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7章 偉大さの尺度は奉仕的精神の度合いにあります

延べにして六十年にも及んだ地上での使命の中で、シルバーバーチが当惑した様子や不満の色、いらだちの態度を見せたことは一度もなかった。また、招待されて出席した人を個人的に批判することも絶対になかった。本当の意味での老賢人、慈悲深い魂だった。

その日の交霊会にもゲストが出席していた。そして、死後の世界の存在についてまだ本格的な確信が持てずにいることを正直に告白した。それを聞いて述べたシルバーバーチの回答が、さながらスピリチュアリズムの要約の観があるので、それをそのまま紹介しよう。

「わたしたち霊団の仕事の一つは、地上へ霊的真理をもたらすことです。これは大変な使命です。霊界から見る地上は、無知の程度がひどすぎます。その無知が生み出す悪弊には、見るに耐えないものがあります。それが地上の悲劇に反映しておりますが、実はそれが、ひいては霊界の悲劇にも反映しているのです。地上の宗教家は、死の関門をくぐった信者は、魔法のように突如として、言葉ではつくせないほどの喜悦に満ちた輝ける存在となって、一切の悩みと心配と不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。真相とはほど遠い話です。

死んで霊界へ来た人は――初期の段階にかぎっての話ですが――地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てた――ただそれだけのことです。個性は少しも変わっていません。性格はまったくいっしょです。習性も特質も性癖も個性も、地上時代そのままです。利己的だった人は、相変わらず利己的です。どん欲だった人は、相変わらずどん欲です。無知だった人は、相変わらず無知のままです。悩みを抱いていた人は、相変わらず悩んでおります。少なくとも霊的覚醒が起きるまでは、そうです。

こうしたことがあまりに多すぎることから、霊的実在について、ある程度の知識を地上に普及させるべしとの決断が下されたのです。そこで、わたしのような者が永年にわたって霊的生命についての真理を説く仕事にたずさわってきたわけです。霊的というと、これまではどこか神秘的な受け取られ方をされてきましたが、そういう曖昧なものでなしに、実在としての霊の真相を説くということです。そのためには、何世紀にもわたって受け継がれてきた誤解・無知・偏見・虚偽・欺瞞・迷信――要するに人類を暗闇の中に閉じ込めてきた勢力のすべてと闘わねばなりませんでした。

わたしたちは、そうした囚(とら)われの状態に置かれ続けている人類に霊的解放をもたらすという目的をもって、一大軍団を組織しました。お伝えする真埋はいたって単純なのですが、それにはまず、証拠になるものをお見せすることから始めなければなりません。すなわち偏見を捨てて、真摯な目的、真実を知ろうとする欲求をもって臨む者なら誰にでも得心のいくものであることを明らかにしなければなりません。愛する人たちは、そちら側からそのチャンスを与えてくれさえすれば、つまり然るべき通路(霊媒)を用意してくれさえすれば、死後もなお生き続けていることを証明してくれます。

これは空想の産物ではありません。何千回も何万回も、くり返し証明されてきている事実を、有りのままに述べているまでです。もはや議論や論争の枠を超えた問題です。もっとも、見ようとしない盲目者、事実を目の前にしてもなお、認めることができなくなってしまった、歪んだ心の持ち主は論外ですが。

以上が第一の目的です。“事実なら、その証拠をみせていただこう。われわれはもう信じるというだけでは済まされなくなっている。あまりに永い間、気まぐれな不合理きわまる教義を信じ込まされてきて、われわれは今そうしたものに、ほとほと愛想をつかしてしまった。われわれが欲しいのは、われわれ自身で評価し、判断し、測定し、考察し、分析し、調査できるものだ”――そうおっしゃる物質界からの挑戦にお応えして、霊的事実の証拠を提供するということです。

それはもう十分に提供されているのです。すでに地上にもたらされております。欲しい人は自分で手にすることができます。それこそが、わたしがこれまでにあらゆる攻撃を耐え忍び、これからもその砦(とりで)となってくれる“確定的事実”という、スピリチュアリズムの基盤なのです。もはや“私は信じます。私には信仰というものがあります。私には希望があります”といったことでは済まされる問題ではなくなったのです。“事実なのだから、どうしようもありません。立証されたのです”と断言できる人が、数え切れないほどいる時代です。

