DOWN

つなぐ環

 まだ、戦争も始まっていない、三年前のある日の昼下がり。
「ねえ、ラクロ。約束して」
 ミリアは、窓の前、金髪を三つ編みにした後ろ姿のまま、黒目黒髪の幼馴染みの少年に言った。少年に二年遅れて、彼女が一四歳の誕生日に、町の領主が擁する私兵団に入団した日のことだった。
「約束? 何を?」
「あたしと、親友以上の関係にならないってこと。……わかる?」
 ラクロは、彼女のことばの意味が、一瞬わからなかった。そして、理解すると、少し複雑そうな、不機嫌な表情を浮かべる。
「わかったよ。こっちだって、親友以上なんてゴメンだよ」
「ちゃんと指切りして」
 少女はようやく振り返ると、どこか寂しそうにほほ笑んで、小指を差し出した。
 そうして指切りまでして、二人は親友のままでいることを約束したのだが――
「なんで、あんな約束したんだろう」
 どこかで大砲の音が鳴っているのを聞き流しながら、ラクロは納得いかない気分でぼやいた。
 あちこちが焼け焦げた森の中で、ライフルを肩にかけ、少年は身をかがめて歩いている。その目の前には、草色の地味な服でもよく目を引く、色白で背の低い少女が背中を向けていた。
「どうやら、相手の人数は少ないみたい。これなら大丈夫だね」
 戦場には似合わない、まぶしい笑顔を向けられて、ラクロは一瞬目を奪われた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
 のぞき込まれて、彼は思わず顔を背ける。顔が赤くなっていないように祈りながら。
 彼は、上手く進路を選んでいくミリアの後に続きながら、ポケットの中のリングをもてあそんだ。いつか渡そうと思いながら渡せずにいる、木の指輪だ。
 もしかしたら、この戦争が終わったとき、約束を破ることができるかもしれない。指輪を渡せる日が来るかもしれない。
 そんな淡い希望を抱きながら、ラクロはミリアと、町を守るための戦いの日々を過ごした。
 襲撃者たちが降伏し、周囲の軍隊が退き始めたのは、その数日後のことだった。町の防衛に駆り出されていた私兵団の少年兵の多くも、待ちきれない様子で次々と帰っていく。
 ラクロとミリアは、その中でも最後のほうまで残っていた。
 これから故郷に帰ろうという頃になって、ラクロは、ようやく決心した。三年前の約束の存在を問うことを。
「ねえ、ミリア……あの約束、破れないのかな?」
 できるだけさりげない風を装って、ラクロは少し緊張した声できいた。手のひらに、シンプルな装飾が刻まれた、手作りの指輪が転がる。
「ラクロ……ゴメンね」
 荷物を整理する手を止めて、ミリアは、真っ直ぐ目を向ける。その表情には、まったく迷いがない――なのにどうして、あんなに悲しそうなんだろう、とラクロは思う。
「その指輪……薬指にはできないよ。他の指にはできるけどさ」
「ああ、約束は守るよ」
 思わず、長い溜め息を洩らす。彼の沈んだ様子にも気づかず、少女はほほ笑んだ。
「じゃあ、新しい約束も守って。長生きしてね」
「ああ」
 少し上の空で応じて、指輪を宙に放る。
「くれないの?」
 うつむきかけて、ラクロは、ミリアが猫のように興味津々で、彼が上に投げてはキャッチしている指輪を見ていることに気づく。
「町に帰ったら、こんなのよりもっといいの買ってやるから」
 ラクロは、久々に笑った気がした。
 二人は笑い合って、故郷の町へ帰っていく。ひとつの区切りを胸にして、門をくぐったところで、ラクロはミリアと別れた。
 両親と再会を喜び合い、さらに数日が過ぎたある日、ラクロは、ふと、ミリアの家の近くまで、散歩に出てみることにした。
 通を歩いていると、何の脈絡もなく、人込みが途切れ、黒い光景が広がった。
 喪服だった。喪服を着た人々が、民家の庭に造られた祭壇の周囲に並んでいるのだ。
 ここが誰の家か。どんなに久々でも、忘れるわけがない。
「どうしたの、おばさん!」
 見覚えのある顔を見つけて、ラクロは黒い姿の人々の中に飛び込んだ。驚いたような女性の顔を目にしながら彼は、祭壇の上に横たわる棺に近づく。
「ラクロくん、連絡しないでいてゴメンね。この子が、どうしてもって……」
 そう言って近づいて来たのは、ミリアの母親だった。それとよく似た面影が、棺の中でほほ笑んでいる。
「もう、三年も前からわかっていたの。重い病気で、あと数年の命だって」
「そんな……」
 それが、ずっと、親友のままでいなければならなかった理由。彼に寂しい思いをさせたくないという、彼女の願い。
 その願いを無駄にしないために、少年は、唇を噛んで涙をこらえる。
「ミリア、約束は守るよ。指切りしよう」
 もう動かない、小さな手を取って、ラクロは、ずっと持っていた指輪をミリアの細く冷たい小指にはめ、そう誓った。


※モノカキさんに30のお題「冷たい手」回答

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