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ポチの思い出

 あたしが小学4年生のころ、お祭に行って、友だちのあみちゃんと別れた帰り道のことだった。家はすぐ近くだから、それに電柱から吊るされたちょうちんが辺りを照らしていたし、暗い夜道もそんなに怖くなかった。
 でも、さすがに妙な鳴き声を聞いたときには、一瞬、飛び上がりそうになった。
 ただ、その鳴き声は『みゅーみゅー』という、小動物のような、可愛らしい感じのものだった。だから、どちらかと言えば臆病で泣き虫のあたしでも、逃げ出さずに、声の主を捜す気になったんだと思う。
「どこにいるの?」
 辺りには誰もいない。静かなのが怖くて、あたしは声をかけながら、空き地の草むらを捜した。
 すると、最初は草にまぎれてわからなかったけれど、緑の小さな生き物が見上げているのに気がついた。トカゲに似ているけれど翼があって、目は大きくて可愛らしい。
 ――竜の子どもだ!
 そう直感して頭を撫でてやると、生き物は嬉しそうに、猫みたいにのどを鳴らした。
「うちにくる?」
 ここに居たら死んじゃうかもしれない、と思ったあたしは、手のひらを差し出してみる。
「みゅー」
 返事をするみたいに鳴いて手のひらに跳びあがった竜の子どもを、あたしは大事に浴衣の胸元に隠し、家に連れて帰った。

 その後、あたしは竜に『ポチ』という名前をつけて、自分の部屋の押入れで飼うことにした。ペットを飼いたかったけれど両親が許してくれなかったこともあって、あたしは秘密のペットに夢中になった。
 ポチは両親に見つからないように大人しくしていたし、家にあたししかいないときでないと鳴かなかった。とても賢くて、家の物を壊したりしないし、手がかからなかった。
 ただ――ポチは、あたしが差し出したエサをまったく食べなかった。
 お魚も、野菜も、お菓子も、ご飯も、こっそり隣の家の飼い犬から分けてもらったドックフードも食べない。無理に口に入れても飲み込もうとせず、吐き出してしまう。
 竜何だから食べ物なんていらないんだ。そう思うことにしたものの、平気でいられたのは一週間くらいだった。そのあとは、目に見えてポチは痩せて、弱っていく。ピカピカだった緑の鱗はしおれて色も枯れ木のようになり、飛ぶこともできなくなっていった。
 『もう10歳なんだから、泣くんじゃないの』と何度も言われていたけれど、ポチを拾って2週間くらい経ったころ、そろそろポチが死ぬんじゃないかと思えてきて、あたしはついに、段ボール箱の中で動かないで見上げているポチの前で泣いてしまった。
 すると、急にポチが動き出して、自分の上に落ちた雫をなめた。
 まるで魔法みたいな光景に、あたしは目を見張った。ポチがあたしの涙をひと舐めしたとたん、鱗は艶を取り戻し、全身に生気がみなぎっていくのがわかった。
「みゅー」
 再び動くようになった翼がはばたき、あたしの肩にポチが乗ってくる。
 あたしは嬉しくて、もっと一杯泣いた。ポチはそれを舐めて、もっと元気になっていった。

 あたしとポチの秘密の時間は、長い間続いた。どうやら、他の人にはポチは見えないらしい。
 ポチのエサには、一週間に一度、あたしの涙を舐めさせた。あたしはすぐに、悲しいときの涙や、たまねぎを切って無理矢理出した涙より、嬉しいとき、感動したときの涙のほうがポチにとってもおいしいらしい、と気づいた。だから、週に一度、感動するDVDや本を借りてきて見るようになった。
 そして、そろそろ中学校も卒業するころ。
 あたしは、通学中、突然倒れて病院に担ぎ込まれた。
 詳しくは教えられなかったけど、家族や親戚が病室に集められ、お母さんやあみちゃんが泣いていて、きっともうダメなんだということはわかった。
 少し朦朧とした意識の中で、頬に心地よい風を感じて目を向けると、窓が開けられていた。外は天気が良くて、山並みが薄緑に鮮やかに見える。
 そこに、見覚えのある姿が現われた。窓から飛び込んできたポチが泣いている大人たちの間を縫って、あたしの頭の横に止まる。
 ポチが消えて、少ししてお医者さんがやってきて、周りの人たちに、大丈夫だと告げた。
 お母さんたちは今まで以上に泣いて、あたしも泣いた。

 それ以来、竜の子どもに会ったことはない。
 でも、あたしは相変わらず、毎週嬉し涙や感動の涙を欠かさないことにしている。


FIN.


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