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第5章 永遠の霊的成長の道

(一)地上人生の目的――「魂を成長させること」

地上人生の目的とは

一人ひとりの人間が至った霊的成長レベルのことを「霊格」と言いますが、その霊格が死後の霊界での界層を決定することになります。霊の世界での生活が永遠であるのに対し、地上人生はほんのわずかな時間にすぎません。この事実は地上人生の目的が――「魂を成長させて永遠の死後の世界に備えること」であることを示しています。地上における束の間の人生によって“永遠の世界”での幸福が決定されるとするなら、地上生活を送る私たちは、何よりも自らの霊的成長を人生の第一目標としなければなりません。人類にとっての重大な哲学のテーマの一つが「人間は何のために生きているのか?」というものですが、その答えは「魂の成長・霊的成長」という一言で言い尽くされてしまうのです。

しかし現在の地球上には、「自分の心(魂)を成長させることが、自分の人生の目的である」と断言する人はめったにいません。心の大切さを強調する人はいますが、霊的成長が地上人生の目的のすべてであると主張する人はいません。一方、霊界では、一人ひとりの霊が自分の霊的成長を人生の最大の目的とし、それを求めて歩み続けています。霊界人が霊的成長にかける熱意は、地上人がお金に対して抱く執着など足元にも及びません。それほど霊界では、霊的成長がすべての人々の願望となり、人生の目的そのものとなっているのです。この点で霊界人と地上人では、天と地ほどの違いがあります。

霊的成長を効果的に達成する地上世界

神は、人間が霊的成長をなすにふさわしい場所として地上世界を造られ、そこで生きていくための道具として肉体を与えられました。地上が霊界と比べてきわめて粗雑で、何をするにしても困難がともなう場所であるのは、人間の霊的成長を効果的に促す環境として、神がそのように計画されたからなのです。

そうした神の配慮によって、肉体を持って生きる地上生活の間に、人間は短期間で永遠の世界に対する準備をすることができるようになっています。霊界で生活するための霊的土台をつくることが、地上人生で可能となっているのです。この点からも地上人生の目的が――「霊界行きに備えて霊的成長をなすこと」であることが明らかになります。

大切な地上人生を無駄にする多くの地上人

地上人生は霊界における永遠の生活を決定するという、きわめて重要な意味を持っています。しかし残念なことに大半の地上人は、その大切な地上人生を無意味に過ごしています。せっかく地上人生というチャンスを与えられながらも、肝心な霊的成長を促すような歩みをせず、どうでもいいような肉体を満足させるためだけの生活を送っています。わざわざ地上に生を享けたにもかかわらず、それをすべて無駄にするような生き方をしているのです。ほとんどの地上人が、神が与えてくれた最高の宝を自ら捨て去っています。そして死んで霊界に行って初めて、自分にとって最も価値のある貴重な宝を捨て去ってきたことに気がつき、後悔するようになるのです。

このような地上人の「霊的事実」に対する無知は、地上人をより高い世界へ導くことを使命とする高級霊にとって、大きな嘆きとなり悩みとなっています。そうした霊界人の思いを、シルバーバーチは次のように述べています。

「残念ながら大部分の地上の人間においては、霊があまりにも奥に押し込められ芽を出す機会がなく、潜在的な状態のまま放置されています。物質にすっかり浸りきり、霊が今にも消えそうな小さな炎でしかない人が大半です。大多数の人が身につけるべきものをロクに身につけようともせず、地上を素通りしております。

ですからイザこちらの世界にきたときには何の備えもできていないか、さもなくば、一から学び直さなければならないほど、誤った思想・信仰によってぎゅうぎゅう詰めになっています。本来そうしたものは地上の方がはるかに学びやすく、その方が自然なのです。

霊界へ送り込まれてくる人間の中にも、もしも地上で霊的知識を身につけていたら、こうまでひどくならなかったであろうに、と思われる廃残者・堕落者・霊的生活への備えがまるでできていない者が、あまりにも多すぎるのです。無知と恐怖と迷信と偏見に満ちた者ばかりなのです。」

