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8章 祈りの効用

〔祈りの効用の問題はスピリチュアリズムに限らず、あらゆる宗教においてもよく論じられるテーマである。つまり祈れば神が必ず聞き届けてくださるかということであるが、祈りの作用にも摂理があり、その摂理に適えば効果を生み、適わなければ何も生じないということを知っている人は少ないようである。本章も質疑応答の形で祈りの問題を検討してみる〕

質疑応答

――祈るということは大切でしょうか。

その祈りがどういうものであるかによって答えが異なります。決まり文句のただの繰り返しでは空気に振動を起こすだけです。が、魂の奥底からの誠心誠意の祈り、大霊との交わりを深め、大霊の道具としてより有用な存在となりたいとの願望から出た祈りは、その祈りそのものが霊性を強化し、大霊の道具としてより相応しい存在にします。その種の祈りは自我を顕現せんとする行為であり、心を開く行為であり、私たち霊側との結束を固めることにもなります。

――おっしゃるのは、祈りが生み出す結果は主観的なものだけで客観的なものは生み出さないということでしょうか。人間性を高めることはあっても具体的なものは生み出さないのでしょうか。

祈りの本質は、人のためのサービスという行為へ向けて魂を整えることです。より高度なエネルギーと調和するための手段です。誰かが作文した祈りの文句を意味も分からずに繰り返すのではなく、全身全霊をこめて可能なかぎり高い次元の波動に合わせようとする行為のことです。それに呼応して注ぎ込まれるインスピレーションに満たされて霊性が強まります。

――人のために祈るということも何か効用があるのでしょうか。

あります。真摯な祈りは決して無駄にはなりません。意念には生命力が潜在しているからです。

――治療家による遠隔治療の祈りには特別な効果があるのでしょうか。

あります。これまでのご質問は一般個人の祈りを念頭にお答えしてまいりましたが、同じことがどの祈りにも当てはまります。要するに祈るということは霊的エネルギーを放出することですから、それを霊的治療家の背後霊団も活用しています。

――他の手段では得られないものを祈りによって霊界から授かることは可能でしょうか。

衷心からの祈りは、その祈りそのものの力によって波動を高め、より高度なエネルギーを活用することが出来るようになります。祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。もちろん全身全霊をこめた祈りのことです。お決まりの文句の繰り返しでは祈りとは言えません。真実の祈りは偉大なる霊的行為です。祈りはあくまでも手段であって目的ではない――これが最も正しい表現でしょう。

祈りの言葉はたった一言しかありません。「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」――これです。「大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい」――この願いより崇高なもの、これ以上の愛、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。どのような形でもよろしい。大霊の摂理の霊的な意味を教えてあげることでも、飢えに苦しむ人に食べるものを与えてあげることでも、あるいは暗い心を明るく晴らしてあげることでもよろしい。人のために役立ちさえすれば、形式はどうでもいいのです。

自分のことより他人のためを優先し、自分の存在を意義あらしめるほど、それだけ霊性が発達します。それはあなた方の一人一人の内部に宿る大霊が発揮されるということです。至って単純なことなのです。ところが人間は教会を建立し、何やら難しい説教をします。私にも理解できない難解な用語を用い、また、これぞ宗教とばかりに仰々しい儀式を行います。

そんなことよりも、生きる意欲を失くしている人のところへ出かけて行って元気づけてあげ、疲れた人に眠る場を与え、飢えに苦しむ人の空腹を満たしてあげ、渇いた人の喉を潤してあげ、暗闇に閉ざされた人の心に明るい真理の光を灯してあげることです。そうしたことを実行している時、あなたを通して大霊の摂理が働いていることになるのです。

――祈りがまったく叶えられないように思えることがあるのですが、なぜでしょうか。

人間各自の内面では常に“人間臭いもの”と“神性を帯びたもの”との間で葛藤があります。後者が勝てば大霊と一体となった喜悦を味わいますが、前者が勝った時は味気なさを味わいます。そうした中で私たちは、本人がこうなってくれればよいのだがと思う方向よりも、こちらから見てこうなった方が本人の存在価値をより大きく生かすことになるという方向に導かねばならないことが、よくあります。

この(サークルが開かれている)家には毎日毎夜、一団の霊が訪れています。その一人一人が高い世界への向上の権利を一時的に放棄して、地上の暗闇に光明をもたらすべく、ここに光のサークルをこしらえるための環境づくりに携わっているのです。そうした使命に比べれば、地上の些細なトラブルなどは物の数ではありません。

一方には身体を横たえる場所もなく、家らしい家もなく、青空天井の下で寝なければならず、身体が風雨にさらされる者がおり、また一方には身体を養うだけの食べものにありつけない者がいるというのに、あなた方がこうあってほしいと祈るその願いが、大霊の目から見て大事だと思いますか。

皆さんにこれだけは忘れないでいただきたいと思うのは、皆さんの一人一人が大霊の素晴らしい計画に参画し、わずかではあってもその意匠に織り込んでいるという事実です。いつの日か全体が織り上がった時には、地上の全人類の肌の色が見事にブレンドして織り上がっていることが分かるでしょう。その時こそ完全な地上世界となった時です。