人類史上はじめて、宗教が実証的事実を基盤とすることになりました。神学上のドグマは証明しようのないものであり、当然、議論や論争がありましょう。が、死後の存続という事実は、まともな理性をもつ者ならば必ずや得心するだけの証拠が揃っております。しかし、証明された時点から本当の仕事が始まるのです。それでお終(しま)いとなるのではありません。まだその事実を知らない人が無数にいます。その人たちのために証拠を見せてあげなくてはなりません。少なくとも、死後にも生命があるという基本的真理は間違いないのだ、という確証を植えつけてあげる必要があります。

墓の向こうにも生活があるのです。あなたがたが“死んだ”と思い込んでる人たちは、今もずっと生き続けているのです。しかも、地上へ戻ってくることもできるのです。現実に戻ってきているのです。

しかし、それだけで終わってはいけません。死後にも生活があるということは何を意味するのか。どのように生き続けるのか。その死後の生活は、地上生活によってどういう影響を受けるのか。二つの世界の間にはいかなる因果関係があるのか。死の関門を通過したあと、いかなる体験をしているのか。地上時代に心に思ったことや言動は、死後、役に立っているのか障害となっているのか。以上のようなことを知らなくてはいけません。

また死後、地上へ伝えるべき教訓として何を学んでいるのか。物的所有物のすべてを残していったあとに、いったい何が残っているのか。死後の存続という事実は、宗教に、科学に、政治に、経済に、芸術に、国際関係に、はては人種差別の問題にいかなる影響を及ぼすのか、といったことも考えなくてはいけません。

そうです、そういう分野のすべてに影響を及ぼすことなのです。なぜなら、新しい知識は、永いあいだ人類を悩ませてきた古い問題に新たな照明を当ててくれるからです。

いかがですか、大ざっぱに申し上げた以上の話が、お役に立ちましたでしょうか」

「お話を聞いて、すっきりと理解がいったように思います」

「もう一つ申し上げたいことがあります。そうした問題と取り組んでいく上で、わたしたちは、暗黒の勢力と反抗勢力、そして、そうした勢力に加担することで利益を確保している者たちに対して、間断なき闘いを続けていかねばなりませんが、同時に、不安とか取り越し苦労といった“恐怖心”との闘いをも強(し)いられているということです。

地上と霊界との間には、その関係を容易にする条件と、反対に難しくする条件とがあります。誤解・敵意・無知――こうした障害は後者ですが、これはお互いの努力によって克服していけるものです。そのためには、わたしたちが存分に力を発揮する上で人間側に要求したい、心の姿勢というものがあります。

人間は肉体をたずさえた霊であり、わたしたちは肉体をもたない霊です。そこに共通したものがあります。“霊”というつながりです。あなたも今この時点において立派に“霊的存在”なのです。死んでから霊になるのではありません。死んでから霊体をさずかるのではありません。死はただ単に肉体という牢獄からあなたを解放するだけです。小鳥が鳥カゴを開けてもらって大空へ飛び立つように、死によってあなたは自由の身となるのです。

基本的には、あなたがた人間にも“霊”としてのあらゆる才能、あらゆる属性、あらゆる資質がそなわっております。今のところ、それが未発達の状態で潜在しているわけです。もっとも、わずかながら、すでに発現しているものもあります。未発達のものをこれからいかにして発現していくか、本当のあなたを表現していくにはどうしたらよいか、より大きな自我を悟り、大霊からのすばらしい遺産をわがものとするにはどうすればよいか、そうしたことをわたしたちがお教えすることができるのです。

しかし、いかなる形にせよ、そうした使命を帯びて地上へ戻ってくる霊は、必然的に、ある種の犠牲を強いられることになります。なぜなら、そのためには波長を地上の低い波長に合わさなければならない――言い変えれば、人間と接触するために、霊的な波長を物的な波長へと転換しなければならないからです。

人類の大半はまだ霊的なものを求める段階まで達しておりません。言い変えれば、霊的波長を感受する能力を発揮しておりません。ごく少数の人たちを除いて、大部分の人々はそのデリケートな波長、繊細な波長、高感度の波長を感じ取ることができないのです。

