DOWN

帰らざる日々

 こうして故郷に帰るのは何年ぶりか。家を飛び出して、もう十年にはなるくらいだろう。
 昔ながらの日本家屋は少し懐かしいけれど、今の俺にはずいぶん不釣合いに思える。髪も染めたし、革ジャンはこの和風の雰囲気には似合わない。
 ただ、今の服装が飾り気のない黒尽くめなのは幸いかもしれない。さすがに、キラキラジャラジャラした格好じゃあいたたまれなくなる。目の前で顔に布を掛けられ横たわるオヤジには、何の未練もないが。
「ほら、お前も何か棺桶に入れるもの選べ」
 兄貴がそう言うが、十年近く家を空けていた俺がオヤジの最近の好みなんて知るわけない。
「あとで、酒の一本でも買ってくるよ」
 適当に答えて、窓際に座ってタバコをくわえる。葬儀屋がやってくるまでは、特にすることもない。俺はただ、オヤジの荷物から棺桶に入れる物を選ぶ、兄貴とおふくろを眺めていた。
 オヤジが死んだのは一昨日。心不全だった。昨日報せを聞いたが、俺にとってはもうほとんど他人事だ。東京に出てミュージシャンになるという俺の話をオヤジは一蹴して、地元にいろと命令した。それに大人しく従う俺じゃあない。家出同然で東京に出て、五年後にやっと夢をつかんだ。
 夢を叶えて数年後、家族をコンサートに招待したこともある。でも、オヤジだけは顔を見せなかった。
 そっちがその気なら、と、縁を切ったつもりになってもう数年。顔を見たのも久々で、他人にしか思えない。とっとと葬式だけ済ましたら、東京に戻る予定だ。
「これ、どうする? 熱心に送ってた手紙だろ。でも、あて先は知らないし」
 兄貴が荷物の中から、縁が金色の白い封筒を取り出した。それを目にした途端、俺は固まる。
 兄貴が、それを読み上げる。

『いつも、楽しく聞かせていただいています。あなたの歌われる曲を耳にすると、生きる気力が湧いてきます。それに、コンサートでの挨拶など、ファンの方を大切にしていることが伝わってきます。
 あなたのように心根の真っ直ぐなかたの歌は、これからも、たくさんの人たちに力を与えていくのでしょうね。
 あなたを応援する私まで、それを誇りに思います。
 これからも身体に気をつけて頑張ってください。応援しています』

「だって。歌手へのファンレターかな?」
「相手の名前はないの? しょうがないねえ。それも、棺桶に入れとくか。いつか、あの世で渡せるでしょ」
 母が言うのを上の空で聞きながら、俺は何度も目にした封筒を見つめ続けていた。
 その封筒は、俺がまだ東京に出て半年くらいの頃から――売れない下積み時代から毎月のように受け取ってきた手紙だ。街角で歌っているのを聞いたファンだという自己紹介から始まったそのファンレターは、挫けそうなときにも、ずっと俺を支えて、応援してくれた手紙だ。
 差出人がわからないものの、いつか探し出して、礼を言おうと思っていたのに。
 礼を言うべき相手は、ものこの世にいない。


FIN.


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