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12章 死後の世界

〔シルバーバーチはよく死後の世界の素晴らしさを語る。そして、われわれ人間も睡眠中によく訪れているという。ただ、脳を中枢とした意識には、特殊な能力を具えた者を除いて、ほとんど思い出せないという〕

私たちがお届けする霊の世界からの贈り物を十分に理解なされば、私たちをして、こうして地上へ降りて来る気にさせるのは、あなた方のためを思う気持以外の何ものでもないことが分かっていただけるはずです。いったい誰が、ただの酔狂で、素晴らしい光の世界からこの地上界へ降りて参りましょう。

あなた方はまだ霊の世界の本当の素晴らしさを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも一瞬の間に行ける、考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追求したいことに幾らでも専念できる、お金の心配がない……こうした世界は地上には譬えるものがないのです。その楽しさは、あなた方はまだ一度も味わったことがありません。

肉体に閉じこめられた者には、美しさの本当の姿を見ることができません。霊の世界の光、色彩、景色、樹木、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがどれほど美しいか、あなた方はご存じない。それでいてなお、死を恐れます。

人間にとって死は恐怖の最たるもののようです。が実は、人間は死んで初めて生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるのも同然です。霊的なものに対しては死人のごとく反応を示しません。小さな生命のともしびが粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことには一向に反応を示しません。ただ、徐々にではあっても成長はしています。私たちの働きかけによって、霊的な勢力が物質界に増えつつあります。霊的な光が広まれば、当然暗闇が後退していきます。

霊の世界は人間界の言語では表現できない面があります。譬えるものが地上に見出せないのです。あなた方が「死んだ」といって片づけている者たちの方が、今では生命の実相について遙かに多くを知っております。

この世界に来て、芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることができます。画家も詩人も思い通りに才能を発揮することができます。地上の抑圧からすっかり解放され、天賦の才能がお互いのために使用されるようになるのです。そこで使用される着想の素晴らしさは、ぎこちない地上の言語ではとても表現できません。心に思うことが即ち霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。

金銭の心配がありません。生存競争というものがありません。弱者がいじめられることもありません。霊界での強者とは、弱者に手を差し伸べる力があるという意味だからです。失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。宗派もありません。教典もありません。あるのは大霊の摂理だけです。それが全てです。

地球圏へ近づくにつれて霊は思うことが表現できなくなります。正直言って私も地上界へ戻るのは気が進まないのです。なのに、こうして戻ってくるのは、そう約束したからであり、地上界の啓蒙のために少しでも役立ちたいという気持があるからです。そして、それを支援してくださるあなた方の私への思慕の念が、せめてもの慰めとなっております。

死ぬということは決して悲劇ではありません。むしろ今その地上で生きていることこそ悲劇といっても良いくらいです。大霊の庭園が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もない状態となっていることこそ悲劇です。

死ぬということは、肉体という牢獄に閉じこめられていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に帰ることが、果たして悲劇なのでしょうか。天上的色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈け巡り、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか。

地上のいかなる天才的画家にも霊の世界の美しさの一端なりとも絵の具では表現できないでしょう。いかなる音楽の天才にも天上の音楽の旋律の一つたりとも表現できないでしょう。いかなる名文家にも天上の美を言語で表現することはできないでしょう。そのうちあなた方もこちらの世界へ来られます。そしてその素晴らしさに驚嘆なさるでしょう。

地上は今まさに五月。木々は新緑に輝き、花の香りが漂い、大自然の恵みに溢れております。その造化の美を見て皆さんは感嘆なさいます。

しかし、その美しさも霊の世界の美しさに比べれば至ってお粗末な、色褪せた模作程度に過ぎません。地上の誰一人として見たことのない花があり、色彩があります。そのほか小鳥もいれば植物もあります。小川もあれば山もありますが、どれ一つ取っても地上のそれとは比較にならないほど美しいのです。

そのうち皆さんもその美しさをじっくり味わえる日が来ます。その時はいわゆる「幽霊」になっているわけですが、その幽霊になった時こそ、本当の意味で「生きている」ことになるのです。

実は、あなた方は今でも毎夜のように霊の世界を訪れているのですよ。ただ思い出せないだけです。この体験は、死んでこちらへ来た時のための準備なのです。その準備なしにいきなり来るとショックを受けるからです。来てみると、一度来たことがあることを思い出します。肉体の束縛から解放されると、睡眠中に垣間見ていたものを全意識でもって見ることができます。その時すべての記憶が蘇ります。

質疑応答

――死んでから低い界層に落ち着いた人はどんな具合でしょうか。今おっしゃったように、やはり睡眠中に訪れた時のこと――多分低い界層だろうと思いますが――を思い出すのでしょうか。そしてそれがその人なりに役に立つのでしょうか。

