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第8章 健康と医学について……スピリチュアリズムの健康論

健康は、いつの時代においても人々の大きな関心事です。健康であってこそ地上人生を明るく過ごすことができます。健康はお金で買うことはできませんから、お金以上に価値があるものと言えます。

スピリチュアリズムの霊的真理は、人間の霊的成長を最大の目的としていますが、肉体の健康についても画期的な見解を示しています。健康は、霊的人生を歩むうえで重要な要素なのです。

ここではスピリチュアリズムの明かした霊的観点に基づく「健康論」を見ていきます。

(一)霊と心と身体の調和――健康の大原則

健康とは?――“健康の定義”

スピリチュアリズムの健康論の卓越性の一つが、健康の定義にあります。地上の人間は、「霊」と「心(精神)」と「身体(霊体と肉体)」から成り立っていますが、こうした人間の構成要素の間には密接な相互関係があり、お互いに深く影響を及ぼし合っています。

健康とは、これらの構成要素が全体的に秩序とバランスを保っている状態のことを言います。すなわち「霊」と「心(精神)」と「身体」の三位(さんみ)の調和が保たれ、全体としてバランスがとれている状態のことなのです。

肉体は、霊の道具にすぎない

「霊体」は、私たち人間の本体である「霊」の表現器官の一つです。「肉体」は、その霊体の表現器官であり、霊体の物質的道具と言えます。人間が地上にいる間は、肉体という物質的道具がなくては、存在することも活動することもできません。その意味で肉体は、とても大切なものなのです。

地上人はこの霊の道具である肉体を大事に扱い、十分に手入れしなければなりません。

「霊」を無視して肉体の健康はない

霊的なものに対する認識が全くない大半の地上人は、健康とは肉体に異常がないことであると思っています。神の分霊である「霊」は人間の本体であり、人間にとって最も重要な要素です。この「霊」の存在を無視して、肉体の健康だけにとらわれることは本末転倒です。霊をないがしろにし、霊の道具にすぎない肉体だけを健康にしようとしても無理なのです。

地上人生の目的は霊的成長であって、肉体はそのための地上限りの道具にすぎません。ただ単に“少しでも長生きしたい”という動機から、お金をかけて健康づくりに励んでも決して良い結果は得られません。物質的・経済的に豊かな時代には医療に莫大なお金がつぎ込まれ、健康産業が花盛りになって“健康法マニア”が現れますが、人間の本質(霊)を無視したところでの努力が良い実を結ぶことはありません。

重要な心の調和――“ストレス”が病気の最大の原因

全身の調和をはかるためには、まず「霊」の存在に対する認識が必要です。次に大切なことは「霊的意識(霊の心)」と「本能的意識(肉の心)」のバランスをとることです。「心を霊主肉従にする」ということです。霊的意識が心の中で優位になっていれば、霊体は肉体へ良い影響を及ぼすことができるようになり、肉体は健康になります。このように「心(精神)」と「肉体」は密接な関係を持っています。

近年になって“心身相関医学”という新しい医学の分野が確立されましたが、その見解は心の持ち方や精神状態が身体の健康と密接な関係にあるというもので、霊的真理と一致しています。

心(精神)の霊主肉従なくして全身の調和が保たれることはありませんし、肉体の健康も得られません。心の霊主肉従とは、エゴ的思い・不安・心配・苛立(いらだ)ち・怒り・恐れ・悲しみ・絶望といったストレス(マイナスの感情)がない状態のことです。ストレスを抱えた不調和な心は、肉体に悪い影響をもたらします。心が喜びに満ちて安定し調和がとれていれば、肉体の恒常性機能や免疫機能が健全に働いて健康が維持され、病気は癒されるようになります。病気の最大の原因が“ストレス”にあると言われるのは、こうした理由によるものです。

もし、心(精神)が健全で安定しているなら、物質的悪条件(間違った食べ物や汚れた空気・水など)から肉体に異常が生じても、その悪影響は最小限にとどめられるようになります。

カルマによる病気の存在

地上世界は、前世でつくった「カルマ(悪因縁)の償い」のために、さまざまな苦しみを体験する場所です。前世のカルマは、しばしば“病気の苦しみ”という形で現れますが、そうしたケースでは、一定の苦しみを経てカルマが清算されないかぎり病気が完治することはありません。カルマが残っているうちは、どのような手段を講じても病気は治りません。これはスピリチュアリズムが明らかにした深遠な霊的事実です。

