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10章 創造は無窮です

シルバーバーチの顕著な特徴は、どんなに難解な問題、どんなに曖昧な問題について質問しても、それに対して見事な解答が即座に返ってきたことである。たいていの指導霊が避けたがる難題をシルバーバーチは気持よく歓迎した。その潔(いさぎよ)さは時おり“質問を受ける会”を設けたことにも出ている。

ジャーナリストで、何年間かサークルのメンバーでもあり、二冊の霊言集(※)の編纂者でもあるA・W・オースティンが、ある日の“質問会”でシルバーバーチにかなり突っ込んだ質問をした。本章ではその一問一答を紹介しよう。

――Teachings of Silver BirchMore Teachings of Silver Birchの二冊で、前者は心の道場から『シルバーバーチは語る』(近藤訳)として、潮文社から『シルバーバーチ霊言集』(桑原啓善訳)として出ている。後者は潮文社から『シルバーバーチの霊訓(五)』として出ている。

「今日の地上世界で要請されている最も急を要する改革は何だとお考えでしょうか」

「これは難問ですね。と言いますのは、いま地上全体には、改善が叫び求められている不公正、矯正が叫び求められている間違い等々、どこから手をつけたらよいか分からないほど沢山の、悪疫ともいうべき文明の汚点が存在するからです。

しかし、その中でも一ばん急を要する改善は、わたしに言わせれば、数え切れないほどの人間を苦しめている無くもがなの貧困、悲惨、窮乏です。全体としては十分なものが用意されているのに、物的生活の基本的必需品にも事欠く人がいるということは間違ったことです。

有り余るほど持っている者と不足している人たちとの間の隔差を修正すること、これこそが現在の地上の焦眉(しょうび)の急です。内部の神性を発揮しようにも、肝心の身体が惨めなほど疲弊し衰弱している魂に対して、いったい自我の発見などということが説けるのでしょうか。わたしたちは決して人間の身体上の必需品について無関心でいるわけではありません。身体と精神と霊とが自然な状態で生活する上で“本当に大切なもの”を見出すことができるような、そういう生活環境を築くことこそわたしたちに課せられた使命なのです」

「もしもあなたが独裁者となったら真っ先に何を改革されますか」

「地球の住民を操り人形のように扱う立場に置いてみることは、このわたしにはできません。それは、わたしが理解している“摂理”に反することだからです。地上の平和と調和と幸福は独裁的権威でもって恐怖と戦慄(りつ)の中で従わせる強制的な命令によって招来されるものではありません。

一刻の猶予も許さない布告を矢つぎばやに出すというやり方では、地上は改善されません。何百年も何千年も積み重ねられてきた混乱状態は、時間をかけて徐々に片づけていくほかはありません。それも善意をもって、つまり指導者の立場にある人たちが真に同胞のためを思う心でもって行わなければなりません。

わたしだけでなく、霊的指導の任を預かる他の霊たちも、独裁的態度は思いも寄らないことでしょう。地上の浄化を目的として派遣されているわたしたち霊団の使命は、うたた寝をしている道義心の目を覚まさせ、惰眠をむさぼっている霊を呼び起こして、大霊からの遺産である内部の神性を開発させることです。そうする以外に平和と調和と幸福を地上にもたらす方法はありません。地上のいかなる大人物も、絶対に誤ることのない権威でもって絶対的命令を布告して絶対的に支配する資格はもっておりません」

「英国にとって対外関係でもっとも大切な政策は何だとお考えでしょうか」

「イギリスという国は大きな使命を担っております。いま多くの国を脅かしている災害を未然に食い止め平和をもたらす、そのリーダーとして活躍する宿命を背負っております。しかし地上に平和を招来するには、その前に自己犠牲と互助の精神が無ければなりません。洞察力をもつ人たちの多い国が譲歩して、自国の生活と福祉にとって必要でないものをそれを必要とする国に与えて、あとは自力で問題を解決させるという関係――その中でのリーダーとして活躍しなければ、あなたの国は使命を果たしていないことになります。

