婦人用横乗り鞍

鹿児島大学馬術部OB会 関東支部 松村芳彦、井上忠恕

日本ではまず見ることがない婦人用横鞍の乗馬姿を南米ウルグアイで見ました。 お祭りに出かける途中の女性は片手手綱で普段から乗っていいる様子で, 優雅で気品のある騎乗ぶりは印象的でした。

そこで婦人用横乗り鞍のことについて調べてみましたが, これに関しての情報はほとんどみつかりませんでした。「アルティメイト・ブック―馬」 (エルウィン・ハートリー エドワーズ (著)),を中心に参考のために抜粋してみました。


  サイド・サドルは、しばしば「鞍の女王」とも呼ばれるが、正確には「女王の鞍」と呼ぶべきである、 その馬術界への導入はすべて王室の女性たちによるものだからである。


ボヘミアンのアン
 サイド・サドルの起源は、およそ600年くらい前のヨーロッパ大陸の荘園にさかのぼる。 イギリスにはリチャード2世の妻「ボヘミアンのアン」によって持ち込まれた。
 14世紀の終わりまではイギリスの女性は馬にまたがって騎乗していたと思われる。活発 な女性たちは、さらに16世紀以後も馬にまたがっていた。サイド・サドルを使い始めたの は比較的遅くなってからであった。アンの鞍は荷鞍ををべ一スにしたもので、プランシュ ツトと呼ばれる木製の足乗せが付いていた。乗り手は足を乗降段に乗せ、体を右にねじっ た状態で馬に腰かけた。安全のため鞍には鞍角または
前橋 (ぜんきょう ) が付いており、右手でつかまることができるようになっていた。このようにな鞍に乗った 女性は単なる運ばれる人でしかなく、普通,馬は使用人に先導されていた。プランシュツト の、より実用的な利用法として、男性の後ろに添え鞍を付けてのるという方法があった。 実際にはこの鞍に乗っている女性は、手綱をを握って馬を制御することはできなかった。

カトリーヌ・ドゥ・メデイチ
 次に行われた重要な改良は、女王カトリーヌ・ドゥ・メディチによるものであった。すな わち1580年頃、鞍の左側尾ある第1の
前橋 の下に第2の前橋を付けることにより、馬に乗る女性がサイド・サドルでも馬を制御すること ができるようになったのである。
 この工夫により、乗り手は右足をもうひとつの前橋に掛け、2っの前橋で右足を完全に固定 し、顔を正面に向けて鞍に腰かけることができるようになった。これで騎乗時の安全性が大い に高まった。
 カトリーヌの鞍は、200年もの間変わることなく使われていたが、明らかな問題点を抱えて いた。
それは馬上での姿勢を保つのが非常に難しいということであった。この点にっいては、17世紀 にバランスをとるための革帯が用いられるようになったことにより、ほとんど克服された。こ の革帯は鞍の後部右側に固定され、腹帯につながっていた。急に後ろにのけ反ってしまうのを 防ぐ工夫が完成するまでの道のりは非常に長かったのである。

ペリエ
 革新的な鞍と全く新しい野外騎乗の概念は、1830年頃にパリの馬術家ジュール・シャルル・ペ リェによって編み出された。彼は「リーピング・ヘッド」を考案したが、これは最初は鞍の2つの 前橋の下に第3の前橋を付けたものだった。その後、このリーピング・ヘツドは鞍骨(鞍の骨組み) に組み込まれるようになったが、それは乗り手の左大腿部に沿って外側に湾曲させてあった。第1 の前橋は問もなく姿を消した。新しい鞍では乗り手は安定した姿勢で座ることができた。従来の上 部2つの前橋だけの鞍では因難であった障害の飛越も、新しい鞍では可能になったのである。

オーストリアのエリザベス
 新しい鞍の登場は、19世紀後半増加しつつあったイギリスの乗馬好きの女性たちを勇気付けた。特 に彼女たちはオーストリア女王エリザべスに影響を受けた。女王は1876年から1882年にかけてイギ リスとアイルランドに「スポーツ・ツアー」のために訪れ、大胆な女性馬術家として名声を博した。
 女性馬術家たちの仲間内で、オーストリアの女王と同じくらい華々しくありたいという願望のもと に鞍のデザインは変わっていった。そして、騎座はくぼんだものから平らになり、乗り手は右大腿部 を下にして両肩を正面に向けることができるようになった。従来のデザインでは、乗り手が顔を前方 に向けるには腰を無理にひねらなければならなかったのである。
 リーピング・ヘッドがあらわれたのと前後して、古風で危険なスリッパー鐙は姿を消した。これは 数々の精巧で安全な鐙に取って代わられ、最終的にはクイックリリース式の鐙革が考案された。

