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第5章 動物の死後のゆくえ

愛するペットは、人間のように死後も霊として生き続けるのでしょうか。それとも死とともに無に帰してしまうのでしょうか。動物にも死後の生命があり、地上において愛で結ばれた人間との再会を果たすことができるようになるのでしょうか。

結論を言えば、愛情を持ってかわいがったペットは、皆さんが死んで霊界に入ったとき、必ず迎えにきてくれるようになります。そうした喜ばしい再会は、間違いなく実現するようになります。ですからペットの死を悲しむことは不要です。

ここではペットや動物の死後の様子と、そのゆくえについて見ていきます。

(一)人間と動物の本来の関係

永遠の人間と、地上限りの動物

人間は神によって永遠の存在として、すなわち個別性を維持して永遠に生き続ける存在として造られました。進化の果てに神と融合して、私という意識がなくなるようなことはありません。動物はこの点で、根本的に異なっています。動物には人間のような霊体はありません。したがって動物は死とともに存在が消滅することになります。霊界で永遠に生き続けることはできないのです。

ただしこの後で述べますが、人間と愛情関係のあった動物については、死後しばらくの間は地上での形態を維持し、主人(飼い主)が霊界に来る時を待つことになります。

人間のみが“神”を理解する

地上にいる無数の生命体の中で、人間のみが神を知ることができるように造られています。そしてそのための高度な知性を与えられています。この点で人間は、動物とは全く違っています。動物にもある程度の知性はありますが、それは“本能の領域”に限定されていて、神を理解するという高次元の能力は持っていません。動物の意識は常に本能の枠内にあって、その本能は法則によって支配されています。そのため動物には本当の意味での自由はありません。

したがって動物は、人間のように自由意志に基づく因果律の適用を受けることはありません。人間のみが“自由意志”を持ち、自らの行為に対して責任を取らなければならないのです。

第二の神として、動物を愛する責任がある

人間のみが神を知り、神の愛を理解できるという事実は、人間が地球上の動植物に対して「神の代理者として愛を与える使命がある」ということを意味しています。人間はその知性ゆえに動植物を一方的に支配する力を持っていますが、それは「愛を用いて動植物を支配するように」との神の意図があるからなのです。人間は神の代理者として、すなわち“第二の神”として動植物を愛し、神に代わって愛を与えなければなりません。それによって「動植物の霊的進化を促す」という使命を果たし、地球上全体を愛と調和に富んだ環境にする責任を全うできるようになるのです。

地上の全生命体(動植物)は、人間から愛された分だけ霊的に進化するようになります。人間から愛されることによって「神の愛」を間接的に受けることになるからです。こうして人間は、神の造化の御業(みわざ)の一部を代行することになります。

一方、人間は動植物を愛することで、その動植物から愛されるようになり、喜びを得ることになります。そうした愛のサイクルをつくり出すことで、地球上に愛の世界が広がっていくことになります。神の造られた「利他愛の摂理(法則)」によって、動植物を愛し育む人であればあるほど、より多くの愛の喜びを味わうことができるようになるのです。

このように人間と動物は、お互いの霊的成長に重要な関わりを持っています。人間と動物は“神の被造物”として、ともに協力し合って進化するという運命を共有しているのです。

(二)動物への虐待(ぎゃくたい)――生命の尊厳性の無視、弱者に対する冷酷さ・無慈悲さ

動物に対する人間としての本来の在り方に比べ、今日、地上で行われている動物への虐待は目を覆うばかりです。いずれの霊界通信も、地上人の動物に対する非道さを声を揃えて非難しています。霊界サイドでも熱心に“動物愛護運動”が進められています。そして地上の愛護団体に対して霊界から全面的な協力がなされています。

霊界通信が特に動物への虐待として挙げているものは、次の三つです。

“狩猟のための殺害”――楽しみで動物の生命を奪う非道さ

動物に生命を与えたのは神であって人間ではありません。人間には動物の生命を奪う権利はありません。まして自分の楽しみのために動物を殺すようなことは許されません。霊的視点から見れば、楽しみのための狩猟は“殺人”と同じ罪を犯していることなのです。

“食用のための殺害”――生命の尊厳性を無視する残酷さ

食用のために動物の生命を奪うことや、食料として動物を残酷な環境で飼育することは、生命の尊厳性を犯す行為です。動物を殺して、それを食料とすることは“罪”なのです。現在の地球上では“肉食”がごく当たり前のこととして行われていますが、霊界から見ると、まさに気違いじみた習慣です。

わざわざ動物の肉を食料にしなくても、人類は飢えて困るようなことにはなりません。食料を得る方法は他にいくらでもあるからです。家畜用のエサになっている穀物を人間に回せば、地球上の飢えの問題は直(ただ)ちに解決します。神は、地上の人間の誰ひとり飢えることがないだけのものを、常に大地から与えてくださっているのです。こうした点から考えても、肉食は明らかに間違っています。

“動物実験”のための無慈悲な殺害

医学の発展という大義のもとで、現在では動物を用いた生体実験・研究が当たり前のこととして行われています。しかしそうした摂理に反した方法で、人間が本質的な健康を手に入れることはできません。動物を用いた生体実験は“唯物的医学観”に基づく誤った手段なのです。

