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8章 絶望してはなりません

今から半世紀もさかのぼる一九三六年に、時の英国王エドワード八世が二度の離婚歴をもつ米国人女性ウォリス・シンプソンとの結婚のため王位を放棄することを宣言して、英国全土が危機的な事態に陥った。近代になって英国の君主制がこれほどの試練と動乱に遭遇したことはかつて無かった。

その話題は当然のことながらハンネン・スワッハー・ホームサークルにおいても持ち出された。意見を求められてシルバーバーチが述べた。

「大変困難な事態が続きましたが、今やっと収拾へ向かいはじめました。この度の事件には学ぶべき大きな教訓があることを申し上げたいと思います。

いかなる事態にあっても、永遠なるもの、霊的なものから目を逸らしてはなりません。この場合もあまり英国の王政や王権にこだわった考え方ではなく、神の統治する国ということを念頭に置いた考え方をしなくてはいけません。地上世界はまだまだそれからは程遠いのです。

しょせんは一個の人間にすぎない者に過度の崇敬を向けてはなりません。宇宙にはたった一人の王、全生命の王しか存在しないことを忘れないでください。その王の御国においてはすべての住民が等しく愛され、豊かな恩寵が欲しいだけ分け与えられるのです。

王室の華麗さに魅惑されて肝心な永遠の実在から目を逸らしてはなりません。他方には悲劇と暗黒の中にいる人、その日の食べものにも事欠く人、太陽の光も届かない場所で生活している人――要するに大霊が用意された恩恵に十分に浴せない人たちがいることを忘れてはなりません。

王室一個の問題よりもっと大きな仕事、もっと大きな問題へ関心を向けてください。涙ながらに苦境を訴えている一般庶民のことを忘れてはなりません。その痛み、その苦しみ、その悲しみは、王室一個の難事よりもはるかに、はるかに大きいのです」

ここで司会のハンネン・スワッハーが「私がサイキックニューズ紙に発表した論評は読者から指摘されている通り辛辣(らつ)すぎたでしょうか」と尋ねた。スワッハーの記事を読んですぐに抗議の手紙を寄せた人が何人かいたのである。そのうちの一人は“これほど薄情な意見を読んだことがない”と書き、もう一人は“非紳士的で男らしくなく、度量に欠け、しかも非キリスト教的である”と決めつけていたのである。するとシルバーバーチが答えた。

「そんなことはありません。真実を述べれば、それは必ずや人の心に訴えるものです。時には迷信と偏見による抵抗にあうことはあっても、そうした壁はそのうち崩れていきます。あなたの論評は昔だったらとても公表できなかったでしょう。しかし今あなたは現実に公表しました。

もとより、反論する人はいるでしょう。しかし、その数は取るに足りません。そういう人はまだ精神構造の中に古い伝統的な概念がしつこく残っている人たちです。論理と分別心とで判断できない人です。あなたはそういう人に自然の摂理の存在を教えたことになります。その摂理こそ、唯一、大切なものです。

感情的ないちずさから胸をたぎらせても、その熱が冷めると否応(いやおう)なしに現実に直面せざるを得なくなります。そこに地上でのあなた方の役割があるのです。すなわち、幻影のベールを剥ぎ取り実相を明らかにするのです。中には真理の光のまばゆさに耐えきれない人もいます。しかし構うことはありません。そういう人はまだそれを受け入れる用意ができていないということなのですから。

真理がすべてに優先します。真理が近づくと無知は逃げ去ります。いつかは必ずわれわれが優位を占めるのは、われわれの主張が真実だからこそです。もとより“われわれが優位を……”と言っても、“道具”であるわたしや皆さんのことを言っているのではありません。われわれが道具となって代弁しているもの、すなわち大霊の愛の大きさ、大霊の恩寵の無限性、全人類に分け隔てなく配剤されている愛と叡智と知識のことです。

そうした大霊の顕現を妨げるものはすべて排除しなければなりません。人工の教義への隷属状態はすべて解きほぐさないといけません。あらゆる障害物を取り除かないといけません。それが、皆さんとともにわたしたちが携わっている仕事なのです。

わたしは自分がこれまでに学んできたものの中から実に素朴なものを幾つか述べているだけです。たとえそれが何でもない人間生活の基本的原則のおさらいをさせるに過ぎなくても、やはりそれが何より大切であると確信するからです。

日常の仕事にあくせくとし、次から次へと生じるゴタゴタに係わっていると、皆さんもうっかりすると人生の基本である永遠の霊的原理を忘れがちです。そこでわたしが改めてそれを認識させてあげれば、皆さんはぼやけた焦点を回復し調和を取りもどして、一段と大きな奉仕に励むことができるわけです。

