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1章 死ぬことは悲劇ではありません

人間は、この世にあっていつかは“死”の現実に直面せざるを得ない。それは、愛する人であるかも知れないし、親友であるかも知れない。近所の人であるかも知れないし、同僚や知人であるかも知れない。

中には、気の毒にもそれが身も心も打ち砕くほどの悲劇的体験となる人もいる。そしてその悲しみの淵から抜け出るのに何か月も、時には何年も、掛かることがある。

その観点からすると、人間が例外なく“死”を超えて生き続けるという事実について確固たる証拠に基づく信仰と内的確信をもつスピリチュアリストは、何と恵まれていることであろう。

シルバーバーチは語る――

「死ぬことは悲劇ではありません。今日のような地上世界に生き続けねばならないことこそ悲劇です。利己主義と貪欲と強欲の雑草で足の踏み場もなくなっている大霊(神)の庭に生き続けることこそ悲劇というべきです。

“死ぬ”ということは物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊(真の自我)が自由を獲得することです。苦しみから解放され真の自我に目覚めることが悲劇でしょうか。豪華けんらんの色彩の世界を目のあたりにし、地上のいかなる楽器によっても出すことのできない妙なる音楽を聴くことが悲劇なのでしょうか。

地上で存分な創造活動ができなかった天才が、その潜在する才能を発揮する機会を得るのが悲劇なのでしょうか。利己主義もなく貪欲もない世界、魂の成長を妨げる金銭欲もない世界に生きることが悲劇でしょうか。あなたはそれを悲劇と呼ぶのでしょうか。一切の苦痛から解放された身体に宿り、一瞬の間に地上世界をひとめぐりでき、しかも霊的生活の醍醐味を味わえるようになることを、あなたは悲劇とお呼びになるのですか」

ある日の交霊会でシルバーバーチは、その日の出席者に睡眠中のことに言及して、人間は地上にいる時からしばしば霊界を訪れている話をして――

「そうでないと、いよいよこちらへ来て本当の意味での“生きる活動”を開始すべき霊にとって、霊界の環境がショックを与えることになりかねないのです」

「では、私たちが死んでそちらへ行くと、地上で睡眠中に訪れた時の体験をみな思い出すのでしょうか」

「もちろんです。なぜかと言えば、その時点であなたは肉体の制約から解放されて、睡眠中にほぐされていた霊的意識を発揮できるようになっているからです。その新たな自我の表現活動の中で睡眠中の全記憶、睡眠中の全体験の記憶が甦ってきます」

では、死後下層界へ赴かざるを得なくなった霊の場合はどうなるか、という質問が出された。つまり、そういう人もやはり地上時代の睡眠中の体験――たぶんやはり下層界での体験――を思い出し、それが下層界へ行ってからの反省にプラスになるのかという問いである。シルバーバーチが答える。

「死後下層界へ引かれていく人は睡眠中の訪問先もやはり下層界ですが、そこでの体験は死後の身の上の反省材料とはなりません。なぜなら、死後に置かれる環境はあい変わらず物質界とよく似ているからです。死後の世界は下層界ほど地上とよく似ております。波長が同じように物的だからです。高い界層になるほど波長が精妙になってまいります」

「地上にいる間でも睡眠中の体験を思い出すものでしょうか」――時おりおぼろげながらそれらしきものを思い出すという列席者が尋ねた。

「あなたの霊がその身体から離れると、脳という地上生活のための意識の中枢から解放されます。するとあなたの意識はこちらの世界の波長――といっても進化の程度による個人差がありますが――での体験をするようになり、体験している間はそれを意識しております。

が、朝その身体にもどり、その霊的体験を思い出そうとしても、思い出せません。なぜかと言えば、霊による意識の方が脳による意識より大きいからです。小は大を収容することができず、そこに歪みが生じるのです。それは例えば小さな袋にたくさんの物をぎゅうぎゅう詰めにするようなものです。ある程度までは入っても、それ以上のものを無理して入れようとすると形が歪んでしまいます。それと同じことが肉体にもどった時に生じているのです。

しかし、魂が進化してある一定以上のレベルの霊的意識が芽生えた人は、霊界での体験を意識できます。そうなると脳にもそれを意識するように訓練することができます。

実はわたしはここにおいでの皆さん全員に霊界でお会いしており、地上にもどったらこのことを思い出してくださいよ、とお願いしているのですが、どうも思い出していただけないようですね。お一人お一人と語り合い、またいろんな場所へご案内してあげているのですよ。ですが、たとえ今は思い出せなくても、何一つ無駄にはなりません」

