昔からテニスが大好きだった。
両親がテニス好きだったのもあったかもしれないけれど、うちの両親はそれを息子である俺に押し付けようとはしなかったから、俺自身テニスの魅力に取り付かれて、本格的に始めるようになったと言っても過言ではないだろう。
だから、転校する事が決まって、転校先があの天下の青春学園中等部だと分ってからも、特に気後れする事もなく、テニス部に入部する事を決めた。
そう、その時はまだテニスが好きだから……という思いしかなかった。
全てはテニスが好きだという思いだけ。

でも、今は違う。負けたくない奴ができたから。
いや……正確に言えば負けたくない『奴ら』だ。
だから俺はどんな事があろうと、ここで、この青学であいつらと同じ位置に立ってやろうと心に決めた。
別にあいつらの事が嫌いなんじゃない。
むしろ、どちらかと言えば好きな方だ。
好きだから、尊敬できるから、あいつらに負けたくない。
あいつらに近付きたい。
いや、絶対にあいつらと肩を並べてみせる――絶対に。






負けたくないから







ライバルが居るというのは良い事だと思う。
スポーツに限らず、ライバルという存在が居る事によって、お互い切磋琢磨し、結果的には己を高める事が出来るから。
ただ、ひとくちにライバルといってもその関係はさまざまで…。
お互い認め合える好敵手であったり、戦いを通して親友と呼べる関係を築いたりと多種多様な関係が存在する。
けれど、そういった存在に出会える事は、ある意味幸運な事かもしれない。
大半の人は、そういった相手を見つけることなく、日々の生活を送っているはずだから。
そして俺自身も、そんな関係を築ける相手を、ずっと求めていた。


「でも、こういう形を目にするとは思わなかったよなー……。」

俺は小さくため息をついて頭を抱えた。


「んだよマムシ!俺にケチつける気かよ?!」
「何だとコラ?!ケンカうってんのかてめぇ?!」


もう、いいかげん聞きなれてきてしまったこの言い合いに、俺はため息をつくしかなかった。
、本日で青春学園中等部テニス部に入部して3週間になる。
3週間前に、この青春学園に転校してきた時は、同じ部員たちと仲良く出来るか不安だったけれど、そんな心配はすぐに吹き飛んでしまった。
何しろ俺自身がどうこういう以前に、年がら年中角を突き合わせては、揉め事を起こしている奴らが2人も居たんだから。
これも一つのライバルとしての在り方だろうけれど、流石にこれには驚かざるをえなかった。

「なあ、いいかげんやめろよ二人とも。又部長に『グラウンド20周!』って言われるぜ?」

まだ手塚部長と大石副部長が来てない事をいいことに、さっきから桃と海堂が睨みあっている。
誰か止めてくれ…と内心で悲鳴をあげている俺をよそに、今にも掴み合いのケンカになりそうな2人を、周りは遠巻きにながめて成り行きを見守るばかりだ。
できれば俺もそんな揉め事には関わりたくないというのが本音だけれど、今回ばかりはそうも言っていられなかった。
何故かといえば……。



「だってよ!せっかくと一緒に練習しようと思ったら、マムシの野郎が難くせつけてきやがったんだぜ?!」

「何だとコラ?!いつもいつも、てめえの都合にを付き合わせてんじゃねえよ!だって選ぶ権利ってのがあんだよ!」



………つまりは、俺が誰とペアを組んで練習するか…でもめているのだ。
そりゃあ、嫌われてるより好かれてる方がいいに決まってるけど、これはもう何というか…子供のおもちゃの取り合いと大差ないと思う。


「何でこんな事になるんだよぉ……。」

「それは、この間の一件が理由なんじゃない?」

「不二先輩?!」
「ふふ……気に入られるってのも大変だね?」


向かい合ったまま睨みあっている二人を横目に再び大きな溜息をついた俺に、いつの間にかすぐ隣に来ていた不二先輩がおかしそうに笑う。
何だか楽しそうな表情の不二先輩の姿に、俺はガクリと大きく肩を落とした。

「そう思うんなら助けて下さいよー。」
「う~~ん…どうしようかな。」
「不二先輩~~~。」
「あはは……酷くなったらね。」

俺よりほんの少しだけ高い位置にある不二先輩の顔が、ニコリと笑みを浮かべる。
その楽しそうな笑みに、俺は大きく天をあおいだ。



「何なんスか?この間の一件って?」

少し離れた所で呆れたように桃と海堂のにらみ合いを見ていた越前が、こちらに向かって歩きながら不思議そうに首をかしげる。

「越前……。」

やれやれ…ここのメンバーは何でこうも、こういったトラブルに興味津々になる奴が多いんだろう。
下から興味深げに顔を覗き込まれて、俺は困ったように眉を寄せた。


「ああ、そういえば越前はその日委員会で遅れて、あの騒ぎを見てなかったんだっけ。」
「騒ぎ?」
「そう。10日くらい前だったかな?ほら越前、放課後図書館の蔵書の入れ替えに借り出されて、1時間位遅く部活に出てきた時があっただろう?」
「………ああ!何か桃先輩と海堂先輩が珍しくレギュラージャージ着てなかった日っスよね?」


