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第7章 霊性教育について……霊的真理に基づく育児・教育論

育児・教育は、人生の中できわめて大切な活動です。「子供を育てる」ということには、生計を支えるための仕事以上に重要な意味があり、多くの人々が育児・教育で悩みを抱えています。

ここではスピリチュアリズムの「育児・教育(霊性教育)」について見ていきます。

(一)霊性教育とは――子供の霊的成長を目的とする育児・教育

霊的人生と霊性教育

地上人生の目的は、「霊的成長」という一言で言い尽くされます。人間は魂を成長させるため、すなわち霊性を高めるために地上に生まれ、地上人生を送っています。霊的成長を促さない地上生活には、何の価値もありません。スピリチュアリズムは、霊的成長の指針となる霊的真理を地上にもたらしました。この霊的真理にそって自分の魂を高める歩みが“霊的人生”なのです。

大人は自らの判断によって、霊的人生を歩むことができます。しかし幼い子供に、それを期待することはできません。子供は親の導きの中で、初めて霊的人生を歩めるようになります。親の指導によって、子供は霊的真理に一致した霊的人生を送ることができるようになるのです。これがスピリチュアリズムの育児・教育であり「霊性教育」です。

霊性教育とは、スピリチュアリズムの霊的真理を育児・教育に応用したものであり、霊的な世界観・人生観・価値観のうえで展開される教育論です。

霊性教育が目指す人間像とは?

育児・教育とは、子供を一定の方向へ導くこと、子供を理想とする目的(人間像)に近づけようとの働きかけです。霊性教育には「霊的真理」という明確な目的と方向性があります。  では「霊性教育」が目的とする人間像とは、どのようなものなのでしょうか。それは神の子供・霊的存在としての人格を持った人間、ということです。具体的には――「物欲に翻弄されず、清らかで質素な生活を送り、困っている人々のためには自己犠牲を厭わず手を差し伸べることができる人間」「利他愛の精神と霊的同胞意識を持ち、他人と健全な愛の関係をつくり出すことができる人間」ということです。

最近の育児・教育では、どのような人間像を目指して子供を育てるべきか、という目的性が希薄になっています。多くの育児書が、教育の目的や方向性といった肝心なことにページを割(さ)くのではなく、物質的価値観に立ってさまざまな方法論を説くことが中心となっています。

(二)霊性教育の主役は親――神の代理者としての親の立場

霊性教育の主役は“親”

そもそも教育とは、人生の先輩である親が、何も知らない後輩(子供)に正しい道を示し、正しい行動の仕方を教えることに他なりません。上から働きかけて導くことが教育なのです。したがって“親”こそが霊性教育の主役であり、“親の内容”が霊性教育のすべてを決定する、ということになります。

霊性教育では、理屈っぽい教育理論や方法論は、あまり問題にしません。神の前に正しくあろうとする親の誠実な姿勢こそが、何にもまして重要な要素であると考えるのです。

親は神の代理者

スピリチュアリズムの育児・教育(霊性教育)では、すべてが「子供の霊的成長を促す」という観点からなされます。「親になる」ということは、子供の霊性を引き上げる役目につくということです。親はそうした使命を果たすことによって、神の創造の業を地上レベルで担当することになります。神に倣(なら)って子供を生み、子供を育てることによって神の創造の業を達成し、神に近づくことになるのです。言い換えれば――「親は神の代理者として子供の霊性を育てる立場に立つ」ということなのです。

特に子供がまだ小さく、神についての十分な理解を得られない時期(思春期以前)においては、親は「肉体を持った神」として子供に接することになります。その際、親に神のような愛と真理があるなら、子供は親と一体化することによって間接的に神とつながることになります。神の代理者である親を無条件に信じこれに従うことで、子供は円満な霊的成長の歩みをなすことができるようになります。あえて信仰を意識しなくても、無理に祈りをしなくても、また神を自覚できなくても、親を通じて神の愛と霊的栄養素が子供に注がれるようになるのです。

このように霊的真理を知った親に育てられる子供は、親と触れ合う中で神と接することになります。子供にとって親は、まさに「肉体を持った神」であり「神の代理者」なのです。

親の内容いかんで子供の霊的成長が決定する

霊性教育とは、親が神の代理者として進める教育のことです。これは親の内容いかんで子供の霊的成長が決定する、ということを意味しています。霊性教育の結果の大半は、親が「神の代理者」としての内容を、どのくらい実践するかによって決められます。したがって霊性教育では、教育の方法論よりも、親の姿勢と内容が問題とされるのです。

親が神の代理者となるためには、次のような四つの条件を満たすことが必要となります。

  • ①正しい霊的知識(基本的な霊的真理)を教える
  • ②正しい愛を与える
  • ③正しい手本を示す
  • ④正しい導き方をする

これらの条件については、(三)と(四)で詳しく取り上げます。

霊的真理を知っていることが、親や教師の“最低条件”

霊性教育とは、「子供を霊的真理にそった人間に育てるための働きかけ」である以上、霊的真理を知らない人間は、子供の教育に携わる資格がないということになります。真理を知らない人間は、子供の親や教師になってはいけないということなのです。

霊的真理は、人間が霊的成長をするうえでの明確な方向性を示しています。「人間は霊的存在であり、単なる肉体だけの存在ではない」「人間は死んですべてが終わりになるのではなく、霊界で永遠に生き続けていく」「モノやお金にとらわれた生き方をしない」「他人のために誠心誠意を尽くすことが最も価値ある生き方である」「人間は利他的行為を通して霊的成長が促されるようになる」――親や教師は、こうした最も基本的な真理を常識として知っていなければなりません。

基本的な霊的真理を知っているということが、親や教師になるための“最低条件”と言えますが、現実にはその最低条件を満たしている人間はほとんどいません。親になる資格のない者が子供を生み、先生になる資格のない者が人生について教える立場に立っているのです。

(三)霊性教育の重要な要素――親が子供に与える“霊的栄養素”

子供の霊的成長を促すためには、親は子供に霊的栄養素を与えなければなりません。その霊的栄養素とは、「正しい霊的知識」「正しい愛」「正しい手本」です。これが神の代理者として、親が子供に与えなければならないものなのです。

正しい霊的知識

親から教えられた知識は、そのまま子供の“潜在意識”の中に刻み込まれて人格の一部となり、その後の人生に大きな影響を与えることになります。子供は親から与えられた知識を無条件に信じ、一生それを引きずっていくようになります。幼いときに間違った考え方を教え込まれると、大きくなってから正しい人生観・世界観に触れても、もはやそれを受け入れることができなくなってしまいます。このように「正しい霊的知識を教える」ということは、子供の一生を左右する重要なことであり、霊性教育の根幹要素となります。

霊的真理を知らない親に育てられ、間違ったエゴ的人生観・物質的価値観を教え込まれた子供は、本当に気の毒としか言いようがありません。人間にとって魂の成長こそが何より大切なものであることを知らない親に育てられ、この世の富・名声などに価値があると植えつけられた子供は実に不幸です。親としての最も重大な義務と責任は――子供に分かりやすい言葉で繰り返し「基本的な霊的真理」を教えることなのです。

正しい愛

およそ人の親として、我が子をいとおしく思わない者はいません。しかし「霊的成長」という点から見たとき“かわいい”という感情だけで子供に接すると、大きなマイナスを引き起こすことになります。親が子供を思う気持そのものは純粋なのですが、その思いの根底には、しばしば本能的な“利己性”が存在しています。強い母性愛には“子供は自分のもの”という所有観念がともなっていることが多く、本当の愛・利他的愛とは言えません。

子供の肉体はたしかに両親によってもたらされましたが、「霊(魂)」は神によって与えられたものです。霊こそ人間の本質である以上、生まれた子供は両親のものである前に「神のもの」なのです。神から、立派な人間に育てるようにと授けられたのが子供なのです。したがって子供は「神からの授かりもの」と考えるべきです。子供を“自分のもの”と考えることは間違いです。神の前にあっては、自分も我が子も等しい神の子供であり、同等の霊的価値を持った存在なのです。

親としての正しい愛は――我が子に対して、神から一時的に預かった「神の子供」であることを自覚し、「子供の霊的成長を第一に願う」ところから始まります。そして子供の霊的成長のためなら“どのような犠牲も厭わない”という決心ならびに具体的な実践の中に示されます。また親としての正しい愛は、子供の霊的成長のために神と守護霊に導きと援助を願い出る“謙虚な祈り”として示されます。真実の愛には、必ず真剣な祈りがともなうようになるのです。

