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記念すべき日(1)

 その年の夏は、ひどく暑かった。
 その上雨が少なく、一部の地域では、水不足も顕著になりつつあった。もっとも、数年前に海水から真水を作る大規模な工場が瀬戸内海沿岸などにでき、深刻な事態になる可能性はない。
 工場は全自動で、コストも低いが、それでも平年に比べて水道料金は割高になる。
「この水が、全部飲めたら楽なんだけどな」
 雲ひとつない空を仰ぎ見ていた高田祐輝は、浜に打ち寄せては引いていく波に視線を移し、つぶやいた。
 この辺りの海は急に深くなっている遊泳禁止区域で、海水客で賑わうビーチからは少し離れていた。祐輝は涼しげな海水浴客とは無縁である。彼が身につけているのは水着ではなく、肌の露出の少ない作業服だった。
 それでも、面白くないわけではない。自分の好きなことをしているのだ。考古学者に連れられ調査に参加するのは、大学入学以前からの夢だった。入学の難しい大学を受けたのも、小学生の時から憧れていた教授である考古学者がいたためだ。
 しかし、何だか気分がすっきりしないのは、幼馴染みでもある学友、祥子のことが気にかかるせいかもしれない。
 べつに、喧嘩をしてきたわけではない。祥子は、祐輝の夢を応援してくれている。ただ、彼女が祐輝を送り出す時に言った、「海水浴は今年もお預けね」ということばが、海水浴客のいる浜辺を見るたび、心にちくりと痛むのだ。
 夏休みも冬休みも研究や調査に明け暮れ、二人でどこかに行った記憶は、大学進学後にはない。
「そろそろ、午後の調査を始めるか」
 青年の背後から、声がかけられた。振り返ると、眼鏡をかけたスーツ姿の四〇代くらいの男が、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを手にして立っていた。
 見た目は年齢以上に若く見える、考古学者としては名の知られた、秋野健一教授だ。
「調査ポイントにつく頃には、少しは涼しくなってくるだろう」
「そうですね。みんな、昼食を終えたようだし」
 幼馴染みへの想いを一時的に意識の隅に追いやって、彼が振り向いた方向に、ビーチに沿って走る国道脇の、ドライブインのうちの一軒から出てくる調査メンバーたちの姿があった。

 今回のために造られた調査船は、〈アルゴー〉号、と名づけられていた。ギリシア神話に出てくる、並み居る英雄たちを乗せた船の名だ。本来はそんな気の利いた名前などないのだが、調査メンバーの一人である、秋野教授の助手の松井那美が勝手に名づけた。
 〈アルゴー〉号に乗っているメンバーは、五人だ。そのうち一人は船長で、もう一人はその手伝いをしている。
 船と同じく、秋野教授が中古屋で発掘してきた海底探査機にも、〈ブラックジャック〉号という名が与えられている。その名の通り黒い探査機は、ライトで周囲を照らしながら、ところどころにつぶれたジュースの缶といった、人間の投げたゴミが落ちている岩の間を、慎重に進んでいく。
 探査機に搭載されたカメラの映像を接続されたモニターで見ながら、那美がコントローラを操作する。教授が時々、カメラを向ける方向を指示した。
 地道な、退屈な作業である。現実とかけ離れた理想像を思い描いていたわけではないが、祐輝はただ画面を見守るだけの状況に、少し飽きていた。
 この辺りには、何かがある。その予測の信憑性は高かった。二年前、日本は高性能な衛星の射ちあげに成功し、宇宙考古学が伸張した。衛星からの分析により、この辺り一体から自然界には存在しない金属の反応が得られているのである。
 今調査しているのは、反応があった領域の中心辺りだ。船は波の穏やかな、透明度が高く綺麗な青緑の海上で、エンジンを切って揺れていた。
「反応の濃さから言っても、大体この辺りなんだがねえ」
 持参の資料の束をめくりながら、教授は左手で顎をさする。
「遺跡じゃなくて、隕石か何かが落ちて、その構成物質が反応していたんだったりして」
 操縦の手を休めないまま、学生とほとんど変わらない年齢に見える助手、那美がいたずらっぽく言う。
 あらゆる機器の性能が上昇したこの時代、そういった機能の上昇自体による問題も生まれていた。情報の取捨選択も細部まで可能になってはいるが、最終的な判断には、まだ人間が必要だ。
「失礼だなあ……まあ、隕石を構成する鉱物に新発見があればいいけどね。この辺は何だか隕石の落下が多いから、あり得ない話ではない」
 少しむっとしかけた教授が、話しながら那美のことばに納得していく。その様子を見て、祐輝は密かに苦笑をこらえた。
 現在唯一作業らしい作業を行っている那美ですら、退屈しのぎの冗談を言うくらいである。今か今かと待ちわびる楽しさはあるが、それも長く続くと、どうせ見つからないんじゃないか、なるようになれ、という、あきらめに似た気持ちのほうが強くなってくる。


1:次項
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