DOWN

境界線

 幼い少女が、境界線の前で遊んでいた。
 彼女が草花で冠を作っているのは、町を二分する境界線の、貧民街の側だ。反対側は、豊かな暮らしをしている貴族たちの住居が並ぶ。
 その貴族の街から、綺麗な服を着た少年が、境界線を示す看板の前まで歩み寄った。
「ねえ、きみ」
 声をかけられると、少女は、驚いたように顔を上げる。
「ぼく、レクっていうんだ。きみは? いつもここで遊んでるの?」
「あたし、ナン。ここには綺麗な花がたくさんあるから、良く来てるのよ」
 同い歳の相手だとわかってほっとしたのか、ナンは笑顔で答えた。そして、完成したばかりの花の冠を相手に差し出す。
「ありがとう」
 思わず受け取ってしまってから、レクはナンにつられて、ほほ笑んだ。
 丁度、その背後の店から出てきた女が、顔色を変えて駆け寄ってきた。
「坊ちゃん、何をしてらっしゃるのです! 『境界線から足を踏み出すことはできない』という決まり、お忘れではないでしょう?」
「わかってるよ」
 メイドのことばに、レクは口を尖らせた。
「さあ、お嬢ちゃんも境界線のそばから離れなさい」
 言われて、少女は哀しげな表情を浮かべ、走り去っていく。
 レクは、その顔と小さな背中が忘れられなかった。

 それ以来、レクはよく家の者の目を盗んで、境界線に来るようになった。そこには大抵ナンがいて、二人は色々なことを話した。
 ナンは孤児で、貧しい教会で育ったこと。レクは町長の子で、いずれ町長を継ぐのだからと親が勉強しろとうるさいこと。そんな身の上を話しながら、励まし合い、ときには手紙やプレゼントを交換したりもした。
 それが何年も続き、やがて、レクが町の学校を卒業しためでたい日に、彼は町長である父に切り出した。
「ねえ、父さん。あの決まり、変えることはできないの?」
「あの決まり?」
 目の前のテーブルの上に並ぶご馳走を機嫌よく眺めていた父は、不思議そうにきき返す。
「そう。『境界線から足を踏み出すことはできない』っていう決まりだよ」
 父は、何を言い出すんだ、というような目でレクを見た。
「とんでもない。先祖代々の決まりに逆らうなんて私にはできん。そんなことをしたら、人々にどう思われるか」
 他人にどう思われるかなんて関係ない、とレクは思ったが、口には出さなかった。この街の人々は伝統を重んじる。
「決まりを破らなければ……『境界の向こうに足を踏み出すことは許されない』という決まりに当たらなければいいんでしょう?」
 彼は、話題を少し変えた。父は少しほっとしたような顔をしてうなずく。
「ああ。決まりさえ守ればいいんだ」
「じゃあ、明後日、ついてきて欲しいところがあるんだ」
 レクが身を乗り出し、必死に頼み込むと、父は目を丸くした。
「明後日は、台風が来る日だぞ?」
「お願い、少しの間だけでいいから」
「そこまで言うなら、付き合ってもいいが」
 父親が不思議そうにうなずくと、レクは、椅子から跳び上がらんばかりに喜ぶ。
 そんな少年を、両親とメイドが首をかしげて見ていた。

 天気予報の通り、約束の日は、台風が近づいていた。強風が吹き荒れ、今にも雨が降り出しそうな中でも、レクの家族とメイドは、少年があまりに一生懸命に頼むので、約束通りに境界線のそばに集まる。
「レク、言われたとおりに持って来たけど……」
 境界線の向こう側から現われた少女は、見物人たちの姿に戸惑いの表情を浮かべた。そうして落ちつかなそうに見回しながらも、彼女の両手に三段の足場がある台が抱えられていることを確認して、レクはほほ笑んだ。
「ああ。じゃあ、やってくれるね?」
「でも、何でこんな日に? 危ないんじゃ」
「大丈夫。今日だけでもいい。お願い、ぼくを信じて」
 熱意のこもった目と口調で言われ、ナンは彼に従う決意をしたらしい。境界線ぎりぎりに台を置いて、バランスを崩しそうになりながら一番上に立つと、懐から白い紙飛行機を出して、それを、風の流れに乗せようとした。
 そのとき、一際強い風が吹き、少女の背中を押す。小さな悲鳴を上げて倒れこむ彼女を、待ち構えていたように、レクが抱きとめる。
「な、何てことだ……」
 町長は、茫然と少年と少女を見た。
 レクに受け止められたナンの身体は、境界線のこちら側にあった。驚く人々の前で、レクはナンの手を引いて立ち上がり、高らかに言う。
「今、ナンは境界線を渡った。それも、たまたま風が吹いたせいで、たまたま渡った形になっただけだ。『境界の向こうに足を踏み出すことは許されない』という決まりを破ってはいない。みんな見たはずだ……ねえ、父さん?」
「ああ……」
 町長は、うなずくしかない。
「レク、ありがとう」
 それ見て歓喜する少女の手には、『ともに生きましょう』と書かれた紙飛行機が握られていた。


※モノカキさんに30のお題「境界線」回答

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