有り余るほど持っている国があり、窮乏している国があります。イギリスは多くの面で恵まれているのですから、それを窮乏している国へ与えることによって、血を流さなくても問題を解決する方法が見出せるはずです。ただし、そこに尊大さ――“オレたちのものはオレたちのものだ”といった思い上がった態度があってはなりません」

「植民地のことを念頭においておっしゃってるのでしょうか」

「そうです。ほかにもいろいろあります。土地、海、空――こうしたものは、どこの国の所有物でもありません。大霊のものです。その霊性がすべての子等を通じて表現されているのです。ですから、すべての子等が当然の遺産として、幸福と発達と開発と日常生活にとって必要なものを等しく受ける権利があるのです。そうした人生を送ってはじめて、いよいよ死期が訪れた時に気持よく重荷を下ろし、より大きな霊の世界への準備が整った状態で死んでいけるのです」

「創造は永遠に続くものであり、したがって再生してくる霊とは別に“新しい”霊が常に生まれているという考えは正しいでしょうか」

「大霊は無限です。ですから創造の過程も永遠に続きます。不完全から完全へ、未熟から成熟へ向けて、無数の進化の階梯を通りながら千変万化の表現の中を進化していきます。それには“時間”というものはありません。初めもなく終わりもありません。無限だからです。無限の大霊の一部であり、それが人間的生命として、無数の発達段階で顕現しているのです。ですが、あなたのおっしゃる“新しい霊”とは、前に存在しなかったものという意味でしょうか」

「そうです」

「それは有り得ないことです。すべての生命にはそれに先立つ生命があるからです。生命が生命を生み、さまざまな形態での表現を絶え間なく続けております。地上の人間的生命は、それまで物質との接触がなかったが故に発現していなかった霊が、肉体という器官を通して表現するのです。その器官は霊の進化にとって大切な地上的教訓が得られるように、実にうまく出来あがっております。

ですから、地上的生命としては新しいといえますが、地上に誕生してくる前に霊として存在していなかったという意味で新しいということではありません。霊とは全生命が創り出される原料です。造化活動の根本的素材です。霊としてはずっと存在しており、これからも永遠に存在し続けます。

もちろん、いっそうの体験を求めて戻ってくる霊の場合は別です。しかし、そうした再生する霊は別として、初めて地上へ誕生してくる霊に限って言えば、そうした霊には地上での表現を始めるまでは個体性つまり人間的意識は所有しておりません。人間的意識は地上への誕生とともに始まります。霊が個的意識として自我を認識する上で決定的な媒体を提供してくれるのは物的身体です」

「地上へ誕生してくる者の中での“新しい”霊と“古い”霊との割合はどれくらいでしょうか」

「そういうご質問にはおよその数字すら出すことは不可能です。ですが、多分、ほぼ同じくらいの割合ではないでしょうか」

「となると、地上には常に進化の程度の高い霊と低い霊とがいることになりますね」

「当然そうなります。そうでなかったら進化が存在しないことになります。生命は生命であるが故に静止していられない――万が一静止したら、それは停滞を意味する、ということをよく理解してください。生命とは律動(リズム)です。運動です。進歩です。開発です。発達です。つまり完全へ向けての絶え間ない歩みです。もしも生命に規則的な階梯がなかったら、もしもはしごを一段一段と上がっていく規則的な旅がなかったら、生命は生命でなくなります。多種多様の発達段階での進化のバリエーションの中においてのみ、生命が生命で有り得るのです。

もしもすべての人間が同じ発達段階にあるとしたら――もしも完全性が成就されて、もうこれ以上の努力の必要性も新しい目標もより大きな顕現の余地もなくなったとしたら、生きようとする意欲、何かを成就せんとする意欲は途絶えてしまうでしょう。生命の生命たるゆえんは絶え間ない向上にあります。今の段階では手の届かないものを何とかして手に入れようと努力するところにあります。その努力――何かを征服せんとする努力、困難を克服せんとする努力の中でこそ霊は真実の自我を見出し、神性が働くようになるのです」

