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18章 霊界側から見た戦争

〔シルバーバーチは若者が祖国のために出征していくことを決して咎めないが、戦争そのものがもたらす害悪については機会あるごとに厳しく言及し、地上的問題が戦争によって解決されたことは一度もないことを強調する〕

私たち霊界の者としては戦争が起きる度に霊界が、わけも分からず送り込まれてくる戦死者の魂でごった返す野戦病院のようになってくれては困るのです。

私たちのように地球圏に降りて仕事をしている者は、私たちがお届けしている霊的真理が受け入れられるようになる以外に救いようがないことを痛感いたします。人間の側の努力の問題だということです。私たちが代わってやってあげるわけには行かないのです。摂理に反したことをするとこうなるということを見届けて、地上界で間違ったことをすると霊界でこういう迷惑が生じますよと教えてあげるしかありません。

迷惑とは、霊的に何の準備もできていない魂が霊界へ続々と送り込まれてくることです。そのあまりの酷さに、霊界側としても黙って見過ごすわけには行かなくなったのです。戦死者たちはあたかも熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。地上界で生活するための道具(肉体)を破壊された魂の傷を、なぜ霊界で癒さねばならないのでしょうか。地上界でやっておくべきことを疎(おろそ)かにしたために生じた面倒な事態に対処するために、なぜ私たちが進化の歩みを止めて地上圏へ戻って来なければならないのでしょうか。

それは、私たちには愛の心、大霊の愛の発露があるからこそです。それが無かったら地上圏でこうして働いてはいないでしょう。その事実を証明するものとしては、スピリチュアリズムの知識しかありません。つまり、それが真実であることを認めてくれない限り、私たちとしては身元を証明するものがないのです。「あなたの言うことはおかしい――これまでの地上の常識に反しているから」と言われては、最早や私たちとしては為す術がありません。

戦争を正当化することは、地上界の問題に限って考えても、できません。ただ破壊するだけだからです。ましてや霊界側へ及ぼす影響を考えた時、絶対に正当化できません。霊は地上界を離れるべき時機が熟した時に肉体から離れるべきであるという摂理に反したことを無差別に行うことになるからです。大霊の子がよくぞあれほど大規模に大霊の摂理を平気で犯すものと、私たちは呆れるばかりです。

実は地上界のそうした愚かな行為が、霊界の無知な低級霊集団を跋扈(ばっこ)させることになることを、皆さんはご存じありません。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しているのです。これを阻止するためには民族的対立をなくし、地上人類は全てが大霊の子であるとの認識をもつことです。対立を生んでいるのは地上的概念であって、大霊は何の差別もしておりません。民族の別なく全ての人類に大霊の分霊が宿っており、それ故に全人類が等しく大霊の子なのです。

地上世界には建設すべきものが幾らでもあるというのに、指導的立場にある人たちはなぜ破壊という手段を選ぶのでしょうか。大霊の摂理に悖(もと)ることをしていては、破壊と混乱を生むだけです。人類はもう充分にそれを見てきたのではないでしょうか。

ここにお出での皆さんには、大霊の計画を地上界に実現するために全力を尽していただきたいのです。大霊が流血を望まれるでしょうか。大霊が、戦争が生み出す悲劇や苦難、失業、飢餓、貧民窟、争いごとを喜ばれるでしょうか。せっかく分け与えてある霊的な恵みが無駄に終わるのを見て大霊が喜ばれるでしょうか。無慈悲にも両親から引き離された若い魂たちが(霊界の救護班の世話になっても)本当の親からは何もしてもらえなくて悲しむのを見て、大霊が何とも思わないものでしょうか。

私たちも大霊の僕として、こうして地上圏へ降りて働いているからこそ言えることですが、私たちがお届けする教えに忠実でありさえすれば、それだけであなた方もこの(地球浄化の)大事業で力になれるのです。

他人の物的生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に悖ります。殺意を抱いた時、理性が去ります。人間には大霊が宿っておりますが、身体的進化の途上で通過した動物的段階の名残も宿しています。人間の向上進化というのは取りも直さずその動物性を抑え大霊(神性)を発揮できるようになることです。

動物性の跋扈を許しそれに引きずられることになった時は、戦争や紛争、殺人事件などが頻発します。大霊の心が顕現して互いに助け合う風潮になれば、平和と調和が生まれ、生きるための糧も必要な分だけ行き渡ります。

国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も大霊の一部なのです。みな大霊の目から見れば兄弟であり姉妹なのです。こうした私たちの教えは単純で子供騙しのように思えるかもしれませんが、やはり真実です。大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱と騒動が起きるばかりで、最後は全てが破綻します。

よほどの犠牲的努力が為されない限り地上界はこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなるタネを蒔いて来ており、蒔いたタネは人類自らの手で刈り取らねばなりません。原因と結果の法則は絶対にごまかせないのです。物的欲望のタネを蒔いておいて、その結果を免れようとしても、それは許されません。

