お前がただの軽い奴でも、ラッキーだけで勝ちあがってきた奴じゃない事も。
本当は誰よりも勝つ事に飢えている…そんな負けず嫌いな奴だって。
熱いものを持ってる奴だって知ってるから。
千石清純は、こんな所で終わるような奴じゃないって分ってるから。
だってそれが俺の――。
PASSION
関東大会の準々決勝、我が山吹中テニス部は、不動峰中の前に、その膝を折る事になった。
決してうちのテニス部が弱かったわけじゃない…と誰もが言う。
不動峰が強かっただけなのだと。
でも…負けた事には変わらなくて。
山吹中テニス部のエースであり、俺の幼馴染でもある千石清純は、久しぶりに沈み込んだ様子で俺の前に姿を見せた。
「又負けちゃったよ…………。」
はは……と小さく笑って千石は俺の肩に静かに頭を乗せた。
夕暮れ時の俺の部屋に二人きり。
口調こそ軽かったけれど、その瞳は決して笑ってはいない。
ほんの一瞬垣間見えたその瞳は、様々な感情の波に揺れている。
それもそうだろう。
今の千石は悔しくて辛くてたまらないはずだから。
けれど千石は、それをそのまま表に出すような奴じゃなかった。
「ああ、そうだってな……。」
何をするでもなく、ただじっと俺の肩口に顔をうずめる千石の、太陽を思わせるような明るい髪に指を絡めて、俺は静かにその髪を梳きあげる。
昔から千石は本当に悔しい時、苦しい時、辛い時だけ、無言のまま俺にこうして擦り寄ってきた。
決して泣く事無く、ただずっと俺に触れているだけ。
時々確かめるように俺の身体に触れてくる千石を、子供をあやすように数回背中を撫でてやると、静かに背中に腕がまわった。
「ね、?」
「ん?」
「次は負けないから。絶対に……。」
「当然だろ?」
俺の言葉に、千石が驚いたように顔をあげる。
「…………何でそう思うのかな、は?」
「何でって……もう負けるわけねぇもん。」
「その根拠は?」
「千石清純だから。」
千石の言葉に、俺はそう答える以外に言葉は見つからなかった。
だって、千石清純ともあろう男が、黙って3度目の敗北を受け入れるはずがない。
いや、これ以上千石が負ける事なんてありえないから。
「ぷっ………くっ………あははははっっ!!!」
俺の答えにあっけにとられた顔をした千石は、次の瞬間にはこれ以上ないというくらい豪快に爆笑し始めていた。
「何だよ、聞いておいて失礼な奴だな!」
「あはははは……っっ!ご、ゴメン!!でも……くっっ………ははははは!!!」
本当におかしくなってしまったんじゃないかと思うくらいに千石は笑い続ける。
目尻に浮かんだ涙を何度も拭いながら、千石は俺の服をギュッと握り締めて、込み上げてくる笑いを何とか抑えようと必死だった。
俺はといえば、何で千石がそこまで大笑いするのか理解出来なくて、ムスッとした表情で奴の笑いが収まるのを待つしかなかった。
少なくとも泣いたり落ち込んだりしてる姿を見るよりはマシだけれど、何だか釈然としない。
「くっ……ぷくく………っ!」
「キヨ~~~っっ!!!」
「あははっっ!ごめんって!」
「気持ちがこもってねぇぞっっ!!」
「だって~~~!あーもーやっぱダメだ~~~!!!」
ぜーはーと呼吸を荒くして腹を抱える千石には、もう先刻のような沈み込んだ雰囲気は少しも見受けられない。
それが俺としては何よりも嬉しかった。
やっぱり千石の辛そうな顔は見ていたくないから。
千石には、あの人を喰ったような自信に満ち溢れた笑顔が似合う。
そう……千石には明るい世界がふさわしい。
勝利という輝かしい世界こそ、千石清純に与えられるべきものだから。
「もう、死ぬまで笑ってやがれ!」
「ええ~~?死ぬ前にが助けてよー?」
「意味もわかんねぇ事で爆笑してやがる奴なんか、笑い死にしちまえ!」
「そんな事言わないでよーちゃん~~。」
「だったら、そのバカみたいな笑いを止めろよ!何だってんだ一体?!」
流石にむくれてきた俺に悪いと思ったのか、千石はうつむいて大きく息を吐き出すと、静かに俺の頭を抱き寄せる。
「ごめんって。別にの事を笑ってたんじゃないからさ。」
「本当かよ?!じゃあ、何で爆笑してんだよ?」
「ん~~何ていうかさ……には敵わないなぁと思ってねー。」
己の腕の中に俺を抱き込んだままそう言って、千石は小さく笑った。
それはさっきまでの笑みとは全く種類の違うものだった。
しいていうなら……幸せそうな微笑みとでも表現出来るだろうか?
千石の腕の中からそれを見上げた俺は、初めて見るその表情に、内心でドギマギしていた。
「は凄いよなぁ。」
「な、何だよ?!意味分んねぇよ!」
「いーの、いーのは分んなくて。俺は分ってるから。」
意味深にそう言って、千石は悪戯っぽく片目を瞑ってみせる。
ますますもって混乱の一途をたどる俺は、もう首を傾げるしかなかった。
「キヨ――?」
「いいんだって、俺だけ分ってれば。」
「うううう~~~~~……。」
「ほらほら、ともあろう者が、いつまでも往生際が悪いぞー。」
「ぐぐっ………。」
思わず黙り込むと、ニッと笑みを浮かべた千石の顔が目の前に飛び込んできた。
「そぉ~んな顔しない!そんな顔してると、青学の手塚くんみたいに眉間のシワが取れなくなっちゃうぞー?」
「…………………それはイヤかも………。」
千石の言葉に、それを想像してしまって、俺はガクリと肩を落とす。
以前一度都大会の時に、千石の試合を見に行った時に目にした事のある、同じ中学生とは思えないような貫禄をもっていた彼。
確かにあれは勘弁して欲しいと思う。
俺は観念したように大きく息を吐いて、身体の力を抜いた。
そんな俺の姿に、もう一度ニッと笑ってみせて、千石は再び俺の頭をそっと抱き締めた。
「ねえ?」
どれくらいの間そうしていただろうか?
不意に千石がポツリと声を漏らす。
何も言わず、何もせず、ただじっと千石の刻む鼓動の音だけ聞いていた俺は、その声に抱き締められたままの状態で小さく答える。
「何だよ?」
「一から鍛えなおして帰ってきて……今度こそ勝ったらさ………。」
「ん?」
「俺とデートしてよ。の好きな所でいいからさ。」
「……………いいぜ。そのかわりお前のおごりだかんな?」
ほんの少しだけ早くなった心臓の鼓動は、気付かなかった事にしてやるから。
お前が勝って俺の前に姿を見せた時は、お前の好きなもんじゃ焼きを食べに行こう。
だから――必ず……。
俺は数回だけ千石の背中を軽く叩いて、小さく笑った。