#DOWN

終結 ―遠い〈記憶〉の彼方―(11)

「ああ……?」
 よろめきながら、少年は立ち止まる。すでに、壁がある位置に達したはずだ。それなのに、何の衝撃も感じない。
 彼は顔を上げた。ネファースの顔が、思ったより高い位置にある。
 賢者が、顔を天井に向け、数十センチほど浮いていた。
 茫然と、声もなく見守る一同の前で、どさりと法衣姿が落ち、ズルズルと引きずられるように柱の向こうに移動していく。
 何が起こったのかわからない。クレオはただ、陰に消えていく足を見送るだけだ。
 最初に動いたのは、リルと、ステラだった。
「そこにいるのは誰?」
 リルは、柱の向こうに走った。
 その横で、ステラは柱に設置されている、蓋の開いたままのパネルに触れながら、視線で銀の妖精を追う。
 一拍遅れて、残された者たちが駆け寄った。
「リルちゃん、危なっ……」
 柱を回り込むと、障害物が消えた視界に、異様な光景が映る。
 吊り上げられたように、賢者の身体が浮かんでいた。
 手足も首もだらりと力を失い、目は、白目をむいている。口の端からはよだれがたれ、顔は、昔のマネキンのように白かった。
 その光景の中でも、目を引くもの。それは、首に巻きつく黒いヘビだ。
「感謝するぜ、坊や。こいつらの気をそらしてくれてよ」
 声に続いて、ヘビがスルスルと床まで降りて形を変え、ネファースのとなりに黒尽くめの青年として現われる。黒い三角帽子と、仮面のように白い顔も変わりない。
 カロアン、それにレイフォード・ワールドのアガクの塔、最上階で、リルたちは、その声の主の正体を知っている。クレオにとっては、キダムという吟遊詩人だ。
「坊やには紹介がまだだったな。オレはサーペンス・アスパーってんだ」
「サーペンス……」
 クラッカーとして人々の間でも有名なその名は、クレオの脳裏にも刻まれていた。
 性質の悪い、腕はいいし頭もいいがよく問題を起こすクラッカー――というのが、彼がサーペンスに抱くイメージだ。
 黒いルージュを引いた口の端を吊り上げ、独特な笑みを浮かべた男は、軽く手を振る。
「こいつはもういらない」
 面倒臭そうなことばに、即座に反応があった。
 すでに意識を失っていたらしいネファースが、なんの予兆もなく消えた。サーペンスに消されたことは、考えるまでもない。
 命が、あっさりと消されていく。まるで単なるデータのように。
 たとえ、どんな恐るべき敵であろうと、相手のペースに飲まれてはいけない。恐れて、動きを止めてはいけない。
 クレオは、剣の柄を握りなおして相手をにらみつける。
「あんた……何が目的だ」
「目的ィ?」
 実に楽しそうに、男は笑う。
「楽しく暮らすことだよ。まったく、あのジジイについてきて正解だったぜ……こうして、力を手にできたんだから」
 賢者たちが手に入れていた、セルサスの力。それを、彼らの記憶を喰らったサーペンスが引き継いでいた。
 彼の姿を見てから、予想できていたことではあった。だが、あらためて事実を突きつけられて、少年たちは重い衝撃を受ける。
 セルサスの力の一部。それが、よりにもよって、この凶悪な男の手に落ちた。
 ゆっくりと、一人一人のショックの表情を見回して、大きな力を得たクラッカーは、ある一人の姿の上で目を留める。
「まずは……あの時の礼をしないとなあ」
 シータが顔を上げた。
 そのタイミングを計ったように、黒い鎖が後ろから首に巻きつき、そのまま少年を後ろに引き倒す。
 声もなく転がる白い姿に、壁から次々と鎖が伸び、手足の自由を奪う。
「やめろ!」
 クレオは踏み込み、勢いよく剣を突き出した。最小限の予備動作による攻撃だった。
 サーペンスは動かない。聖剣の切っ先が、確かに、黒服の表面に触れ――
 パキン。
 軽過ぎる音をたてて、刃が折れ飛ぶ。
「いいねえ、もっと抵抗してくれよ」
 唇を長い舌で舐め、男は恍惚と少年たちを見る。
 その動作だけで、茫然と先の折れた剣を見つめていたクレオが、リルのそばまで吹き飛ばされた。
「よせ、抵抗するな」
 読唇者が声を上げるが、レイガンをかまえるルチルには届かない。
 サイバーフォースの一員としての使命感と、ここを何とかしなくては、という焦り。今動かなければ、少女は絶望してしまいそうだった。何もかも放り投げて、例え生き残っても、後悔し続けることになる。
 決意を込めて、彼女はトリガーを引く。
 それで、何も変わることがないと、わかっていても。
 レイガンの銃口から発射されたはずの光線が、彼女の左肩をつらぬいた。痛みに顔をゆがめながら、なおもトリガーを引くと、レイガンがその手から弾き飛ばされる。
「面白いな、こういう時の人間の行動は」

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