これらのすべてがあるとき、親は正しい愛を子供に与えたことになります。「霊的な愛・真実の愛」で子供を愛したことになるのです。

正しい手本

親の生き方は、子供にとっての生きた手本となります。親が霊的人生を真摯に歩む姿を見せていくことが、そのまま「霊性教育」の方法となるのです。ああしろ、こうしろと強制したり、押し付けることよりも、親が「正しい手本」を見せることが重要であり、それが最も効果的な教育方法なのです。

こうした意味で、親は子供にとっての良き人生の先輩となるために、日頃から内面の努力を怠ってはなりません。口先だけで子供に教えようとするよりも、親が良き信仰者の見本を示すことが大切です。この世の欲や富に翻弄されることなく質素な生活を送り、常に人助けを心がける生き方こそが、子供に霊的成長のための“霊的栄養素”を与えることになるのです。そしてそれが子供の実行力・実践力を引き出すことになるのです。

(四)霊性教育の進め方――摂理にそった正しい子供の導き方

子供を霊的視野から見る

親は、常に「霊的真理」を通して子供を見ていなければなりません。まず、我が子といえども自分と等しい人格を持っていること、自分の所有物ではないことを、しっかりと知らなければなりません。子供は霊的成長のために、親を選んで生まれてきました。親は、そうした我が子の霊的成長の手助けをすることが役目なのです。

一方、子供にも「守護霊」がいて、絶えず必要な導きをしてくれています。したがって何もかも親が責任を持たなければならないということではありません。全力を尽くしても自分の手の届かないところは、この守護霊の導きに委ねるという姿勢が必要となります。

自己の感情に流されない

育児・教育に熱心な親は、とかく我が子を自分の所有物のように考え、手のかけ過ぎや過剰な干渉をしがちです。それが子供の自立心の発達を遅らせ、魂の成長を阻害してしまうことになります。子供のためと考えていても、結局そうした親は自分の思いどおりにならないと気が済まなくなり、子供を束縛するようになります。そして子供が自分に従わなければイライラし、疲れ果ててしまうことになります。

これでは子供は、まるでロボットか親のペットのようなものです。子供に対するこうした接し方は、一見すると子供を愛しているように映りますが、それは自分の好みの押しつけであり、親の“エゴ(利己愛)”にすぎません。

また、子供かわいさのあまり、子供の言うことなら何でも聞いてしまう親もいます。子供のひどいわがままに対しても注意するどころか、子供の言いなりになってしまいます。そうした親の中には、“強く注意すれば子供の心が歪(ゆが)んでしまう”といった間違った教育観を持っている人がいます。この甘やかし過ぎも、親の“所有欲”から発しています。子供の自立心の発達を遅らせ、依存心のみを大きくし、いつまでも子供を幼い精神状態のままにとどまらせてしまいます。これでは到底、正しい親とは言えません。

我が子といえども「神の子供」であり、神から与えられた人格を持っていることを忘れてはなりません。親は、神から子供の霊的成長の援助を託されているという事実を、心に刻み込んでおかなければならないのです。

子供の自然な欲求を尊重する

子育てのすべてを自分でしよう、と考えるべきではありません。子供は、生まれつき神から与えられている“霊的本能”によって自然な形で成長の道を歩んでいくようになっています。したがって基本的には、子供の自由な意志に任せておけばよい、ということになります。自分から先に手を貸すのではなく、子供の欲求に合わせて「霊的成長にプラスとなるもの」を与えればよいのです。

子供の霊的成長にとって必要なものは、子供自身が要求するようになっています。例えば霊的成長にとって多くの愛を受けることが必要なときには、自然と愛を求めるようになります。それは肉体の成長にとって必要なものが、そのつど欲求となって現れるのと同じことです。子供が愛を求めてきたときには、しっかりと受け止め、心が満足するまで愛を与えることによって自然な形で霊的成長が促されるようになります。

それに対して「甘えることはよくない。甘えは罪の顕(あらわ)れであり、そのまま受け入れれば、わがままな子供になる。自立心の弱い子供になる」というような間違った考え方によって、無理やり親から引き離したり、欲求を拒絶することがあります。そうした霊的本性に反する不自然な対し方は、子供の心にキズを残し、異常さを生み出すことになります。従来の欧米の育児・教育には、このような傾向が見られます。

子供の“霊的自立”――霊性教育の終了

正しい内容を持った親に育てられた子供は、順調に霊的成長の道を歩み、やがて霊的に自立する時を迎えることになります。子供自身が真理を求め、自らの判断で善と悪を見極め、自発的に霊的コントロールの努力を始めるようになります。また寂しいときには、自分から神に愛を求めるようになります。

