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第4章 先祖供養について

地上人に訴えをする“地縛霊”

すでに亡くなっている血縁者(先祖)や知人が夢の中に出てきたり、霊媒に乗り移って死後の生活の苦しみや、地上への心残りや恨みや後悔の念を訴えてくることがあります。また自分の位牌(いはい)や墓について注文をつけてくることもあります。時には、「これまでの家のゴタゴタや災難は、気持を伝えるために自分が引き起こしてきた……」などと言ってくることもあります。

そこで地上の子孫が、霊の希望どおりに位牌や墓をつくり替え供養をすると、これまでの怪奇現象がピタッと止まってしまいます。こうした話が昔から数多く存在してきたため、先祖供養は大切なものであり、子孫としての重要な務めであるとの慣習が根強く残ることになりました。

しかし結論を言えば、地上人に苦しみや不満を訴えてくる霊は、霊的無知から幽界の低いレベルに留まっている“地縛霊”――いわゆる“成仏できない霊”なのです。霊界の生活の素晴らしさを実感し、「魂の向上」が一番大切なものであることが分かれば、地上世界に対するこだわりや未練は自然になくなっていきます。そして霊界での霊的成長・魂の向上に専念するようになります。

先祖の霊が長い期間にわたって正しい霊的自覚を持てない原因は、地上時代の間違った考え方にあります。一方、地上にいる子孫も霊的事実に無知であるため、先祖霊の言い分をまともに受け止め、間違った同情をかけることになってしまいます。それが霊の地上への執着を、さらに大きくしてしまうようになるのです。地上の子孫はただ親切心からするのですが、結果的には先祖の霊の霊的成長の歩みを遅らせてしまうことになるのです。

正しい先祖供養とは?

成仏できない先祖の霊を救ってやりたい、と願うことは、純粋な愛から出た立派な心がけです。しかし霊的真理を知って正しく対処しないかぎり、先祖を救うことはできません。本来の先祖供養とは、霊的自覚の乏しさから“地縛霊”となっている霊を救うことなのです。

先祖供養の最も良い方法は、地上の子孫や知人が「霊的真理を言い聞かせる」ということです。もちろんこれには、先祖の霊自身が霊界で何らかの苦しみを体験し、それによってカルマが切れて霊性が向上し、真理を受け入れられる時期がきていることが前提となります。そうした時期がくるまでは、決して真理を受け入れることはできないため、放っておくしかありません。

霊界では、地縛霊となった霊たちを救うために、高級霊によって救済の手段が講じられています。高級霊の指示のもとで“救いの霊”が派遣され、救済活動が展開されています。私たち地上人が直接働きかけなくても、霊界の人々によって救いの手が差し伸べられているのです。地上の子孫がなすべきことは霊界の救済活動の手伝いであって、それ以上のことはできません。“自分が先祖の霊を説得して成仏させてやろう”といった力(りき)みはマイナスです。

迷っている先祖の霊に対しては、次のように教え諭します。「いつまでも地上のことにとらわれていないで、自分の魂の向上に心を向けてください。すぐ近くに導きの霊がいるので、その方の指示に従うように……」と念じるだけで、その思いは先祖の霊に確実に届きます。こうした教えを受け入れることができるなら、その瞬間に先祖の霊は地縛状態から解放されるようになります。これが本当の意味での先祖霊の救済であり、「正しい先祖供養」なのです。これまで宗教で行われてきたような先祖供養は、全く意味のないものです。

また地上の子孫が霊的真理にそった生き方をするなら、それによって霊界にいる先祖の霊に自覚が促されることになります。地上の子孫が一生懸命に真理を学べば、霊界にいる先祖の霊にも間接的に学ぶチャンスが与えられるようになります。

地上人にとって大切なことは、たとえ先祖の霊がすがってきても「相手の言い分を鵜(う)呑みにしない」ということです。先祖の霊がどれほど苦しんでいても、それは当人に「霊的自覚」をもたらすための必要なプロセスとなっているからです。

先祖崇拝の因習の悪弊

先祖崇拝の宗教的伝統が根強い東北アジア地域では、当然のこととして先祖にまつわる「霊障(霊によって引き起こされる災い)」が多くなります。地上サイドから、“地縛霊”となっている先祖の霊を常に呼び寄せるようなことをしているからです。そうした行為を続けることによって、先祖の霊的目覚めは遅れてしまいます。このような間違った先祖崇拝は、霊的事実に対する無知から発しています。

霊界に行くと地上での血縁といった肉体的な絆は、全く通用しなくなります。霊界では血縁よりも、霊的なつながりが重要になります。地上的なものは一切存在しなくなり、本人の霊的成長と霊的な絆だけが残るようになるのです。こうした霊的事実に照らしてみると、血縁関係を重要視する先祖崇拝や先祖供養は、明らかに間違った慣習であることが分かります。

他人には寛容に

地上人は霊的真理を知らないために、身近な者との死別を悲しみ、葬式や墓を大げさに考えてきました。そして先祖崇拝や先祖供養といった従来の慣習を大切に守ってきました。しかし霊界から見たとき、そうしたものには重要性はありません。葬式や墓づくりは、やってもやらなくても、どちらでもいいようなものなのです。先祖供養についても同じで、実際には全くやる必要のないものなのです。

高級霊は、いまだ霊的真理を知らない地上人が意味のない慣習にこだわっていても、無理にやめさせようとはしません。今は葬式や墓にこだわる地上人も、やがて時期がきて真理を受け入れるようになれば、自然とそうした無意味なことはしなくなることを知っているからです。「いまだ幼くオモチャが必要なうちは、それで遊べばよい。が、やがて成長してそれが不必要になれば、自ら捨てるようになる」――これが霊界人の考え方です。私たちも高級霊の姿勢に倣い、霊的真理を知らないために間違った宗教儀式や因習にとらわれ、そこから一歩も出られない人々に対して寛容に臨むことにしましょう。

「もしもセレモニーとか慣例行事を無くてはならぬものと真剣に思い込んでいる人がいれ ば、それを無理してやめさせる理由はありません。私自身としては、幼児期を過ぎれば、 幼稚なオモチャは片づけるものだという考えです。」