DOWN

十センチ(上)

 チャリン、と、高い金属音が鳴る。
 鍵の束が、コンビニ横に並ぶ三台のバイクの下に潜り込んだ。手前の俺のバイクのとなりの、バイトの先輩のバイクの下まで入ったらしい。
 またか、と俺は肩をすくめた。べつに、誰のせいでもないが。
 屈んで手を伸ばすのも面倒だった。俺は、ちょっとした特技で鍵の束を取ろうとする。
 じっと鍵を見て――実際にはバイクの陰になって見えないので、透かし見るつもりで、その一点に集中し、こちらに引っ張るイメージを浮かべる。
 すると、鍵が擦れるような音を立てて、アスファルトの上を、足もとまで滑ってくる。それを蹴り上げて、俺は立ったままで鍵の束を取り返した。
 これが、物心ついたときから自然に身についていた、俺の力だ。
 誰でもこれくらいのことはできると、幼い頃から思っていた。そのうち、そうじゃないんだと気づいて、人前で使わないように気をつけるようになった。
 とはいえ、何てことのない能力である。どんなものでも十センチまでは自由に動かせるが、それだけだ。物が瞬間移動するわけでもないし、十センチ以上は、どうやっても無理だった。
 それでも、他人から見れば、特異な力なわけで。
「あ」
 後ろから、予想外の、驚きの声。
 振り返ると、髪を肩の上で切りそろえた、背の低い女が立っていた。同じコンビニでバイトしている、日潟いつきだ。中学生くらいに見えるが、俺と同い年らしい。
 もしかして、見られた……のか?
「ああ、俺、鍵の輪っかに指入れて回す癖あるから、よく落とすんだ。だから、紐つけてんだよ」
 何度か、同じような場面で見られたことがあった。それ以来、言い訳を用意している。もちろん、紐がついているなんてのは、真っ赤なウソだ。
 いつきは、驚くのをやめて笑った。その顔は、なぜかほっとしているようでも、残念そうでもある。
「そうだよね。朝人くん、慎重だし」
「そうだよ。運転もめちゃくちゃ慎重だしな……乗ってっか?」
 バイトの終わり頃にもなると、辺りは、すでに真っ暗だ。高三にもなりゃ自分の安全は自分で守れる……とおれ自身に関しては思ってるが、こいつはどうも頼りなく見えて、一人にするのは落ち着かない。
「じゃ、頼もうかな」
 家の方向も同じだし、これが初めてでもない。いつきは嬉しそうに、俺が差し出したヘルメットを受け取る。
「そういや、バイト掛け持ちしてんだってな。探偵のアシスタントだって? それ、危なくないのか?」
 何気なく、俺はバイトの先輩に聞いた話を確認してみた。学校が違うので、いつきの話はバイトを通してのものしか知らない。
 探偵、と言っても、推理物の小説やドラマに出てくるような華々しいものばかりでないのは知ってる。せいぜい浮気調査や家出人の捜索くらいだろう。
「あたしはほとんど事務だから、大丈夫だよ。結構大きいところだから、高校卒業したらそこに就職するつもりなの」
「そういうもんか」
 適当に相槌を打って俺はヘルメットを被った。
 それ以外、特に意味のあるような会話もなく、俺はいつきを家まで送り届けて帰った。
 バイクを車庫に入れながら、今まで何も気にしないで使ってきたけど、この能力はできるだけ使わないほうがいいかもしれない、と思う。
 でも、もう無意識のうちにも使ってしまうほどだし、あんまり、神経質に成る必要もないか。
 俺は、そう考えることにした。

 翌日、いつも通り、高校の授業を受ける。別に有名校でも何でもない普通の高校で、同級生はみんな明るく、勉強も部活も盛んだ。
 でも、最近、放課後になるのが待ち遠しいことに気づいていた。もうすぐ卒業して、バイトもやめることになると考えると、ひどく寂しくなる。
 ちょっと前までは、放課後はサッカー部に打ち込んでいたものの、もう、部活は引退の時期だ。
 休み時間のクラス内の雑談でも、部活や行事についての話題は少なくなっていた。
「なあ、倉橋、知ってるか? 近くの昨日、コンビニに強盗入ったんだってよ」
 クラスメイトの長居浩輔が、モップで床を掃きながら、話を振ってくる。
 最近よく耳にする話題が、この連続強盗事件だ。コンビニが標的になることも多くて、やっぱりコンビニでバイトしている俺としてもけっこう気になる。
「段々、近づいて来てんじゃないか? お前、けっこう夜までバイトしてんだろ」
「一人になることはないし、大丈夫だろ」
 一人にならないところで、べつに一緒にいる店員が格闘技の達人とかいうわけでもない。相手が武器でも持ってりゃ、こっちの人数は余り関係ない気がする。
 必ずコンビニが狙われるのでも、俺がバイトしているコンビニが狙われるとも限らない。
 友人の言うことを他人事のように聞き流して、俺は掃除を終わらせた。


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