(二)霊的成長を促す「利他愛の実践」

霊的成長こそが地上人生の目的であり、人間にとって最も大切なものであることが分かりました。では霊的成長を達成するためには、具体的に何をしたらよいのでしょうか。どのような生き方をしたら、霊的成長がなされるのでしょうか。

霊的成長のバロメーターは「利他愛」

霊界の高い界層にいる高級霊と、幽界下層の暗い境域にいる低級霊・未熟霊の内的性質を比較することによって、何が人間の霊的成長を促す要因となっているのかが明らかになります。

結論を言えば、霊的成長の高いレベルにある高級霊と、霊的成長の低い低級霊・未熟霊の違いは「利他愛の度合い」にあります。霊的成長レベルの差は、霊が利他愛をどのくらい持っているのか、ということにおいて決定されるのです。これは「利他愛」こそが、霊的成長のバロメーターであるということを意味しています。

宇宙と霊界に遍在する「神の愛」

神によって造られた世界(宇宙・霊界)には、神の愛が遍(あまね)く及んでいます。神の愛は、すべての存在物・生命体・意識体を包んでいます。神はその愛から、ご自分が造られた万物を維持・支配するシステムを設けられました。それが「神の摂理・法則」です。神はこの法則によって、宇宙・霊界に調和と秩序をもたらしています。神はこの法則を通じて、人間に臨んでいます。そのためすべての人間が、神によって「完全平等・完全公平」に愛され扱われることになります。「神の愛」の平等性は、摂理の支配というシステムの中で成就されているのです。

霊界では、神の存在を疑ったり否定したりする霊はいません。それは物質世界である地上界とは違って「神の愛」が実感をともなって認識されるため、神の存在を否定しようにも否定できないからです。地上人の中で自分たちを取り巻く空気の存在を疑う者はいませんが、それと同じように、霊界人の中で神の愛の実在を疑う霊はいないのです。それどころか霊界での神の愛の実感は、地上の空気以上に強烈に迫ってきます。霊界のすべての霊が、神の存在と神の愛を身近に鮮烈に感じ取っています。そのため神の愛が霊界中に充満していることを疑う霊はいないのです。

「神の愛」の本質――完全な利他性・無償性

宇宙・霊界の万物を造られた神は、人間にとって「霊的親」であり、その愛は「親の愛」以外の何ものでもありません。親は子供の幸福を何よりも願います。自分の幸せよりも子供の幸せを真っ先に願います。親は子供が幸せになった姿を見たとき、初めて自分も幸せになれるのです。神が私たち人類に対して注ぐ思いは、まさしくこの「親の愛」なのです。

神の愛は、自分のことより相手のことを先に心配する愛であり、自分よりも先に相手の幸せを願う愛です。そこには一切の打算や見返りへの期待はありません。神の愛は、こうした「完全な利他的愛」「完全な無償の愛」なのです。完全な利他性と無償性が、神の愛の本質なのです。

霊的成長とは、「神の愛」を身につけていくこと

神によって生み出された子供(人類)が成長するとは、親なる神を手本として親に似ていくことです。それは神の愛を自らの内に築き上げていくことに他なりません。「神の愛」――すなわち利他的愛・無償の愛を多く身につければつけるほど、神の性質に似ることになり、神からの愛を多く受けられるようになります。神に似ることによって、さらに多くの神の愛が魂に流れ込んでくるようになり、神の愛の良き“受容器”となれるのです。そして今度はその愛を、周りの人々や動物・存在物に与えることによって、神の愛の良き“授与器”となっていくのです。神が万物を愛するように、自分自身が神の愛を与えることができるような人間になる、自分を通して神の愛を顕現させることができるような人間になる、ということです。こうしたプロセスを経て、神の愛をより多く受けて、より多く与えることができるようになっていきます。これが「霊的成長・魂の成長」ということなのです。

霊界の上層に行けば行くほど、そこに住む高級霊たちは多くの神の愛を受け、そして多くの神の愛を互いに与え合っています。それによって彼らは、神の愛からもたらされる“愛の喜び”を満喫し、より多くの美をつくり出すことができるようになっているのです。

