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第10章 再生について

古来より多くの宗教が“輪廻再生”、つまり人間の生まれ変わりを説いてきました。その中でも特に、古代インドのウパニシャッドと仏教の輪廻再生思想はよく知られています。死後の世界に興味を持っている人々にとって、再生の問題は大きな関心事の一つです。多くの現代人が再生に強い関心を示しています。

スピリチュアリズムではこの「再生」について、どのように説明しているのでしょうか。

(一)「再生論」をめぐるスピリチュアリズム内部の大論争

最も異論の多いテーマ

再生の問題は、スピリチュアリズムの歴史の中で、最も異論の多いテーマの一つでした。霊界通信を通じて再生を否定する霊がいるかと思えば、その一方で別の霊は再生の事実を強力に主張してきました。それが長い間、スピリチュアリズムの内部に大きな意見の食い違いを発生させる一因となってきました。

霊的能力の乏しい地上人同士の意見が食い違ったからといって大した問題とは言えませんが、私たち地上人とは比較にならない霊的能力を備えた霊界の人々の間において意見が異なるという事実は、この問題がきわめて複雑で難しいものであることを物語っています。再生の問題は、とうてい私たち地上人の手に負えるようなものではないのです。

霊たちの見解が相違するようになった理由

これまでのスピリチュアリズムの歴史の中には、霊能者や通信霊が再生を否定するといったケースがありました。しかしスピリチュアリズム自体が進化発展の歩みをたどる中で、高級霊によって、再生が確たる事実であることが霊界サイドから明らかにされるようになりました。それと同時に、どうしてこれまで霊たちの間において見解の相違が発生するようになったのかという点についても、明白な説明がなされるようになりました。

霊たちの間で再生についての意見が分かれる原因を一言で言えば――「通信を送ってくる霊自身の霊的成長度がさまざまである」ということです。ある程度の霊的高さにまで至らないかぎり、霊といえども再生の事実を知ることはできない、という事情があるからです。霊媒を通じて現れる霊の大半は、幽界や霊界の下層にいる者たちです。そうした霊たちには、再生の事実を知る経験も知識もないのです。

幸いなことに私たちは現在、シルバーバーチに代表される高級霊からの霊界通信によって、再生に関する詳細な事実を知ることができるようになっています。

(二)「類魂説」に立脚した再生論と、再生の目的

類魂と再生の密接な関係

高級霊の明かしたところによれば、「再生」という現象は確実に存在します。そしてその再生は、先に述べた「類魂」との密接な関係の中で行われるものであるということなのです。類魂と再生は一体不可分の関係にある、という重大な事実が、シルバーバーチなどの高級霊によって初めて明らかにされるようになりました。

従来、仏教などのように“輪廻転生”を説く宗教は数多くありましたが、霊界における詳細な事実と類魂についての明確な認識がなかったために、真実の再生論から大きく懸け離れたものになっていました。これまでの人類史上においては、輪廻再生の事実を正確に説明したものはなく、ほとんど空想と言った方がいいようなものばかりでした。地上人類は、スピリチュアリズムによって初めて真実の再生論を手にすることになりました。「類魂説」に立った再生の事実を知ることができるようになったのです。

再生の二つの目的

では、いったい何のために再生というようなことが行われるのでしょうか。なぜ人間は、再生をしなければならないのでしょうか。いったん霊界に入ったなら、そこで霊的成長の道を歩めばよいと思われるかもしれません。しかし人間の霊的成長にとって再生は、必要不可欠なプロセスなのです。再生をしなければ、霊的成長の道を歩むことはできないのです。

再生には二つの目的があることを、すでに『スピリチュアリズム入門』で述べましたが、ここでもう一度復習します。再生の目的の一つは――「個人が前世でつくったカルマを地上での苦しみを通して償う」ということです。この場合は、カルマの償いを他のメンバーに代わってもらうことはできません。自分自身でカルマを清算しなければなりません。もう一つは――「類魂全体の進化・向上のために類魂を代表して新たな地上体験を求める」ということです。再生には、こうした二つの目的があります。これがスピリチュアリズムによって初めて明らかにされた再生の目的です。

再生、すなわち人間の生まれ変わりという現象は、「類魂」という存在ならびに「類魂全体の進化・向上」という内容を踏まえたうえで理解されることなのです。これまで地球上の多くの宗教が、再生について説いてきました。しかし霊界における類魂の事実を知らなかったために、再生の目的について明確に説明することができませんでした。