「進化の程度の低い魂が世の中の問題のタネとなり進歩を遅らせることになるのでしょうか」

「それはそうです。ただ、次のことを忘れないでください。あなたのおっしゃる“程度の低い魂”というのは、その魂より程度が高い魂に較べて低いというに過ぎません。あなた自身の判断の基準が高まれば、それまで高いと思われた人が高いとは思えなくなります。

地上世界の厄介な問題、および霊界の下層界の問題のすべてが、さまざまな形での利己主義、強欲、貪欲などの私利私欲によって惹き起こされているというふうに考えればよろしい。原因はそれしかありません。

いつの時代にも、他に較べて程度の低い人間が存在することは当然の結果です。それ以外にどうあればよいというのでしょう。人類のすべてを同じ時点で同じ進化の段階に到達させればよいのでしょうか。一人の例外もなく、みんなが同じ時点で同じ進化の段階を歩むように、同じパターンにはめ込めばよいのでしょうか。すべての生命がまったく同じ進化の程度という単調な状態にしてしまえばよいのでしょうか。

光だけがあって影はない方がよいのでしょうか。晴天ばかりで雨の日はない方がよいのでしょうか。美徳ばかりで邪悪なものはない方がよいのでしょうか。笑いばかりで泣くことがない方がよいのでしょうか。無限の種類の表現があってこそ人生がうまく調整されていくのではないでしょうか」

これを聞いてオースティン氏が、進化にそうしたさまざまな段階がなければならないとすると、シルバーバーチがよく口にする“新しい世界”は楽観的すぎるように思うという意見を出した。

するとシルバーバーチが――

「いいえ、新しい世界はすでに生まれているのです。産みの苦しみと、涙と哀しみの洗礼を受けて生まれているのです。すでに存在するのです。その朝日が今地上の霧を通して射し始めております。

しかし、その新しい世界においても、何もかもが成就されるというわけではありません。修正しなければならないこと、改善しなければならないこと、強化しなければならないことが沢山あります。まだまだ未熟なところがあります。取り除かねばならない障害があります。しかし、人生の新しい規律がどんどん行きわたります。無用の悲劇、無用の残虐行為、無用の飢餓が無くなるでしょう。人生の基盤が変わります。利己主義が次第に影をひそめ、代わって互助の精神が行きわたることでしょう」

「でも結局は各自が受けるに足るものしか受けられないのではないでしょうか」

「その通りです。わたしたちが皆さんの協力を得ようとする努力を促進してくださる人が増えるか、それとも妨げる人が増えるかによって、新しい世界の秩序の到来が早くもなり遅くもなります。受けるに足るもの以上のものは得られませんし、それ以下のものも得られません。摂理の働きは完ぺきですから、天秤は必ず平衡(つりあい)が保たれております。右にも左にも傾きません。

わたしが指摘しているのは、これから生じていく変化を今すでに操作している秩序、そしてこれ以後も操作しつづける新しい原理のことです。これから刈り取っていく収穫は、人類の福祉の促進のために捧げられた何世代にもわたる多くのパイオニア、理想主義者、改革者の犠牲の賜物(たまもの)であることを忘れてはなりません」

「同じく“新しい魂”として生まれてくるのに、あとから生まれてくる魂の方がずっと恵まれた環境に生まれてくるというのは、私には不公平に思えるのですが……

「確かに恵まれた環境に生まれてくることになりますが、しかし、彼らには結果としてそれだけ多くのものが要請されることになります。先輩たちが苦闘しなければならなかったものが免除されるのですから……。要は比較上の問題です。

大霊の摂理をごまかせる者は一人もいない――受けるべきものを髪の毛一本ほども変えることはできない、ということを常に忘れないようにしてください。賞と罰とは各自の行為によってきちんと決められており、変えることはできないのです。えこひいきもありませんし、裏をかくこともできません。大霊の公正は完ぺきです。各自が受けるべきものは、かっきり受けるに足るものだけ――かけらほども多すぎず、かけらほども少なすぎることがありません」