地上世界はまだまだ学ばねばならないことが沢山あります。が、皆さんの義務が大きいだけ、それだけ多くの犠牲を強いられることになります。手にされた知識が大きいだけに、責任もそれだけ大きくなります。しょせん代価なしには何も手に入れることはできません。支払うべき代価というものがあるのです」

その日から一ヵ月さかのぼった一九三六年十一月初旬に、シルバーバーチが第一次大戦の休戦記念日(十一月十一日)の恒例となっているメッセージを述べた。そのメッセージと、さらに一年のちのメッセージとを紹介し、その内容についての一問一答を併せて紹介して参考に供したい。

「あと数日もすれば英国全体の思いが戦争で物的身体を犠牲にした大勢の人々に注がれますが、この時に当ってわたしから皆さんに申し上げたいことがあります。それは、その日は数知れない大霊の子が今なお為政者によって裏切られ続けていることを思い起こさせる日でもあるということです。

彼らの犠牲が結局は無駄になっているということです。この聖なる日を迎えるたびに皆さんの一人ひとりが、地上に平和と調和と幸せを招来する道はいたって単純な原理をいくつか実行すればよいことを思い起こすことが大切です。

つまり地上世界は何かにつけて貪欲と利己主義が優先しているから戦争と貧困、飢餓と悲劇、災難と混乱が絶えないのです。せっかく届けられた大霊からのメッセージもそのうち忘れ去られ、無視されます。本来なら率先して説かねばならない立場にある聖職者すらそれを無視するようになります。そのくせ困ると神に祈ります。

一時的に権力を握ったところで、そんなものは霊的実在の前では物の数ではありません。霊的なことを口にすると一笑に付す人がいますが、地上のトラブルの解決法は、すべての人間が善意の精神で霊的真理を物的問題に適用するようにならないかぎり見出せません。

現在の地上の状態は休戦が宣告された時(一九一八年)よりも更に凶事に近づいております。実に深刻で恐ろしい事態に近づきつつあります。流血の争い、大規模な流血へ向けて一目散に突っ走っております。

わたしには確信があるからこそ、厳粛な気持でそう申し上げるのです。未然に防ぐ可能性がまったく無いわけではありません。しかし、それはお互いがお互いのためを願う人たちみんなの努力――オレがという思い上がった気持は別です――それが貪欲と利己主義の勢力に打ち勝った時でしかありません。

戦争から平和は生まれません。悲劇から幸福は生まれません。悲哀の涙から愉(たの)しい笑いは生まれません。地上にはすべての人に行きわたるだけのものが用意されているのです。しかし、そこに貪欲が立ちはだかります。剣にて支配せんとする者は剣にて滅びます。それは今でも同じです。

しかし、真っ暗い闇の中にも一条(すじ)の希望の光が見えております。絶望してはなりません。皆さんはこれぞ真理と確信するものにしがみつくことです」

それから一年後の“休戦記念メッセージ”でシルバーバーチは、スペインの内乱(一九三六〜三九)に言及した。それというのも実はバーバネルが夫人とともにたまたまスペインへ行っていてその内乱に巻き込まれ、兵士によってフランス国境まで護送されるというハプニングがあったのである。シルバーバーチは語る――

「毎年この日を迎えるごとに、戦争による犠牲の空しさを痛感させられます。あなた方はたった二分間を“英霊”のために捧げて黙祷して、そのあと一年間は忘れております。そして一年後にまた棚から下ろしてホコリをはたくということを繰り返しております。

戦死者の犠牲はまったく無意味でした。言うなれば、これまでの十九年間ずっと磔刑(はりつけ)にされ続けているようなものです。“大いなる戦い”(※)などとおっしゃいますが、その“大”とは殺りくの量、無益な殺人の多さでしかありません。“すべての戦争を終わらせるための大いなる戦い!”(第一次大戦はそれを大義名分として戦った)――なんと空虚な、なんと都合のよい言葉でしょう!