低い界層へ引きつけられて行く人はやはり睡眠中にその界層を訪れているのですが、その時の体験は死後の自覚を得る上では役に立ちません。なぜなら、そういう人の目覚める界層は地上と極めてよく似ているからです。死後の世界は低い界層ほど地上によく似ております。波動が粗いからです。高い界層ほど波動が精妙になります。

――朝目覚めて、睡眠中の霊界での体験を思い出すことがあるのでしょうか。

睡眠中あなたは肉体から抜け出ていますから、当然、脳から離れております。脳はあなたを物質界に繋ぎつけるための中枢器官です。それから解放されたあなたは、魂の発達程度に応じた波動の世界で体験を得ます。その時点では意識をもって行動しているのですが、朝肉体に戻ってくると、もうその体験は思い出せません。その原因は、脳が狭すぎるからです。小は大を兼ねることができません。それで歪みを生ずるのです。

それは、例えて言えば、小さな袋の中に無理やり物を詰め込むようなものです。袋には容量というものがあります。無理やり詰め込むと、入るには入っても、形が歪んでしまいます。それと同じことが脳の中で生ずるのです。ただし、霊格がある段階以上に発達してくると、話は別です。霊的体験を思い出すように脳を訓練することが出来るようになります。

実を言いますと、私はここにおられる皆さんとは、よく睡眠中にお会いしているのです。別れ際に私は「地上に戻ったら、かくかくしかじかのことを思い出すんですよ」と言っておくのですが、どうも思い出してくださらないようです。皆さんお一人お一人にお会いしているのですよ。そして、あちらこちらを案内してさし上げているのですよ。でも、思い出してくださらなくてもいいのです。決して無駄にはなりませんから……

――死んでそちらへ行ってから役にたつわけですか。

そうです。何一つ無駄にはなりません。摂理は完璧です。長年の生活体験をもつ我々は、神の摂理の完璧さにただただ驚くばかりです。神なんかいるものか、といった地上の人間のお粗末なセリフを聞いていると、まったく情けなくなります。知らない者ほど己の無知をさらけ出すものです。

――睡眠中に仕事で霊界へ行く人もいるのでしょうか。睡眠中に霊界を訪れるのは死後の準備が唯一の目的でしょうか。

仕事をしに来る人は確かにおります。それだけの能力を具えた人がいるものです。が、大抵は死後の準備のためです。物質界での体験を積んだあと霊界ですることになっている仕事の準備のために、睡眠中にあちらこちらへ連れて行かれます。そういう準備なしにいきなり霊界へ来ると、ショックが大きくて回復に時間が掛かります。地上時代にあらかじめ霊的知識を知っておくとこちらで得をすると言われるのは、その辺に理由があるのです。ずいぶん長い期間眠ったままの人が大勢います。あらかじめ知識があればすぐに自覚が得られます。

ちょうどドアを開けて日光の照る屋外へ出るようなものです。光のまぶしさにすぐに慣れるか否かの違いと同じです。闇の中にいて光を見ていない人は慣れるのに時間が掛かります。つかまり立ちの赤ん坊のように手探りで行動します。地上時代の記憶が蘇ることはあっても、夢を思い出しているような状態です。

いずれにせよ体験というものは、そちらにせよこちらにせよ、何一つ無駄なものはありません。そのことをよく胸に刻み込んでおいてください。あなた方の心から出た、人のためを思う思念、願い、行為は、いつかはどこかで誰かの役にたちます。その心に感応して同じ心を持つ霊を呼び寄せるのです。

――霊的知識なしに他界した者でもこちらからの思いやりや祈りの念が届くのでしょうか。

死後の目覚めは理解力が芽生えた時です。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。その意味でも私たちは、無知と誤解と迷信と誤った教義と神学をなくすべく闘わねばならないのです。そうしたものが死後の目覚めの妨げになるからです。そうした障害物が取り除かれない限り、魂は少しずつ死後の世界に慣れて行くほかはありません。長い長い休息が必要となるのです。

また、地上に病院があるように、魂に深い傷を負った人たちを看護してやらねばなりません。人のためによく尽くした人、他界に際して愛情と祈りを受けるほどの人は、そうした善意の波動を受けて、目覚めが促進されます。

――死後の生命を信じず、死ねばお終いと思っている人はどうなりますか。

死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてからその事実に直面するほかはありません。目覚めるまでにどの程度の時間が掛かるかは、魂の進化の程度によって違います。即ち霊性がどれほど発達しているか、新しい環境にどこまで順応できるかに掛かっています。

