厚生年金保険制度の生みの親である花澤武夫氏という戦前の官僚の名が、この年金制度を食い
物にしようという目的で立ち上げたとして、最近は「花澤武夫」名でサイト検索すれば数々の悪評が
浮かんでくるほどにまで、悪名として轟いています。

原因は、年金制度の崩壊論で名を馳せる狙いを持った某ライターと野党系代議士によってその存
在が明らかになりました、花澤氏をはじめとする年金官僚OB諸氏へのインタビュー構成で刊行した
記念本「厚生年金保険制度回顧録」の中で、花澤氏自身が「年金の掛金を直接持ってきて運営す
れば、年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。…将来みん
なに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせ
と使ってしまえ」と語っているからに他ないからです。

筆者もこの部分は非常に気になりまして、以前上京のおり国会図書館に足を伸ばし、関連ページを
全編コピー依頼して読み通しました。結果、上記の花澤談話はあくまで年金原資の運用の詳細
言っており、花澤氏を悪人に仕立て上げるための「引用の妙」であることが分かります。戦時下ゆ
え、貨幣価値には下落の危険があるため現金保管では制度自体が危なくなることを熟知していた
花澤氏が、とにかく収益性あるモノに換えて運用しておく必要を表現したまでだったのです。

「〜回顧録」中の花澤氏の発言部分を全編読み通しますと、氏の年金制度立上げへの理念は、当
時の庶民が庶民たるゆえんを見究めた姿勢がみてとれ、むしろ崇高ささえ感じられるほどです。旧
憲法下での議会制度ゆえ、当時の貴族院には庶民の暮らしぶりへの理解が得られず難渋したこと
や、戦中ゆえ「産業戦士」なる冠を被せられた労働者の状況をつぶさに視察したり、特級官僚の天
下りも新制度を納得させる材料にしたりといったエピソードの数々は、花澤氏の実直さを十分に証
明しています。

したがって、花澤氏を公然と悪人呼ばわりする向きほど、年金崩壊論の仕掛人に踊らされ、実は
「〜回顧録」などまるでお読みでないことが判ります。戦前、特急列車と大学生のステータスは、両
者ともに大衆化された現代と違い大変な位置づけにあったということですが、このことは当時の官僚
においても当てはまるもので、無の状態から為政者以上に手腕を発揮した評価をなおざりに、当時
の人口の増加ぶりや役人の天下りの是否論などについても、時代背景が今日とはまるで違うのに
「天下りの根源を作った」「賦課方式へのヘッジも考えていた」など、仕掛人が選んだ表現に踊らさ
れての発言は自らの不勉強を露呈しているようなものです。

今日年金制度を腐らせた責任の根源は、あくまで世情の変化への即応を怠ってきた近年の担当官
僚たちにあるのであって、疑念は花澤談話の真意を曲解して実際に「せっせと使ってしまった」関係
者に向けるべきでしょう。

同書は国会図書館にあらずとも各地に蔵書が見られますので、実際に全編を通読下されば幸いで
す。鬼籍の花澤氏の名誉のためにも。


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