利他愛の実践こそが、霊的成長の道

地上にいる私たちにとって「神の愛の実践」――すなわち「利他愛の実践」こそが最も大切な生き方となります。利他愛の実践によってのみ、人間は神に似ていくことになり、霊的成長を達成することができるようになっています。利他愛の実践のないところでは、霊的成長をなすことはできません。どれほど真理を学び、多くの霊的知識を身につけても、また厳しい修行を積み重ねても、利他愛の実践がなければ霊的成長は達成されないのです。

利他愛実践の重要性を、シルバーバーチは次のように述べています。

「宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも、神の愛があればこそです。全宇宙を動かし、全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が、自分の愛する者だけでなく、血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。愛は自分より不幸な者へ向けて、自然に手を差しのべさせるものです。

全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて、人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。

好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感のもてない人を愛する――これが魂の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければなりません。

かわいそうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心のあった人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。最高の徳は利他愛です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであるがゆえに愛する、愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。

神は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。向上進化の果てには、己のためには何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界にたどりつきます。ただ施すのみの世界です。

我欲を捨て、他人のために自分を犠牲にすればするほど、内部の神聖がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。真の愛は、人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表れます。

愛の真の意義を悟るのは霊の世界にきてからです。なぜなら愛の本質は霊的なものだからです。愛は魂と魂、精神と精神とを結びつけるものです。神の顕現なのです。互いが互いのために尽くす上で、必要ないかなる犠牲をも払わんとする欲求です。愛は己のために何も求めないのです。」

以上のように、シルバーバーチの“愛”についての説明を見てきましたが、「利他愛」こそが「神の愛」であり、霊的成長の決め手であり、人間の価値を決定する尺度であることが分かっていただけたと思います。

人類は地上に誕生して以来今日に至るまで、宗教・道徳・哲学によって、より良い生き方、より価値のある生き方、より崇高な人生を模索してきましたが、その答えは――「利他愛の実践」という簡単な言葉の中にすべて含まれることになります。あらゆる宗教の教えは、この利他愛の実践というシンプルな教訓の中に集約されることになります。「利他愛の実践」こそが、人間にとって最高の生き方であり、真実の宗教的生き方なのです。

利他愛実践の重要性を強調したイエス

人類思想史上、この利他愛の重要性を最も適切に説いたのはイエスでした。キリスト教が“愛の宗教”と言われるようになったのは、イエスが神の愛を「利他愛・無償の愛」として明確に説き、人間がその神の愛にならって隣人を愛することを主張したからです。イエスの教えはシンプルでしたが、最も霊的真理の核心をついたものでした。イエスによって「神の愛」という霊的真理の一番の本質が明らかにされたのです。イエスが生前に教えを説いたのはわずか三年間にすぎませんでしたが、その教えが「神の摂理」と完全に一致していたため、その後、二千年間をかけて世界中に行きわたることになりました。

一方、それとは別にキリスト教会という人間がつくり上げた組織は、霊的事実からおよそ懸け離れた間違った教義(原罪思想・贖罪[しょくざい]思想・三位一体説など)を捏造(ねつぞう)し、せっかくのイエスの教えを台なしにしてしまいました。結局、霊的真理をねじ曲げたまま、今日まで存続することになりました。あらゆる霊界通信が、キリスト教会の弊害を厳しく糾弾(きゅうだん)してきました。時にはキリスト教会を“人類の敵”とまで強く非難しています。イエスの教えから離れたキリスト教会は、人類の霊的成長にとって大きな障害となってきたのです。

(三)地上への再生と、類魂としての共同成長

霊界に入ってからの霊的成長は、前述したように「類魂の仲間」として歩む中でなされます。霊界ではそれぞれの霊は、霊的家族の一員として共同生活を営んでいます。そこで他人の体験や心を自分のものとすることで魂は飛躍的に大きくなりますが、それだけで霊界のより高い界層に上がって行けるわけではありません。類魂全体が進化向上するためには、新たに「地上への再生」が重要な問題となってきます。