――そういう人、つまり死ねばそれで万事休すと思っている人の死に苦痛が伴いますか。

それも霊性の進化の程度によります。一般的に言って死ぬということに苦痛は伴いません。大抵は無意識だからです。死ぬときの様子が自分で意識できるのは、よほど霊格の高い人に限られます。

――善人が死後の世界の話を聞いても信じなかった場合、死後そのことで何か咎めをうけますか。

私にはその「善人」とか「悪人」とかの意味が分かりませんが、要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかに掛かっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有るに越したことはありません。が、その人の真の価値は毎日をどう生きたかに尽きます。

――愛する人とは霊界で再会して若返るのでしょうか。イエスは天国では結婚するとか嫁にやるといったことはないと言っていますが……

地上で愛し合った男女が他界した場合、もしも霊格が同じであれば霊界で再び愛し合うことになりましょう。死は魂にとっては、より自由な世界への入り口のようなものですから、二人の結びつきは地上よりいっそう強くなります。

が、二人の結婚が魂の結びつきでなく肉体の結びつきに過ぎず、しかも両者に霊格の差がある時は、死とともに両者は別れていきます。それぞれの界へ引かれて行くからです。

若返るかとのご質問ですが、霊の世界では若返るとか年を取るといったことではなく、成長・進化・発達といった形で現れます。形ではなく魂の問題になるわけです。

イエスが嫁にやるとか貰うといったことはないと言ったのは、地上のような肉体上の結婚のことを言ったのです。男女といっても、あくまでも男性に対する女性であり女性に対する男性であって、物質の世界ではこの二元の原理で出来上がっていますが、霊の世界では界層が上がるにつれて男女の差が薄れていきます。

――死後の世界でも罪を犯すことがありますか。もしあるとすれば、どんな罪がいちばん多いですか。

もちろん私たちも罪を犯します。それは利己主義の罪です。ただ、こちらの世界ではそれがすぐに表面に出ます。心に思ったことがすぐさま人に知れるのです。原因に対する結果が地上より遙かに速く出ます。従って醜い心を抱くと、それが瞬時に容貌全体に現れて、霊格が下がるのが分かります。そうしたことを地上の言語で説明するのは難しく、先ほど言ったように「利己主義の罪」と呼ぶほかに良い表現が見当たりません。

――死後の世界が地上界に比べて実感があり、立派な支配者、君主、または神の支配する世界であることは分かりましたが、こうしたことは昔から地上の人間に啓示されて来たのでしょうか。

霊の世界の組織について啓示を受けた人間は大勢います。ただ誤解しないでいただきたいのは、こちらの世界には地上でいうような支配者はいません。霊界の支配者は自然法則、即ち大霊の摂理そのものなのです。また、境界線によってどこかで仕切られているわけではありません。低い次元の界層から高い次元の界層へと徐々につながっており、その間に断絶はなく、宇宙全体が一つに融合しております。霊格が向上するにつれて高い界層へと上昇してまいります。

――地上で孤独な人生を余儀なくされた者は死後も同じような人生をおくるのでしょうか。

いえ、いえ、そんなことはありません。そういう人生を余儀なくされるのはそれなりの因果関係があってのことで、こちらへ来ればまた新たな生活があり、愛する者、縁ある者との再会もあります。摂理はうまく出来ております。

――シェークスピアとかベートーベン、ミケランジェロといった歴史上の人物に会うことが出来るでしょうか。

特に愛着を感じ慕っている人物には、大抵の場合、会うことが出来るでしょう。「共感の絆」が両者を引き寄せるのです。

――この肉体を捨ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。

地上より遙かに実感があり、しっかりしています。本当は地上の方が実感がないのです。霊界が実在の世界で、地上界はその影なのです。こちらへ来るまでは本当の実体感は味わっておられません。

――と言うことは、地上の環境が五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊魂には自然に感じられるということですか。

だから言っているでしょう、地上よりも実感がある、と。こちらの方が実在なのですから。あなた方はいわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられ、物質という壁で仕切られ、小さな鉄格子の窓から外を覗いているだけです。地上では、本当の自分のほんの一部分しか意識していないのです。

――霊界では意念で通じ合うのですか、それとも地上の言語のようなものがあるのでしょうか。

意念だけで通じ合えるようになるまでは言語も使われます。

――急死した場合、死後の環境にすぐに慣れるでしょうか。

魂の進化の程度によって違います。

――呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのでしょうか。

魂に意識がある場合(霊性が発達している場合)は、霊的身体が肉体から抜け出るのが分かります。そして抜け出ると霊的な目が開きます。周りに自分を迎えに来てくれた人たちが見えます。そしてすぐさま新しい生活が始まります。

魂に意識がない場合は、看護に来てくれた霊の援助で適当な場所、例えば病院なり休息所なりに連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで看護されます。