そこで、わたしたちの方から、言わば階段を下りなければならないのです。そのためには当然、それまでに身につけた霊的なものの多くを、しばらく置き去りにしなければなりません。本当は人間側からも階段を上がってもらって、お互いが歩み寄るという形になれば有り難いのですが、それはちょっと望めそうにありません。

しかし、人間が霊的存在であることに変わりはありません。霊的資質を発揮し、霊的な光輝を発揮することができれば、不安や疑いの念はすべて消滅してしまいます。霊は安心立命の境地においてのみ、本来の力を発揮するものです。

わたしたちが闘わねばならない本当の敵は、実は人間の無用の心配です。それがあまりに多くの人間の心に巣くっているのです。単なる観念上の産物、現実には存在しない心配ごとで悩んでいる人が多すぎるのです。

そこでわたしは、取り越し苦労はおやめなさいと、くり返し申し上げることになるのです。自分の力で解決できないほどの問題に直面させられることは決してありません。克服できない困難というものは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷物は決して与えられません。しかも、あふれんばかりの自信に満ちた雰囲気の中で生きていれば、霊界から援助し、導き、支えてくれる、あらゆる力を引き寄せることができるのです。

このように、霊的な問題は実に広大な範囲にまたがる、大きな問題なのです。人生のあらゆる側面にかかわりをもっているのです。ということは、これからという段階にいらっしゃるあなたには、探検旅行にも似た愉しみ、新しい霊的冒険の世界へ踏み込む楽しさがあるということでもあるのです。どうか頑張ってください」

「死後どれくらいたってから地上へ戻ってくるのでしょうか」

「それは一人ひとりの事情によって異なります。こちらへ来て何世紀にもなるのに、自分の身の上に何が起きたかがわからずにいる霊もいます」

「自分が死んだことに気づかないのです」とメンバーの一人が口添えする。するとシルバーバーチが――

「一方にはちゃんとした霊的知識をたずさえた人もいます。そういう霊は、適当な霊媒さえ見つかれば、死んですぐにでもメッセージを送ることができます。そのコツを心得ているのです。このように、この問題は霊的知識があるかどうかによって答えが異なる問題であり、単純にこうですとはお答えできません。

わたしたちが手を焼くのは、死後について誤った概念を抱いたままこちらへ来る大勢の人たちです。自分の想像していた世界だけが絶対と思い、それ以外では有りえないと思い込んでいます。一心にそう思い込んでいますから、それが彼らにとって現実の世界となるのです。わたしたちの世界は、精神と霊の世界であることを忘れないでください。思ったことがそのまま現実となるのです」

ここでシルバーバーチは、メンバーの中で心霊治療能力をもっている人に助言してから、再びさっきの質問者に向かって――

「この心霊治療も、わたしたちの大切な仕事なのです。治療家を通路として霊界の治癒エネルギーが地上の病的身体に注がれるのです。

このように、わたしたちの仕事はいろいろな側面、いろいろな分野をもった、非常に幅の広い仕事です。初心者の方は面食らうこともあると思いますが、間違いなく真理であり、その真実性を悟られた時に、あなたの生活に革命が起こります。

宗教の世界では“帰依(きえ)”ということを言います。おきまりの宣誓文句を受け入れ、信仰を告白する――それでその宗教へ帰依したことになるというのですが、本当の帰依というのは、霊的真理に得心がいって、それがあなたという存在の中にしっくりと納まることをいうのです。

その時からその人は新しい眼を通して、新しい確信と新しい理解とをもって人生を見つめます。生きる目的が具体的にわかるようになります。大霊が全存在のために用意された計画の一端がわかり始めるからです。

ある人は政治の分野において、生活の苦しい人々、社会の犠牲になっている人々、裏切られている人々、寄るべなき人々のために、その霊的知識を生かそうと奮い立ちます。ある人は宗教の世界へ足を踏み入れて、死に瀕(ひん)している古い教義に新しい生命を吹き込もうとします。ある者は科学の実験室に入り、残念ながらすっかり迷路にはまってしまった科学者の頭脳に、霊的なアイディアを吹き込もうと意気込みます。また芸術の世界へ入っていく人もいることでしょう。

