実際、双黒なんてそうは居るものじゃないのだ。






濃褐の瞳







俺――はれっきとした日本人である。
そして、どうやら魔族でもあるらしいというのを知ったのは比較的最近の事だ。
とは言っても、もうこちら――眞魔国での生活は数ヶ月にもなるのだが。
その俺の容姿といったら至って普通…の一言に尽きる。
地球でも外見的には良くも悪くも目立つ所もなく、平均的日本人の典型と言っても過言ではない。
その俺が、眞魔国においてはVIP待遇どころか、希少動物扱いである。
正直言って、未だにその扱いには慣れないでいた。





「だからさー、双黒双黒って言うけど、実際にハッキリとした双黒ってのは陛下くらいのもんなんだよなー……。」



グラスを片手に愚痴をこぼすと、俺の向かい側で同じようにグラスをあおっていた赤銅色の髪の持ち主は些か困ったように苦笑して見せた。


「とは言ってもねー、俺らみたいなモンからしたら陛下や猊下はもちろん、殿下だってれっきとした双黒にしか見えませんがねぇ?」
「だからさ、その殿下は止めてくれって何回言ったら分かってくれんだよー。」

「そりゃ仕方ないでしょ?どんなに足掻いた所で、あなたの魂は元魔王陛下である事は変えられないんですから。ね?――?」




そうなのだ。
未だに信じられない事の一つではあるのだが、俺の魂が何代も前の魔王の魂が転生したものだ――と眞魔国の連中は言うのだ。
しかも眞王廟のお墨付きらしい。
当時魔王の地位に就いていた俺の前の魂の持ち主は、死に際して一つの望みを眞王に願い出た。
それが、地球への転生だったという訳。
今の俺には何故そいつがそんな事を願い出たのかは解らない。
けれど、それが認められて俺は地球で新たな生を受ける事となった。
そしてそれから20年以上の時が過ぎて。
俺は何故か今のこの時期に再び眞魔国へと呼び戻される事となったのだった。



「だからって殿下はねぇよなー…。」

「まあまあ、そうぼやかんで下さいよ。ささ、飲んだ飲んだ!!」



再び口を尖らせた俺のグラスに濃褐色の液体をなみなみと注ぎ込むと、ヨザックは自らもグラスの中の酒を一気にあおってみせた。


「お前さー、俺が酒飲んでりゃ機嫌いいとか思ってんだろ?」
「いいえぇ~グリ江~そんな事思ってないですよぉ~~。」
「お前ね……。ま、いいけど。」


実際酒は好きだから酒飲んでる時は比較的気分がいい。
けど、やっぱり悩み事とか考え事なんかがある時は、どうも『いい酒』が飲めているとは言い難い。
普段なら楽しい酒の時は話題も明るいものが多いし、どちらかといえば笑い上戸に近くなる。
しかし、今日の酒はどうも絡み酒……いやに愚痴っぽくなってるように思えてならなかった。
第一、ヨザックに無理言って酒に付き合わせている段階でこうなる事は容易に想像出来た筈だ。
それだけ俺の中には、周囲の俺の扱いについての不満が溜まっていたのだろう。



「で、一体何がそんなに気に入らないんです?」
「だーかーらー!さっきも言ったろ?完全な双黒なんて陛下くらいなんだって!」
「ええ、聞きましたよー?」
「つまりさ、周りは俺の事も双黒だって言って特別扱いするけど、俺は全然双黒なんかじゃねぇんだよ。」
「けど、陛下や隊長なんかも言ってましたけど、地球で陛下や殿下が暮らしてる国ってのは殆どが双黒だって話じゃないですかー?」


「そこなんだよ!」

「は???」


ヨザックの言葉に、俺は手にしていたグラスを勢い良く机に置くと、大きく身を乗り出してヨザックの顔を覗き込んだ。

「うっわ!危ないですって殿下!!何かグラグラしてますよ!」
「うるへー…殿下なんて呼ぶ奴の話なんか聞くかっての!!」
「分かった!分かりました!!だからきちんと座って下さいよ!!」


慌てて机を回って俺の横に来たヨザックが、困ったように俺を宥めながら、俺の既にフラフラになりかかっている身体を支えてくれる。
大きな手、力強い腕、広くて逞しい胸元。
何だかそれが酷く心地良くて、俺は全身の力を抜いてヨザックに己が身を委ねた。



「大丈夫ですかー殿下?」
「『』!!」
「はいはい。もう休みますかー??」
「んー……まだいい。」
「でもマトモに椅子に座れんでしょ?」
「んな訳ねぇ!の家は酒にゃ強い方なんだよ。」


でもねぇ――そう言ったヨザックの声がどこか笑みを含んでいる。
確かにの家系は酒豪に近い。
しかし、どうも今回は飲むペースが異様に速かったせいか、酒のまわりが常より速かった。
その上ヨザックがガンガン勧めてくるもんだから、俺は奴の数倍の酒量を飲み干している事になる。
ヨザックと俺の酔いの違いはここにあった。




「しょーがないですねぇ。んじゃここは一つ俺がの椅子になりますか。」




そう言うとヨザックはひょい――と俺を抱きかかえると俺の座っていた椅子に腰を下ろす。
一瞬ふわっとした浮遊感が身体を襲った次の瞬間、俺はヨザックの逞しい腕の中にすっぽりと包み込まれていた。



「う……ぁ?」

「これで身を乗り出さなくてもの話は聞けますよー?」
「ヨザック??」

「とりあえず、の中にあるモノ全てぶちまけてみるってのはどーです?」



これなら誰にも聞かれませんしね?――そう言ってヨザックは俺の好きな悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。





「………………………ヨザックもやっぱ俺を双黒だと……思うんだよな?」
「?まぁ…そうですねー。」

「でもさ、俺の眼…………よく見てくれよ。陛下は確かに瞳も髪も黒だけど、俺と猊下の瞳の虹彩部分は茶色なんだよ。日本人ってのは確かに黒の髪は持ってるけど、大多数は俺や猊下みたいに虹彩部分が茶色ってのが普通なんだ。」

「……………………へぇ?本当ですねぇ。の瞳はこの酒と同じ深く綺麗な濃褐色だ。」


手元のこの液体は、上等な酒特有の深みのある落ち着いた濃褐色だ。
確かに一般的日本人の持つ瞳の色によく似ている。
俺の瞳をじっと間近で覗き込んでくるヨザックのアイスブルーの瞳が興味深そうに俺と酒とを交互に見やるのを見て、俺は言いたかった事が伝わった事にホッと胸を撫で下ろした。


「猊下は構わないと思うんだ。実際大賢者の記憶もお持ちだし、双黒であられた事実があるんだから。でも俺は違う……。」

………。」




「完全な双黒でもない。魔王であった頃の記憶すらない………ただ髪が黒い事と魂が以前の魔王の魂を受け継いでいるというだけ。何を成した訳でもないのに特別な扱いを受けるなんて俺には……………耐えられない……。」




本当は外見的な問題だけじゃない事は分かっていた。
けれど、俺を特別視する言葉の殆どが『双黒』だったから、それが違う事を理解してもらえればこの特別待遇が少しはマシになるんじゃないか――そう思えた。
至って普通の容姿を必要以上に褒め称えられる事に違和感を感じる事も、双黒ではない己の瞳の事で罪悪感を感じる事も、自分にはどうにも出来ない己の魂の事で不安を感じる事も、この世界で何も成していない自分に引け目を感じる事も、全てが解決出来るのではないかとそう自分に思い込ませる事が出来るような気がした。



「………?一ついいですかー?」

「何?」
「やっぱりは双黒ですよー。今ハッキリ分かりました。」
「な…っ?!」


ありえないヨザックの言葉に俺は次の言葉を失う。
たった今俺の瞳の色は濃褐色だと言ったばかりなのに、その言葉を翻すようなヨザックの発言に俺は微かに眉を寄せる。
そんな俺の顔を唇が触れそうな程近くで覗き込んで、ヨザックは不意にスッ――と眼を細めた。



