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讃える者たちの村



 レンガが埋め込まれた、幅の広い立派な街道を、旅人が一人、強い風に追い立てられるような早足で歩いていた。
 普通ならば、これほど整った街道にはもっと人通りがあるはずだ。古く用を成さなくなった街道ならばいざ知らず、街道の先には石造りの大きな城壁と門が見えている。
 しかし、そこへ向かうのは旅人ただ一人。その上、その旅人も、黒目黒髪に黒いローブとマントという、主な街道利用者である旅行者や貿易商などとは違った人種の姿をした少女だった。
(ほんと、セティアは物好きだね)
 セティア、と呼ばれた魔女の頭の中に、どこからか、あきれを含んだ少年の声が響く。
 遠方の者と対話するための魔法〈テレパシー〉は、視界を他人と共有する魔法〈ビジョン〉とともに、魔術師でない者にも馴染みのある魔法だった。大きな町では、有料で、遠方の友人知人と話しをさせてくれる機関や魔術師が存在する。
「シゼルだって興味を持ってたじゃないか。だから、こうして向かってるのさ」
(確かに、興味はあるけれどね。果たして、ウワサは本当なんだろうか?)
 前に訪れた町で、彼らは行く手に迫りつつある村の情報を耳にしていた。その情報を尋ねた相手は必ずと言っていいほど眉をひそめ、『あそこに行くのはやめたほうがいいよ』、『まさか、行ってみるつもりじゃないだろうね?』などと、否定的なことばを口にする。それを聞き流しながら耳にした話では、村は恐ろしい悪魔信者たちの住む場所、傲慢で邪悪な民が集う場所だという。
「悪魔教団のアジトでもあるのかな」
 悪魔の力を操る魔女であるセティアは、特に不安を感じている様子もなく、平然と村の門をくぐる。
 門の左右には武装した門番がいたが、軽く挨拶をしただけで、特に止められることもなかった。
 石畳の道の脇に石造りの住宅が並ぶ、店もいくつか出ているらしい、大きめの村だった。田畑は少なく、近隣の町との交易で生計を立てていると見える。
 規模が大きめとはいえ、それにしても、城壁と門は不相応に立派だった。
(この辺、野獣かなんかが出やすいのかな?)
「そういう話は聞かないけれどね。それにしても……」
 小声でシゼルに答えながら、セティアは通りを歩いていた。
 八百屋や衣料店、食べ物屋などの店先で雑談する人々や、歓声を上げて駆け回る子どもたち。その様子は、普通の町や村とさほど変わりない。
「邪悪な人々の集う村には見えないな」
 少しつまらなそうに言って歩くうちに、セティアは、時折道端に、奇妙な石像を見かける。翼を生やした犬のような、空想上の動物を模した石像らしかった。
(何かの魔よけかな?)
 少年の声を聞きながら、彼女は、〈選ばれし夢〉亭という宿屋兼酒場の看板を見つけ、そちらに歩き出す。
「悪魔の彫像かもね。さっき通りかかった雑貨屋にも、小さいのが置いてあったようだけれど……」
 それだけれはなく、彼女は脇を通り過ぎる子どもたちや祈るように手を擦り合わせた老女など、すれ違う者の手もとにたびたび、石像に似た小さな像を見つけていた。誰もが、それを唯一の頼みのように、大事に大事に握りしめている。
(お守りにしては不気味な感じだけれど……)
(宗教関係でもなければ、お守りなんて大抵あんなものだと思うけれどね)
 心の中で答え、酒場のドアをくぐる。
 昼食には少し早い時間帯だが、職人らしい髭面の男たちや食事のついでに井戸端会議を開いている女たちなど、テーブルの半分は埋まり、カウンターにもいくらか客の姿があった。
 セティアはカウンターの席に着くと、メニューのボードを一瞥し、カウンターの内側でグラスを磨いていた店主に野菜スープとパンのセットを頼んだ。
(何か、雰囲気が暗いね)
 シゼルのことばに、セティアは胸のうちで同意する。
 店の内装は明るく、観葉植物や壁に掛けられた花畑の絵が柔らかな風景を作り出し、空気も窓から差し込む陽で温かかい。ただ、その内部の人々が、周囲とつりあわない雰囲気を漂わせる。
「本当に、いつになったら来るんだろうね……」
「このままではまずいぞ。何とかしないと」
「でも、オレたちが何とかしようとしたってどうにもならないよ」
「ああ、わたくしが生きている間に解決するのかしら?」
「解決してくれる人が早く来てくださるといいのですけれど……」
 苦悩の表情に、深刻そうな声。セティアが各地の街の酒場で耳にしてきた陽気な騒音とは、まったく別の種類の音だった。
(困ってることでもあるのかな?)
(そういえば通りの店先なんかでも、暗い顔が多かったな)
 食事を終えると、セティアは店主に宿泊の意志を告げ、教えられた二階の部屋に荷物を置いた。ほかに客はいないらしく、二階にはまったく人の気配はない。
 部屋でゆっくりするには早過ぎる時間だ。魔女は必要最低限の物だけ持って、再び石造りの街並みへと踏み出した。