要するに霊的真理は人生のすべての分野に関わるものだということです。それは当然のことなのです。なぜなら、生命とは霊であり、霊とはすなわち生命だからです。霊が目を覚まして真の自分を知った時、つまり霊的意識が目覚めた時、その時こそ自分とは何者なのか、いかなる存在なのか、なぜ存在しているのかといったことに得心がいきます。それからの人生は、その後に宿命的に待ちうける、より豊かで、より大きな生命の世界への身仕度のために、“人のために自分を役立てる”ことをモットーとして生きるべきです。

どうぞ、これからも真理探求の旅をお続けください。求め続けるのです。きっと与えられます。要求が拒絶されることは決してありません。ただし、回答は必ずしもあなたが期待したとおりのものであるとはかぎりません。あなたの成長にとって最善のものが与えられます」

最後に出席者全員に向かって、次のような別れの言葉を述べた。

「われわれは大いなる神の計画の中に組み込まれていること、一人ひとりが何らかの存在価値をもち、小さすぎて用のない者というのは一人もいないこと、忘れ去られたりすることは決してないことを忘れないようにしましょう。そういうことは断じてありません。宇宙の大霊の大事業に誰しも何らかの貢献ができるのです。霊的知識の普及において、苦しみと悲しみの荷を軽くしてあげることにおいて、病を癒してあげることにおいて、同情の手を差しのべることにおいて、寛容心と包容力において、われわれのすべてが何らかの役に立つことができるのです。

かくして各自がそれぞれの道において、温かき愛と、悠然たる自信と、確固たる信念をもって生き、道を見失った人々があなたがたを見て、光明への道はきっとあるのだと感じ取ってくれるような、そういう生き方をなさってください。それも人のために役立つということです。

では、大霊の祝福の多からんことを!」

その日の交霊会はそれで終わり、続いての交霊会に出たシルバーバーチは、その間に帰っていた本来の上層界での話に言及して、こう述べた。

「いつものことながら、いよいよ物質界へ戻ることになった時の気持は、あまり楽しいものではありません。課せられた仕事の大変さばかりが心に重くのしかかります。しかし、皆さんの愛による援助を受けて、ささやかながらわたしの援助を必要としている人たち、そしてそれを受け止めてくださる人たちのために、こうして戻ってくるのです。

これまでの暫(しば)しの間、わたしは本来の住処(すみか)において僚友とともに過ごしてまいりましたが、どうやら、わたしたちのこれまでの努力によって何とか成就できた仕事についての評価は、わたしが確かめたかぎりにおいては、満足すべきものであったようです。これからも忠誠心と誠実さと協調精神さえあれば、ますます発展していく大霊の計画の推進に挫折が生じる気づかいは毛頭ありません。

その原動力である霊の力が果たしてどこまで広がりゆくのか、その際限を推し量ることは、このわたしにもできません。たずさわっている仕事の当面の成果と、自分の受け持ちの範囲の事情についての情報は得られても、その努力の成果が果たして当初の計画どおりに行っているのかどうかについては知りませんし、知るべき立場にもないのです。わたしたちの力がどこまで役立ったのだろうか、多くの人が救われているのだろうか、それとも僅(わず)かしかいなかったのだろうか――そんな思いを抱きながらも、わたしたちはひたすら努力を重ねるだけなのです。

しかし、上層界にはすべての連絡網を通じて情報を集めている霊団が控えているのです。必要に応じて大集会を催し、地上界の全域における反応をあらゆる手段を通してキャッチして、計画の進捗(しんちょく)ぐあいを査定し、評価を下しているのです。

かくして、わたしたちにすら知り得ない領域において、ある種の変化がゆっくりと進行しつつあるのです。暗闇が刻一刻と明るさを増していきつつあります。霧が少しずつ晴れていきつつあります。モヤが後退しつつあります。無知と迷信とドグマによる束縛と足枷から解放される人が、ますます増えつつあります。自由の空気の味を噛みしめております。心配も恐怖もない雰囲気の中で、精神的に、霊的に、自由の中で生きることの素晴しさに目覚めつつあります。

