#DOWN

終結 ―遠い〈記憶〉の彼方―(3)

 足首に触れた、生温かい感触。その正体が、長い身体を左右に振りながら床を這い、素早く通路の奥に消えていく。
 車椅子の少女が、鋭い視線でその蛇の姿を追うが、リルとルチルは気づかない。
「黒いヘビ……この辺じゃ、珍しいわね」
「やだなあ、野獣はいないって言ってたのに、ヘビはいるわけ?」
 動じていないリルのとなりで、ルチルは誰にともなく文句を言う。他にも生物がいないか気になる様子で、改めて赤茶色の天井を見上げた。
 天井の端が、わずかに粉を吹く。地鳴りのような、重い振動音が大きくなってくる。
「そろそろか」
 通路の方向が変わる瞬間が近づいている。
 少年たちが消えていった通路の奥には、ただ、闇が広がっているだけだった。
「ま、一本道だから迷うこともないだろ。帰りは、リルちゃんたちが待っててくれるし」
「今のところ、この階層にプログラム的な罠は仕掛けられていないようですからね……クラッカーは、全員でセルサスの防壁破りに向かってるのでしょうね」
「破られたら、どうなるんだ?」
 長い通路をペンライトで照らし、クレオは歩き続けた。その後ろを、闇に溶け込むような、シータの姿が追う。
「あなたのほうが詳しいのではないですか? 啓昇党が望む世界……」
「進化、と言ったって、具体的なことは何も聞いちゃいないよ。決めるのは進化する者その人だ、とか言ってるけど……」
「あなたのご両親も、その世界を望んでるのでしょう?」
 狙いのわからない質問に、クレオは少しの間、口ごもる。
「ああ……よくわからないけど、たぶん。でも、何で家族一緒にいられるだけで、満足できないんだろう……」
 ほとんど、無意識のつぶやきだった。
 言ってから数歩進んだところで自分のことばに気づき、顔を真っ赤にして振り返る。
「今の、誰にも言うなよっ!」
「言いませんよ、そんなこと」
 焦るクレオとは対照的に、シータは落ち着いたほほ笑みを返す。
 現実世界の肉体は老化しないまま五年が過ぎているので、皆が外見と意識の年齢はつりあっていないはずだが、それにしてもこの少女のような少年の雰囲気は落ち着き過ぎている、と、クレオは感じる。
 歩みを再開したところで、彼は、カロアンの宿での、シータのことばを思い出す。彼には家族がいないからこそ、大人びているのか。
「なあ、あんた」
「なんです?」
 振り返りもせずにきくと、即座に答が返る。
 声を聞かなくても、気配で、ずっとついてきていることは感じ取れる。クレオは、カロアンの宿での攻防で、相手が完全に気配を消せることを知っていた。今気配を消さないのは、安心させる意味もあるのかもしれない、と、彼は思う。
「あんたはどうなんだ? 今の世界に満足か?」
 絶望から思考を逸らすためのVRG。いっ終わるとも、どう終わるとも知れない世界。
 ここは棺の中だと言う者がいる。ここは、絶望し続ける者の世界だと言う者もいる。
「現実世界も仮想現実も、大した変わりはありませんよ。いつ終わるのか、希望があるかどうかなんて、人の気の持ちよう次第です」
 現実世界だから、いい。仮想現実だから、悪い。
 クレオは、最近、そんな先入観に気づかされた。現実世界でも、何が起こるかわからない状況は変わらない。思い出は、ただ綺麗なだけだ。
「……だからこそ、わたしは、世界が、未来が優しいと信じたい」
「あんた……」
 ぽつりと付け足す、消え入りそうな声に、クレオは目を丸くして振り返る。
「意外に、メルヘンチックだな」
 突然、足もとをすくわれ、彼は転びかけた。とっさに頭のどこかで予想していたのか、何とかすぐに体勢を立て直す。
「何するんだよっ! 事実じゃないか!」
「違いますっ、わたしは仮想現実という精神力がモノを言う世界での心得をですね……」
 説明が面倒になったのか、反対するほどわざとらしく見えることに気づいたのか。
 シータは恥ずかしそうに頬を赤くしながら、横を向いた。
「今の、誰にも言わないでくださいね」
「わかったよ、言わないよ」
 これでおあいこだから、と、クレオは内心付け加えた。
 それから、しばらくの間押し黙って、彼らは歩き続けた。

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