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第2章 死の瞬間と死の直後の様子

先に、死とは肉体と霊体を結ぶシルバーコードが切れることであると言いましたが、米国の心霊研究家で、優れた霊能者でもあったハドソン・タトルは“死の瞬間”を霊視して、次のように述べています。

「徐々に霊体は手足から抜け出し、頭の方に凝縮する。やがて頭頂から後光(ごこう)が現れ大きくなる。次第にそれは形を現し、ついに抜け出した肉体と全く同じ形になる。霊体は高く上がり、一個の美しい霊が私の前に立つ。他方、肉体は下に横たわっている。だが一本の細いコードが霊体と肉体をつないでいる。このコードは次第に薄れていき、やがて消滅する。こうして霊は永久に地上と縁を切るのである。」

以上は外部から見た死の瞬間ですが、当の本人はこの時どのように感じているのでしょうか。この章では、死の瞬間とその直後の様子を、当事者の立場から見ていくことにします。ただし一人ひとりの人生や寿命・性格・運命が異なっているように、人が死後にたどる道筋と体験も、それぞれ違っています。ここでは一般的に善人と言われているごく普通の人間、平均的な人間の死後の様子を見ていくことにします。

「死の眠り」

他界した人たちの話によれば、皆“死の瞬間”は一様に、深い眠りに入るような状態――ただただ深い眠りに落ちていくような状態になると言います。痛みや苦しみを感じることは全くありません。これが「死の眠り」です。臨終の際の顔がどんなに苦痛で引きつっているように見えても、それは見かけだけであって本人は無意識です。世間ではしばしば“死相が悪いと地獄に堕ちる”というようなことが言われますが、それは根拠のない迷信にすぎません。

「死の眠り」からの目覚めと混乱

やがて死の眠りから覚めると、自分とそっくりな人間が横たわっているのが見えます。実は、すでに本人は肉体から離れ、霊体となって自分の肉体を見ているのですが、そのことにはまだ気がついていません。そして抜け殻となった自分の遺体の傍(そば)に立っていたり、空中に浮揚していたりします。このとき大部分の死者は、思いもよらない環境の変化に戸惑うことになります。

さらに、自分の死の知らせで集まっている家族や親戚の姿も見えるようになります。それでその人たちに語りかけたり、肩を叩いたり、身体に触れたりするのですが、何の反応もないことに驚き、大きな不安に駆られるようになります。霊体だけになった死者と肉体を持った地上人は、もはや同じレベルで接触し交流することができなくなっているのです。「自分はここにいるのに誰ひとり気づいてくれない。自分はここで生きているのに、皆泣きくずれ悲しんでいる……――大半の死者が、死後の目覚めと同時に、こうした不安と混乱の時間を過ごすことになります。

「死の自覚」と地縛霊

やがて死者は、地上の日数にして数日くらいで、少しずつ自分が死んだことに気がつくようになります。死を自覚するようになると、内在していた霊的意識と霊的感覚が急激に蘇(よみがえ)ってきます。このとき大半の者が、身体がすがすがしく軽やかになっていることに気がつきます。いつの間にか病気の苦しみや身体の痛みも完全に消えています。

しかし中には、いつまでも自分が死んだことに気がつかない者もいます。相変わらず地上生活を送っているのだと思い込んでいるのです。周りの霊たちが「あなたはもう死んだのですよ」と教えてあげても、「とんでもない、私はこの通り生きています」と、死んだことをいっこうに認めないばかりか、教えてくれた人に対して怒り始めることもあります。

戦争や事故でアッという間に死んだ者は、なかなか自分の死を悟ることができません。また激しい憎しみや恨みの感情を持って死んだ者も、悪感情が災いして、いつまでも死の自覚を持つことができません。また自殺した人間の場合も、長期にわたって自分の死に気がつかないのが普通です。自分は死んだつもりでいたのに実際には生きていることを知って、何度も自殺をはかろうとします。その時、たまたま地上に霊媒体質者(幽体質素が多い人)が通りかかると、無意識のうちに霊はその地上人に憑依し、自殺へと引き込んでしまうことになります。

こうした霊たちは、「死の自覚」が持てるようになるまで地上近くに留まり続け“地縛霊”となります。何ヵ月、何年も、時には何百年もの長い間、ずっと地縛霊として地上近くをうろつき回ることになるのです。

近親者や知人の歓迎と、守護霊との対面

さて、死んだことを自覚すると、その瞬間から霊的視界が開けるようになります。するとすでに他界している両親や親戚・知人など、なつかしい人たちが自分の周りを取り囲んでいることに気がつきます。そしてその人たちが自分に近寄ってきて「ようこそ」と、これまで体験したことがないような大歓迎をしてくれるのです。全員が、自分の他界と霊界での再会を心から喜び歓迎してくれるのです。こうして他界者は、迎えにきてくれた一人ひとりと挨拶を交わし、再会の歓喜に浸ることになります。

そうした人々の中に、身内ではないのにどこかで度々会ったことがあるような感じがする人がいることに気がつきます。その人は光輝あふれる雰囲気に包まれ、高い人格性を映し出しています。その人が傍に立って、「私の後についてきなさい」と言うのです。その人の後についていくと、ドアや壁や天井などを突き抜けて家の外に出てしまいます。実は彼は、他界者が地上で生活していたときから背後でずっと付き添い、霊的成長のための手助けや導きをしてきた“守護霊”なのです。

休憩所での霊体の調整と、地上人生の反省

この守護霊によって、初めに病院のような休憩所に連れていかれます。そして、そこにしばらく滞在することになります。死んで間もない者は、いまだ地上の波動を持ち続けているため、これから赴く新しい環境(霊的世界)には、そのままでは適応できません。霊的世界に入るための準備として、ここでもう一度、休息の時間を過ごすことになるのです。風呂に入ってまどろむような半醒半睡(はんせいはんすい)の状態の中で霊体の調整がなされます。

このまどろみの最中に、地上での一生の行為や歩みがスクリーンのようなものに事細かに映し出されます。それを見ながら、自分の人生の善し悪しを自ら判断することになるのです。地上でなすべきことをしっかりしたかどうか、エゴ的な動機から行為に走って他人を苦しめるようなことをしなかったか、何が地上人生で足りなかったのかが、明らかに分かるようになります。人によっては地上時代に隠していた悪事が目の前に示されることになります。実はそれが、これまで宗教で言われてきた「あの世での審判・死後の裁き」の実態なのです。

休憩所で一定の期間を経た後、新参者は生き返ったようなすがすがしい霊的意識を持って、再び指導霊に連れられて霊の世界へと入っていくことになります。

地上で「霊的真理」を知っておくことの大切さ

以上が、平均的な人間の死の直後の様子ですが、生前から死についての正しい知識を持っていることがいかに大切か、ということが分かります。人間は死を迎えてもそれで存在がなくなってしまうわけではなく、霊として永遠に生き続けるという事実を知っていることは、自分の死を自覚するためにとても大切なことなのです。“死ねば、それですべてが終わる”と思い込んでいた人は、いつまで経っても自分の死を自覚できません。死後にも“生”があることは厳然とした事実であり、地上生活中に必ず知っておかなければならない常識なのです。

他界後は、死者が自分の死を自覚しさえすれば、次に進むべきプロセスが自動的に示されるようになります。したがって死についての正しい知識の有る無しが、他界直後の“運命の分かれ目”になってしまいます。ある霊界通信は次のように述べています。

「現代では、こちらの世界に入ってくる多数の者が、自分の死を意識していません。そのためこちらへきて彼らは、非常な混乱状態にあります。彼らは、あなた方が“死んだらどうなるか”について知っていることを、何も知らなかったのです。」

間違った宗教の影響力の大きさ

また生前、宗教によって“死”に対する間違った知識を身につけてしまうと、死の自覚に決定的なマイナスの影響を及ぼすことになります。周りの霊たちが、すでに死んでいることを教え、地上時代の宗教の間違いを正そうとしても、一切受け入れることができません。その結果、長い期間、地縛霊として地上近くに留まり続けるようになってしまいます。

