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21章 霊界でも祝うクリスマスとイースター

〔一年に二度、クリスマスとイースターの時期に、他の大勢の指導霊とともにシルバーバーチは霊界の内奥で催される大審議会に出席し、それまでの計画の進捗具合が報告され、それに基づいて次の計画が立てられ、助言と共にそれが言い渡される場に立ち会う。そうした審議会の最高責任者が地上で「ナザレのイエス」と呼ばれた人物で、そのイエスから霊的エネルギーとインスピレーションを賜った指導霊たちは、心身ともに新生して地上圏へ戻ってくるという。その時の様子をシルバーバーチがこう語る――

その時のイエスの愛情あふれるお言葉――それまでに私たちが成し遂げた成果についての評価を披露され、新たなる力、新たなる希望、新たなるビジョンをもって新たなる目標に向かって突き進むように、と励ましてくださる時のあの温かい愛を、皆さんにも感じさせてあげたいのですが、それが出来ないのが残念です。教会が説く神格化されたイエス・キリストではありません。多くの有志を通して地球浄化の大事業に勤しんでおられる、一人の偉大なる霊です。

その界層は実は私の本来の所属界です。私は、僅かな間とはいえ、その界に戻って活性あふれる霊力の素晴らしさと美しさに触れ、高級界においてのみ可能な生命の実感を味わうことが出来るのです。こんなことを申し上げる私に、自惚れの気持など微塵(みじん)もありません。

たとえ世界中の名画や霊感的作品、物質界のありとあらゆる美術品、さらには自然界の神秘的な美を集めて壮大な美の祭典を繰り広げてみても、それは高遠の世界の美しさに比ベれば、お粗末な模作程度のものでしかありません。

例えば画家がそうした上層界からのインスピレーションに触れたとしましょう。すぐに描きたい衝動に駆られることでしょうが、手持ちの絵の具では種類が足りないことを知ります。何とか混ぜ合わせて、魂で見た色彩を創り出そうとしますが、それも不可能であることを悟ります。霊的な真理や美しさは物的な表現を超えたものだからです。

霊的な喜悦がいかなるものであるかを、どうして地上の言語で説明できましょう? 叡智と理解力、慈悲心と優しさに満ちた上層界のスピリットたち、こちらから伝える前にすベてを読み取ってしまう直観力を具えたスピリットたち、我々の心の奥の奥の思いまで洞察しているスピリットたち、精神の働き、成功と失敗まで知悉(ちしつ)しているスピリットたち、目も眩まんばかりの光輝を放っているそうしたスピリットたちと共に一堂に会した時の喜びを、どうして言語などで説明できましょう?

地上には、そうした魂の体験を叙述する言語がありません。その集会では来し方の数ヵ月間の成果が復習され、新たな計画が作成され、指導霊の一人一人に役割が与えられます。その上で各自が激励の言葉を賜り、再び各自の使命の地へと赴きます。今こうして私は皆さんの協力を得ながら、持てる霊力を駆使して、地上人類を少しでも大霊の御心に近づけるべく努力しているところです。

質疑応答

――その集会に出席される時は地理的な意味で地球を「離れる」のでしょうか、それともバイブレーションを別の次元に変えるのでしょうか。

私が地球圏を去る時は引力との関係が無くなり、地球圏のバイブレーションとも縁が無くなります。こうして話をしている時の私はダブルを使っているのですが、地球を離れる時はそれを脱いで霊体を使用します。その霊体は、こうして語っている間は、言うなればダブルを隠れ蓑(みの)として奥にしまい込んであります。

脱ぎ捨てたダブルは(次に使用するまで)組織が分解しないように私の意識の一部を残して(活性を保たせて)おきますが、本来の私の自我は内奥へ内奥へと次元を高めて、霊的意識を取り戻して行きます。そのためには時間が要ります。地球のバイブレーションから脱するのに時間を掛ければ掛けるほど、戻って行く界層での私の自我意識の次元が高くなるのです。

しかし、いくら頑張ってみても、最初にこの仕事をうけたまわって地球圏ヘ下降してくる以前の意識レベルまで到達したことは、それまで一度もありません。何年も掛かったものを二、三日で取り戻せるはずはありません。

――本来の意識レベルを意図的に下げるというのは大変な犠牲を強いられることでしょう?

おっしゃる通りです。それは、しかし、物質界で頑張っているあなた方のために喜んで支払っている代償です。

――犠牲の中でも最大といって良いほどのものであるに相違ありません。

確かにそうですが、真理に飢えている人がこれほど多いのですから、私は喜んで持てるものを分け与える覚悟です。

想像してみていただけますか。さきに私は地上世界を「お粗末な模作ていど」と申し上げましたが、私の本来の住処である光輝に溢れた世界、絵画も建造物も詩歌も音楽も完全の域に達し、自然界の美しさも可能な限りの調和の域に達し、しかも交わる人々は趣味も性分も相通じる人ばかりという世界から、暗くて陰鬱なこの地上界へと降りてくるのです。そのために私が犠牲にするものがいかほどのものか、およそお分かりいただけるでしょう。

こんなことを私は自惚れて言っているのではありません。僅かな人々でもよい、安らぎと慰めと希望を与えてあげることが出来れば、私は喜んで持てるものをお分けする気持でおります。