自分がこの広い宇宙において決して一人ぽっちでないこと、見捨てられ忘れ去られた存在ではないこと、無限なる愛の手が常に差しのべられており、今まさに自分がその愛に触れたのだということを自覚し、そして理解します。人生は生き甲斐のあるものだということを、今一度あらためて確信します。そう断言できるようになった人が、今日、世界各地に広がっております。かつては、それが断言できなかったのです。

こうしたことが、わたしたちの仕事の進捗ぐあいを測るものさしとなります。束縛から解放された人々、二度と涙を流さなくなった人々が、その証人だということです。これから流す涙は、うれし涙だけです。心身ともに健全となった人々、懊悩(おうのう)することのなくなった人々、間違った教義や信仰が作り出した奴隷的状態から逃れることができた人々、自由の中に生き、霊としての尊厳を意識するようになった人々、こうした人たちは皆、われわれの努力、人類解放という気高い大事業にたずさわる人たちすべての努力の成果なのです。

これからも、まだまだ手を差しのべるべき人が無数にいます。願わくば、われわれの手の届くかぎりにおいて、その無数の人々のうちの幾人かでも真の自我に目覚め、それまでに欠けていた確信を見出し、全人類にとって等しく心の拠(よ)り所となるべき、永遠の霊的真理への覚醒をもたらしてあげられるように――更生力に富み、活性力と慰安力とにあふれ、気高い目標のために働きかける霊の力の存在を意識し、代わって彼らもまた、いずれはその霊力の道具となって、同じ光明をますます広く世界中に行きわたらせる一助となってくれるよう、皆さんとともに希望し、祈り、そして決意を新たにしようではありませんか。

真理はたった一人の人間を通じてもたらされるものではありません。地球上の無数の人間を通じて滲透していくものです。霊力の働きかけがあるかぎり、人類は着実に進歩するものであることを忘れないでください。今まさに人類は、内在する霊的遺産を見出しはじめ、霊的自由をわがものとしはじめました。そこから湧き出る思い、駆り立てられるような衝動、鼓舞されるような気持は、強烈にして抑えがたく、とうてい抑え通せるものではありません。霊の自由、精神の自由、身体の自由にあこがれ、主張し、そして希求してきた地球上の無数の人々を、今その思いが奮い立たせております。

こうして、やがて新しい世界が生まれるのです。王位は転覆され、権力的支配者は失脚し、独裁者は姿を消してまいります。人類はその本来の存在価値を見出し、内部の霊の光が世界中にさん然と輝きわたることでしょう。

それは、抑え難い霊的衝動の湧出(ゆうしゅつ)によってもたらされます。今まさに、それが更生の大事業を推進しているのです。わたしが決して失望しない理由はそこにあります。わたしの目に、人類の霊的解放というゴールへ向けての大行進が見えるからです」

ここでメンバーの一人が「歴史をみても、人類の努力すべき方向はすでに多くの模範が示してくれております」と言うと――

「そうなのです。訓えは十分に揃っているのです。今必要なのは、その実行者です。

そこで、その実行者たるべきわれわれは、悲しみに打ちひしがれた人々、重苦しい無常感の中にあって真実を希求している無数の人々の身の上に思いを馳せましょう。われわれの影響力の行使範囲にまでたどりついた人々に精一杯の援助を施し、慰めを与え、その悲しみを希望に変え、孤独感を打ち消して、人生はまだお終いではないとの確信をもたせてあげましょう。

無限の宝を秘めた大霊の貯蔵庫から、霊力を引き出しましょう。われわれに存在を与え給い、みずからのイメージに似せて創造したまい、神性を賦与してくださった大霊の道具となるべく、日常生活において、われわれ自身を厳しく律してまいりましょう。

われわれこそ、その大霊の計画の推進者であることを片時も忘れることなく、謙虚さと奉仕の精神と、託された信託への忠誠心をもって臨むかぎり、恐れるものは何一つないこと、いかなる障害物も、太陽の輝きの前の影のごとく消滅していくとの確信をもって、邁進(まいしん)いたしましょう」