「確かにの瞳の虹彩は深い暗みを帯びたダークブラウンだ。けどね、こうして―――近くで俺だけを見ている瞳は、俺が周囲の光を遮っているから瞳孔の黒い部分が大きくなってるんですよ。そして、俺の影でダークブラウンがより深く強くなってる。だからね、美しい双黒の至宝にしか見えないんですよ。………少なくとも今の俺にはね。」



光を落とした夜の部屋。
そして息が掛かる程間近にあるが故に落ちる影。
その全てが、俺の瞳を漆黒の闇色に塗り替えていく。

「ヨ……ザッ…ク……。」

「俺にとっては立派な双黒なんです。たとえ他の誰が何を言っても、俺だけはあなたを本当の双黒だと言える。双黒が尊いとされるのはその美しい外見だけじゃないんですよ。双黒である事を特別の事としない……その権利を、地位を、権力を振りかざそうとはしないその姿が何よりも美しく尊いんです。だから、その全てを含めて双黒である事を――認めてあげて下さい。」



細められたアイスブルーの瞳の奥に、暖かな光を感じる。
それは俺へと向けられた慈愛にも似た優しい眼差し。
常日頃のヨザックからは想像すら出来なかったその柔らかな視線と言葉に、俺は再び言葉を失った。
だってそうだろう?
こんな暖かな想いを向けられて、一体どうしたらいいというんだ?



「……その………俺…ッ…!」


「――――――なーんて!ちょっとクサかったですかぁー?いや~ん!グリ江、恥ずかしぃ~ん。」


困り果てた俺を気遣ってか、いつもの…おどけたヨザックが悪戯っぽく片目を瞑ってみせる。
不意に離れた二人の距離。
その距離に僅かばかりの寂しさを感じながら、俺はすぐ傍らのヨザックの整った顔を静かに見上げた。


「ヨザック。」
「はい~?」
「………その………ありがと…………。」
「いいえー。グリ江は思った事言っただけですからぁ~。」
「でさ、一つ頼みがあんだけど。」
「何でしょ?殿下の頼みだったらグリ江何だって聞いちゃうわぁー。」



相変わらずおどけたままのヨザック。
そのヨザックの首元にゆっくりと手を伸ばして、俺は離れてしまったヨザックをそっと引き寄せた。



「――っ?!殿下?!」



「『』だって言ってんだろ?」



俺の行動に驚きで見開かれたヨザックの瞳。
その珍しく慌てた姿に気分を良くした俺は、今度はヨザックに預けたままだった己の身体を起こして、更に二人の距離を縮めてみせた。


「………あの…?」
「時々でいいから……。」

「え?」


「俺が又こんな風に酒を飲む事になっちまったらさ、そん時は又こうやって俺に元気と勇気の元をわけてくれるか?」



どんなに時が経とうとも、俺の瞳が黒になる事は無いけれど。
けれど、そんな事を気にしなくていい自分になれたら――この国で本当に何かを成しえる事が出来たなら、きっとその時は本当の意味で己が双黒と呼ばれる事を誇れる時が来るだろう。
双黒である自分を、周囲からの特別待遇によってではなく、己が大切に思う人の想いによって受け入れる事が――認められる日が来るだろう。
だからその日が来るまで、時々は甘えさせてもらっても構わないだろう?
だって俺をその気にさせたのは他の誰でもない、赤銅色の髪とアイスブルーの瞳に逞しい身体と誰よりも暖かな眼差しを持った、血盟城一優秀なお庭番。
グリエ・ヨザックその人なのだから。



「俺でいいんですかー?」
「俺、これでも人を見る目はある方なんだけど?」
「いい趣味してますよー……殿下。」
「『』だっての。」



そう言うと小さく苦笑して、ヨザックは俺の額にそっと唇を寄せる。
そして誰もが見惚れる逞しいその腕で、俺の全てを包み込むように力強く抱きしめたのだった。




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