自分の内にある想いの全てを手塚に打ち明けた。
初めて会った時に思った事。
手塚が俺にとってどれだけ遠い存在なのか。
いつか、手塚と共に同じものを見たいと思う気持ち。
手塚の隣に並んでも恥かしくない自分になりたい事。
そして、俺がどんなに手塚を想っているか。
全てを吐き出すようにして、俺は手塚に想いの全てをぶつけていた。
「俺がお前の言うように太陽なのだとしたら……お前は空だな。」
暫く無言で俺の話を聞き続けていた手塚が、ふとポツリと言葉を漏らした。
「え?俺が…空?」
「太陽があるのは、空があるからだと……思わないか?」
「空が…あるから?」
俺は手塚の言葉に目を瞬かせた。
「俺にとってお前は全てを包み込んでくれる広い空だ。空があるから太陽は輝いていられる。どんな時でも変わらない空があるから、太陽はどこにでも進んでいく事が出来るんだ。いつかは必ず帰り着く広い空があるから――。」
そこまで言って手塚は俺の背中をそっと擦ってくれる。
暖かく大きな手は優しさの塊のようだった。
「だから……もうさっきのような事は言うな。」
俺を抱きしめる腕に、ほんの僅かだけ力がこもる。
その力強い腕は全てを包み込んでくれるようで、俺は小さく息をついた。
今はまだ手塚に遠く及ばないけれど、手塚の背中を支えてはやれないけれど、手塚が俺を空だと言ってくれるなら、出来うる限り手塚を包む空になりたい。
今はこうして俺が手塚の優しさに包まれてしまっているけれど、いつかはきっと…。
いつかきっと手塚と同じ位置に立って、手塚を包んでみせるから。
俺は、抱きしめてくれる手塚の大きな背中に腕を回して、身体から力を抜く。
「ありがとうな……国光……。」
俺の言葉に一瞬だけピクリと反応した手塚に、小さく微笑んで俺は今度は自分から手塚の腕の中にその身を委ねる。
手塚の肩越しに見上げた窓の外は、青い空と眩しい太陽が溢れんばかりの光を降り注いでいた。