 石畳の道に、石造の家々。ところどころには石像が立ち、中央には噴水と、それを囲むように石の長椅子が並んでいる。そのたたずまいは、村というよりも良く整備された町のように見えた。
(本当に、ここの人たちは何を悩んでいるんだろうね)
 村の北へと歩いている間にも、通りかかる者、道端でことばを交わす者、誰もが共通の悩みについて話し合っている様子に見えた。時折すれ違う子どもたちなど、中には笑顔を見せる者もいるが、周囲で話している人々と同じような話題に加わると、途端に表情は深刻になる。
「それこそ、悪魔教団が村に居座っているとかだったりして」
 セティアが少し冗談めかしてシゼルの心話に答えるとほぼ同時に、どこか離れたところから、鈍い爆発音に似た音が響く。
(どっかで花火でもやってる?)
 立ち止まって周囲を見回す魔女の視界に、それらしきものはない。それに、爆音はただ一度だけ空気を震わせただけで、それに続くものはなかった。
 ただ、間もなく別の種類の音が北門の向こうから聞こえてくる。
「誰か、手を貸してくれ! 馬車が土砂崩れに巻き込まれた!」
 叫びながら駆け込んできたのは、顔も服も、あちこちが泥に汚れた男だった。
 門番の一人が応援を呼びに村の中心の方向へ走り、もう一人が、助けを呼びに来た男と一緒に門を出て行く。
(ねえ、行ってみようよ)
「そうだね。少し退屈していたところだし、シゼルがそう言うなら、行ってみるか」
 今、魔女がしている旅は、その場を動くことのできない少年シゼルに依頼されたものだ。魔女はできるだけ、彼の意志を尊重するように行動する。
 北門をくぐると、土肌がむき出しになった道が続いていた。村の周囲の大部分は少し草がはげた部分の多い草原だが、北側には、山にしては背の低い、高い丘が連なっているのが見えた。その丘の下を、北へ向かう道が通っている。
「旅人さんも手伝って!」
 横倒しになった馬車のそばから、残っていたらしい泥だらけの女が声をかける。
 馬車は幌つきで、牽いていた馬は無事だったらしく、近くの木につながれていた。丘の斜面の一部が崩れ落ち、荷車の半分が埋もれている。丘の上には、転がり落ちそうな岩がまだいくつか、傾きかけながら静止していた。
「こりゃあ、慎重にやらないといかんねえ」
 門番が緊張した様子で言いながら、荷車の上にのしかかる岩をどける。馬車の持ち主たちと、間もなくスコップを手に駆けつけて来た男たち四人、それにセティアも加わった。
 ここ数日雨が続いていたためか、土も草木も水を吸っていて、もろく滑りやすくなっている。丘の上で岩を支えている地面も、ほんの少し震動を与えただけで――否、そうでなくとも、今にも転がり落ちそうだった。
(大丈夫なのかな)
 少し心配そうな少年のことばを聞きながら、魔女は大人しく、土砂を除けていく。
 それがほとんど取り除かれ、あとは馬車をゆっくりと地面と水平になるまで傾ける段階に至ったときだった。
「まずい、逃げろ!」
 門番の一人が、丘の上を見上げて叫ぶ。
 パラパラと細かい土塊が転がってきたかと思うと、ギリギリのところで調和が取れていた傾きがわずかに変わり、大きな岩がゆっくりと、前に倒れてくるところだった。
 荷車の周囲にいた者たちは、悲鳴を上げて四方に散る。
 ただ一人を除いて。
「旅人さん!」
 驚いた馬車の持ち主が声を上げるとほぼ同時に、岩が立ち尽くす黒尽くめの少女の頭上へ落下し始めた。惨状を予想した数人は、思わず目を覆う。
 目を開いていた別の数人は、彼らにとって信じられないものを目にした。
 少女が軽く頭上に手をかざす。
 次の瞬間、見えない力が転がってきた岩を、その後ろに並ぶ別の岩や崩れそうな土砂ごと吹き飛ばした。