輪廻転生とか再生は、従来の宗教でもしばしば議論の的になってきました。スピリチュアリズムは、この難解な問題に対して人類史上、初めて画期的な霊的事実を明らかにしました。

再生の二つの目的

霊界での霊的成長には、地上世界での体験が重要な役割を果たします。類魂全体の霊的成長(進化向上)のためには、どうしても地上の体験が必要となるのです。そこでメンバーのある者が、類魂全体の成長に必要な体験を求めて、地上へ降りることになります。そしてその地上体験を再び類魂に持ち帰ることで、類魂全体の進化向上が促されるようになります。このように類魂全体の霊的成長のために、メンバーの一人が類魂を代表して地上に再生するのです。これが再生の一つ目の目的です。

再生には、もう一つ別の目的があります。各霊は類魂のメンバーであると同時に、個人としての特別な事情も抱えています。それが地上でつくり上げた「カルマ(悪因縁・神の摂理への違反)」です。それぞれの霊は例外なく、地上時代に霊的法則・霊的真理から外れた行為をしています。地上時代に何ひとつ過ちを犯さなかったという者は、まずいません。そうした神の摂理に反した行為が「カルマ(悪因縁)」として残されているのですが、霊界において進化の階段を一歩上ろうとすると、地上でつくり出したカルマが上昇の足枷(あしかせ)になるのです。このカルマは自分自身がつくり上げたものなので、類魂の他のメンバーに代わりに償ってもらうことはできません。そこでカルマをつくり出した当事者本人が、罪の清算・償いのために、もう一度、地上へ戻ることになります。大きなカルマがある場合、地上への再生は、本人の霊的成長のためにどうしても必要となります。これが再生の二つ目の目的です。

以上のように――「類魂全体の霊的成長のため」そして「過去に個人的につくったカルマを償うため」という二つの理由から、古来より言われてきた「再生(生まれ変わり)」ということが行われるのです。地上体験を重ねるごとに、霊は霊界の界層を一歩一歩、上昇して行くことになります。こうして個々の霊は、類魂の一員として成長していくことになるのです。個人の進化のレベルが、類魂全体の霊的レベルを超えるようなこともあります。するとその霊は、これまで属していた類魂を卒業し、新たな類魂の仲間入りをすることになります。

従来の輪廻再生説の間違い

類魂全体の進歩と個人のカルマ清算という二つの目的のために、霊が地上に再生することは間違いのない事実です。ここで一つ重要な点を指摘しておかなければなりません。それは従来の宗教において言われてきた「再生(輪廻転生)」は、霊的事実から大きく懸け離れている、ということです。現在でも再生を信じている人は多いのですが、そのほとんどの人たちは再生について正しく理解していません。間違った再生を信じているのです。

一般的に考えられている再生は、同一意識体としての再生、言い換えれば「私の前世は〜で、次は〜に生まれ変わります」というような意味での再生です。“私”という同一意識体を基準とした再生観です。これは最もオーソドックスな再生観と言えますが、実はそれが事実ではないのです。ここで再生の複雑な実情を一言で述べることはできませんが、スピリチュアリズムの霊的真理に照らしてみれば、一般の人々が考えるような再生が存在しないことは確かなのです。したがって大半の人々が考えるような再生はない、ということになります。

一方、古来より古代インド宗教や仏教で言われてきたような「再生観(機械的輪廻思想)」も間違っています。そこでは人間がカルマによって、動物や他の生命体に生まれ変わるというようなことが言われてきましたが、そうした事実はありません。人間は人間としてしか再生しません。また一人の人間が何十、何百回も生まれ変わるというようなことも事実ではありません。一人の霊が地上の体験を繰り返すのは、せいぜい五、六回と言われます。「類魂」という共同進化のメカニズムがあるため、何十、何百回も再生をする必要はないのです。

再生の仕組みの多くが奥義(おうぎ)とされている

では、再生の詳しい仕組みはどのようになっているのでしょうか。再生はどのようにして展開していくのでしょうか。残念なことに高級霊による霊界通信でも、再生の詳しい仕組みについての説明はなされていません。