(三)複雑な再生のメカニズム

再生を論じるときに問題となるのが――「いったい何が再生するのか?」ということです。再生とは、かつて地上で生きていた人間が死後、霊界で一定の期間を経て再び地上に生まれることです。したがって大半の人は「何が再生するのか?」と聞かれれば、「そんなことは当たり前ではないか。昔の自分がそのまま次の地上人生で現れる、同じ人間が再生するに決まっている」と言うことでしょう。これまで再生については、例外なくそのように考えられてきました。

しかし、そうした常識とも思われる答えが実は“事実ではない”ということを、スピリチュアリズムは明らかにしたのです。これは従来の再生論にとって、天地がひっくり返るほどの出来事であり、常識を根底から覆すような驚くべきことなのです。「何が再生するのか」については、想像を絶するような複雑な問題が絡んでいるのです。

ここではスピリチュアリズムが明らかにした“再生のメカニズム”を見ていくことにします。

一般的に信じられている再生論は間違い

本当の再生の状況について説明する前に、まず一般の人々が考えている再生について少し見ていくことにします。一般の人々が考えている「再生観」とは、次のようなものです。 今ここに私という一人の人間がいます。この私が死んで霊界に行きます。そして一定の時を経て、地上に再生します。ここで前提となっているのは、前世の私と現世の私は、“私”という全く同じ自意識を持っているということです。前世と現世と次世の自分をつなぐのは「私という自意識」なのです。もしこのつながりが失われてしまったなら、同じ人間の再生ではなくなってしまいます。一般の再生論では、このように「同一自我意識」を再生の大前提としています。

「今の“私”という意識体が次の再生時にもそのまま存在する」「今地上で“私”だと自覚している自分が再生時にも存在する」という説明は、誰もが常識的に納得できます。おそらく大半の人々は、全くその通りだと思われるに違いありません。ところがこうした考え方は事実ではなく、間違いなのです。現実には、今の“私の意識”がそのまま次の地上人生で現れるというようなことはありません。

スピリチュアリズムは「霊的事実」として、一般的に考えられている「同一自我意識・同一自意識体」による再生は存在しないことを明らかにしています。したがってスピリチュアリズムからすれば、世の中の大半の人々が信じているような再生はない、ということになります。古代インド思想や仏教、神智学やニューエイジ、新興宗教などで言われているような再生は存在しませんし、前世もありません。その意味においては「再生はない」と言っても正しいことになります。

インディビジュアリティーとパーソナリティーの違い

スピリチュアリズムでは再生の事実を認めていますが、これまで一般的に考えられてきたような再生は否定します。では本当の再生とは、いったいどのようなものなのでしょうか。スピリチュアリズムによって人類史上、初めて明らかにされた再生の事実とは、いかなるものなのでしょうか。

再生という難解な問題を理解するには、「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別をはっきりと知らなければなりません。今、私たちが“自分である”と自覚している自意識(顕在意識)と、自覚していない意識(潜在意識)を区別して考えなければなりません。この点を明確にしないところで再生を論じるなら、「再生はある」とも言えるし、「再生はない」とも言えるという矛盾に陥ってしまうのです。

スピリチュアリズムが明らかにした「再生の事実」を理解するために、まず知っておかなければならないことは、私たち地上人が今自覚している「自意識(顕在意識)」についてです。人々は普通、今意識している自分が自分のすべてであると考えていますが、本当は「自分では意識していない別の自分」というものが存在しているのです。それどころか、むしろ自覚していない自分(潜在意識)の方がずっと大きいのです。今自覚している自分は、自分の全体のほんの一部にすぎません。

スピリチュアリズムでは、今自覚している自分を「パーソナリティー意識」と言い、意識の全体・意識の総体を「インディビジュアリティー」と言っています。

インディビジュアリティーとパーソナリティーの違い

左の図の大きな円が、私の「意識の総体・すべての意識」です。すなわち「インディビジュアリティー」です。肉体を持たない霊界では、このインディビジュアリティーだけの意識になっています。霊界人の持つ意識・霊的意識は、インディビジュアリティーと一致しています。

右の図は、地上人の様子を表したものです。右側の小さな円が、今自分だと自覚している意識、いわゆる「顕在意識」です。顕在意識は二つの部分から成り立っています。「パーソナリティー意識(霊的意識の一部)」と「本能意識」です。