カルマが原因となっている病気は、将来どれほど医学が発達しても根治させることはできません。またどれほど優れた心霊治療家にかかっても治癒させることはできません。こうした霊的事実が分からないと、有名な心霊治療家を次々と渡り歩き、奇跡を求めて血眼(ちまなこ)になる、ということになってしまいます。

「カルマによって病気が発生する」という事実は、いかなる養生法や健康維持の努力をしても病気になることがある、ということを意味しています。病気による苦しみの体験が、その人の霊的成長にとって必要であるから病気になる、ということなのです。それは肉体の健康よりも、霊的成長の方がはるかに重要であるということを示しています。

カルマによる病気の場合は“何が何でも治そう”と焦ることは、かえってマイナスとなります。病気の苦しみを霊的成長にとって必要なものと受け止め、そこから教訓を学び取ろうとすることが大切です。病気は、カルマを帳消しにして霊的成長の道をリセットしてくれる、ありがたいチャンスなのです。

(二)医学の在り方と問題点

心の力を無視した現代西洋医学

現代西洋医学の本質は“唯物主義”であり、心を“脳の産物”と見なしています。そのため心が肉体に及ぼす影響力を、ほとんど認めようとしません。心が肉体に及ぼす力は、実はどのような薬や医学的手段よりも強力なのです。言うまでもなく心の影響力を無視したところでは、効果的な治療を期待することはできません。肉体次元の対処法(薬物など)だけでは、とうてい肉体の異常(病気)を根治させることはできません。病気は人間の構成要素のアンバランスから発生するものである以上、霊や心を含む全体的・総合的なアプローチが必要となるのです。

人間を単なる物体と考える“唯物医学”は、臓器移植や無意味な延命処置といった間違った方向へ突き進もうとしています。

――“輸血”は現代医学では不可欠な医療手段と見なされていますが、「霊的事実」の観点からすれば正しい医学的方法とは言えません。その理由は、血液は一種の身体の臓器であり、そこには 物質的要素だけでなく「幽体質素」も含まれているからです。輸血によって全身的なバランスが崩されることになるのです。

手術前に自分自身の血液を採っておいて、それを自分に輸血する“自己血輸血”は、何も問題はありません。また将来においては、現行の輸血に代わる優れた方法が生み出されることになるでしょう。

ホリスティック医学の登場

二十世紀の半ばに、ホリスティック医学という新しい医学が登場することになりました。それまでの唯物医学は、人体を多くの部品からなる精密機械のように見なし、“病気”とは部品(臓器)の一つが悪くなること、“治療”とはその部品を正常にしたり他の部品と取り替えることであると考えてきました。

それに対し“ホリスティック医学”では――「人体のすべての部分が有機的関連性を持ち、全体で一つの有機的身体をつくり上げている」という見方をします。そのため身体全体の生命力・治癒力を高めるという“根本治療”を重視するのです。西洋医学が成人病・生活習慣病などの全身退化病に全くお手上げであるのに対し、ホリスティック医学は全身の機能向上をはかるというアプローチ(治療法)によって大きな成果を上げています。

霊的観点からすればホリスティック医学は、従来の唯物医学と比べてはるかに進歩しています。しかし、いまだ「霊」や「霊体」の存在を正面切って認めているわけではありません。さらには死後の世界の実在を、確固たる事実として認定するまでには至っていません。こうした点で現在のホリスティック医学は、霊的要素を取り入れた本当のホリスティック医学に至る過渡的プロセスにあると言えます。

将来の医学の方向性

肉体の驚異的なシステムを目(ま)の当たりにするとき、私たちの肉体は、神が最高の知恵を結集して造られた作品であることを認めざるをえなくなります。しかもその肉体は、ただ精妙に造られているばかりでなく、わずかな狂いもなく維持されるような仕組み(恒常性機能)をも神から付与されていることが分かります。さらには肉体が何らかの理由で壊れかけると、速(すみ)やかにそれを修理修復するシステムさえも、あらかじめ与えられているのです。人間の肉体には、神の叡智と配慮がぎっしりと詰まっています。したがって私たちの肉体は、かなり不自然に使ったり酷使しないかぎり、健康が維持されるのは当たり前のことなのです。

しかし現在、地上で生活している人間の中で、健全な肉体を持っている人はきわめて少数です。その事実は、人間がいかにストレスを抱えているか、いかに肉体を間違って使っているか、不自然な取り扱い方をしているか、ということをよく示しています。大半の人々が健康維持のための条件を、大きく踏み外しているのです(*「健康のための四つの条件」については、次の(三)で取り上げます)