さて、ご質問の、何の反応もない時のことですが、実はその時でもそれなりに刺しゅうは織り込まれているのです。毎日毎夜、地上界の巨大な織物は休むことなく織り続けられ、ついには地上全体を被うまでに至る、その一端を皆さんも担っているのです。

もう一つの見方として、地上の人間はとかく、もしその通りに叶えてあげたら魂の成長にとって良くないこと、進歩を遅らせることになるものを要求しがちです。これは叶えてあげるわけにはいきません。また、そんなものを手にする資格のないものを要求していることもあります。これも叶えられません。さらには、こちら側ですでに授ける準備をしていて、そのタイミングを図っているものを要求することもあります。大霊は全ての人間の祈りを、たとえ口に出さなくても、先刻ご承知であることを知ってください。

――各地の教会で繰り返されている祈りは何か効果があるでしょうか。

祈りの言葉を述べる人によって異なります。口先だけの祈りでは、無意味な音声の無駄に終わります。もしも衷心から祈り大霊に近づきたいとの願いから出た祈りであれば、その熱誠そのものが祈りに翼を与え、霊界の深奥へと運ばれることでしょう。

――酒浸りの親を更生させたいという祈りは、仮に幼い子供によるものであっても効果を発揮するでしょうか。

真摯な祈りには必ず霊力が伴うものです。が、その霊力がどこまで物的効力に転換されるかとなると、いろいろな条件を考慮しなければなりません。今おっしゃった例で言えば、その子供の祈りが父親の魂に響くか、それとも霊性が堕落して何の反応も示さないかのどちらかが考えられます。ご質問には私はイエスともノーとも言えません。

――でも、何らかの影響はあるでしょう?

自然に湧き出る祈り、役に立ちたいと願う祈り、知識や光明、叡智、導きを求める祈り、こうした祈りは魂の進化の表れです。あなたの精神はその身体ではなく霊の一部です。霊は大霊の一部ですから神的属性を秘めています。しかしそれを開発するには魂の進化が先決です。それなくしては顕現しません。

――祈りはただ言葉に出しさえすれば霊に聞こえるのでしょうか。それともある種の波動に反応するようなパワーに乗せて放散しないといけないのでしょうか。

祈りとは魂の表現です。そのことを分かり易く説明しましょう。祈りとは光明と導きを求めての魂の叫びです。その行為そのものが回答をもたらすのです。なぜならその行為が思念のパワーを生み出すからです。

そのパワーが原因となって回答を生み出します。その回答が結果です。霊はあなたが何を祈るかを待っているわけではありません。その必要はないのです。祈りの思念そのものが、その波動のレベルの界層の霊に届くのです。あなたの魂の進化の程度に応じた界層です。

当然その霊たちも役に立つことを切望していますから、あなたの思念のパワーにその霊たちのパワーが加わって、一段と強力となります。あなたが生み出した思念が新たな活動を呼ぶわけです。あなたの霊性のレベルに応じた段階での宇宙のエネルギーを動かすのです。と言うことは、そのエネルギーをあなたも活用することが出来るようになったということです。

祈る人の進化の程度によっては、ある一つの理想の要求に向かって意念を集中しなければいけないことがあるかも知れません。その方が有効だという人に私はあえて異議は唱えません。ただ私が申し上げたいのは、大霊、生命の摂理、宇宙の自然法則、こうしたものを基盤にして考えないといけないということです。

大霊は完全なる存在ですから、当然、大霊の摂理・法則も完ぺきです。その完全なる大霊の一部があなた方の内部に潜在していて、その発現を求めているのです。祈りやサービスによってそれを発現させるということは大霊があなたを通して働くということになります。そうしたもの、要するに魂の成長を促すものは全てあなたの霊性の進化を促しているのです。

――全てのものが不変の法則によって支配されているのであれば、大霊に祈っても意味がないのではないでしょうか。と言うのは、祈りとは大霊に法則を変えてくれるように依頼することではないかと思うからです。

それは私が理解しているところの祈りとは違います。祈りとは大霊に近づかんとする魂の願望です。祈りとは自己の内部の大霊を顕現せんとする願望であり、その行為が魂を開かせ、それまで届かなかった界層まで至らしめるのです。

そこには不公平も、えこひいきもありません。内部の大霊をより多く発現し、より多くの恩寵を授かるための、魂の活動です。大霊の恩寵は無限であり、あなたの魂もその無限性を発現せんとする無限なる存在です。

――なぜ人間は神に許しを乞うのでしょうか。摂理を犯せば必然的に罰が与えられると思うのですが……

許されればそれで償いが済むわけではありません。代償は必ず支払わねばならないのですから。許しを乞うという行為は、大霊の摂理と調和しようとする行為の始まりです。内省し、魂が自己批判をしはじめたことの証です。そこから本当の進化が始まります。