この図から分かるように、地上においては、インディビジュアリティー(意識の総体)の大部分は「潜在意識」として自覚できないようになっています。そしてインディビジュアリティーの一部が、脳を介してパーソナリティー意識となって「顕在意識(自覚意識)」を形成しています。大半の地上人は、顕在意識を自分のすべてだと思っています。しかし今自分だと思っている「自意識」は、インディビジュアリティーという大きな意識(霊的意識)の一部と、本能意識の合体したものなのです。

私たちは地上にいる間は、自分のすべて・本当の自分を知ることはできません。“脳”という物質器官を通してしか自分を知り得ない地上人には、大きな自分・本当の自分を知ることは、ほとんど不可能なのです。しかし死んで肉体を脱ぐと、「脳を介さない意識・霊的意識(インディビジュアリティー)」を、そのまま自覚できるようになります。そして、これまで知らなかった本当の自分を発見するようになります。

そのとき人は初めて、地上時代には隠されていた「大きな自分」を自覚することになりますが、それは大半の人間にとって、たいへんなショックと驚きをもたらすようになるのです。

これまでの再生論の間違い――“パーソナリティーが再生する”という錯覚

地上人は、脳というフィルターを経て出てきた霊的意識の一部(パーソナリティー意識)と、脳から発せられた本能意識を、自分自身の“心”と考えています。こうした心(顕在意識)に、性格・育ち・体質など、さまざまな要素が加わって一つの「人物像(パーソナリティー)」ができ上がります。そして、その人物像がその人自身と見なされるようになるのです。 しかし今述べたようにパーソナリティーは、その人の本当の姿ではなく、ほんの一部分にすぎません。「パーソナリティー(地上の人物像)」とは、譬えて言うなら、一人の人間の手の一部分・足の一部分のようなものなのです。

生まれ変わりを信じる大半の人々は、今の人物像・今の自意識が、そのまま次の地上人生にも出現すると考えています。ところが実際に再生するのは、「大きな私(インディビジュアリティー)」の別の部分なのです。つまり再生において地上に現れるのは「別の人物像」ということです。こうしたことを地上の側から見ると、「全くの別人が出現する」ということになります。それを一般的な再生の概念でとらえるなら、「再生はない」ということになってしまいます。

これまで地上人類は、再生について間違った理解をしてきました。地上の人物像やパーソナリティー意識を、その人間自身と錯覚し、再生時にも同一の人物像・そっくり同じ意識体が出現すると考えてきました。しかし、それは事実ではありません。再生については、「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別をしっかりと理解しないかぎり、正しくとらえることは不可能なのです。

再生者の実体とは――何が再生するのか?

ここでは、今述べた「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別を踏まえたうえで、スピリチュアリズムが明らかにした再生の事実を見ていくことにします。再生を論じる際に問題となるのは――「いったい何が再生するのか?」ということです。すなわち再生者の実体です。

何が再生するのか1

左側が今の自分です。実線で示した円の全体が「インディビジュアリティー」で、小さな黒色の部分が「自意識」です。死んで霊界に行くと、地上時代の自意識(黒色の部分)はインディビジュアリティーの中に溶け込み、存在しなくなります。やがて地上に再生しますが、そのときには新たにインディビジュアリティーの別の部分が「自意識」として自覚されるようになります。

便宜上、今の自意識をAとすると、再生時にはAはインディビジュアリティーの中に溶け込みなくなってしまいます。そして別の自意識Bが“私”ということになります。今は「自意識A」を“私”と思っていますが、次の再生時にはその“私”はなくなり、今とは別の“私”が現れることになるのです。

何が再生するのか2

以上の内容を、別の譬えで説明します。今、バケツの中に水を入れます。バケツの中に入っている水が「インディビジュアリティー」で、そこから取り出された一杯のコップの水(A)が「パーソナリティー」ということになります。次にコップの水をバケツに戻し、もう一度コップで水を取り出します。新しく取り出したコップの水(B)が再生時における「パーソナリティー」ということになります。このとき先に取り出した「水(A)」と、次に取り出した「水(B)」は全く別ものになっています。

再生時には、前世のパーソナリティーはインディビジュアリティーの中に溶け込み、もはやどこにも存在していませんが、それはこのコップの水(A)と同じことなのです。

前世の私(の意識)と再生時の私(の意識)は別ものです。再生時には、今の私は存在しません。それを地上の側から見れば、再生時には「全くの別人が現れる」ということになります。今の意識を基準にするなら、「再生はない」と言ってもよいことになります。

しかし、それを「インディビジュアリティー」の観点から見ると、違う部分であっても同一の霊の一部が再現することに変わりはないため、「再生はある」と言うことができるのです。

これがスピリチュアリズムによって明らかにされた再生の事実です。