 〈選ばれし夢〉亭で一夜を過ごしたセティアは、一階で朝食を注文した。間もなく、目覚めたらしいシゼルが〈テレパシー〉で心の声を伝え始める。
(やあ、おはよう。それで、昨日は結局、何かお礼でももらえたの?)
(そんなものは最初から期待してないよ)
 シチューをかき混ぜ、魔女は淡々と応じる。
 転がる岩を破砕したあと、妙に驚きと畏怖の混じったような人々の視線を向けられながら、彼女は人々とともに荷車を起こし、再び馬に牽かれた馬車が村に入るまでを見届けた。
 馬車の持ち主から礼は言われたものの、それより、恐れているような、喜びを抑えているようでもある顔が目についた。それも、馬車の持ち主だけではなく、門番たちも似たような表情を見せていた。
(昨日のあの、みんなの様子は……ここの人たちが魔法について全然知らないから、かなあ?)
 セティアが魔法で岩を破壊するのを見た人々の、おかしな様子を思い出してのシゼルのことばに、魔女は興味なさそうにうなずいた。
(そうかもしれないね。どうにしろ、この村に見るべきものはなさそうだよ)
 一泊して特に目につくこともなければ、すぐにその町、村を出る。できるだけ遠く旅をするため、二人はそう決めていた。
 店主に代金を払って、セティアは宿を出た。
 木製のドアの取っ手に手をかけ、押し開く。
 異様な光景が魔女の目に入った。
 周囲に並ぶ建物、石像など、村を形作る物自体は何ひとつ変わっていない。代わりに、どこからこれだけの人数をかき集めたのだろうと思うほどの人の姿が、整然と並んでいた。
(これらか葬式か呪いの儀式か、って感じだね)
 人々は、一様に黒い布を頭から被っていた。
 果たして、何が始まるのか。セティアが内心不思議に思いながらドアを閉めて足を踏み出すと、彼女に負けないほど黒一色の集団から、年長らしい老人が進み出て、うやうやしく頭を下げた。
「よくぞ、この村においでくださりました。我々は何年、何年十年、いや、何百年もの間、あなたさまを心待ちにしておりました」
 この村は、せいぜい百数十年の歴史だと聞いていたが、セティアは黙っていた。
「我々は、あなたをたたえ、あなたに従うことを今日まで夢見て生きて参ったのです。力添えは惜しみませぬ。我らの力でこの大陸を、ゆくゆくは世界すべてまでも掌中にいたしましょう。あなたのお力なら簡単なことでございます。――魔王さま!」
(魔王~?)
 シゼルが裏返った声を出すが、セティアは取り合わず、真剣な、何かを期待するような表情の人々を見る。
「なぜわたしが、魔王だと?」
 魔女の無感動な問いに、村人たちはさらに顔に出た喜びを深くしながら、代表者のことばを待つ。村長と思しき代表者の老人も、目を輝かせながら口を開いた。
「あなたの魔王に相応しき格好、そして、あれほどの大岩を粉砕した素晴らしき力! どれも、魔王として誇らしきものです。どうぞ、そのお力で我々を覇道にお導きください!」
「我々をお導きください!」
 声をそろえ、人々は歓喜する。
「このときを、どれほど待ったことか……」
「生きている間に、我らが魔王さまと出会えるとは光栄です!」
 村人たちは喜び、中には感動の余り、涙する者すらあった。
「……ほう」
 魔女は、感心したようにも、適当に流すための相槌にも聞こえる声を出した。
 シゼルは不穏な気配を感じるが、村人たちは肯定的に受け取ったらしく、ほっとしたような笑顔を見せる。
 しかし、それもほんのわずかな間だった。
「ならば魔王らしく……」
 低い声で言った少女の差し出された左手の上に、黒い球体が浮かぶ。
「まずはこの村から滅ぼしてやろうか」
 少女の華奢な手首が、くい、と前に倒される。それに引っ張られたように球体が飛び、像を根元から吹き飛ばす。石畳もえぐれ、破片が弾けた。
 喜びの声を洩らしていた人々が沈黙する。
「……え?」
 事態を理解していないらしい村長が、パクパクと口を開け閉めしたあと、声を洩らす。
「魔王が人間の助けなど必要とすると思うのかい? 人間など、ただのエサでしかない」
「で、でででも我々は世界を支配するためのお手伝いができればと……」
「それでお前たちは得をするのだろう? 魔王が脆弱な人間ごときの利益になることを行うなど、プライドが許さん」
 再び、魔女の手のひらの上に黒い球体が浮かぶ。今度は五つ。
(あーあ……やり過ぎないでよ)
 悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した村人たちをセティアの視界で捉えながら、シゼルはあきれたように、魔女の破壊行為を眺めていた。

 村はその後、人々や住居などに被害は少なく、数ヶ月でほぼ元の通りに戻る。しかし、村の外観はともかく、そこに住まう人々の様子は一変していた。
 旅を続ける魔女が、『素晴らしい神の信徒たちが住む村』、『神聖で清い心の持ち主たちの住処』という村のうわさを耳にするのは、もうしばらく先のことだった。



天使と悪魔の契約 > 賛える者たちの村