愛が欲しければ愛のタネを蒔くことです。平和が欲しければ平和のタネを蒔くことです。至るところに奉仕のタネを蒔けば、地上世界は奉仕の精神に溢れることでしょう。大霊の真理はこのように至って単純なのです。あまりに単純過ぎるために却って地上の「お偉い方々」にはその重大性がお分かりにならないのです。

質疑応答

――大戦で戦死した若者の「犠牲」は何の役にも立たなかったのでしょうか。

少なくとも私の目には何の意義も見出せません。休戦後の今の方が「偉大なる戦い」が始まった時より一段と混乱が深まっております。

――あれだけの英雄的行為が無駄に終わることがあって良いものでしょうか。霊的な反響はまったくないのでしょうか。

犠牲となった個人個人には報いがあります。動機が正しかったからです。しかし、忘れてならないのは、地上世界は彼らを裏切っているということです。相も変わらず物質中心の考えにかぶれているために、彼らの犠牲が無意味に終わっていると申し上げているのです。

――休戦記念行事が毎年のように催されていますが、意義があるのでしょうか。

たとえ二分間でも思い出してあげることは、何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火その他、戦争に結びついたもので軍事力を誇示することによって祝って、一体何になるのかと言いたいわけです。なぜ霊的な行事で祝えないのでしょうか。

――スピリチュアリズム的な催しには賛成ですか。

真実が述べられるところには必ず徳が生まれます。もちろんそれが奉仕的精神を鼓舞するものであればのことです。大見得を切った演説からは何も生まれません。また、それを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかの気分に浸るだけではいけません。

私は「行為」を要求しているのです。人に役立つことをして欲しいのです。弱者を元気づけるようなことをして欲しいのです。病気に苦しむ人々を癒してあげて欲しいのです。喪の悲しみの中にいる人を慰めてあげて欲しいのです。住む家もない人に宿を貸してあげて欲しいのです。地上世界の恥とも言うベき動物への虐待行為を止めさせて欲しいのです。

平和は互助の精神からしか生まれません。全ての人が奉仕の精神を抱くようになるまでは、そしてそれを実行に移すようになるまでは、平和は訪れません。

――不戦主義、即ち参戦を拒否する一派の運動をどう思われますか。

私はいかなる「派」にも与(くみ)しません。私にはラベルというものがないのです。私の眼中には人のために役立つ行為と動機しかありません。お題目に幻惑されてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意の人と善意の人とがいるものだからです。私が述べる教えは至って簡単なことばかりですが、それを実行に移すには勇気がいります。

霊的真理と霊的摂理を知ることによって断固とした決意を持つに至った時、そして日常生活のあらゆる分野で私利私欲をなくし互助の精神で臨むようになった時、地上に平和と和合が訪れます。

それは一宗一派の主義・主張から生まれるのではありません。大霊の子の全てが霊的真理を理解して、それが日常生活に、政策に、経営に、政治に、そして国際問題に適用していくことから生まれるのです。

私は、これこそ真実であると確信した宇宙の原理・原則を説きます。だからこそ、これを実行に移せばきっとうまく行きますということを、自信をもって申し上げられるのです。皆さんは物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さんに責任が掛かってきます。私たちはただ誠意をもって指導し、正道から逸れないように協力してあげることしか出来ません。

地上には古いしきたりから抜け出せない人が大勢います。それが宗教的なものである場合もありますし、政治的なものである場合もありますし、自分の想像力で拵(こしら)えた小さな精神的牢獄である場合もあります。

魂は常に自由であらねばなりません。自らを牢獄の中に閉じこめてはいけません。周りに垣根をめぐらし、新しいものを受け入れなくなってしまってはお終いです。真理は絶え間なく探究していくべきものです。その境界は限りなく広がっていきます。魂が進化するにつれて精神がそれに呼応していくからです。

――その魂の自由はどうすれば得られるのでしょうか。

完全な自由というものは得られません。自由の度合は魂の成長度に呼応するものだからです。知識にも真理にも叡智にも成長にも「限界」というものがないと悟れば、それだけ自由の度合が大きくなったことになります。心の中で間違いだと気づいたもの、理性が拒否するもの、知性が反発するものを潔く捨てることが出来れば、それだけ多くの自由を獲得したことになります。新しい光に照らして間違いであることが分かったものを恐れることなく捨てることが出来たら、それだけ自由になったことになります。それがお出来になる方が果たして何人いることでしょう?

――経済的な事情からそれが叶えられない人もいるのではないでしょうか。

それは違います。経済的事情は物的身体を束縛することはあっても、魂まで束縛することは出来ません。束縛しているのは経済的事情ではなくて、その人自身の精神です。その束縛から解放されるための叡智は、受け入れる用意さえあれば、いつでも得られるようになっております。しかし、それを手に入れるための旅は自分一人で出かけるしかないのです。

果てしない旅となることを覚悟しなければなりません。恐怖や危険にさらされることも覚悟しなければなりません。道なき道を一人分け入ることになることも覚悟しなければなりません。しかも真理の導くところならどこへでもついて行き、間違っていることは、それがいかに古くから大事にされてきているものであっても、潔く拒絶する用意が出来ていなければなりません。