衰退と復活
 サイド・サドルは、1920年代のペチコートがプリーチやサイド・サドル用スカートに取って代 わられるようになった頃から狩猟用としても使われるようになっていった。第2次世界大戦後、使用 人を確保するのが難しいことと費用が大変なことから、サイド・サドルは衰退していった。
1970年代のイギリスでのサイド・サドルの復活は、現在2000人の会員を持っ婦人サイド・サドル」協 会に負うところが'大きい。この鞍は最近、再び製造されるようになった。


サイド・サドルでの飛越 馬術大会でのサイド・サドルでの乗馬

「鞍の女王」
   「鞍の女王」に騎乗した女性による競技会ほど優雅なものはない。 今日では、婦人サイド・サ^ドル協会による2日間の競技会の他にもたくさんの催しがある。

   安全性と鞍の安定性をを重視した現代のサイド・サドルを使えば、 普通の鞍と同じように障害の飛越をすることができる。
   1830年にジュール・シャルル・ペリェが「リーピング・ヘッド」を考案するまでは、 これは不可能なことであった。(障害飛越写真)


参考:

1)アルティメイト・ブック―馬:
エルウィン・ハートリー エドワーズ (著), Elwyn Hartley Edwards (原著), Bob Langrish (原著),
ボブ ラングリッシュ
  第1刷発行: 1995年3月20日
  著    者 : エルウィン・ハートリー・エドワーズ
  訳    者 : 楠瀬良
  発 行 所 : 株式会社 緑書房
 

2)『馬術』:
飯村竹次郎著遊佐幸平校閲
大正15年健文社発行

その中で子供と婦人向けにいくらかの記述がありました。時代錯誤を感じますが、反面、感じるところもいくつかありその抜粋です。

「飼養上の注意」飼方の部にて、詳しく述ぶるも、飼料は潤澤にして、榮養を良好に保持する時は」馬は活力豊富にして、調教は順調に進み、持久カを増し、疾病損徴を未然に防ぐ事を得る。然らば其の日定の糧及ひ飼付の方法に關しては、飼方の部に譲り、参考の爲めに騎兵隊馬の日量を示せば
 

              朝     昼    夕         全量
騎兵学校馬校  各季節により異なる         1貫四百匁(約5升 )
騎兵聯隊隊馬  各季節により異なる         1貫三百匁 (約四升五合)
 フイリス氏  二立(約一升)四立(約二升)六立(約三升)十二立(約六升六合)

而して、其の一月の馬糧費は、東京附近に於て騎兵隊々馬は平均一頭三十圓位の標準である。叉東京附近の乗馬倶楽部の保管料も多くは一ヶ月三十圓である。
 厩舎については、又飼い方の部において詳しく述ぶ。
又取扱人はなるべく経験のある温順なる者を選び、雇庸には人格に重きを置かねばならぬ。往々にして、主人の目に触れぬ所にて、馬を粗暴に取扱ひ、悪癖を生じしめ、叉飼養主より、定額に給輿された馬糧を着服する・・馬糧を人が食ふ・・・者がある。