人間の健康のためなら動物の生命を犠牲にしてもよいというのは、たいへん傲慢な考え方です。

霊的真理の普及と、動物虐待の減少

神から生命を与えられたという点で、人間と動物は同じ価値を持っている平等な存在です。繰り返しますが、動物の生命を奪う権利は人間にはありません。これが動物に対するスピリチュアリズムの基本的な考え方です。

しかし“肉食”が当たり前になっている現在の地球上から、すぐに肉食の習慣を廃止させることは不可能です。霊界通信では、現在の地上人がいまだ未熟な霊的レベルにあることを考慮して、「今すぐ肉食をやめるべし」との強い言い方はしていません。肉食習慣の罪悪性を自覚した人から、「自分の意志でやめなさい」と勧める程度にとどめています。また動物を殺す際には、できるだけ残酷性の少ない方法を取るように教えています。

地球人類の間に「霊的真理」が行きわたれば、今述べてきたような動物への虐待は自動的に消滅していきます。霊的真理の普及にともない“菜食主義”が当たり前になっていきます。遠い将来には――「二十一世紀の地球上では“肉食”という残酷で無慈悲な行為が平気で行われていた」と、人々が驚きを持って振り返るような時が必ずやってきます。

動物への愛は、人類の霊性の指標

動物に対する姿勢は、人間の霊性を反映しています。心の底から動物を愛し動物の生命を尊重する人は、決して肉食はしないものです。自分のかわいがっていたペットが死んだとき、その肉を食べることができる人間はいません。自分の愛するペットが動物実験に利用され、七転八倒して苦しむのを平気で見ていられる人間はいません。誰にもこうした慈悲の心はあるのですが、その一方で平気で肉食をするという大きな矛盾を犯しています。

厳しい言い方になりますが、“肉食”によってペットに対する愛の行為の素晴らしさが打ち消されてしまっています。「動物を虐待する」ということは、真実の愛の乏しさ・霊性の低さを示しています。動物に対して平気で非道な扱いをする者は、人間に対しても、やはり同じように非道なことをするものです。動物に対して思いやりを持てない者は、人間に対しても本当の愛を持てないのです。

(三)動物の死後の様子と霊的進化

幽界でのペットとの再会

地上時代に人間から愛を受けた動物は、肉体の死後も、しばらくは幽質の形態を維持することになります。そしてその姿で、飼い主が幽界に入ってくるまで待ち続けます。他界した飼い主は、生前かわいがっていた動物の出迎えを受ける中で、自分が死んだことに気がつくようになります。このようにして地上で動物(ペット)を大切にしていた人は、死後、愛するペットとの再会を果たし、少しの間、ともに生活をするようになるのです。

もしペットのように人間の愛を受けることのなかった動物の場合は、死とともに生命素(一種の生命霊)は、動物の「集合魂」――“グループ・スピリット”と呼ばれる同種類の動物の生命素の集合体―の中に吸収されて個性を失うようになります。したがって動物との死後の再会は、飼い主の愛ひとつにかかっている、ということになります。死後も生前の形態を維持できるかどうかは、ひとえに人間の愛によって決められるのです。

こうして人間と動物は幽界で再会を果たすことになりますが、その関係はいつまでも続くわけではありません。人間が幽界の生活に慣れ、「霊的意識」に目覚めて霊的進歩の道を歩み始めるようになると、動物への愛も自然と薄らいでいきます。それにともない幽質の形態は分解して、生命素は集合魂の中に吸収されていきます。

動物の霊的進化

人間と違って動物には再生はありません。一度きりの物質界への誕生があるだけです。その一度の地上体験を「集合魂(グループ・スピリット)」に持ち帰ることで、集合魂全体が進化していくようになります。動物の霊的進化に決定的な影響を及ぼすのが、すでに述べてきたように“人間の愛情”です。人間から受けた愛情によって、動物は集合魂全体として進化していくことができるのです。

現在、動物の「集合魂(グループ・スピリット)」として一番進化しているのはイヌで、次はネコであると言われています。それはイヌが、動物の中で最も多く人間の愛を受けてきたためです。一般の進化論からすると、サルが動物の中で一番進化しているように思われますが、霊的進化ではイヌなのです。このように肉体次元の進化と霊的次元の進化は一致しません。こうしたイヌとサルの進化のケースは“愛”こそが霊の本質であり、愛によって「霊的進化が促される」という霊的真理を示しています。

進化に関して、もう一つ興味深い内容があります。人類全体の霊性レベルが高まると、それが動物界にも反映して動物の霊的進化が促され、動物特有の“弱肉強食性”が消滅していくということです。人間の霊的進化にともない、肉食動物の凶暴性も消滅していくようになるのです。

では、動物の集合魂がさらに進化したときにはどうなるのでしょうか?――これに対する答えは、スピリチュアリズムにおいても、いまだに最終的な結論は出ていません。霊界通信の間でも意見が分かれています。動物の「集合魂」が進化して人間の霊レベルに近づくと、その中から人間の個別霊が誕生するようになるとの見解があります。一方、動物の集合魂は“種”として固定されていて、どこまでも人間は人間、サルはサル、イヌはイヌであって動物から人間へという進化のプロセスはないという見解もあります。