皆さんは地上にあって可能なかぎりの犠牲、時には生命を捨てることも辞さなかった人たちが死後ずっと幻滅の時を過ごしてきていることに思いを馳せたことがありますか。彼らは地上生活での青春の真っ盛りに生命を断たれたのです。まだ霊界の生活に十分な備えができていないうちに送り込まれたのです。もとより文明を守るという一つの理想に燃えて喜んで死んでいったのですが、それがずっと裏切られ続けているのです。

今もって地上から戦争は無くなっておりません。たとえ前回の戦争の“戦死者”に称賛の手向(たむ)けをしても、東洋においても、今またスペインにおいても戦乱の止む時がなく、これからも二分間の休みもなく、殺し合いが続くことでしょう。

真の平和は物的な問題に霊的摂理を適用するようにならないかぎり訪れないということが、なぜ地上の人には解らないのでしょうか。戦争、そしてその結果としての流血と悲劇と涙、さらには混乱と騒乱と災禍と破綻の原因は、元はといえば利己主義にあるのです。

その利己主義を互助の精神と置き替えてはじめて平和が到来すること、物量主義と権力を第一に考える古い概念と国威発揚の野望を捨て、それに代わってお互いが助け合って生きようとする精神――強い者が弱い者を助け、余るほど持っている人が足らない人に分けてあげるという関係にならなくてはいけません。

これ以外の方法はすべて試みられ、そして失敗に終わっています。霊的真理の適用という方法のみがまだ試みられておりません。それが実行されないかぎり地上には戦争と流血は跡を絶たず、それは最終的には、地上人類が誇りとしている文明を破壊してしまうことになるでしょう」

――英語では第一次および第二次世界大戦のことを文字どおりWorld War ⅠWorld War Ⅱと呼ぶのが一般的であるが、第一次大戦だけを Great War“大いなる戦い”と呼ぶことがある。これは、このあとに出ている“すべての戦争を終わらせるための大いなる戦い”という大義名分から自然にそう呼ばれるようになったのであろう。

「文明とは何かについてお話いただけませんか」

「一方に天賦の資質としての自由意志があり、これを正しく使用しないと代償を支払わされます。そして他方には、従わねばならない摂理というものがあります。摂理にのっとった生き方をしていれば恩恵という形での収穫があります。逆らった生き方をすれば、それ相当の結果を刈り取らねばなりません。一方は平和と幸福と豊かさをもたらし、他方には悲劇と争いと流血と混とんをもたらします。

わたしたちは、本来ならばその人たちこそ大霊の子を導くべきである立場の人たちから軽蔑されております。大霊の御名とその愛をたずさえて来ているのですから本当は歓迎してくれるべきなのですが、なぜか嫌われております。そうした中にあっても、わたしたちは地上人類のためを思う一心から、自らの力で地上を救う方法を教えてくれるものとして、その摂理と霊力の存在を説き明かそうと努力しているのです。

霊的な無知に浸りきり、まわりを儀式と祭礼で固め、しかも今現在でも大霊の力(聖霊)が降りることを否定している人たちは、いつかはその代償を支払わねばならなくなります。

わたしたちは人のために役立ちたいと願う人たちにとっては味方であり、伝統的な規範に合わないものはすべて破壊せんとする人たちにとっては大敵です。わたしたちは愛と奉仕の翼にのって地上へ舞い下り、いつどこでもお役に立つ用意ができております。それがわたしたちに課せられた大きな仕事なのです。

地上人類は古い伝統を、ただ古くからあるものというだけで大事にしすぎます。真理と時代とは必ずしも手を取り合って進むものではありません。幼児の頃から教え込まれた大事な信仰を捨て去ることの難しさは、わたしにもよく解ります。しかし、魂は理性が拒否するものをすべて捨て去ってはじめて自由になれるのです。それを潔く実行できる人が果たして何人いることでしょう」

「信仰を理性で検証するなどということは思いも寄らない人が多いのではないでしょうか」

「まったくその通りです。危険をはらんだ未知の世界へ踏み込むよりも、勝手を知った隠れ家にじっとしている方が良いというわけです。そして、もう一つ忘れてならないのは、地上では先覚者はあまり歓迎されないのです。大てい非難を浴びております」

「あなたは“霊的計画”をよく口にされますが、私たちには一向にそれらしき成果は見えないのですが……

「物質の目でごらんになっているから見えないのです。皆さんは短い地上人生を尺度として進歩ぐあいを計っておられますが、わたしたちは別の次元から見つめております。

わたしたちの目には霊的知識の普及、霊的真理の理解の深まり、寛容精神の盛り上がり、善意の増大、無知と迷信と恐怖心と霊的隷属状態という障壁の崩壊が見えております。

瞠目(どうもく)するような急激な変革を期待してはいけません。そういうことは絶対に有りえないのです。霊的成長はゆっくりとした歩みの中で得られるものだからです。

絶望すべき要素はどこにも見当りません。もっとも、強まる一方の物量第一主義の風潮を見ていると絶望したくもなるでしょう。が、他方には霊的真理の光が物的利己主義のモヤを突き抜けていくにつれて、希望もまた強まりつつあります。知識が広がり続けるかぎり、勝利はきっと真理の上に輝きます。

だからこそ、こうした席でのメッセージが大切なのです。わたしたちにとって大切なのではありません。皆さんにとって大切なのです。わたしたちはただ、このまま放置しておくと地上世界はその利己主義、野蛮ともいうべき無知、そして故意の残虐行為の代償を支払わされる大変な事態になることを知っていただきたいと思って、こうして頑張っているのです。ひたすら皆さんのためを思っているのです。援助したいのです。なぜなら、わたしたちには無私の愛があるからです。

わたしたちは地上人類を破滅の道へ誘い込もうとしている悪霊の集団ではありません。人間の尊厳を傷つけたり、無慈悲なことや罪なことを言うようなことは致しません。それどころか、皆さんの内部に潜在する神性、大霊の力を認識していただき、互助の精神を実行して大霊の計画の推進に協力してほしいと願っているのです」

「これまでの文明を破壊してしまうという考えはいかがでしょうか」

「たとえ悪い面はあっても、現代の文明を引き継ぐ方がはるかに賢明です」

「こうまでおかしくなってしまった以上、いっそのこと破壊して一からやり直した方がよいとは思われませんか」

「思いません。なぜなら、今や霊的真理の光が世界中に浸透しつつあるからです。霊力が浸透する通路があるかぎり、その世界が存在し続けるためのエネルギーが届けられます。何事も霊の貯蔵庫があるからこそ存在していることを知らないといけません」

別のメンバーが、この前の戦争で戦死した人たちの犠牲がすべて無駄に終わったというのは少し酷ではないか――それを聞いて心を傷める人もいるのでは、といった主旨のことを述べた。するとシルバーバーチが――

「純粋無垢の真理は時として苦(にが)く、また心を傷つけることがあるものです。しかし、あくまでも真実なのですから、いずれは良い結果を生みます」

「その犠牲からほんとに何一つ良い事は生まれなかったのでしょうか」

「わたしには何一つ見出せません。地上世界は“大いなる戦い”が始まった時よりもさらに混とんへ近づき、破滅的様相を呈しております」

「あれほどの英雄的行為が無駄に終わるということが有りうるのでしょうか。霊的な反響は無いのでしょうか」

「犠牲になった兵士の一人ひとりにはそれなりの報いがあります。動機が純粋だったからです。しかし忘れてならないのは、地上世界全体としては彼らを裏切っていることです。犠牲が何一つ報われていないということです。相も変わらず物質第一主義がはびこっております」

「こうした休戦記念行事を毎年催すことは意義がありますでしょうか」

「たとえ二分間でも思い出してあげることは何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火、そのほか戦争と結びついたもので軍事力を誇示することによって祝って、いったい何になるのかと言いたいわけです。なぜ霊的な行事で祝えないのでしょうか」

別のメンバーが――

「スピリチュアリズム的な行事を催すことには賛成ですか」

「真実が述べられるところには必ず徳が生まれます。もちろんそれが奉仕的精神を鼓舞するものであればのことです。大見得を切った演説からは何も生まれません。またそれを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかの気分に浸るだけではいけません。

わたしは“行為”を要求しているのです。人に役立つことをしてほしいのです。弱者を元気づけることをしてほしいのです。病気の人を癒してあげてほしいのです。喪の悲しみの中にいる人を慰めてあげてほしいのです。住む家もない人に宿を貸してあげてほしいのです。地上世界の恥ともいうべき動物への虐待行為を止めさせてほしいのです。

平和は互助の精神からしか生まれません。すべての人が奉仕的精神を抱くようになるまでは、そしてそれを実行するようになるまでは、平和は訪れません」

不戦主義、すなわち参戦を拒否する一派の運動をどう思うかと問われて――

「わたしはいかなる派にも与(くみ)しません。わたしにはラベルというものがないのです。わたしの眼中には人のために役立つ行為と動機しかありません。お題目に眩惑されてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意の人と善意の人がいるからです。わたしが述べる教えはいたって簡単なことばかりですが、それを実行に移すには勇気がいります。

霊的知識と霊的摂理を知ることによって断固とした決意をもつに至った時、そして日常生活のあらゆる分野で私利私欲を無くし互助の精神で臨むようになった時、地上に平和と和合が訪れます。

それは一宗一派の主義・主張から生まれるのではありません。大霊の子のすべてが霊的真理を理解してそれを日常生活に、政策に、経営に、政治に、そして国際問題に適用していくことから生まれるのです。

わたしはこれこそ真実であると確信した宇宙の原理・原則を説きます。だからこそ、これを実行に移せばきっとうまく行きますということを自信をもって申し上げられるわけです。皆さんは物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さんに責務があります。わたしたちはただ誠意をもってご指導し、皆さんが正しい道から外れないように協力してあげることしかできません。

