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編者まえがき

けさ私は、犬を連れて散歩に出かけた。

「それがどうかしましたか」――そんな声が聞こえてきそうな、どこにでもある話だが、とにかく話の先を聞いていただこう。

私は近くの海岸に沿って歩いた。早朝のことで、はるか彼方の水平線上にかすかにモヤが掛かっている。が、それもやがて日の出とともに消えていく運命にある。

人影はまばらだ。私と同じように犬を連れて散歩を楽しんでいる人が、そこここに見える程度である。が、海上にはカモメが群れ飛んでいる。水面スレスレを飛ぶもの、上空から急降下するもの、大きく翼を広げて旋回をくり返すもの……それらが出す、あの特有の悲しげな鳴き声が、早朝の冷たい風に混じって聞こえてくる。

しかし、そうした小さな動きがくり広げられている、この海という舞台には、泰然自若(たいぜんじじゃく)として、事もなげな趣きがある。そうしたものに超然とした、何か大きな営みを続けている感じがする。それでいて、目に見えるのは寄せては返す穏やかな波の動きばかりで、その波に身をまかせて、赤茶けたのやクリーム色など、色とりどりの小石が退屈そうに行ったり来たりしている。

すっかり日が昇ってから、私はこんどは公園の広場へ出た。ベンチに腰かけて辺りを眺めていると、一羽の蝶が陽光の中でダンスをしているかのように舞っている。辺り一面に季節の気配がする。スイセンが黄色い顔を太陽へ向けている。スイカズラの葉が風に揺れている。チューリップが地面を押し上げて顔をのぞかせている。小鳥が甘くささやき合っている。澄み切った青空を綿のような雲がゆっくりと流れていく。

やがて陽が傾き、たそがれが急ぎ足で近づいてくる。もうすぐ一日もおしまいだ。弱い夕陽の陽だまりで猫がまるくなっている。犬も、今日ばかりはよく歩かせてもらい、よく食べさせてもらったからか、満足そうな顔でしゃがみ込んでいる。が、私の脳裏には、こうした一日の散歩での教訓がよぎる。

何が起きようと、海は満ちては引いていく。太陽は昇り、温もりを惜しげもなく与えては、静かに沈んで、その場をこうこうたる月に譲る。蝶が舞い、小鳥がさえずる。スイセンが、チューリップが、スイカズラが、そのほか無数の植物が大自然の呼び声に合づちを打つかのように、花を咲かせる。犬も猫も、われわれ人間と同じように生まれ、四季おりおりの生活を楽しんでは、遠いようで近い、あの世へ行ってしまう。

私が言いたいのは、要するところシルバーバーチが巧みに、力強く、そしてくり返し説いているように、生命活動はすべて大自然の法則によって支配されているということである。その法則を超えるものは、何一つ、誰一人いないということである。

さて、本書は私にとって(前シリーズから数えて)五冊目になる。編纂しただけであるから、私自身に帰すべき功績は何もない。例によって前シリーズからの抜粋に、“サイキックニューズ”の資料室から新たに取り出して加えた。主として質疑応答の形を取っているものを選んである。

これに私はThe Spirit Speaks(霊は語る)というタイトルを付けた。文字どおり霊が語っているからである。霊媒のモーリス・バーバネルが他界した一九八一年をもって、半世紀にのぼるシルバーバーチ霊の使命も終わったが、その教えは、当時よりむしろ多くの国において、より多くの人々によって読まれていることであろう。

なぜなら、シルバーバーチの教えは、その背景としての根本理念に俗世的な地臭も、宗派的偏見も、人工的障壁も、みじんも見られないからである。

トニー・オーツセン