「そうであってほしいと思うようにならないといけないのでしょうね?」

「勇気ある者ならば自らそうであることを求めるべきなのです。努力もせずに報酬を得ること、身に覚えのない罰を受けることを堂々と拒否すべきなのです。もちろん受けるべき罰は堂々と受けて耐え忍び、自ら生み出した責務は自らの肩に背負うべきです。バイブルにもこうあります――“自分を欺いてはいけません。しょせん神の目はごまかせないのです。自分で蒔いたタネは自分で刈り取るのです”と。わたしにはこれ以上うまく表現することができません。

人間のこしらえた法律は一部の者を不当に優遇したり、ある者を不必要に罰したりすることがあります。地位や肩書きや階級に物を言わせた特権というものも存在します。しかし霊界ではそういうことは絶対にないのです。あらゆる面が斟酌(しんしゃく)されます。地上生活によって到達した進化の程度が魂に刻み込まれています。それより高すぎもせず低すぎもしません。死があなたを別の世界へ誘いに来た時、あなたはそれまでに自らこしらえた自分をたずさえて、地上をあとにするのです」

「精神統一(瞑想)をしていると、霊的と思える示唆がいろいろと浮かんでくるのですが、これにはどう対処したらよいのでしょうか」

「いかに高級な霊でも、自分の教えを考察も熟考も吟味もせずに受け入れてくれることは望みません。言われたことを機械仕掛けのように行うロボットであっては欲しくないのです。むしろわたしたちの使命は、各自の責任感を増幅し、内部の神性を刺激して、理性的判断力が行使できるように指導することです。神性はあなたの霊を通して働くだけではありません。あなたの精神を通しても働きます。“神の御国は各自の中にある”という言葉は真実ですが、それは同時に精神の中にもある――そうあらねばならないのです。

理性が反発するものは決して行ってはなりません。理性を第一の指針とすることです。あなたの分別心が承服しないものを無理にも実行しなさいとは申しません。わたしたちの使命は協調態勢を基本にしているからです。

そのためにはまず霊に内在する無限の能力を自覚させることに努力します。その多くが居眠りをしていて、日常生活で発揮されていないのです。わたしたちは皆さんに本当の自分を見出してほしいのです。日常の生活の中で神性が発揮されるにはそれが第一条件だからです。

精神統一中に示唆を受けた時、たとえそれが何かのお告げのようなものであっても、あなたの良識が許さない時は実行に移してはなりません。統一中に浮かぶアイディアの中から“これぞ本物のインスピレーション”と直観できるのは、ある一定の霊格を身につけた人だけです。

しかし、そういう独自の判断力で行動するよりも、こうした形で交わることで皆さんがわたしたちを信頼してくださり、わたしたちの使命が皆さんに奉仕することによって人類に奉仕することであることを得心してくださった上で、わたしたちの道具となってくださる方が賢明です。

そこで、わたしたちはこれまで、わたしたちが霊的摂理に通じていること、目的としているのは霊的真理の豊かさを皆さんの手の届くところまでお持ちすることであることを立証しようと努力してまいりました。“正真”の折り紙つきの知的存在と協力して仕事をする方が、何の導きもなしにただ一人で未知の世界へ突入していくよりも無難なのではないでしょうか」

「自分が交信している相手がどの程度の霊であるかは必ず確認した方がよろしいでしょうか」

「当然です。そして、確かに聞くに足る教えを説いていると確信したら、大いにその霊に指導を仰ぐべきです。霊界から自分を鼓舞し指導しようとする霊団の存在に気づく段階に到達したら、その人にはもはや克服できない困難は無くなります。しかし人類はみな一人ひとり発達段階が異なることを忘れてはなりません」