不二先輩の言葉に、暫く考えていた越前がポンと手を叩く。
それににっこりと笑ってみせて、不二先輩は未だにらみ合ったままの桃と海堂の方へと視線を向けた。

「ご名答。そのレギュラージャージを着てなかったのが、その一件に結びつくんだ。」
「不二先輩!もういいじゃないですか、その話はっ!!」
「でも、越前知りたがってるよ?」
「そーっスよ。俺だけ知らないなんてズルイっス、先輩。」

二人がかりでそう言われてしまえば、それ以上俺は何も言えなくなってしまう。
俺は仕方なく、重い口を開くしかなかった。
できればもうこの話題には触れて欲しくなかったんだけど。
今考えると俺自身、信じられない事をしたと思っているくらいなんだから。



「……………桃と海堂がレギュラージャージ着てなかったのは俺のせいなんだよ。」

「は?何スか、それ?」
「ふふふ……あのね、……あの二人に頭から大量のバケツの水、引っ掛けたんだよ。そりゃあもう豪快にね。」

その時の事を思い出したのか、不二先輩はおかしそうに口元を押さえて笑いをこらえている。
その姿に、俺は何だかバツが悪くなってガシガシと頭を掻いた。
確かに今思えば、よくもまあそんな事が出来たもんだと思う。
それも、大石副部長や竜崎先生、手塚部長まで居た、あの場で。


「へえ?思い切った事したっスね?」
「だろう?」
「でも、よくあの二人がそんな事されてキレなかったっスね?」
「ふふ……キレるどころじゃなかったんじゃない?」


そう言って不二先輩は、ね?と俺の方へと視線を向けてくる。
それにあいまいに笑って、俺はそっと目を伏せた。
















その日は久しぶりに雲一つ無く、良く晴れ渡った日だった。
何人か委員会などで遅れる部員はいたものの、それ以外は特に普段と変わった事は何も無く、いつものように練習が始まると、誰もがそう思っていたに違いない。
事実、最初のうちは特に問題もなく練習メニューは順調に進んでいた。
しかし、アップの為に準備体操をして、グラウンドを走って、いよいよ本格的に練習が始まる…という頃になって、いつものトラブルが勃発した。
海堂と桃の衝突だ。
きっかけは本当にささいな事だったと思う。
桃と海堂、どちらが先にコートに入るか…確かそんな事から始まったはずだ。
まあ理由はどうであったにせよ、二人の衝突は当初コート内のほんの一角での小さなにらみ合いに過ぎなかった。
だからだろう、最初のうちは周囲の部員たちも、二人の衝突をたいして気にもとめていなかった。
二人がお互いにムキになって張り合うのは今に始まった事ではなかったし、手塚部長が目を光らせている間は流石の二人も下手な事はしないだろう――というのが、大多数の部員達の考えだったから。
しかし、物事は何がどう災いするか分らないもので。
普段なら、なんだかんだ言いながらも鎮火していく二人のやり取りも、その日に限っては治まるどころか段々とその勢いを増していく一方だった。


「やばいんじゃないかな……。」

その時の俺はといえば、まだ入部したばかりで部内の雰囲気に慣れていなかったからか、二人の僅かな衝突にハラハラするしかなかった。

「な、なあ?いいかげん落ち着いてくれよ二人とも。」
「うるせぇっっ!!は引っこんでろ!!」
「そうだ!これは俺達の問題だ!よけいな口はさむなよなっ!!」

噛み付かんばかりの二人の勢いに、情けなくも一瞬ひるんだ俺は、思わずビクリと肩を震わせる。
何というか…流石は青学テニス部レギュラーとでも言おうか。
同じ2年生とはいえ、どこか迫力が違う。
しかし、そこでひるんでいるわけにはいかなかった。


「皆だって困ってるじゃないか。気持ちは解らなくもないけど、もうやめろよ。」
「冗談じゃねえ!ケリつけないまま終われるか!!」
「上等だマムシ!かかってこいや!!」
「のやろうっ!!マムシって言うんじゃねぇっっ!!」
「お、おいおい二人ともっっ!」