その理由として、想像を絶するような再生の複雑なメカニズムを完全に理解することは、現在の地上人の知性では不可能であるという点が挙げられます。「類魂」についての完璧な理解は現在の地上人には不可能でしたが、「再生」の事実ともなると、さらにその理解は難しくなります。それを説明する言葉自体に限界があって、とうてい正しい理解は得られないのです。高級霊といえども、私たちの想像をはるかに超えた現象のメカニズムを、地上の言語を用いて適切に説明することはできないということです。

また、霊界側が地上人に対して、再生の事実についての詳細をわざと秘密にしているようなところもあります。“師は弟子の内容に応じて教えを説く”という諺(ことわざ)がありますが、現段階の地上人の霊的レベルからして、まだそれを知るには時期が早いとの判断がなされているようです。もちろんそれは、よい意味での霊界の配慮なのです。

こうしたことから再生に関しての詳細は、スピリチュアリズムにおいても依然として奥義として残されています。

(四)地上圏霊界から宇宙圏霊界へ

地上圏霊界と宇宙圏霊界

霊界での生活の目的は、霊的成長(魂の進歩)でした。その霊的成長に向けての歩みの一つとして、地上への再生が必要でした。これは地上体験を通して得られる成長内容を、すべて達成するまで再生は欠かせないということを意味しています。すなわち地上体験による「霊的成長」と「カルマ清算」が不可欠であるかぎり、再生は続くということなのです。

霊界は、再生を必要とする段階と、もはや再生を必要としない段階に大きく分かれます。これまで本書の中で見てきた霊界は、どこまでも再生を必要とする段階、すなわち地上との関わりを通して霊的成長をなしていく段階の霊界でした。これを「地上圏霊界(物質圏霊界)」と言います。地球出身の大部分の霊たちは、現在ここに所属しています。

それに対して、霊的成長が進んでもはや地上へ再生する必要のなくなった高い霊界を「宇宙圏霊界(脱地上圏霊界)」と言います。もちろんそこに住む霊は“超高級霊”ばかりで、現時点ではきわめて少数の者に限られます。イエスやシルバーバーチは、この世界にまで至った超高級霊です。宇宙圏霊界が、いかに素晴らしい世界であるのかは今さら言うまでもありませんが、その世界の具体的な様子は、言葉で表現できるレベルを完全に超えています。そのため高級霊の霊界通信でさえも、この世界についてはほとんど言及していません。

物質的な世界との関係を一切持たなくなった宇宙圏霊界では、霊はそれまでの霊界(地上圏霊界)において身にまとっていた霊的身体(霊体)さえも不要になると言います。身体的形態を取らない霊になるということです。もちろん霊的意識を持った「個別霊」であることは同じですが、霊体といった身体的表現を必要とせず、光源や色彩のような形で存在するようになるのです。その形態で、さらなる霊的進化の道をたどっていくことになります。

天使と同格になる

霊界には、人間の霊以外に、一度も物質世界での体験を持ったことのない霊的存在がいます。天使や妖精がこれにあたります。これらの霊的存在は、物質との関わりなくして誕生し、成長・進歩の歩みをなしていきます。天使や妖精は、神の王国の役人として摂理の執行に携わったり、神の創造の事業の実行者として働いたり、時には地上の人間を守護したり導くなどの役割につきます。

「地上圏霊界」を卒業して「宇宙圏霊界」に入るということは、霊格が天使と同じレベルに至ったことを意味します。このレベルにまで至った霊は、その後は天使と同様の進化のプロセスをたどることになります。

他の天体での霊界の様子

一方、地球以外の他の天体にも、地球と同じように物質世界を取り巻く霊的世界が広がっています。そしてそこに住む霊たちも地球と同様に、物質世界との関わりを持ちながら霊的成長の道を歩み、やがて再生が不要となるという進化のプロセスをたどっています。地球以外の天体にも、こうして進化向上の道を一歩ずつ歩んでいる霊たちがいるのです。

宇宙圏霊界に至った霊は、他の天体の霊たちとも自由に行き来し、交わることができるようになります。