DOWN

運命の二人

 生温い風が、開いた窓から吹き込んできた。
 わたしはその風が運んできた焦げ臭いにおいに顔をしかめながら、校庭に目を向ける。昨日までは満開だった桜も、今朝の強風ですべて散ってしまったらしい。
「ほら、よそ見すんな。問題の途中だろ」
 大きな立体モニターに表示された数学の教科書のページをめくりながら、教壇に立つマサ兄が注意してくる。
 先生にしてはかなり若いマサ兄は、つい最近教員免許を取って、この地元の高校に来たばかりだ。昔から彼と馴染みのあるわたしにとっては、『先生』というより、『となりの家のお兄さん』という感じが抜けない。
「だってさあ、意外だと思わない?」
 ついつい、友だちのような調子で話しかけてしまう。
 いつもならことば遣いを注意されるところだけれど、今日は違った。きっと、ほかに誰もいないからだ。
「そりゃ、きみが赤点取った結果だろ。まあ、こうなったことをひとことで表わすと、安直だが、〈運命〉だ」
 そんなひとことで言い切っちゃっていいんだろうかと思うものの、わたしも、何となく納得するしかなかった。
 大人しく、自分のパソコン画面に視線を落として数学問題を解いていく。
 昔は問題をいちいち紙のノートに書き写して解いていたらしいということを思い出して、電気が通っててパソコンが使えることに感謝する。いつもは、そのありがたみなんて気がつきもしなかったけど。
「運命が俺たちを選んだことを、感謝すべきなのか、嘆くべきなのか」
 わたしの解答を見ながら、マサ兄は独り言のように言った。
 喜ぶより、嘆くことのほうが多いに決まってる。でも、つらいことは考えたくなくて、わたしは無理矢理笑顔を作った。
「わたし、実はマサ兄のこと好きだったんだ。だから、わたしは感謝する。嘆いても何かが良くなるわけでもないし」
 こんなあっさり告白ができるのも、二人っきりだからだろう。今なら、どんな恥ずかしいことも照れくさいことも言えそうな気がする。
 マサ兄は少し驚いてから、仕方なさそうに溜め息を吐く。
「どうやっても逃げられないから、一〇〇パーセント成功のプロポーズってわけか。まあ、いいだろう。それが俺の義務だ」
「義務でOKしないでよ。こういう状況にならなきゃ、わたしとは嫌だったの?」
「そういうわけじゃない。俺だって……二人っきりになった相手が、ほかの誰かじゃなくて、きみで良かったと思ってるよ」
 そむけた顔が、少し赤く染まっている。出任せとか、お世辞ではないらしい。
「わたしも、マサ兄との二人っきりで良かった」
 そう、ここに――この世界に、わたしたち、二人っきり。
 学校の周囲の市街地区も、その外側も、焼かれてメチャクチャになっていた。無事なのは、この学校の建物だけ。
 学校から衛星のデータを見ても、ほかのどこにも無事な場所はない。地上のものはすべて、戦争で壊された。途中からは、ほとんど人の手を離れた機械が破壊し尽くし、焼き尽くした。
 科学の進んだ現代、いざ最後のスイッチが押されたら、人類が全滅するまでなんてあっという間。
 それでも、本来休みで誰もいないこの学校に来ていた、わたしとマサ兄だけは生き残った――これを、運命と言わずに何と言うだろうか。
「やっぱり、わたしたち二人が選ばれたのは運命だったんだろうね。これからわたしたちで、新しい世界をつくろうね」
「ああ……そうだな」
 相手の溜め息交じりの答えに満足して、わたしはとりあえず、前の世界からの宿題の残りに取りかかった。


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