――指導霊の大集会をなぜクリスマスとイースターに催すのでしょうか。ナザレのイエスと何か関係があるのでしょうか。

クリスマスとイースターはイエスが地上へ降誕する以前から霊界で祝われております。バイブルで語られている物語とは何の関係もありません。いずれお分かりになる日も来ると思いますが、地球は「リズム」、つまり進歩の法則の一環である「循環」によって支配されております。それは一定のリズムをもって働いており、地上のあらゆる民族の歴史の中のどこかで顕著となり、人々がそれに気づきます。

私が地上にいた頃、インディアンの民族が大切にしていた祭りが二つありました。それをクリスチャンが自分たちのものとして、今イースターとクリスマスと呼んで祝っているわけです。が、その趣旨は異なります。

インディアンはその二つの時期を大霊との最高の交わりが得られる時期であると直感していました。太陽の影響力が最も盛んな時期で、あなた方(西洋人)にはそれは理解できないことでしょう。その時期に何日にもわたって今日でいう「セイアンス」(交霊会)を開催し、大霊からのインスピレーションをふんだんに受けました。

そうしたわけで私たちインディアンは、地上時代に重要視した時期が巡ってくると、仲間たちで集合して祝うのです。もともと太陽崇拝から始まったものですが、太陽はシンボルに過ぎません。生命あるものは小さい物体から天体に至るまで、すべてが互いに影響し合っております。

全ては自然法則に基づいているのです。クリスマスは太陽の誕生を意味するのですが、それは影響力が格別に強くなるということで、新しい時代の始まりを象徴しています。即ち、さきに述べたサイクルの終わりでもあり新しいサイクルの始まりでもあるのです。大集会がその時期に催されるのは、指導霊の全てがかつて地上で自然法則を基本にした宗教をもつ民族に属していたという点で相通じているからです。

クリスマスもイースターもかつては地上世界で催されていたということから霊界でもこの時期を選んでいるのですが、新しい生命の誕生を祝うという目的はいつしか消えて、今では物質界から一時的に撤退して次の仕事のための新たな霊力を授かるという目的のために使用しています。

――それにはどういう人たちが参加するのでしょうか。

主として現在の民族より以前の民族に属していたインディアンと(スピリチュアリズムの)指導霊たちです。現在の西洋世界はそれらの民族に比べて新しく、その世界の人たちにとっては、私たちの祝いは無意味です。

イースターは全生命の復活を祝う時期です。即ち地上世界が悲劇と痛みと悲しみと苦難から脱して生き甲斐ある人生に蘇るようにとの祈りに、全世界の代表が参加する時期です。

地上世界は今こそその蘇りを大いに必要としています。が、大霊の子等が道具となって使用されるその数が増え、物質第一主義の勢力が撤退するにつれて、ゆっくりではありますが霊的摂理が正しく活用されるようになりつつあります。

私が本来の所属界ヘ戻る時は、他の多くの指導霊といっしょに参ります。そして、短い期間ではありますが、あなた方地上人類の限られた能力では理解できない、霊的生活の愉しみを味わい、愛の絆で結ばれた先輩たちのお顔を拝し、その深い叡智を吸収し、申しつけられていた計画がどこまで進捗し、どこがうまく行っていないかを指摘され、これからも果てしなく続く善と悪との闘いのために用意してくださった計画を申し渡されます。

こうして私たちは、地球圏で働く仲間とともに高級霊からの激励をたまわり、自分が役に立つことの喜びに満たされて再びこの地上界へと舞い戻り、こうして皆さんとともに少しでも多くの霊力を地上界へもたらすべく活動するのです。

出来ることならその集会へあなた方もいっしょにお連れして、地上界のために働いている指導霊たちの顔ぶれをご覧に入れたいものです。その全身を包む光輝、大霊によって選ばれた指導霊がどういう霊であるかを知っていただきたいのです。しかし、もしかしたら、そのあまりの威厳にただただ畏れおののくばかりかも知れません。その地上時代の姓名も知らずにおいた方がいいかも知れません。

それよりも、こうして地上にもたらす仕事の中身で私たちを裁いていただく方が良いでしょう。が、私がこのサークルの皆さんに一度でいいからお見せしたいと思うのは、イエスを中心として開かれるその審議会の壮大さです。地球人類のために私たちがどこまでうまくやっているかを知るために、その審議会に集結するのです。

――霊界での祝日としてなぜ地上のイースターを選んだのでしょうか。

私たちが地上のイースターを選んだのではありません。あなた方が私たちのイースターを選んだのです。

――昔は地上全体で同時に催されていたのでしょうか。

インディアン社会の全民族においては同時に祝っていました。その後キリスト教という組織宗教が発生して、太古の自然宗教が用いていたシンボルを採り入れて行きました。全ての宗教の根幹にそれがあることを知ったからです。

――現在でも霊界においては、インディアン社会だけでなく他の全宗教においても、イースターを祝うのでしょうか。

霊界の全界層においてイースターが催されています。地上でクリスチャンだった者は、例の墓場から蘇ったイエスを祝います。そのイエスよりずっと前の時代に地上生活を送った私たちは、その時代の自然宗教のシンボルとしてのイースターを、霊界での大々的な記念祭として祝います。その機会に、それまで明らかにされていなかった叡智を授かります。私たちより霊格の高い指導霊から教えを受けると同時に、同等の仲間と知識を分け合います。