「生命の尊厳ということがよく言われますが、私はこれにも限界があるように思うのです。この論理を極端におし進めると、病原菌も生命の一種だから神聖であるということになって、人間の生命を危険にさらすという愚かなことになりかねないと思うのです」

「意識はどの段階から始まるかがポイントです。病原菌に意識があるでしょうか。ヘビに意識があるでしょうか。ノミやシラミに意識があるでしょうか。微生物に意識があるでしょうか。

もちろん一般に言われる意識、つまり自我意識という意味での意識はありません。意識とは自分が何であるか、誰であるかについての認識のことです。これは菌類にはありません。が、意識的生命のあるところには造化活動があります。ですから、その意識に干渉して顕現の自由を妨げることをするのは間違いです」

「しかし動物には今おっしゃったような自我意識はないのに、屠殺はいけないとおっしゃってます」

「動物の世界には個的意識はなくても、その奥には類魂としての意識が存在します。動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなります。微生物には意識はありません」

「微生物には痛みを感じる機能がありますか」

「ありません」

「では、殺すということに痛みが伴うか否かで判断すべきでしょうか」

「“意識”を指標とすべきです。意識があるかぎり、それを殺すことは間違いです。人類は死という“解放者”が訪れるまでに、内在する霊の豊かさを発揮する自由を心ゆくまでエンジョイすることが許されております。しかし、しょせん地上世界は発展途上にある未熟な世界です。それゆえ、同胞のためと思ってすることが他の生命の権利に干渉する事態がどうしても生じます。そこでわたしは動機――誠実に、純心に、そして正直に人のためと思って行うという心がけを重視するのです。

今わたしは生体解剖を念頭において申し上げております。わたしから見れば生体解剖は間違いです。残酷ですし、無意味ですし、その上、それによって何一つ成就されません。ただ、それを行う人たちの中には、動物に苦痛を与えるのが面白いのではなく、真実、人類を病魔から解放したい一心の人が大勢いることも、わたしはよく知っております。そうした実験によって人類の病気を撲滅するための知識が得られると信じてやっているのです。その動機は誠実です。

が、それとは別に、無益な殺生が行われています。食料とするための大量の屠殺、スポーツという名のもとでの狩猟――こうしたものには弁解の余地はありません。生命は神聖です。大霊のものだからです。生命に意識が芽生え、そして人間的形態をとれば――いえ、それ以前の動物形態の段階においてさえも――尊厳をもって取り扱われるべきです。生命を安っぽく取り扱ってはなりません。生命の一つひとつが大霊の表現なのです。人間には生命をこしらえる力はありません。ならば、その生命が顕現しようとする身体を破壊することが人間に許されるはずがありません。

忘れないでいただきたいのは、皆さんからの質問に対して“イエス”とも“ノー”とも答えられない時は、わたしたちは、正直に、一つの視点を提供するだけに留めます。独断的態度はわたしたちの取るところではないからです。皆さんのためになればそれで良いのですから……。これまで、さまざまな事情のもとでさまざまな視点からお答えしてきましたので、中には一見すると矛盾するかに思えるものがあるかも知れません。しかしそれは、同じ問題を違った側面から扱っているからであることを理解してください。

それからもう一つ、このわたしが絶対に間違ったことは申しませんとは言っていないことも忘れないでください。知識と叡智の頂上を極めたとは申しておりません。皆さんと同じく、わたしも相変らず人間的存在です。わたしも完全を求めて努力しているところです。克服しなければならない弱点がいくつもあります。磨かねばならないものがあります。わたしの申し上げることが最終的な真理であるとは申しておりません。

わたしが確証をもって知っているかぎりのことを申し上げ、確証が得られないことに関しては、わたし自身がこうと信じるかぎりのことを申し上げております。万が一わたしの申し上げたことが皆さんの納得を得られない時は、それはそれで結構なことです。お互いに考えをぶつけ合うことになるからです。そうすることで皆さんはわたしに知恵をくださり、お互いの視点から議論して理解を深め合うことができるわけです。