霊的真理が普及するにともない、摂理にそった自然な生き方が常識となっていきます。そしてこれまでの医学の健康観や治療観が、根本から変化するようになっていきます。将来の医学では、健康維持のための“養生法(予防医学)”が重要視され、治療としては“自然治癒力”を活用する方法が中心になっていくようになります。免疫治療などの方法が主流になっていくことでしょう。

こうしたプロセスを経て、「霊的要素」を取り入れた本物のホリスティック医学が確立されていくようになるのです。

“死”に関する医学の問題

大半の人々は“死”を最大の悲劇と考えています。しかしこれまで何度も述べてきたように、死は決して悲劇的な結末ではありません。それどころか死は、病気の苦しみから地上人を解放してくれる喜ばしい瞬間なのです。本来は、医者が遺族に対してそうした霊的真理を語って、心の持ち方を整理してあげるべきなのです。

また“生命”は神から与えられたものである以上、死への旅立ちのプロセスは自然の成り行きに任せなければなりません。人間は、死ぬ時がくれば必ず死ぬのですから、安楽死のようにわざわざ死を早めることは間違いです。外見上は“植物人間”として蘇生不可能のように思われても、本人の「霊的意識」はそうした状況下でさまざまな体験をしているのです。本当は医者自身が、こうした霊的世界と物質世界の両面にわたる事実を理解して、正しく対処すべきなのです。

――人間の“死”とは、霊体と肉体をつなぐ“シルバーコード”が切れる時のことです。したがってシルバーコードを見ることのできる霊能者が臨死現場に立ち会って、初めて「死の判定」ができるようになります。現代では“脳死”を死の認定基準としていますが、脳死状態を迎えてからも長期にわたって生存するといったケースが、しばしば報告されています。

(三)健康を維持するための四つの実践項目

健康のための“四つの条件”

摂理にそった自然な生き方が、そのまま健康を維持するための条件となります。その条件は、病気になった際の根本的な治療法にもなります。健康の条件が欠けることによって病気が発生した以上、欠けたものを補えば健康を取り戻せるようになるのは当然の結論です。

健康を維持するための条件とは、具体的には次に示す四つの実践項目から成り立っています。この四つの内容が完全に実践されたとき、恒常性機能をつかさどる自律神経系・ホルモン系・気の流れが良好な状態におかれ、肉体の健康が維持されるようになります。また免疫系が健全に働いて病気は未然に防がれるようになり、たとえ病気になったとしても速やかに治癒するようになります。

  • ①健全で安定した精神状態
  • ②正しい食生活
  • ③適度な運動
  • ④十分な休養

以下では、これらについて説明していきます。

健全で安定した精神状態

四つの条件の中で、一番大きな影響力を持っているのが精神状態です。不安や心配・怒り・悲しみ・絶望といったマイナスの感情(ストレス)は、免疫力の働きを著しく低下させることになります。この意味では、もともと性格が明るく楽天的でのんびりした人間は得(とく)と言えるかもしれません。

しかしそうした楽天的な人間も、人生を根本から揺り動かすような重大な試練に遭遇すると、悩みや不安を覚えるようになります。難しい人間関係や愛する人との死別や自己の病気・怪我(けが)などに直面すると、生来の明るさだけではやっていけなくなるのです。心の一番深い領域(霊的次元)に立脚した安心感と楽天性を確立していないかぎり、物質世界の嵐に不動の姿勢をとり続けることはできません。

地上ならではの苦難を乗り越えて人生を前向きに歩み通すためには、「霊的真理」が不可欠です。真理によって「霊的視野」を持つことが、どうしても必要となります。直面する困難や障害を霊的視野から眺め下ろし、それらを小さなものと位置づけしたときに、心を平静に保つことができるようになるのです。霊的真理ほど心を広く深くし、安定させてくれるものはありません。霊的真理ほど心を強くし、楽天的にしてくれるものはありません。

霊的真理による人生観を確立したうえで他の方法(呼吸法・瞑想法・心理療法など)を併せて用いるなら、効果的に心の安定をはかることができるようになります。正しい食事と適度な運動を心がけ、十分な休養をとることも心(精神)の健全化のために欠かすことはできません。

――精神(心)と免疫の関係は、現代医学の最前線のテーマです。“心身相関医学”の中の「精神・神経免疫学」という新しい医学の分野は、精神(心)が免疫機能に及ぼす影響力のメカニズムを、かなりの部分まで明らかにしています。

正しい食生活

肉主霊従に陥って霊性を鈍(にぶ)らせている現代人の多くが、肉体本能のおもむくままに日常生活を送っています。そうした生き方は必然的に肉体の質そのものを低下させることになります。その結果、先進諸国の大半の人々が、肉体にとって良い食べものが何なのか、分からなくなっています。物質文明の進歩と同時に“悪食と飽食”に拍車がかかり、半病人状態が当たり前になっているのです。