「「しつけーぞっっ!!!」」



見事に重なり合った二つの声。
ずいぶん息が合っているじゃないか――と内心で思いながら、俺は小さく溜息をついた。
いつまでもこんな事を続けていたら練習に身が入らないし、何より手塚部長にこの騒動がバレたらカミナリが落ちる事は間違いない。
当人達はともかくとして、二人を止められなかった連帯責任で罰走でもさせられた日には、せっかくの練習時間が大幅に削られてしまう。
その時の俺はそれだけは避けたかった。
何よりテニスが好きだったから、そんな事で練習出来なくなるなんて耐えられなかった。


「いいかげんにしろよ!!こんな事続けてたら練習出来ないじゃないか!」
「うるせぇって言ってんだろーがっ!やりたきゃよそでやれ!!」
「練習なら、素振りでもランニングでも球拾いでもやりゃーいいだろ!!」



「――――――――っっ?!!」



思いもしなかった言葉。
その二人から向けられた言葉に、俺の中の何かがプツリと音をたてた。



「……………………………………………。」

「……?」


手が白くなるほど強く拳を握り締めた俺の姿に、ほんの少し離れた所に居た河村先輩が心配そうな表情を浮かべる。
その河村先輩の肩越しに視線を向けると、流石に異変に気付いたらしい手塚部長が、訝しげに微かに眉を寄せている姿が目に入った。

「………………。」

俺は無言のまま河村先輩の横を通り過ぎて、ざわつき始めたコートを飛び出す。
突然の行動に驚いた大石先輩が、何か叫んでいたようだったけれど、それも殆ど耳に入っていなかった。
許せなかった。
ただ許せないと思った。二人の言葉が。



(球拾いや素振りでもしてろだって?!冗談じゃない!!)



確かにレギュラーではない俺達より、試合に向けて調整していかなくてはならないレギュラー陣の方が何事も優先されるのは仕方のない事だと思う。
けれど、強くなりたい、上手くなりたい、負けたくないと思う気持ちは、俺達非レギュラーだって同じだ。
いやむしろレギュラーでないからこそ、少しでもたくさん練習して力をつけて、先輩達やレギュラー達に追いつきたいという気持ちは大きい。
もちろん基礎が必要なのは解っているし、素振りやランニングを軽視しているわけじゃない。
けれど、レギュラーでもない奴は素振りでもしてろ…と言われたようで、悔しくて悲しくて…怒りが込み上げてくるのを押さえられなかった。
テニスが好きだから、何よりテニスがしたいから、身勝手としか思えない二人の言動がどうしても許せなかった。


「あった!!」


部室内に転がっていたポリバケツを見つけると、俺は一気に水飲み場へと走る。 そしてすぐにバケツの中に水を満たすと、中身の水をこぼさないよう注意しながらコートへと足を速めた。



「………あ!、いきなり飛び出すからどうしたかと思った………ぞ…?」

バケツを手に戻ってきた俺に、大石先輩がホッと胸をなでおろす。
しかし、その語尾には疑問符が浮かんでいた。

「……?どう……した?」

手塚部長まで、いささか戸惑ったように言葉を濁す。
それに気付かなかったわけじゃないけれど、俺はそのまま大石先輩や手塚部長の前を通り過ぎて、再び桃と海堂の側へと歩み寄った。
相変わらず二人とも、今にも飛び掛らんばかりで睨みあっている。
よくもまあ今まで手塚部長の怒号が飛ばなかったものだ…と思う。
おそらく俺が突然コートを飛び出した事もあって、二人への対応が遅れたのだろうけれど。
そんな事をボンヤリ考えながら、俺は二人の横に立ち、手にしていたポリバケツを大きく振りかぶった。




「っ?!!」
「んなっ?!」




突然の事に息を詰める二人。
その次の瞬間、バシャァッという音と共に、大量のバケツの中の水が勢いよく二人の頭上に降り注いだ。


「…………………。」

「……………………?」


濡れネズミのまま、呆然と俺を見詰めてくる4つの瞳。
それをキッと睨みつけて、俺は大きく息を吸い込んだ。



「他で練習しろ?球拾いでもしてろだって?!バカにするな!!自分達が何でも特別だと思うな!俺たちだって青学テニス部員なんだ。同じように練習する権利があるんだ!いくらレギュラーだからって、皆に迷惑をかけるような…身勝手な事は許さない!!そんな奴にテニスをする資格なんてあるもんか!!!」



頭の中が沸騰したようになって俺は怒鳴っていた。
悔しさや情けなさ、悲しさといった色んな感情がゴチャ混ぜになって、何だか涙が溢れてしまう。
カラン…という音がして、俺は手にしていたバケツがコートに落ちて転がった事を知った。