――愛し合いながら宗教的因習などで一緒になれなかった者も死後は一緒になれますか。

愛をいつまでも妨げることは出来ません。

――肉親や親戚の者とも会えますか。

愛が存在すれば会えます。愛がなければ会えません。

――死後の生命は永遠ですか。

生命はすべて永遠です。生命とは即ち大霊のことであり、大霊は永遠の存在だからです。

――あなたが住んでおられる界層は地球とか太陽とか惑星とかを取り巻くように存在しているのでしょうか。

そのいずれをも取り巻いておりません。地理的な区域というものがないのです。天球とか惑星のような形をしているわけではありません。無限の次元から成る一つの大宇宙があって、それぞれの次元でさまざまな形態の生活が営まれているのです。それらが幾重にも入り組み融合し調和しています。あなた方は(スピリチュアリズムのお蔭で)そのうちの幾つかを知ったわけですが、まだまだあなた方には想像も及ばない生命活動が営まれている界層が幾つでもあります。

――霊の世界を構成している組織にも地球と同じようにマテリアルな中心部というものがあるのでしょうか

私という存在はマテリアルなものでしょうか。男女の愛はマテリアルなものでしょうか。芸術家のインスピレーションはマテリアルなものでしょうか。音楽の鑑賞力はマテリアルなものでしょうか。こうした問いに対する答えは、あなたのおっしゃる「マテリアル」という用語の意味次第で違ってきます。実感のあるもの、実在性を有するものという意味でしたら、霊の世界はマテリアルなものという答えになります。霊とは生命の最奥の実在だからです。あなたがおっしゃるのは「物質的なもの」という意味だと思いますが、それはその実在をくるむように存在する「殻」のようなものに過ぎません。

――霊の世界も中心部は地球と同じ電磁場ないしは重力場の中に存在していて、地球と太陽の動きとともに宇宙空間を運行しながらヘラクレス座の方向へ向かっているのでしょうか。

霊の世界は地球の回転による影響は受けません。昼と夜の区別がないことでそれがお分かりでしょう。太陽のエネルギーは地球が受けているだけで、私たちには関係ありません。重力(引力)の作用も物質が受けるだけで、霊の世界には無縁です。霊的法則とは別のものです。

――霊が動くスピードに限界がありますか。

時間的ないしは空間的な意味での限界というものはありません。少なくとも霊界生活に慣れた者には限界はありません。どこへでも各自の思念と同じ速さで行けます。思念は私たちにとっては実体があるのです。限界があるとすれば、その思念の波動の高さによる限界です。その次元を超えることは出来ません。言い換えれば、霊性の開発の程度を超えた次元の界層へ行ってみるわけにはいかないということです。それが限界といえば限界ですが、時空の問題ではなく霊的世界での限界です。

――人間的存在が居住する全ての天体は霊的につながっているのでしょうか。

あなた方のいう「霊界」というのは宇宙の霊的側面ということで、それはあらゆる界層の生命活動を包括しております。

――霊界はたった一つだけですか。

霊の世界は一つです。しかし、その表現形態は無限です。地球以外の天体にもそれぞれに霊の世界があります。物的表現の裏側にはかならず霊的表現があるのです。その無限の霊的世界が二重三重に入り組みながら全体として一つにまとまっているのが宇宙なのです。あなた方が知っているのは、その中のごく一部です。知らない世界がまだまだ幾らでも存在します。

――その分布状態は地理的なものですか。

地理的なものではありません。精神的発達の程度に応じて差が生じているのです。もっとも、ある程度は物的表現形態による影響を受けます。

――ということは、私たち人間の観念で言うところの「界層」もあるということでしょうか。

その通りです。物的条件によって影響される段階を超えるまでは、人間が考えるような「地域」や「界層」が存在すると思ってよろしい。

――幼くして他界した我が子がすぐに分かるものでしょうか。

分かります。分かるように装った姿を見せてくれるからです。子供の方はずっと両親の地上生活を見ていますから様子がよく分かっており、真っ先に迎えに来てくれます。

――例えば死刑執行人のような罪深い仕事に携わっている人は霊界でどのような裁きを受けるのでしょうか。

もしもその人が、いけないことだ、罪深いことだ、と良心の呵責を感じながらやっていたら、それなりの報いを受けるでしょう。悪いと思わずやっていたのであれば、別に咎めは受けません。

――動物を殺して食べるということについてはどうでしょうか。

動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、いけないことと知りつつやることは何事であれ許されないことですから、やはりそれなりの報いは受けます。その段階まで進化しておらず、いけないとも何とも感じない人は、別に罰は受けません。知識にはかならず代償が伴います。責任という代償です。