「その体験の記憶が死後に役立つということでしょうか」

「その通りです。何一つ無駄にはなりません。摂理はうまくできているものです。霊界へ来て永い永い体験を積んだわたしたちは、摂理の完ぺきさにただただ感嘆するばかりなのです。地上でのホンのわずかな体験で宇宙の大霊にケチをつける人間を見ていると、情けなくなります。知らない人間ほど自分を顕示したがるものです」

続いて出された質問は、そうした睡眠中の体験はただ単に死後への準備なのか、それとも為すべき仕事があってそれに従事しに行く人もいるのか、というものだった。

シルバーバーチが答える――

「仕事をしに来る人もいます。睡眠状態において背後霊団の仕事にとって役立つ人がいるのです。(たとえば暗黒界へ降りて幽体で霊媒の役をすることがある)しかし、ふつうは死後への準備です。物質界での生活のあとから始まる仕事にとって役に立つような勉強をするために、あちらこちらへ連れて行かれているのです。そうしておかないと、いきなり次元の異なる生活形態の場へ来た時のショックが大きくて、その回復に相当な時間を要することになります。

そういうわけで、あらかじめ霊的知識をたずさえておけば、死後への適応がラクにできるのです。何も知らない人は適応力がつくまでに長期間の睡眠と休息が必要となります。知識があればすんなりと霊界入りして、しかも意識がしっかりとしています。要するに死後の目覚めは暗い部屋から太陽のさんさんと照る戸外へ出た時と似ていると思えばよろしい。光のまぶしさに慣れる必要があるわけです。

霊的なことを何も知らない人は死という過渡的現象の期間が長びいて、なかなか意識がもどりません。さしずめ地上の赤ん坊のような状態です。ハイハイしながらの行動しかできません。睡眠中に訪れた時の記憶は一応思い出すのですが、それがちょうど夢を思い出すのと同じように、おぼろげなのです。

良い心がけが無駄に終わることは、地上においてもこちらの世界においても、絶対にありません。そのことを常に念頭に置いておいてください。真心から出た思念、行為、人のためという願いは、いつか、どこかで、だれかの役に立ちます。そうした願いのあるところには必ず霊界から援助の手が差し向けられるからです。

地上は今やまったくの暗闇におおわれています。迷信と間違いと無知のモヤが立ちこめております。大霊の意志が届けられる道具はごくわずかしかいません。予言者の声は荒野に呼ばわる声のごとく、だれも聞いてくれる人がいません。洞察力に富む彼らの開かれた未来像はかき消され、聖なる道具(霊媒)は追い出され、聖職者の悪知恵と既得の権力が生ける神の声と取って代わってしまいました。

物質万能主義がその高慢な頭をもたげ、霊的真理をことごとく否定しました。その説くところは実に意気軒昂でしたが、それがもたらした結果は無益な流血・悲劇・怨恨・倦怠・心の病・絶望・惨めさ・混沌・混乱を伴った世界規模の大惨事でしかありませんでした。

しかし、大霊の声をいつまでも押し黙らせておくことはできません。霊的真理が今ふたたび宣戦を布告しました。その目的とするところは狂える世界に正気を取りもどさせることです」

その目的をさらに説明して――

「わたしたちは惨めさと取り越し苦労と自暴自棄の念を地上から追い払おうと努めているのです。それに代わって素朴な真理と理性の光、神からのインスピレーションと啓示、あまりにも永いあいだ押しつぶされ、もみ消され、抑え込まれてきた霊の叡智をもたらすべく努力しているのです。

わたしたちは人間の霊性を正しい視野のもとに置いて、霊的能力を引き出させ、幼稚な物質中心思想の間違いを暴いて、それに永遠の別れを告げさせたいと願っているのです。

わたしたちは既得の権力というものは国家であろうと教会であろうと、民族であろうと階級であろうと一宗一派であろうと、そのすべてに反抗してまいります。すべての人間に自由を――崇高にして深淵、そして純粋な意味における自由をもたらしてあげたいのです。

わたしたちは又、死にまつわる取り越し苦労と恐怖心をなくし、それが永遠の生命の機構の中でそれなりの役割を果たしていることを理解させてあげたいのです。

さらには物質界と霊界との自然なつながりの障害となるものを排除して、人間は本来が霊であることを理解させ、その理解のもとに真の自我を自覚してくれることを望んでいるのです。そうなることによって内部に宿る神性が目を覚まし、神の意志が子等のすべてを通して発現することになってほしいのです」

そう述べてから、今度はその目的のために地上で協力してくれている世界中のスピリチュアリストに向けて――

「皆さん方は新時代の先駆者です。先駆者ゆえの苦難は覚悟しなければなりません。が、掛けがえのない遺産を後世に残すことになります。

いつどこにいても人のため、世の中のため、人類のためを心がけるのです。自分を忘れるのです。ケチくさい打算の世界に超然としておれるようでないといけません。授かった能力を最大限に発揮して人のために役立てるのです。

わたしたちが公言している目的、わたしたち霊団の使命については、そのうちなるほどと得心していただけるものをお届けします。皆さんと血縁のあった人たち、他界した愛する人々が今こちらの世界で勢揃いして、わたしたちとともに真理の普及に心を砕いている事実を立証してさしあげます。

その方たちの背後にわたしたちが控え、そのわたしたちの背後には全人類・全民族が一丸となった高級霊団の一大組織が控え、魂の自由のために皆さんを援助し、惜しみなく尽力してくださっているのです。

そして、その全組織の背後には宇宙最大の力、全生命の大源、創造主、王の中の王、あなた方が神と呼んでおられる大霊(グレイトスピリット)が控えているのです」

イエス・キリストの降誕と復活を祝うクリスマスとイースターの季節には霊界でも最高級霊(地球神界の八百万(やおよろず)の神々)による大集会が開かれるという。それに欠かさず出席しているシルバーバーチは、ある年のイースターにその話を持ち出したあと、こう語った――

「その集会で積み重ねられる審議と討議、すっかり狂ってしまった病める地上世界を破滅から救うための努力を通して、わたしたちは地上の人間が真の自我を見出し、自らこしらえた問題を自らの力で解決していくための真理と自由と素朴さと叡智の道をお教えしようと腐心しているのです。一つの共通の目的のために善意の同志が一致協力することによって、今からでも得られる平和を手にしていただきたいのです。

いかなる困難の中にあっても、わたしたちは決してたじろぎません。わたしたちは常に楽観主義を強調し、大霊に守られている事実を申し上げています。目的は大霊の道具としてお役に立つことです。その大霊は絶対的存在なのですから、わたしたちの仕事が挫折することは有りえないのです。

人類がこの地上に誕生するはるかはるか以前から“摂理”というものが働いております。その摂理のもとに、宇宙の大霊が一つの目的をもって行動を開始し、地球上にその大霊の神性を帯びた無数の生命体を用意しました。それぞれが大霊の造化の目的へ向けての役割を担っていたのです。

同時に大霊は、すべてに自由意志を与えました。自由意志のもとに霊的・精神的に進化しながら、その大霊の大目的に貢献するためです。

この大宇宙を顕現させ、無生物にも生命力を、人類には意識を賦与された完全無欠の知性は、たとえご自身の創造物がその目的からそれたことをしようと、それで挫折するようなことはありません。

人間には大霊の御心のすべてを窺い知ることはできません。しかし大霊には人間の心の奥底までのぞき見ることができます。けっして騙されることはありません。大霊の前ではすべての人間の秘密が素っぱだかにされ、むき出しにされます。自分をごまかしていた人間も大霊だけはごまかせません。摂理というものがあり、これだけは裏をかくことも無視することもできないからです。

人間が大霊の計画の推進をおくらせ少しのあいだ障害となることはあっても、そのまま計画を押し留めつづけることはできません。

そういう次第でわたしは霊界での大集会に参列したあと、他の多くの同僚と同じように、この地上にあって人類のために刻苦している同志を新たな希望と熱意と情熱とで鼓舞するための努力を一段と強める覚悟で、地上へもどってまいります。

地上の同志の中には、真理普及の闘いで髪に白いものが目立っている人が大勢います。背負った重荷に腰が曲りかけている人もいます。時には、結局は大したことは出来なかったと、残念がる人もいます。しかし、仕事の成果の判定者は自分ではありません。判定者はただ一人、寸分の不公平もなくすべてを判定なさる大霊のみです。

わたしたちがこの暗黒の地上へ舞いもどってくるのは、地上人類への愛があるからこそです。無明から光明へと目覚めていただく、そのお手伝いをしたい――それ以外に理由はありません。住みなれた光明界の楽しみや美しさはそうたやすく手離したくはありません。が、それをあえて振り切って地上へ降りてくるのは、わたしたち指導霊の一人ひとりにとっては、それが光明界の楽しみや美しさにも勝る、偉大な仕事であるとの認識があるからです」

いわゆる“死者”が地上へもどってくることができること、そして現にもどってきている事実を認めた上で、ある若い新聞記者がなぜ霊はあのような奇っ怪な手段でしか通信できないのかと尋ねた。つまり暗い部屋でメガホンのような道具を使って代わるがわる語りかける実験会(セイアンス)のことを念頭においての質問だった。するとシルバーバーチがこう答えた。

「部屋を暗くすることがなぜ奇っ怪なのでしょうか。夜と昼とをこしらえたのは大霊です。暗い部屋で行うのがなぜ明るい部屋で行うより奇っ怪に思えるのでしょうか。暗闇も光も同じく大霊のものです。暗闇とは光が存在しないというだけの状態ではないでしょうか」

「それはそうなのですが、暗くすると五感の一つが使えなくなります」

「おっしゃる通りですが、霊的感覚を鋭敏にする効果があります。不幸にしてそれがふだんの地上生活で使用されることが滅多にないのです。なぜ霊的なものまで物的な手段で表現しなくてはならないのでしょうか。霊的高揚や霊的真理、そして霊的叡智までも、本来は物的存在であると同時に霊的存在である人間にその醍醐味を味わってもらうために、なぜ物的なものに還元しなくてはならないのでしょうか。

人間が最高にして至純のバイブレーションに感応しないのは、わたしたちが悪いのでしょうか。霊の声が聞こえないあなた方のために、わたしたちがメガホンを使って(その中に発声器官と同じものをこしらえて)人間と同じ音声を発しなければならないのは、わたしたちが悪いのでしょうか。非難の声はわたしたち霊側に向けられるべきなのでしょうか、それともあなた方人間の側に向けられるべきなのでしょうか。

わたしたちは今こうして実在の霊として存在し、皆さんもわたしたちと同じ霊的本質をそなえた霊的実在としてここにいらっしゃる。なのに、皆さんはわたしたちが半物質的次元にまでバイブレーションを下げてあげないと、見ることも聞くこともできないのです。

ところが、そういう工夫をしてまで霊の存在を示してあげようとすると、なぜそんな他愛もないマネをしなければならないのですかとおっしゃいます。それは、あなた方の世界が物質的なことにばかり浸り切って、物的感覚から抜け切れないからに過ぎません。そこから抜け切ることができたら、霊的世界の醍醐味をほしいままにできるのです。

わたしたちが悪いのではありません。わたしたちとしては皆さんの内部に宿る最高のものに訴えたいと努力しているのです。しかし、それが反応を見せてくれることは滅多にありません。子等の魂に内在する大霊の神性が発揮されることが一日のうち何度あるでしょうか。洗練された霊的資質がどれほど発揮されているでしょうか。

愛他主義と理想主義の精神がどれほど発揮されているでしょうか。それよりも利己主義の方が大手を振り物質中心の物の考え方が好き勝手に振る舞ってはいないでしょうか。そうしたことは地上世界の問題であり、わたしたちの問題ではありません。

わたしたちは物的外皮の下に埋もれている永遠の実在を見出させてあげようと努力しているのです。それを、できることなら霊的な方法で行いたいのです。すなわち強烈なインスピレーションに触れさせるとか魂の琴線に触れさせるという形の方が望ましいのです。また、そう努力してみました。が、その方法では、反応をみせる人間は情けないほど少ないのです。

それに引きかえ、テーブルを動かすとか叩音を出すとか、メガホンを部屋中を飛び回らせるとかの現象をお見せすると、皆さんは“すごい!”とおっしゃいます。その時わたしたちは内心“何をくだらないことを!”と思っているのです。音を出してみせることの方が魂を感動させることより大切なのでしょうか」

同じジャーナリストが尋ねる。

「私は時おり今の世界の実情、とくにその不公平に我慢ならないことがあります。飛び出していって闘いたい衝動に駆られるのですが、現実はどうしようもないように思えます。どうすればよいのでしょうか」

「わたしなりの考えをご披露しましょう。地上で生活している人間のすべて――富める者も貧しい者も、身分の高い人も低い人も、地位も肩書きも階級も職業もいっさい関係なくすべての人に、自分を人のために役立てるチャンスが必ず訪れることになっております。それは、小さな間違いを正してあげる仕事かも知れませんし、小さな不公平を公平にしてあげる仕事かも知れません。暗い片隅にささやかな光明をもたらしてあげる仕事かも知れません。

世間の目にハデに映る闘いばかりが意義ある闘いではありません。わたしたちは人間の行為の価値基準を、それが他人のために役立つことであるか否かに置いております。それなら誰にだってできるはずです。いつどこにいても、人のために自分を役立てるチャンスならいくらでもあるはずです。

どうか、ご自分を少しでも役立てることに努力してください。自分を役立てたいという願望で心を、精神を、そして魂を満たしてください。そうすれば、こちらであなたのような人材を求めているスピリットを自動的に引き寄せます。その時点であなたは、霊力が地上へ働きかける手段となることに成功したことになります。そして思いもかけなかったほどの力量を発揮する仕事が授けられることになるかも知れません。が、いずれにせよ、ラクな人生でないことだけは覚悟しておいてください」

「そういう期待はしておりません」

「そうでしょうとも。ですが、魂の奥底から湧き出る満足感を覚えるようになります。そして、見せかけだけで何の益もないものに捉われないようになります。無駄に使用されているエネルギー、目の前にありながらみすみす失われているチャンスをもったいなく思うようになります。そして自分は今どうすべきかが分かるようになります。

この交霊会もあなたにとっては初めての体験ですから不思議に思えることでしょう。ですが、これも宇宙の自然法則の一つを利用して行われているのです。地上の科学者は大自然の法則のすべてを発見したわけではありません。これまでに得た知識は全体のホンのひとかけらほどにすぎません。今後の開発を待ちうけている法則と知識の分野がまだまだ広がっております。

それは必ずしも実験室内で発見されるとはかぎりません。解剖して見つかるとはかぎりません。計器で測れるとはかぎりません。進化した魂のみが理解できるもの、さらに高度な叡智を受け入れる霊的準備が整った者でないと理解できないものもあります。

知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。知れば知るほどまだまだその先に知るべきものがあることを自覚させるからです。尊大にさせるのはむしろ無知の方です。知らないから生意気が言えるのです。最高の知識人はみな謙虚でした。知れば知るほど、知らないことが多いことを思い知らされるからです。

わたしたちへ向けて軽蔑と嘲笑の指をさす人たちは、頭の中に何もない、無知で身を固めた人たちです。知識を求め、新しい真理をよろこんで受け入れる素直な魂には、霊の力が感動を及ぼすことができます。そういう素地ができているからです。大霊の使徒として、その知識と叡智と力と意志とを地上にもたらすことに心を砕いているわたしたちにとっては、そういう人こそ役に立つ人材なのです。

わたしたち霊団の者は、自分自身のことは何一つ求めません。求めているのは、皆さんが物的な面だけでなく、精神と霊にかかわる面においても、心がけ一つで我がものとすることができる無限の恩沢に少しでも気づいてくれること、それのみです。測り知れない価値をもつ真理が皆さんを待ちうけているのです。

利己主義・無知・既得権力――これがわたしたちの前途に立ちはだかる勢力です。そして、わたしたちはこれに真っ向から闘いを挑んでいるのです。徹底的に粉砕したいのです。魂を飢えさせ、精神を飢えさせ、そして身体を飢えさせる元凶であるこうした地上の悪の要素を取り除いて、その飢えを満たしてあげたいのです。

弱き者、堕落せる者の心を高揚し、寄るべなき人々に力を与えてあげたいのです。地上世界から飢餓と病気と不健康状態を取り除いてあげたいのです。地上の疫病であり人類の汚点である不潔なスラム街と汚れた住居を廃絶したいのです。

暗闇に閉ざされた人々に光を、何も知らずに生きている人々に霊的知識を授けてあげたいのです。人類の意識を高め、魂と精神と身体の足枷を解いてあげたいのです。あらゆる形での利己主義――文明を蝕(むしば)み、代わって混乱と破滅と戦争と破壊をもたらす地上の毒を取り除きたいのです。

言いかえれば、地上世界に霊力を甦らせ、お互いがお互いのために生き、お互いの幸せのために協力しあい、憎しみと貪欲と強欲と私利私欲が生み出す垣根を取り払い、大霊の意図された通りに平和と豊かさを満喫できるようにしてあげたいのです。

それがわたしたちの使命であり、今まさに前進を続けているところです。わたしたちが何者であるかはどうでもよろしい。通信の手段は大切ではありません。大切なのはメッセージそのものです。それは淵源を神に、わたしのいう大霊に発しております。だからこそ永続性があるのです。

俗世的なものはいずれ消滅するのです。束の間のものは、しょせん束の間の存在でしかありません。しかし、霊的実在は永遠です。移ろいやすい物的所有物を絶対と思い込んでいる人は、影を追い求めているようなものです。霊的真理を求めている人は、真に自分の所有物となるものを授かりつつある人です。自信をもって前進なさい。霊的知識――大霊の宝石を探し求めなさい。

わたしのことを暗黒の勢力の声と思ってはなりません(※1)。永遠の霊的実在のシンボルとお考えください。もっとも、わたし個人は取るに足らぬ存在です。又、わたし個人として求めるものは何一つありません。わたしはただ霊的メッセージをお届けに来ているだけです。そのメッセージが実に重大なのです。今日の地上世界にとって最も大切なもの、とあえて申し上げます。

これまでの試みはすべて失敗に終わりました。キリスト教、政治家、科学者、思想家――どれ一つとして地上世界を救うことができませんでした。むしろ無明ゆえに崩壊へ一歩一歩近づき、今まさに破滅寸前のところまで至っております(※2)。霊的真理と霊的実在についての知識こそが、まず自らを救う道を教えることによって、地上世界を救うことになるのです。

生命の実体は物質の世界には見出せません。実在は霊的なのです。霊的真理を否定する者は生命力そのものを否定していることになり、自分を生かしてくれているその生命力の恩恵にあずかることを拒否する者は、受難の人生を送ることになります。なぜなら大霊との連絡路を断つことばかりしているからです」

※1――シルバーバーチの霊言が公表されはじめた頃はキリスト教界から激しい語調でそう決めつけられていた。

※2――本書に収められている霊言は一九三九年の第二次大戦の勃発以前のものとして読まれたい。

祈り

ああ、真白き大霊よ。

人間の記憶を絶する遠き太古の昔より、子等はあなたを、そしてあなたの意図を理解せんと努めてまいりました。嵐の中に、雷鳴の中に、稲光の中にあなたの働きを想像したこともございました。

嫉妬ぶかき怒れる神、報復の機を窺い流血をよろこぶ神を想像したこともございました。ある者には力を授け、ある者には弱みを与え、ある者には勝利を与え、ある者には敗北を与える、えこひいき剥(む)き出しの神を想像したこともございました。自分の宗教のみの神を想像し、人間の有限性の範囲の中であなたを定義づけんとしたこともございました。

しかし、あなたの御名のもとに地上へ戻ってきたわたしどもは、あなたを全生命に宿る無限の霊――摂理として働き、摂理にのっとって顕現せる普遍的大霊として説いております。全生命に宿りたまい、全生命を通して働き、その霊力なくしては何ものも存在しえぬ、無限絶対の霊として説き明かさんとしているところでございます。

あなたは生命現象のあらゆる相――いま物質の世界において知られている相のみならず、死後、霊の無数の界層において知ることになる、より次元の高い生命の相においても、あなたが顕現しておられることを説いております。

あなたは全生命の大霊におわします。あなたの知ろしめされる全大宇宙においては、物質と霊との間に境界はございません。すべてを等しく支配しておられるのでございます。そして子等にあなたとの密接不離の絆、すなわち各自の内部に宿るあなたの分霊(わけみたま)の存在に気づかせ、その神性を認識することによってそれを生活の中で顕現させ、可能なかぎり崇高な体験を得さしめ、かくしてあなたの造化の大事業の道具となさしめんと意図しておられることを、わたしどもは説き明かさんとしているのでございます。

その目的のためにわたしどもは祈り、そして刻苦いたします。何とぞあなたの僕(しもべ)たるインディアンの祈りを聞き届けたまわんことを。