協力ということは、わたしたちの方から一方的に援助するということばかりを意味するのではありません。皆さんの方からわたしたちを援助してくださることでもあるのです。一つの問題が生じた時に“それならシルバーバーチに相談しなさい。レッドクラウド(※)に聞きなさい。ホワイトホーク(※)がいいですよ。それで決まりですよ”といった態度は困ります。そういうものではないのです。持ち合わせるかぎりの知恵はお授けしますが、それで一件落着と受け止める態度はいけません。わたしたちも絶対ではないのです。皆さんが自ら考え判断するという方向へ指導することができなかったら、わたしたち霊団の者は課せられた使命を全うしていないことになります。

――いずれもシルバーバーチと同時代に他の霊媒の指導霊(ガイド)ないし支配霊(コントロール)として活躍した霊で、肖像画を見ると、いずれもインディアンの顔をしている。その他にもブラッククラウドとかローンスターとかの呼び名が多いが、言うまでもなく仮の名である。

続いてオースティンは、死後にも生命があることを知って、浅はかな人間は地上的生命を軽んじることにならないだろうかという意見を述べた。するとシルバーバーチが――

「知識が増えるにつれて責任も大きくなることをわたしが繰り返し説いてきたことはご存知でしょう。霊的知識を手にすれば、その時点からその活用の仕方に責任が付加されます。その知識の分だけ生活水準が高まらないといけません。高まらなかったら、その代償を支払わされます。ごまかしは利きません。知識を授かったからには、言い逃れは許されません。宇宙の機構がわかり、生命の秘密が明かされたからには、隣人に対して、世の中に対して、そして自分自身に対して、より大きな責任を付加されたことを自覚しないといけません。生活が豊かとなり、神聖さを増し、人のために役立ちたいという願望が内部で燃えさからないといけません。

もしもそうならなかったら、その知識はその人のものになり切っていないことを意味します。素通りしていっただけだったことになります。知識がそこにあることを知りつつそれを活用することができないでいると、それによって逆にその人の霊性が弱められ、害をこうむることになりかねません。

大霊の摂理はごまかせません。たとえ高等そうな理屈を並べてもダメです。皆さんがスピリチュアリズムと呼んでいる霊的知識は、この宇宙という生命機構の中で人類がどういう位置を占めているかを自覚させてくれます。もしそれが正しく自覚できなかったら、その人はせっかくの教訓を学ばなかったことになり、その代償を支払わされることになります。それを真理のせいにしてはいけません。自分が悪いのです。たとえ自分を素通りしたにすぎなくても、真理は真理です。真理は理屈で歪(ま)げられるものではありません。真理は真理であるがゆえに真理なのです」

続いてオースティンはバーサ・ハーストという霊媒による交霊会に出席した時と同じ質問をした。それは、人間と守護霊とは何を原理として結びつくのかというもので、バーサ・ハーストの指導霊は正直に、その問題については勉強していないと述べて答えなかったという。が、シルバーバーチは間髪を入れずにこう答えた。

「それは霊的親和性(アフィニティ)による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもありますが、大部分は血縁はありません。霊的親類(※)どうしの親和力を縁として、相互間に利益のある二つの霊が結びつけば、そこに引力が生じて守護霊ないし指導霊――どう呼ばれても結構です――が影響を行使できるようになります。霊的親和力が強ければ強いほど結びつきも緊密なものとなります」

――日本でいう“産土(うぶすな)神”(氏神)を中心霊として、おびただしい数の霊が大集団、いわば霊的家族を構成している。女性霊媒のジェラルディン・カミンズを通じて学究的な自動書記通信を送ってきているフレデリック・マイヤースはこれを“類魂(グループソウル)”と呼んでいるが、シルバーバーチはある日の交霊会で「あなたのいう霊的親類というのはマイヤースのいう類魂のことですか」と問われて「まったく同じものです」と答えている。

さらにオースティンは、シルバーバーチが“意識”についての答えの中で“個的意識は物質界へ誕生するまでは存在しない”と述べたことに言及して、意識のない霊がどうやって霊的関係を作り出すことができるのかを尋ねた。この質問にシルバーバーチは――