別の日の交霊会で――

「心霊的能力の発達は人類進化の次の段階なのでしょうか」

「霊能者とか霊媒と呼ばれている人が進化の先駆けであることに、疑問の余地はありません。進化の梯子の一段上を行く、いわば前衛です。そのうち、心霊能力が人間の当りまえの能力の一部となる時代がきます。地上人類は今、精神的発達の段階を通過しつつあるところです。このあとには、必然的に心霊的発達の段階がきます。

人間が、五感だけを宇宙との接触の通路としている、哀れな動物ではないことをまず認識しないといけません。五感で知りうる世界は、宇宙のほんの一部です。それは物的手段で感識できるものに限られています。人間は物質を超えた存在です。精神と霊とで出来ているのです。その精神と霊にはそれなりのバイブレーションがあり、そのバイブレーションに感応する、別の次元の世界が存在します。地上にいる間は物的なバイブレーションで生活しますが、やがて死をへて、より高いバイブレーションの世界が永遠の住処(すみか)となる日がまいります」

「霊界のどこに誰がいるということが簡単にわかるものでしょうか」

「霊界にはそういうことが得意な者がおります。そういう霊には簡単にわかります。大ざっぱに分類すれば、他界した霊は、地上へ帰りたがっている者と帰りたがらない者とに分けられます。帰りたがっている霊の場合は、有能な霊媒さえ用意すれば容易に連絡が取れます。しかし帰りたがらない霊ですと、どこにいるかは突き止められても、地上と連絡を取るのは容易ではありません。イヤだというのを、無理やりに連れ戻すわけにはいかないからです」

別の質問に答えて――

「次のことをよく理解しないといけません。こちらの世界には地上の人間への愛、情愛、愛情、同情といったものをごく自然な形で感じている霊が大勢いるということです。精神的なもの、霊的なものによって結びついている時は、それは実在を基盤とした絆で結びついていることになります。なぜなら、精神的な力や霊的な力の方が、地上的な縁よりも強烈だからです。たとえば、地上のある画家がすでに他界している巨匠に心酔しているとします。その一念は当然その巨匠に通じ、それを縁として地上圏へ戻って、何らかの影響力を行使することになります。

もう一つ理解していただきたいのは、地上時代に発揮していた精神的ならびに霊的資質が何であれ、皆さんが“死んで”その肉体を捨ててしまうと、地上時代よりはるかに多くの資質が発揮されはじめるということです。肉体という物質の本質上、どうしても制約的・抑止的に働くものが取り払われるからです。そうなってから、もしも地上に、右の例の画家のように精神的ないし霊的なものを縁としてつながる人が見つかれば、その拡張された能力を役立てたいという気持になるものなのです。

その影響力を無意識のうちに受けておられる場合もあります。地上の芸術家はそれを“インスピレーション”と呼んできましたが、それが“霊”から送られていることには気づいておられないようです。つまり、かつて同じ地上で生活したことのある先輩から送られてきているという認識はないようです。

これは、わたしの場合にもいえることです。生命の摂理について皆さんより少しばかり多くのことを学んだわたしが、こうして地上へ戻ってきて、受け入れる用意のある人にお届けしているように、わたしより多くを学んでいる偉大な先輩が、このわたしに働きかけているのです。偉大さの尺度は奉仕的精神の度合にあります。いただくものが多いから偉大なのではなく、与えるものが多いから偉大なのです。

どうか皆さんも、可能なかぎりの美徳を地上にもたらすために皆さんを活用しようとしている高級霊の道具である、というよりは、心がけ一つで道具となれる、ということを自覚なさってください。自分が授かっている資質ないしは才能を人類のために捧げたい――苦悩を軽減し、精神を高揚し、不正を改めるための一助となりたい、という願望を至上目的とした生き方をしていれば、何一つ恐れるものはありません。

何が起きようと、それによって傷つくようなことはありません。目標を高く掲げ、何ものにも屈しない盤石(ばんじゃく)の決意をもって、“最大多数の人々への最大限の徳”をモットーにして仕事に当たれば、それが挫折することは絶対にありません」