人間は経済的に豊かになると、かつて一部の富裕者のみに許されていた贅沢(ぜいたく)な食べ物、高価で美味しい食べ物を先を競って求めるようになります。これまで「欧米食」に代表される“肉中心”の食べ物は、栄養価が高く健康に良いと思われてきました。しかし最近の栄養学は、そうした食べ物よりも、むしろ従来からの「素食(そしょく)(伝統食)」の方が栄養的に優れていることを明らかにしています。現代人は大量の肉や油を使った食事を摂ることで、さまざまな病気を発生させて寿命を縮めるようになっているのです。

最新の科学の一分野である現代栄養学は、人間の健康に関する多くの栄養学的知見をもたらしました。ビタミン・ミネラルといった微量栄養素の研究、食物繊維の研究、油の研究、免疫強化物質の研究など、めざましいスピードで進歩を遂げています。人体の健康についての研究は、今日では分子レベル(細胞レベル)にまで掘り下げられ、栄養素の働きが分子レベルでとらえられるようになっています。その結果、肉を中心とする「欧米食」が、病気発生の一つの原因となっていることが明らかにされるようになりました。

人間は、穀類と野菜を中心とする「健全な菜食主義」によって肉体の健康を維持するようになっているのです。

適度な運動

人間は体を動かし汗を流したとき、全身の新陳代謝が促され、生体維持機能が正常に働くようになります。適度な全身運動は自律神経のバランスを整え、ストレスを解消して免疫を強化し、身体全体の恒常性機能を高めるなどの大きな効果をもたらします。運動には、何十もの効用が確認されています。その意味で適度な運動は、最も副作用のない“最高の薬”と言えますし、運動に匹敵する万能薬は他にはありません。

身体は活動することによって「神の摂理」に一致するように造られています。毎日を怠惰に過ごし肉体を鈍(なま)らせていては、どれほど食生活に気をつけしっかり休養しても、決して健康にはなれません。運動不足の生活では健康は得られないのです。

最近になって運動の必要性が説かれ、多くの人々が運動を心がけるようになったのは良いことです。もっとも運動だけしていれば健康を維持できる、ということではありません。他の健康維持の条件を同時に満たしてこそ、肉体の健康は保たれるのです。

運動に関しては“適度”ということが大切です。プロスポーツやオリンピックの選手などは限界を超えて肉体を酷使し、その結果、絶えず故障を抱えるようになっています。プロスポーツ選手の多くが短命に終わっています。スポーツは確かに人々に喜びや希望を与えてくれますが、「肉体は霊の道具である」という本来の意味から考えると、さまざまな点で問題があります。

アスリートの肉体破壊も顧(かえり)みず、スポーツにスリルや刺激や興奮を求めるような社会的風潮は、霊的真理に照らしてみたとき明らかに間違っています。これは、まさに人間が本能に翻弄されている状態です。アスリート自身も、スポーツを通してこの世の富(お金・名声・権力など)を手に入れたいという「物質的価値観」に立脚した生き方をしているにすぎません。

十分な休養

地上人生において重要なこと、優先すべきことが何であるのかが分かっていれば―言い換えれば「霊的価値観」を人生の中心に据えていれば、肉体の健康を損(そこ)ねるほど働くようなことはなくなります。健康を犠牲にしてまでやらなければならないような仕事は、本来、地上には存在しません(*ただし現在の地球上には、人間の“エゴ”がつくり出した貧困のために過酷な労働を強いられている気の毒な人々が大勢います)

現代先進諸国の大半の人間は、どうでもいいこと、さして大切ではないことのために多くの時間とエネルギーを費やし疲れ果てています。また、この仕事は自分以外にはできないという思い上がりや、独りよがりの思い込みによって肉体を無意味に酷使しています。

「疲れたら休み、エネルギーを蓄える」というのが摂理にかなった在り方であり、それが正しい身体の管理法なのです。「十分な休養」は、心(精神)と肉体のバランスを取り戻し、神が与えてくれた恒常性機能や免疫機能を正常に働かせることになります。

――以上のように健康・医学に関するスピリチュアリズムの基本的な見解を述べてきました。さらに詳しい内容について知りたい方は、『スピリチュアル・ヒーリングとホリスティック医学』(日本スピリチュアル・ヒーラーグループ発行)と『ホリスティック健康学・ホリスティック栄養学入門』(ホリスティック健康学・栄養学研究所発行)をご覧ください。