………。」
「二人はテニス好きじゃないのかよ?テニスしたくないのかよ……?」
「あ…………。」

「俺、テニスが好きだから、テニスにかけてる奴…好きだから………こんな事で嫌な思いしたくないんだよ。皆と大好きなテニス、してたいんだ…。そして、もっともっと強くなりたいんだ。負けたくないんだよ!」


情けないけれどボロボロと涙がこぼれて止まらなかった。
二人に思いもしなかった言葉を向けられた時、まるでレギュラーの二人に突き放されたような気がして、自分でも信じられない位に心が揺れ動いてしまっていた。
自分だって強くなりたいのに、上手くなりたいのに。
そんな想いと裏腹に、レギュラーである二人が、より遠くなってしまう気がして、自分だけ置いていかれてしまう不安に駆られて――。
そして初めて俺は気付いたんだ。
こいつらに置いていかれたくない。
こいつらに負けたくないのだと……。



「……………あ、あのよ?」
「…………?」

おそるおそる掛けられた桃の声に、ゴシゴシと目元に溢れた涙を拭う。
涙にぼやけた視界でぼんやりと見上げた先の桃は、どこか気まずそうに俺から視線を外して小さく数回頬を掻いた。


「悪ィ……ちょっとイライラして、にまであたっちまった。」
「桃城……。」
「ホント悪かった!!」


そう言って桃はパシン――と目の前で手を合わせると、ペコリと小さく頭を下げる。

「あ。いや……俺の方こそごめん。水なんかかけて……。」

そんな桃の姿に改めて自分の行動を思い返して、俺は申し訳なくなって、同じように頭を下げた。
やっぱり流石に少しやりすぎたと思う。


「はは…確かに驚いたぜ。」
「う………ごめん。」
「ま、いいって。何だか目ぇ覚めたし。な、海堂?」
「………チッ………。」

「……ごめん、海堂……。」

「別に構わねぇ……頭も冷えたしな。」


自己嫌悪でうなだれる俺にそう言って、海堂はふいっと背中をむける。
けれど、その背中は決して俺を拒絶しているわけじゃなかった。


「…………悪かったな、。」


ボソリと、本当に小さく呟かれた言葉。
俺は、そんな海堂の様子に、大きく目を見開いた。

「海堂………。」

驚いて混乱したまま桃の方を見ると、ほんの少しだけ困ったように桃が笑う。
そんな二人の姿に何だか胸がいっぱいになって、俺は思わず照れ臭そうに苦笑する桃と、同じく照れたように視線を伏せた海堂を両手に抱き締めてしまった。
一瞬慌てたような二人の小さな悲鳴が上がったけれど、俺は抱き締める腕を放す事が出来なかった。



「ごめんな二人とも………………それと、ありがとう……。」

「………………………フン。」
「…………………………。」



ほんの少しだけ、強張っていた二人の身体の力が抜けたと感じたのは、決して気のせいじゃないと思う。
それが嬉しくて、俺は更に強く二人を引き寄せる。


「俺……負けないから。だから…これからは三人で頑張ろうぜ?……な?」


俺は未だ涙に濡れたままの顔で、今出来る精一杯の笑顔を浮かべてみせた。
















「へえ?俺の居ない間に、そんな面白い事があったんだ?」


あの時の事を、かいつまんで説明し終えた俺に向けられた最初の言葉は、これだった。

「面白い事って、越前………。」

ニヤリと笑う越前の姿に、俺はガクリと脱力する。
見てみたかったな――と言って桃と海堂を見やる越前の目は、完全にこの状況を楽しんでいる目だ。
俺は何だか、もうどうでもよくなって大きく溜息をついた。


「でも、面白いかはともかく、驚いたのは確かだよ。」
「面白いわけないじゃないですか。結局俺達グラウンド20周だったんスから。」
「ふふ……でも、それからだろう?桃と海堂が盛んにに声を掛けるようになったのは?」
「まあ、そうなんですけど……。」
「あの事が、きっとあの二人の心を捉えたんだろうね。」

「はあ………そうなんですかねぇ………?」


俺は、いまいちよく分らないまま、そう答えるしかなかった。
正直言って、あの行動の何が二人の内心に影響を与えたのか、さっぱり分らないのだ。


「分らないって顔してるね?」
「え?ああ、まあ……そうなんですけど………。」
「そういう所、本当にらしいね。」
「本当っスね。」


お互い顔を見合わせて呆れたように溜息をつく不二先輩と越前。
俺は、そんな二人の様子に、ただただ首を傾げるしかなかった。








「ホント、先輩もニブイよね。あの二人を真っ向から怒鳴りつけて向かっていく奴なんて、先輩くらいだったんでしょ?」



後で越前がそう呟いた事など知る由もなく、今日も俺達は三人仲良く(?)手塚部長にグラウンド20周を言い渡されて、罰走する事となった。




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