「地上の言語ではとても説明しにくいことなのですが、受胎の瞬間に両者の間にいわく言い難い絆が生じるのです。ご存知のように、母胎の中で精子と卵子とが結合すると、そこに身体の元になるものが出来あがりますが、その目に見えないほど小さなものの中に、その後の成長とともに発現されていく資質のすべてが宿されているわけです。それと同じで、霊の内部にそのあと発現されていく霊的資質のすべてがミニチュアの形で宿されているのです」

「ということは、われわれ人間の進化はすでに一定の進行方向というものが決められている――ただし、自由意志によってそのスピードを速めたり遅らせたりすることはできる、ということでしょうか」

「いくつかの要素はあらかじめ決まっています。霊の宿る身体の“体質”がありますし、その身体に宿る霊の“霊質”があります。“新しい霊”の場合でも“再生してくる霊”の場合でも、身体への霊の浸入にはそれを支配する法則があり、それが大きく霊の発現を決定づけます。何もかもあらかじめ決められていると受け取っていただいては困るのですが、法則というものによって営まれている世界である以上、人間的生命も法則に従わざるを得ません。いろいろとバリエーション(変化・変形)はありますが、おおよそのことは決まっていないといけません。

進化の速度は本質的には当人の自由意志にかかっていますが、地上生活にはおのずと限界というものがあります。チャンスの活用次第とはいえ、各自に能力的な限界があります。しょせん完全は望めないところにその宿命的な限界があります。

霊には高級霊にのみわかる特質があり、守護霊の任命はその特性を考慮して、両者の進化にとっての利益の共通性を主眼として行われます」

「やはり守護霊も他の誰かによって任命されるもので、守護霊自身が人間を選ぶわけではないということですか」

「その通りです。必ず任命によって行われます。こちらの世界にはこちらなりの法則があり、それは地上よりはるかに厳格です。守護霊と人間との関係がうまく行くのは、当初において霊の資質のすべてが知れているからです。学校と同じです。学校長はあずかった生徒の潜在的特質を知りつくし、教師の才能を知りつくせば、どの生徒はどの教師のクラスが適切であるかが適確に判断できます。

不幸にして地上ではそうした要素のすべてが知れるとは限らないというだけです。が、こちらの世界ではすべてが知れるのです」

祈り

皆さんとともに生命の大霊の祝福を祈願いたしましょう。

ああ、真白き大霊よ。

宇宙の森羅万象があなたへの賛歌を奏でております。あなたの法則があらゆる生命現象を支え、律動の一つひとつがあなたの表現なのでございます。

ああ、大霊よ。

あなたは全生命の中心にあらせられます。それは霊の世界の最高の界層においても、物質の世界の最低の界層においても、少しも違いはございませぬ。あなたはすべてを包摂したまいます。あなたの叡智がすべてを支配しているからでございます。

あなたはいつの時代にもあなたの愛と叡智と知識の使者を物質の世界へ送り込まれてきました。あなたの霊の生きた証(あかし)として、あなたの真理の光を人間の心の暗闇に届け、全人類をあなたの無限なる叡智と愛の輝きによって啓蒙するためでございます。

ああ、大霊よ。

あなたはこの度ふたたび地上の子等にあなたとあなたの摂理についての知識を届けんがために、わたしどもをあなたの使者として遣わされました。それによって彼らがあなたとのつながりを理解し、そこから彼ら自身ならびに、あなたが彼らを物質の世界に誕生せしめた目的を理解しはじめることになればとの配慮からでございます。

わたしたちは、地上にあってあなたの霊的な働きかけに敏感に反応し、その目、その耳、その精神、その心、その魂がより大きな生命の波長に順応し、わたしたちを通じて届けられるあなたのメッセージを素直に受け入れてくれる人たちとの交わりを今こうして得ていることを、あなたに深く感謝申し上げます。