地上には古いしきたりから抜け出せない人が大勢います。それが宗教的なものである場合もありますし、政治的なものである場合もありますし、自分の想像力でこしらえた小さな精神的牢獄である場合もあります。

魂は常に自由でないといけません。自らを牢の中に閉じ込めてはいけません。まわりに垣根を張りめぐらして、新しいものを受け入れなくなってはいけません。真理は絶え間なく探求していくべきものです。その境界は限りなく広がっていきます。魂が進化するにつれて精神がそれに呼応していくからです」

「その魂の自由はどうすれば得られるのでしょうか」

「完全な自由というものは得られません。自由の度合は魂の成長度に呼応するものだからです。知識にも真理にも叡智にも成長にも限界というものがないことを悟れば、それだけ自由の度合が大きくなったことになります。心の中で間違いだと気づいたもの、理性が拒否するもの、知性が反発するものを潔(いさぎよ)く捨てることができれば、それだけ多くの自由を獲得したことになります。新しい光に照らして間違いであることが判ったものを恐れることなく捨てることができたら、それだけ自由になったことになります。それがお出来になる方が果たして何人いることでしょう」

そう言われてメンバーの一人が、経済的な事情からそれが叶えられない人もいるのではないでしょうかという意見を出すと――

「それは違います。経済的事情は物的身体を束縛することはあっても、魂まで束縛することはできません。束縛しているのは経済的事情ではなくして、その人自身の精神です。その束縛から解放されるための叡智は、受け入れる用意さえあればいつでも得られるようになっております。しかしそれを手に入れるための旅は自分一人で出かけるしかないのです。

果てしない旅となることを覚悟しなければなりません。恐怖や危険も覚悟しなくてはなりません。道なき道を行くことになることも覚悟しなければなりません。しかも真理の導くところならどこへでも付いて行き、間違っていることは、それがいかに古くから大事にされているものであっても、潔く拒絶する用意ができていなければなりません」

祈り

ああ、真白き大霊よ。

あなたの愛の崇厳さ、あなたの叡智の無限性、あなたの真理とインスピレーションの豪華さはどう表現すればよろしいのでしょうか。あなたは全生命の大法則――宇宙に展開する大パノラマの中に顕現している極大の生命も、想像を絶する極微の生命も包摂する大摂理にあらせられます。

あなたの摂理は生命のあらゆる現象を通して絶対的に支配しております。摂理としてすべての存在の中に表現されており、何一つとしてあなたを離れては存在し得ぬのでございます。昇っては沈む太陽の美しさの中に、淡い月の光の中に、夜空に輝く星の光の中に、小鳥のさえずりの中に、風にそよぐ花や松の梢(こずえ)に、小川のせせらぎに、そして寄せては返す大海のうねりの中にあなたが存在したまうのでございます。

又あなたは稲妻の中にも雷鳴の中にもいらっしゃいます。上にも下にも内にも外にもいらっしゃいます。あなたは生命の大霊にあらせられ、すべての愛、すべての力、すべての現象があなたに包摂されているのでございます。

さて、あなたの道具としてあなたからのメッセージを託されたわたしたちは、今なお肉の宮に閉じ込められている子等があなたの霊性の領域を見出し、彼らもあなたの霊の一部にほかならぬこと、彼らの一人ひとりにあなたの分霊が吹き込まれている事実を認識せしむべく、あなたの真実の姿を説き明かしたく存じます。

ああ、大霊よ。

暗闇と混とん、不信と嫉妬心、猜疑心と争いに満ちたこの地上にあって、わたしたちは、あなたの啓示の水門が開かれて霊の威力が、あなたのメッセージを地上の全民族へもたらさんとしている善意と愛に満ちた同志に届けられ、人類が一国の利害を超えてお互いのために生きそして地上にあなたの御国を実現する、その理想へ一歩でも近づいてくれることを祈るものです。

願わくばあなたのインスピレーションを受ける通路(チャンネル)(霊媒・霊覚者)が俗信に捉われず俗物に汚されることなく、彼らを通じてあなたのメッセージがふんだんに流入して、ますます多くの子等があなたの真理のイルミネーションの中へ導かれんことを。

また願わくば子等が自分を包む霊力の何たるかをますます認識することになりますように。

願わくば子等が、これまでも彼らにインスピレーションと導きを授け、人に役立つ道を歩ませてきたあなたの強大なる威力(背後霊)の存在に気づき、内在するあなたの霊性を存分に発揮することになりますように。