子供がこうした段階に至れば、親は「肉体を持った神」の立場を離れ、神のもとにあって「同じ霊的兄弟(姉妹)」の立場に立つようになります。その時点で霊性教育は終了することになるのです。

(五)カルマの法則と霊性教育の結果

再生者のカルマ清算に協力する

子供には「再生者」という重大な一面があります。この点から育児・教育を考えることも大切です。私たちの多くがカルマ清算のために再生人生を歩んでいるのと同様に、子供も前世でつくってしまったカルマを償うために地上に生まれてきた可能性があります。そして再生人生では、潜在していたカルマが、肉体の成長にともない徐々に表面化してくるようになります。時にはそのカルマが、成育とともに“性格の悪さ”として現れてくることもあります。

そうした場合「霊性教育」は、再生霊の性向を矯正し、カルマ清算に協力することになります。正しい霊性教育によって、内在していた悪いカルマが早めに切られるようなこともあります。

苦しむ子供に対しては、広い心で臨む

子供が大きなカルマを持っているような場合には、それが成長過程で、さまざまな困難やトラブルとして発現するようになります。あるいは先天的な障害やハンディを背負って生まれてくることもあります。

子供がそうしたカルマによる試練に遭遇したときには、親はその苦しみをやっきになって取り除こうとしたり、何としてでも避けさせようとしてはなりません。苦しむ我が子の姿を見るのはとても辛いことですが、そのようなときこそ「霊的真理」を依りどころに、広い心で子供に臨まなければなりません。子供が苦しみに堂々と立ち向かい、乗り越えることができるようにアドバイスしたり、陰で祈り続けるのです。

霊性教育には、必ず“真剣な祈り”がともないます。それこそが賢明な親の姿勢であり、正しい接し方です。親は自分の感情に盲目的に流されることなく、常に霊的視野に立ち、リラックスして子供に臨むべきなのです。

「霊性教育」の結果について

多くの子供が何らかのカルマを抱え、再生者として地上に誕生しています。このカルマが障害になり、思うように霊性教育が進んでいかないことがあります。子供の先天的なカルマによって、しばしば霊性教育の結果が左右されます。そのうえ子供を取り巻く環境は、物質主義と利己主義一色に覆われているため、子供は容易に悪い影響を受けてしまいます。こうした現実は、真剣に霊性教育に取り組んでいる親に、大きな悲しみと失望を与えることになります。

一部の人間だけに「霊的真理」が普及している二十一世紀では、完璧な霊性教育を実行することは、ほとんど不可能と言えます。霊性教育の完全な定着は、今後、何百年もの長い期間を懸けて達成していく人類共通の課題なのです。現在の“親”に要求されるのは――「霊的真理に従ってベストを尽くす。霊的真理にそった正しい親を目指して精いっぱい努力する」ということだけです。

そうした努力こそが、実は結果よりも重要なことなのです。子供のカルマや社会環境が及ぼす悪影響は、ある意味で親の努力の範疇(はんちゅう)を超えています。いくら努力しても、さまざまなマイナス要因が絡んで、結果的に子供が霊的真理から外れた道を歩むようになってしまうかもしれません。しかし、たとえそうであっても“親”としてベストを尽くしたなら、神の目には「最高の親」として映ることになるのです。

あとは子供自身の問題です。子供にも守護霊がいて、本人に最もふさわしい導きをしてくれている事実を思い出し、守護霊を信頼して大きく委ねることが必要となるのです。

霊性教育を通して親も霊的成長をする

霊性教育によって成長するのは、子供だけではありません。実は子供を育て導く親自身が、利他愛実践の訓練を受けることによって“愛の人格性”が高められ、霊的成長が促されるようになります。育児・教育は、利他愛実践の一つのパートなのです。この意味からすれば、たとえ実子でなくてもよいのです。他人の子供を利他愛で愛し、世話をし、育てるなら霊的成長がもたらされるようになるのです。

これは生前、子供に恵まれなかった女性が死後、幽界で子供たちの世話をする仕事について霊的成長の道を歩むようになるのと同じことです。人間は霊の親である“神”に倣って、自分より幼い人間を愛し育てる努力を通して神に近づいていくのです。幼い人間を導く努力を通して利他愛を実践し、霊的成長の道を歩むようになっているのです。