シルバーバーチの交霊会で、地上時代に受けた間違った教えのために魂の進化が阻害されている霊のことが話題になりました。それに対してシルバーバーチは、次のように述べています。

「“最後の審判日”を待ちながら、死体の埋葬されている墓地で暮らしているクリスチャンの霊がいるというのは、事実その通りです。それが私たち霊界の者にとっての厄介な問題の一つなのです。

教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているものですから、自分からその考えに疑問を感じるようにならないかぎり、傍(はた)からはどうしようもないのです。“死ねばガブリエルのラッパが聞こえるまで墓地で待つもの”という信念を全生涯を懸けてつくり上げてきているわけですから、その信念が崩れないかぎり、いつまでもその牢獄から抜け出られないのです。そうした人間に“もう死んで霊の世界にきている”という事実を信じさせることがどんなに難しいか、皆さんには理解できないでしょう。“復活の日まで待ちます”と言って、その場から離れようとしないのです。」

地上人の嘆き・悲しみは、霊にとってマイナス

さて問題は、そうした他界者(霊)の側だけにあるのではありません。地上に残された人間が、いたずらに死者を悼(いた)み、悲しみ続けることも大きな問題となります。地上の遺族が死者に対して未練を持てば持つほど、他界した霊は地上への執着を増すことになり、なかなか死を自覚することができなくなってしまいます。地上人の悲しみの念は、幽界にいる他界者にストレートに届くため、それがあまりにも強いと他界者の意識は地上に引き付けられたままになってしまうのです。

本来、死は悲しむべきものではありません。“永遠の別れだ”と思い込んで悲しんでいるのは地上にいる人間だけであって、当の本人(霊)は生前と何も変わらない様子で生きているのです。しかも“真実の愛”で結ばれた人とは将来、霊界で確実に再会できるようになっています。死はすべての人間にとって「新しい世界へ向けての出発の時」であり、物質世界の鈍重さから解放してくれる喜びの時なのです。本当は地上の人々は、死者に対して祝福してあげるべきなのです。シルバーバーチは、次のように言っています。

「肉眼の視界から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界では、また一人物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命の喜びを味わい始める霊を迎えて、うれし涙を流します。」

他界者への正しい対処

死者に正しく対応するためには、地上に残された人間が、死に関する正しい知識を持っていることが不可欠です。もし死後、時間が経っているにもかかわらず、遺族の夢の中などに死者の霊がしつこく出てくるようであれば、その霊はいまだ「死の自覚」ができていないと思って間違いありません。また自分の墓についてあれこれ注文をつけてきたり、供養を要求してくるような場合も、地上への意識があまりにも強すぎて「霊的意識」が目覚めていないことを示しています。

そのようなときは地上の人間が――「あなたは、すでに死んでそちらの世界での生活が始まっているのです。いつまでも地上のことを心配していてはいけません。あなたのすぐ近くに、あなたを導いてくださる方(守護霊)がいらっしゃいますから、その方の指示に従って行きなさい」と教え諭せば、進歩の道を早く歩み出せるようになります。これが真の意味での「先祖供養」であり「死者への供養」なのです。

霊的自覚の乏しい先祖の霊に、死んだことを自覚させることが本当の意味での先祖供養です。位牌(いはい)をつくったり、読経をしたり、花や果物などの供物(くもつ)をあげても、本人の霊的意識の向上には何のプラスにもなりません。いったん本人に「死の自覚」ができれば、もはや先祖供養は必要ではなくなります。あとは指導霊の導きに任せればよいのです。

現在、地上に存在する宗教の“死”に対する無知は、目に余るものがあります。人々を教え導く立場にいる者が、死についての事実を全く知らないという実情は“悲劇”としか言いようがありません。そのうえ大半の宗教は、何の意味もない“形式的儀式”だけを大事にし、それを人々に勧めています。こうしたことは他界した者、地上に残された者双方にとって、大きなマイナスを生み出すだけなのです。