その日のゲストには、ぜひとも交信したい相手がいて、どうすればそれが叶えられるかをシルバーバーチに尋ねた。すると次のようなアドバイスが与えられた。

「交霊会に出席する際に、特別な先入観を抱いていると、それが交信の障害となります。地上側はあくまでも受信者ですから、会場の雰囲気は受け身的でないといけません。そこへ強烈な思念を抱いて出席することは、言わばその会場に爆弾を落すようなものです。こうあってほしいという固定観念を放射し、それ以外のことを受け入れる余裕がないような状態では、せっかくの交信のチャンネルを塞いでしまうことになります。交信はあくまでもチャンネルを通して届けられるのです。それを塞いでしまっては、交信ができるはずがありません。開いていないといけません。

わたしたちが皆さんに近づけるのは、皆さんが精神的に共感的で受け身的な状態にある時です。言いかえれば、心のドアを開いて“さあ、受け入れの準備ができました。どうぞ”と言える時です。“自分はかくかくしかじかのものを要求したい。それ以外は断ります”といった態度では、交信のチャンネルを制約し、あなたが求めている霊までが出現しにくくなるのです」

「霊媒の中には、霊の姿まで見えているのに、その霊の地上時代の“姓”はよくわからないという人がいますが、なぜでしょうか」

「それは、その霊媒にとっては、ほかのことに較べて“姓”の観念がにがてというまでのことです。要は波動がキャッチできるかどうかの問題です。よく馴染んでいる波動は伝達が容易です。珍しい名前、変わった名前ほど伝達しにくく、したがって受け取りにくいということになります。

もう一つの要素として、霊界から霊媒や霊能者に届けられる通信の多くは、絵画やシンボルの形で送られることが多く、その点、姓名というのは絵画やシンボルで表現するのはほとんど不可能という事情があります。霊視力や霊聴力の確かな霊媒なら、姓名の伝達もうまく行きます。

ただ、忘れないでいただきたいのは、霊媒としての評価は姓名をよく言い当てるかどうかではなくて、その霊についての確かな存在の証拠を提供できるかどうかであることです」

祈り

地上各地に霊の神殿を設け……

ああ、大霊よ。全生命の無限なる始源にあらせられるあなた。全宇宙を創造し、形態を与え、それぞれに目的を持たせ、その全側面を経綸したまうあなた。そのあなたの分霊(わけみたま)をうけているわたしたちは、その霊性を高め、目的意識を強め、あなたとの絆をさらに強く締め、あなたの叡智、あなたの愛、あなたの力でみずからを満たし、あなたの道具として、より大きくお役に立ち、あなたの子等のために尽したいと願うものでございます。

わたしたちは、地上人類に実り多き仕事の機会をもたらす霊的な安らぎと和の雰囲気を回復させ、そのエネルギーを全世界へ福利と協調の精神を広めるために用い、空腹と飢餓、苦悩と悲哀、邪悪と病気、そして戦争という惨劇を永遠に排除し、すべての者が友好と親善の中で生活し、あなたが賦与なされた資質の開発に勤しみ、かくして一人ひとりが全体のために貢献するようになることを願っております。

わたしたちは子等の一人ひとりに潜在しているあなたの神性を呼び覚まし、それを生活の中に自由闊達に顕現せしめたいと念願しております。その神性にこそ、始めも終わりもない、無限の目的と表現をもつ、霊力の多様性が秘められているのでございます。

人間がチリとドロからこしらえられたものではなく、あなたの分霊であることを理解し、その目的のもとに生活を律していくためにも、その霊的資質を甦らせてあげたいのでございます。

愛と理解とをもって悲哀と無知とを追い出し、人間みずからこしらえてきた障害を破壊することによって、生命と同じく愛にも死はなく永遠であることの証を提供したいと望んでいる高き世界の霊が、自由にこの地上へ戻ってこられるようにしたいと願っているのでございます。

地上の各地に霊の神殿(交霊の場)を設け、高き界層からの導きとインスピレーションと叡智と真理が存分に届けられ、人間が人生の目的、物質界に存在することの理由を理解し、宿命的に待ちうける、より高き、より充実せる生命活動の場にそなえて、霊性を鍛えることができるようになることを願うものです。

あまりに永きにわたって霊性を束縛してきた無知と迷信への隷属状態から人間を救い出し、霊的にも、精神的にも、身体的にも自由を獲得し、あなたの意図された通りの生き方ができるようになって欲しいのでございます。