馬丁の給料は参考の爲めに、陸軍官馬丁の給料を挙ぐるに、月手當五十圓(償與を含まず被服は官給である)である。白家に飼畜さる時、厩舎を白邸内に置き、馬丁の家を共の附近に置くは、最も便利にして、馬丁は夜と云はすよく馬を管理し得る。
叉飼養上其の他の諸注意と.監督を厳しく、少くとも朝夕は自ら厩舎に訪るが如き熱心が、なけれねばならぬ。(飼方参照)
馬を繋畜するために、心得置かねばならぬ法規は、飼方の終わりに、其の必要條項を抜粋して、記載し、又陸軍より豫備馬を貸り受くる手続きも.併せて修録したれば、讀者の一讀を乞ふ。更に、婦人、少年の爲に、「乗馬一般の心得」及び、初心者の爲の「馬の選定」上の要旨は、婦人、少年にも適用すれども、更に必要なる注意を挙ぐれば、
(一) 騎乗せむとする者は、必ず医帥の診断を受け、心臓、肺臓.神経、胃腸等の耐え得るや否やを確かめること、特に腎臓及び胃腸に疾患ある者は絶対に避くること。(神経質なる者または動物を恐るるが如き婦入には、乗馬はよろしからず。)
(二)馬の年齢は、已に述べたるも、なるべく老齢なるものを選ぴ、持に音聲に依る調教良好なること(調教完全にして、数年間よく乗り慣らされたる馬は、総てに於て安全確実である。但し老齢なる爲、過度に鈍重なるものは、よろしから ず。壮齢の馬は、物の機みに、正確ならざる点を現し、思はぬ危険に陥ることがある。婦人鞍は、御術に不便なる爲、特に音馨による調教良好なるを心要とする。)
(三)少年に於ては、特に体尺に応じたる馬を選ぷこと。(馬格の大なるものは抱きー馬の背の幅の大さー亦大なる故、脚の短き少年の騎乗には、困難であゐ。ポニーの如きは少年に適する。)
(四)歩様の確實なるものを選ぶこと。(前述せる如く、一度冠膝をなしたるため、膝關節弛み、冠膝し易き馬の如きは、避くることは更に必要である。)
(五)少年の拍車の刺輪の柄は、なるべく短きものを選ぶこと。(脚が短き故、長きものを選ぶ時は、絶えずえす馬腹に触るに至る。)
(六)鐙は、発條鐙を用ふれば便である。婦人に於ては、危険豫防上、側方に足を脱し得る発條鐙を使するをよしとなす。(この鐙は、婦人の爲に十九世紀の初に、ロンドンの鞍匠「ラヅチネタルド」氏の考案せるぎのと称す。)
(七)少年の爲には小さき鞍、婦人の爲には婦人鞍を使用すること。(少年の爲に大なる鞍は、乗御に不便にして、婦人の爲に男子用の鞍は、優美なる点を害し、生理上より見るも不適当である。)
(八)乗馬、下馬はなるべく補助者によること。(危険を豫防する爲である。)
(九)馬の着物ー毛色-はなるべく美しきものを選ぷこと。
(十)帰人の服装は、馬の色彩と調和を保つ色合なること。靴は革の薄き柔軟なるものを選び、特に腫の高きものはよろしからす。婦人鞍にて騎乗する場合も長靴を使用し,鞭は装飾のある細き優美なるものを使用する。
(十一)婦人は、最初は男子用の鞍にて、略三種の歩度(常歩、速歩、駈歩)にて、平衡を得る程度まで騎乗し、然る後婦人鞍を専用する。
古來より、婦人の乗馬せし事は、明なるも、其の騎乗法に蹴いてば何等の記述なく、中古に至り、婦人の鷹狩等に参加することありしも、単に鞍褥の上に横坐せしに過ぎざりしが、十九世紀の初に至り、英園の「エリザベス」女王の猟騎を愛好せしより、社交上多くの婦人、令嬢は挙つて騎乗し、遂に図に示すが如き、角状の突起を有する鞍を考案し、之によりて山野を馳駆したるものである。活動写真に現はるる婦人の乗馬は、総て男子用の鞍に跨りあるも、これは米國のフィルムなるが爲にして、かの国に於いては終始男子と同様の騎乗法をなす。元來婦人の乗馬の主眼は、勇壮快絶に非すして、優美なる点を第一義となす故に、米國風の騎乗法は、適當ならす。英園風の婦人らしき騎乗法を最良となす・近來我國に於ける帰人の乗馬熱は著しく勃興せしも、総て、米国風なるは、一考を要する。
婦人鞍に騎乗せんには、上体を垂直に保ち、腰はやや左方に向き、右脚は角鉤に懸け、その膝で.内面を圧着し、不齊地通過障碍飛越の際にのみ締むる。騎坐の位置は男子のより梢後退し、其のの他は、男子の場合と同様にして、(乗馬姿勢参照)右脚の扶助の代用として、鞭を使用する。