――ヨーロッパの大国がみんな完全武装して大戦に備えている中で、英国だけが参加していないのは間違いではないでしょうか。

ですから、あなた方は一国・一民族の概念で考え、私は大霊とその子の概念で考えているということを何度も申し上げてきたはずです。破壊のための兵器をいくらこしらえても平和は得られないと言っているのです。平和を希求する声が高まり、みんなが愛と奉仕の摂理にのっとって生きるようになれば、平和になります。一国・一民族の概念は、私は取りません。全ての民族を一つと考え、大霊の一部という考えに立っております。全ての人類が大霊の子なのです。大霊の摂理を物質界に適用しない限り、戦争と破壊と混乱と破綻の尽きる時は来ないでしょう。

イタリア軍によるアビシニア(現エチオピア)侵攻に関連して出された質疑応答――

――「制裁」という手段をどう思われますか。

私の意見はもうお分かりでしょう。生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を支払わねばなりません。

――しかし、この場合は動機が正当化されるのではないでしょうか。戦争を止めさせるためという大義があるのですから。

力による制裁のタネを蒔けば、そのタネはさらなる力による制裁を生むだけです。「戦争を止めさせるための戦争」だと当事者は言っているではありませんか。

――では、獣のような連中が無抵抗の人間を殺すのを手をこまねいて見ていろとおっしゃるのでしょうか。

そういう風に、あなた方はよくその場しのぎの手段について私たちの意見を求められますが、私たちは永遠の原理・原則を説いているのです。最初の段階で永遠の原理に基づいた手段を用いていれば、今日のような難題は生じなかったはずです。困った事態になってから「取り敢えずこういう手段を用いてよいか」とおっしゃっても返答のしようがありません。永遠の平和を得るには永遠の原理に基づいた手段を用いるしかありません。

――国際連盟(現在の「国際連合」の前身)は支持すべきでしょうか。

加盟国の代表は本当に平和を希求しているのでしょうか。心の底から、魂の奥底から平和を望んでいるのでしょうか。永遠の原理に素直に従うだけの覚悟が出来ているでしょうか。もしかして自国への脅威となるものを阻止しようとしているだけではないでしょうか。地球と人類全体のためではなく、我が国家と我が民族の富と安全を第一に考えているのではないでしょうか。

私たちは大霊と摂理、そしてその摂理の作用を永遠の規範として皆さんに説いているところです。それ以外にないからです。その場しのぎの手段でも一時的には効果があるかも知れませんが、邪悪な手段からは邪悪なものしか生まれません。

そのうち地上人類も愛こそが邪悪に勝つことを悟る日がまいります。全ての問題を愛の精神で解決するようになれば地上界は平和になります。愛の摂理にもとる欲望は分裂と混沌と破綻を生み出します。その根を正さないといけません。他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。

――宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。

ありません。戦争は人類が地上で行っているだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱いた時、瞬時にしてその人間の周りに同じ意念に燃えた地縛霊が引きつけられると思って下さい。

一九三七年十一月十一日の「休戦記念日」におけるシルバーバーチからのメッセージ

毎年この日が巡ってくるごとに、戦死者の犠牲が空しいものであることをますます痛感させられます。たった二分間、あなた方は「栄誉ある戦没者」に無言の敬意(黙祷)を捧げ、それからの一年間は忘れ、この日が訪れると棚から下ろして埃(ほこり)をはたき、二分間だけ拝みます。

彼らの犠牲的行為は全て無駄に終わっています。十九年間(一九三七年現在で)十字架に架けられ続けてきたようなものです。それをあなた方は「偉大なる戦争」と呼びます。その偉大さとは殺戮の量、無駄な殺人の多さに過ぎないのではありませんか。全ての戦争を止めさせるための戦争だったとおっしゃいますが、その言葉の何と空しいことでしょう。何という欺瞞に満ちた言葉でしょう。

自分の生命まで犠牲にして祖国のために献身した若者たちが、実際は霊界で辛い幻滅の歳月を送っていることをご存じでしょうか。夢多き青春のまっただ中で肉体を奪われたのです。戦地へ赴いた時は文明を守るのだという理想に燃えておりました。しかし、そうした彼らを、その後の地上世界は裏切り続けております。地球上から戦争はなくなっておりません。栄誉ある戦死者への二分間の黙祷を捧げている最中でも「休戦」はありません。殺戮は二分間の休みもなく続いております。

真の平和は霊的摂理を適用する以外にないということを、地球人類はいつになったら悟るのでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。

その利己主義に代わって互いが奉仕的精神を抱き合うことによって初めて平和が訪れること、自国の物的威力を誇示しようとする古い唯物思想を捨て、代わって互いが互いのために生き、強い者が弱い者を助け、持てる者が持たざる者を援助しようとする気風になることによってのみ、平和が訪れることを知らねばなりません。

二分間だけの、それも、心にもない口先だけの敬意だけで、空しく霊界へ送られた者を侮辱してはなりません。和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しております。が、唯一試みられていないのは、霊的真理の理解による方法です。それが為されないかぎり、戦争と流血が止むことはないでしょうし、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことでしょう。