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5章 人間は生まれる前も、今も、そしてこれからもずっと霊です

霊媒の指導霊や支配霊になるのは、霊媒自身より霊格の高い霊ときまっているのか。心霊研究というのは大切なものか。神を、全能で慈悲深い存在と考えてよいか。こうした質問がサイキックニューズ紙の読者から寄せられている。本章ではそうした投書による質問と、それに対するシルバーバーチの回答をまとめて紹介してみよう。

最初に紹介するのは、かの有名な“モーゼの十戒”に関するもので、あれはもう古いのではないか、内容を書き改めるべきではないか、といった意見が添えられていた。シルバーバーチは質問者の意見に同感であると述べてから、こう続けた。

「人類の永い歴史の中のある一時期のために届けられた霊力を、神による最終的な啓示と見なしてはなりません。啓示というものは、時代と民族の理解力に合わせて届けられるもので、継続的かつ進歩的です。理解力の及ぶ範囲内で少し進んだもの、ということです。常に一歩先のものが届けられ、そこまで到達すれば、さらに次の段階のものを、というふうに、無限の梯子(はしご)を登ってまいります。

なのに、かのユダヤ民族がまだ幼い段階にあり、しかもその当時の情況に合わせて届けられたものが、何もかも大きく事情の異なる現代に、どうして当てはまりましょうか。わたしには“一戒”しかありません。お互いがお互いのために尽し合うべし――これだけです」

この回答がきっかけとなって、ひとしきりメンバーの間で議論の花が咲いた。それにシルバーバーチも加わって、こう述べた。

「こうして皆さんのご意見をお聞きしていると、わたしは、出来ることなら霊的ビジョンがどうなっているかをお見せしたいものだと思わずにはいられません。そうすれば、霊の世界に存在する複雑・微妙な組織と、計画が立案され地上の各国に影響力が行使されていく、その背景に行きわたる配慮、絶妙ともいうべき配剤を、まのあたりにすることができるのですが……。永年にわたって蓄積されてきた叡智から生まれる洞察力が総動員されます。が、それでも、時として見込み違いというものがあるものです。わたしたちにも失敗はあるのです。何もかもうまく行くとはかぎらないのです。

しかし、このわたしにかぎって言えば、皆さんからの大いなる愛と敬意を頂戴して、大へん恵まれた成果をあげてまいりました。その愛と敬意のお蔭で、他の霊団の多くが、必死の努力にもかかわらず、使命半ばにして挫折している中で、わたしの仕事はずいぶんラクな思いをさせていただきました。まったくの無名の状態から始めて、今や全世界のすみずみまで広がるに至ったこれまでの道のりを振り返ると、感慨ひとしおというところです。しかし、まだその使命は終わっていないのです。

今でも数多くの大きな問題に直面しております。が、それと闘い、そして克服しつつ、この暗闇に包まれた物質の世界に、ささやかな光明を注いでいくことができております」

次の投書には“大霊の存在を実感するにはどうしたらよいのでしょうか”とあった。これが読み上げられるとシルバーバーチは、間髪を入れず、こう答えた。

「まず第一に、生命の大霊とは何であるかを明確に認識しないといけません。これまでは、それが間違った概念のもとに信じられてまいりました。

もとより大霊を有限の用語で表現することは、必然的に不可能なことです。無限なる存在を有限なる言語で表現できる道理がありません。そこで、いつの時代においても、神の真の姿は捉え難く、限りある地上の人間の理解力では正しく理解することができませんでした。

しかし皆さんも霊的存在であり、内部に神性の火花を宿しており、程度の問題とはいえ、大霊の資質をそなえているからには、生命の全諸相に顕現している崇高にしてダイナミックな生命力を感じ取ることはできるはずです。ただし、それにも程度の差はありますが……

そのための条件として、物的感覚を鎮静させること(精神統一)ができるようにならないといけません。世間の雑音、不協和音、いがみ合い等は、きれいさっぱりと忘れ去らないといけません。内面を穏やかに保ち、あたりを包んでいる崇高な根元的エネルギーに魂をゆだねるコツを身につけないといけません。その段階で内部から湧き出る静寂の醍醐味(だいごみ)――それが生命現象の背後の霊力と一体となった時の実感です。

そこに至るには、時間と忍耐と知識とが必要です。が、あなたのまわりに充満する霊妙にして微妙な霊的生命のバイブレーションを感じ取ることができるようになるにつれて、内部の霊的自我に潜む驚異的可能性に気づくようになります。それが、大霊の存在を実感するということです。しかし、それは容易なことではありません」

次の投書はシルバーバーチがよく使用する“霊の力”についての質問で、“それはタンジブルtangible(触れてみることができるもの)でしょうか。リアルreal(実体感のあるもの)でしょうか”というものだった。

「難しい用語を使用なさいますね。タンジブルとはどういう意味でしょうか。五感に反応するかという意味でしょうか。もしその意味でしたら、“ノー”の返事となります。

リアルなものか? むろんリアルです。知識がリアルであるように、叡智がリアルであるように、進化がリアルであるように、友情がリアルであるように、愛がリアルであるように、実在のエネルギーがすべてリアルであるように、霊力はリアルなものです。霊の世界においてはタンジブルなものですが、地上世界では、霊感者を除いては、感知できません。

霊力は生命を支えているエネルギーです。無知な人、偏見のある人、迷信にひきずり回されている人は、みずから障壁をこしらえ、それが霊力の流れを阻止しているのです。それを取り除くのにどれだけの時を要するかは、その障壁の性質(たち)によって違ってきます。

人によっては、霊的なことについて漠然とした概念すら抱くことなく生涯を終わる人もいます。生命とは霊であり、霊とは生命であり、地上に存在するものはすべて霊力のお蔭であるということが、チラリと脳裏をよぎることもなく過ごします。

そういう人は、霊的実在に対して、すべての感覚がマヒしているのです。言ってみれば物的牢獄の中で暮らしているようなもので、死が解放してくれるまで、その状態が続きます。もっとも、死んだらすぐに実在に気づくというものでないことは、ここにおいでの皆さんはよくご存知と思います。その種の人間は、霊的生活環境に馴染むまでに、相当な調整期間を要します。

中には、地上生活中に時おり、ほんの一瞬のことですが、生命の全諸相を創造し支配し導いている、何かしら超越的な力の存在に気づく人がいます。

さらには、ここにおいでの皆さんのように、霊力の実在について直接的な認識をお持ちで、日々、その恩恵に浴していらっしゃる方がいます。心が、精神が、そして魂が開かれ、この全大宇宙を動かしている力と同じものが自分を通して働きかけ、他の人々の魂を目覚めさせる上で、自分を役立てる用意ができておられる方たちです。

どの力も始源は一つです。全生命活動を動かしている力が、このわたしを今こうしてしゃベらせているのです」

そのシルバーバーチ霊団とサークルとのつながりについて問われて――

「信念に燃えなさい。盲目的な信念ではなく、確実な知識に基づいた信念です。確信です。これは、古くから言われ続けてきた訓えです。もともと、わたしが申し上げていることに新しいものは何一つありません。そこで、改めてここで、それが皆さんの存在の布地に染み込むように、わたしに可能なかぎりの力を込めて、同じ言葉を繰り返します――信念に燃えなさい!

皆さんは皆さんの役目を果たしてください。わたしたちはわたしたちの役目を果たします。絶対に見捨てるようなことは致しません。宇宙にはインスピレーションが充満しているのです。条件さえ整えば、それを自由に我がものとすることができるのです。ところが、そこに取り越し苦労、疑念、不安といったものが入り込みます。そうした不協和音が邪魔をするのです。ですから、それらが心に宿るスキを与えてはならないのです。

為さねばならないことが山ほどあります。それを成就するためには、皆さんがた人間側の堅固な忠誠心による援護がぜひとも欲しいのです。比較的永い年月にわたる経験をもつこのわたしでさえ、克服に手こずる障害が沢山あります。それを乗り越えるには、皆さんがたが忠実であってくださること、信念を崩さないでいてくださること、そして何よりも、恐れることを知らない気魄(きはく)を持ち続けてくださることが不可欠なのです。心配・迷い・不安、こうした弱味が心に根を張るのを許してはなりません。

これからも難問が前途を過(よぎ)ることでしょう。が、皆さんもそれを過って進めばよろしい。いっしょに留まってはなりません。解決できないほど大きな難問、背負えないほど重い荷物というものはありません。弱気になってはいけません。明日がもたらすものを、断固たる意志と不敵な精神で迎えるのです。そうすれば万事うまく行きます。

皆さんの助力を必要とする人が無数にいます。皆さんはいつでも援助の手を差しのべられる用意ができていないといけません。それができてはじめて、自分の存在意義を発揮したことになるのです。どんな大言壮語をしても、人のためになることをしなかったら、自分が得たものを人に与えるということをしなかったら、せっかくあなたに託された霊的知識が教えてくれる生き方をしていないことになるのです。

やるべきことが沢山あります。どうか皆さんも、わたしたちとともに、自分の行為によって生きる愉(たの)しみを知ってくれる人が、ここにも、あそこにもいてくれるのだという喜びに満ちた期待をもって、仕事に邁進(まいしん)いたしましょう。

そして、例によってわたしの心は、大霊への祈りの気持に満たされます。

ああ、大霊よ、あなたの霊力はわたしたちを生かしめている力です。あなたの霊力はわたしたちの魂を高揚させる力です。わたしどもはその力をできうるかぎり豊かに地上へ顕現せしめ、それに気づかずにいる者に、その素晴しさを認識させてあげたいのでございます。

大霊の祝福のあらんことを!」

別の日の交霊会でも、世界中の読者から寄せられた質問が取り上げられた。そのうちの一つは“他界後の行き先はわかったのですが、いったい霊はどこから来るのでしょうか”というものだった。するとシルバーバーチらしい返答が返ってきた。

「その方は本当に他界後の行き先がわかっていらっしゃるのでしょうか。どこへ行くのでしょう?」

この問いかけに、右の投書を読み上げたメンバーが「次の世界へ行くという意味だと思いますが……」と言うと――

「そういうふうに皆さんは“次の世界”などという実にあいまいな用語を用いられますが、生命の世界は一つなのです。それに無数の段階があるということです。皆さんは今も立派に霊界にいらっしゃるのですし、これからも永遠に霊界にいらっしゃるのです。バイブレーションの波長が異なるというだけのことです。同じ意味で、人間は今から立派に霊的存在であり、これからもずっと霊的存在です。“死”が霊にするのではありません―― 一ミリたりともあなたの霊性を高めてはくれません。

人間は生まれる前も、今も、そしてこれからもずっと霊です。現在はその肉体という機関を通して顕現している部分だけを意識していらっしゃるのです。いわゆる“死”のあとの進化にともなって、それまで顕現していなかった部分が次第に発揮されていきますが、“霊”としては、どこかへ行ってしまうわけではありません。どこから来たのでもありません。無窮の過去から存在し、今も存在し、これからも無窮に存在し続けます」

メンバーの一人「地上的表現形態をもつ前はどういう形で表現していたのでしょうか。この質問者が聞きたいのはそのことだろうと思うのです」

「霊としてはずっと存在しているのですが、その物質という形態に宿るまでは、個体としての存在はありません。霊が個別性をもつのは物的身体と連結した時です」

「それは、人間に飼われている動物の個別性が飼い主とのつながりによって促進されるのと同じと考えてよろしいでしょうか」

「結構です」

訳注――動物の霊は種族ごとの類魂としての意識しかなく、死後はその類魂と融合して個別性を失う。が、人間に可愛がられた動物は、その愛によって個別性が強められて、死後もしばらく、そのままの形態を維持している。飼い主の死後、霊界でいっしょに暮らしてますます個別性を強めるが、進化の速度が人間に劣るために、いつかは別れる時が来て、動物はその愛が薄れるにつれて個別性を失い、最後はやはり類魂の中へ融合していく。が、その分だけ類魂が進化を促進され、やがて、類魂全体として人間的身体へ宿る段階がくる。

コナン・ドイルの『妖精物語』の中で、ある体験者が、形体のはっきりしない精霊を目の前にして、素直でやさしい気持になるほど形体がくっきりと、そして生き生きとしてきた、という話がある。それが“愛の力”であり、育児や学校教育も、帰するところは“愛”の問題であることを、さきの人間と動物の進化の話とあわせて、教えているように思える。

別のメンバー「われわれがこの物的身体を失っても、やはり個性を持ち続けるのでしょうか」

「ますます個性が強くなります」

さらに別のメンバー「でも、次第にあなたのおっしゃる大霊の中へ融合していくのではないでしょうか。ますます神性を発揮するのですから……」

「それでもなお個性は残ります。あくまでもあなた自身の潜在的資質を発揮し続けるのです。その顕現の仕方は進化の程度によって決まります。進化するほど潜在的自我が表面へ出てまいります。それは、それだけ完成度が高められるということであり、完成度が高まるほど大霊に近づくということです。

もしもその完成度が限られたものであるとしたら、ある一定の時期がくればあなたも大霊に融合しきってしまうことになりますが、進化とは無限の過程なのです。進化すればするほど、まだその先に進化の余地があることを自覚することの連続です。こうしてあなたは、どこまで行っても、ますます個性を強めていくのです」

続いての投書は“他界した人たちには、私たちから送られる思いやりや祈りが通じているのでしょうか。愛の力を霊界での仕事に使用できるものでしょうか”というものだった。シルバーバーチが答える。

「それは、両者の間に真実の愛または情のつながりがあるかどうかによって違ってきますが、大体において、切なる思いや祈り、幸せを願う気持はその霊に通じ、力になります」

「もう一度やり直すチャンスはすべての人に与えられるのでしょうか」

「もちろんです。やり直しのチャンスが与えられないとしたら、宇宙が愛と公正とによって支配されていないことになります。墓に埋められて万事がお終いとなるとしたら、この世は実に不公平だらけで、生きてきた不満だらけの人生の埋め合わせもやり直しもできないことになります。

わたしたちが地上の人々にもたらすことのできる最高の霊的知識は、人生が“死”をもって終了するのではないこと、したがって苦しい人生を送った人も失敗の人生を送った人も、あるいは屈辱の人生を送った人も、みんなもう一度やり直すことができるということ、言いかえれば、悔(くや)し涙を拭(ぬぐ)うチャンスが必ず与えられるということです。

人生は死後も続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で、人間は内在する能力、地上で発揮しえなかった才能を発揮するチャンスが与えられ、同時に又、愚かにも摂理を無視し、他人の迷惑も考えずに横柄(おうへい)に生きてきた人間には、その悪業の償いをするチャンスが与えられます。

神の公正は完ぺきです。騙(だま)すことも、ごまかすこともできません。すべては神の眼下にあります。すべてをお見通しです。そうと知れば、まじめに生きてきた人間が何を恐れることがありましょう。恐れることを必要とするのは、利己主義者だけです」

「スピリチュアリズムが現代の世界に貢献できることの中で最大のものは何でしょうか」

「最大の貢献は、大霊の子等にいろんな意味での自由をもたらすことです。これまで隷属させられてきた束縛から解放してくれます。知識の扉は誰にでも、分け隔てなく開かれていることを教えてあげることによって、無知の牢獄から解放してあげます。日陰でなく日向で生きることを可能にしてあげます。

スピリチュアリズムは、あらゆる迷信と宗教家の策謀から解放します。真理を求める闘いにおいて、勇猛果敢(ゆうもうかかん)であらしめます。内部に宿る神性を自覚せしめます。地上のいかなる人間にも、例外なく霊の絆が宿ることを認識せしめます。

憎み合いもなく、肌の色や民族の差別もない世界、自分をより多く人のために役立てた人だけが偉い人とされる世界を築くにはどうすればよいかを教えます。知識を豊かにします。精神を培(つちか)い、霊性を強固にし、生得の神性に恥じることのない生き方を教えます。こうした点がスピリチュアリズムにできる大きな貢献です。

人間は自由であるべく生まれてくるのです。自由の中で生きるべく意図されているのです。奴隷のごとく他の者によって縛られ、足枷をされて生きるべきものではありません。その人生に豊かさがないといけません。精神的に、身体的に、霊的に豊かでなければいけません。あらゆる知識――真理も、叡智も、霊的啓示も、すべてが広く開放されるべきです。生得の霊的遺産を差し押さえ、天命の全うを妨げる宗教的制約によって肩身の狭い思い、いらだち、悔しい思いをさせられることなく、霊の壮厳さの中で生きるべきです」

「スピリチュアリズムはこれまでどおり一種の影響力として伸び続けるべきでしょうか、それとも一つの信仰形体として正式に組織をもつべきでしょうか」

「わたしはスピリチュアリズムが信仰だとは思いません。知識です。その影響力の息吹きは、止めようにも止められるものではありません。真理の普及は抑えられるものではありません。みずからの力で発展してまいります。外部の力で規制できるものではありません。あなたがたに寄与できるのは、それがより多くの人々に行きわたるように、その伝達手段となることです。

それがどれほどの影響をもたらすかは、前もって推し量ることはできません。そのためのルールをこしらえたり、細かく方針を立てたりすることはできない性質のものなのです。(※)

あなたがたに出来るのは、一個の人間としての責任に忠実であるということ、それしかないのです。自分の理解力の光に照らして義務を遂行する――人のために役立つことをし、自分が手に入れたものを次の人に分け与える――かくして霊の芳香が自然に広がるようになるということです。一種の酵素のようなものです。じっくりと人間生活の全分野に滲透しながら熟成してまいります。みなさんは、ご自分で最善と思われることに精を出し、これでよいと思われる方法で真理を普及なさることです」

――それを人間の浅知恵でやろうとすると、組織を整え、広報担当、営業担当といったものをこしらえ、一つの企業としての体制ができ上がる。その体制を維持するためには資金がいる。そこで、目標が宗教本来のものから逸脱して、いかにして収入増を図るかということに集中するようになり、かくして世俗的宗教――立派な“商売”となり下がっていく。それがいつの世にも変わらぬパターンであることを念頭においてシルバーバーチは警告している。

「支配霊になるのは霊媒自身よりも霊格の高い霊と決まっているのでしょうか」

「いえ、そうとはかぎりません。その霊媒の仕事の種類(大きく分ければ物理的心霊現象か精神的心霊現象か)によって違いますし、また、“支配霊”という用語をどういう意味で使っているかも問題です。

地上の霊媒を使用する仕事にたずさわる霊は“協力態勢”で臨みます。一人の霊媒には複数の霊から成る霊団が組織されており、その全体の指揮にあたる霊が一人います。これを“支配霊(コントロール)”と呼ぶのが適切でしょう。霊団全体を監督し、指示を与え、霊媒を通じてしゃべります。時おり他の霊がしゃべることもありますが、その場合も支配霊の指示と許可を得た上でのことです。しかし役割は一人ひとり違います。“指導霊(ガイド)”という呼び方をすることがあるのもそのためです。

霊言霊媒にかぎっていえば、支配霊はかならず霊媒より霊格が上です。が、物理現象の演出にたずさわるのは必ずしも霊格が高い霊とはかぎりません。中には、地上的要素(物質臭)が強く残っているからこそ、その種の仕事にたずさわれるという霊もいます。そういう霊ばかりで構成されている霊団もあり、その場合は必ずしも霊媒より上とはかぎりません。

しかし一般的に言えば、監督・支配している霊は霊媒より霊格が上です。そうでないと霊側に主導権が得られないからです」

「思念に実体があるというのは事実でしょうか」

「これはとても興味ぶかい問題です。思念にも影響力がある――このことには異論はないでしょう。思念は生命の創造作用の一つだからです。ですから、思念の世界においては実在なのです。が、それが使用される界層の環境条件によって、作用の仕方が制約を受けます。

いま地上人類は、五感を通して感識する条件下に住んでいます。その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達したところです。まだ、テレパシーによって交信し合える段階までは進化していないということです。まだまだ開発しなければならないものがあります。地上人類は、物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下に置かれた、霊的存在ということです。その条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら、地上では思念が物的形態をとるまでは存在に気づかないからです。

思念は、思念の世界においては実在そのものです。が、地上においては、それを物質でくるまないと存在が感識されないのです。肉体による束縛をまったく受けないわたしの世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。わたしの世界では霊の表現または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。

勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にあるかぎりは、思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても、代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは、邪道です。これも正しい視野で捉えないといけません」

「物的生活の動機づけとして使用するのは許されますね?」

「それは許されます。また事実、無意識のうちに使用しております。現在の限られた発達状態にあっては、その威力を意識的に活用することができないだけです」

「でも、その気になれば、霊側が人間の思念を利用して威力を出させることも可能でしょう?」

「できます。なぜなら、わたしたちは人間の精神と霊を通して働きかけているからです。ただ、わたしがぜひ申し上げておきたいのは、人間的問題を集団的思念行為で解決しようとしても、それは不可能だということです。思念がいかに威力があり役に立つものではあっても、本来の人間としての仕事の代用とはなり得ないのです。またまたわたしは歓迎されないお説教をしてしまいましたが、わたしが見るかぎり真実なのですから、仕方がありません」

「大戦前にあれだけ多くの人間が戦争にならないことを祈ったのに、阻止できませんでした。あれなどは、その良い例だと思います。ヨーロッパ全土、敵国のドイツでもそう祈ったのです」

「それは良い例だと思います。物質が認識の基本となっている物質界においては、思念の働きにもおのずと限界があります。それはやむを得ないことなのです。ですが他方、わたしは、思念の価値、ないしは地上生活における存在の意義を無視するつもりもありません」

「心霊研究をどう思われますか」

「その種の質問にお答えする時に困るのは、お使いになる用語の意味について、同意を得なければならないことです。“心霊研究”という用語には、スピリチュアリストが毛嫌いする意味も含まれています(※)。こうした交霊会や養成会も、本当の意味での“研究”であると言えます。というのは、わたしたちはこうした会を通じて、霊力がよりいっそう地上へもたらされるための通路を吟味・調査しているからです。

皆さんはわたしたちから学び、わたしたちは皆さんから学びます。動機が純粋な探求心に発し、得られたものを人類の福祉のために使用するのであれば、わたしは、研究は何であっても結構であると思います。が、霊媒を通して演出される現象を頭から猜疑心でもって観察し、にっちもさっちも行かなくなっている研究は感心しません。動機が真剣であれば、それは純粋に“研究”であるといえますが、真剣でなければ“研究”とはいえません。純心な研究は大いに結構です」

―― 一八四八年のハイズビル事件以後、欧米各国にSociety for Psychical Research(略してS・P・R)という心霊研究のための学術機関が設立されたが、その基本的姿勢があくまでも従来の物質科学の常識を尺度としているために、結果的にただの資料集めの仕事しかしていない。“にっちもさっちもいかなくなっている研究”とはそのことを言っている。フレデリック・マイヤースやウィリアム・クルックス、オリバー・ロッジといった世界的な学者も一時は会長のイスに座っているが、そうした煮え切らない態度に嫌気がさして、すぐに辞任している。

「英国国教会は、スピリチュアリズムには何ら世の中に貢献する新しいものが見当らないといって愚弄(ぐろう)しておりますが、この意見にどう反論なさいますか」

「わたしは少しも“愚弄されている”とは思いません。わたしたちがお届けしたものの中で“新しいもの”が一つあります。それは、人類史上はじめて、宗教というものを証明可能な基盤の上に置いたことです。つまり信仰と希望と思索の領域から引き出して、“ごらんなさい、このようにちゃんとした証拠があるのですよ”と言えるようになったことです。

しかし、“新しいもの”が無いとおっしゃいますが、ではイエスは何か新しいものを説いたのでしょうか。大切なのは新しさとか物珍しさではありません。真実であるか否かです」

「大霊(神)を、全能でしかも慈悲ある存在、と形容するのは正しいでしょうか」

「なんら差し支えありません。大霊は全能です。なぜなら、その力は宇宙およびそこに存在するあらゆる形態の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。大霊より高いもの、大霊より偉大なもの、大霊より強大なものは存在しません。宇宙は、誤ることのない叡智と慈悲深い目的をもった法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは、間違いない事実です。

このことは、慈悲の要素が摂理の中に配剤されていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力をもってしても、因果律の働きに干渉することはできないという意味での機械性です。

いかに霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さをもって結果を生んでいく過程を阻止することはできません。そこに摂理の機械性があります。機械性という用語しかないのでそう言ったのですが、この用語では、その背後に知的で目的意識をもつダイナミックなエネルギーが控えている感じが出ません。

わたしがお伝えしようとしている概念は、全能にして慈悲にあふれ、完全にして無限なる存在でありながら、地上の人間がとかく想像しがちな“人間神”的な要素のない神です。しかし神は無限なる大霊である以上、顕現の仕方も無限です。あなたがたお一人お一人がミニチュアの神なのです。お一人お一人の中に神という完全性の火花、全生命のエッセンスである大霊の一部を宿しているということです。その火花を宿しているからこそ存在できているのです。ただし、それが地上的人間性という形で顕現している現段階にあっては、皆さんは不完全な状態にあるということです。

神の火花は完全です。それがあなたがたの肉体を通して顕現している側面は、きわめて不完全です。死後はエーテル体、幽体、ないしは霊的身体――どうお呼びになっても結構です。要するに死後に使用する身体と理解すればよろしい――で自我を表現することになりますが、そのときは現在よりは不完全さが減ります。霊界の界層を一段また一段と上がっていくごとに不完全さが減少していき、それだけ内部の神性が表に出るようになります。ですから、完全といい不完全といい、程度の問題です」

「バラも、つぼみのうちは完全とはいえませんが、満開となったときに完全となるのと同じですね?」

「まったくその通りとも言いかねるのです。厄介なことに、人間の場合は、完全への道が限りなく続くのです。完全の域へ到達することができないのです。知識にも、叡智にも、理解力にも、真理にも、究極というものがないのです。精神と霊とが成長するにつれて能力が増します。今の段階では成就できないものも、そのうち成就できるようになります。はしご段を上がっていき、昨日は手が届かなかった段に上がってみると、その上にもう一つ上の段が見えます。それが無限に続くのです。これで完全という段階がこないのです。もしそういうことがあるとしたら、進化ということが無意味となります」

これは当然のことながら論議を呼び、いくつかの質問が出たが、それにひと通り応答したあと、シルバーバーチはこう述べた。

「あなたがたは限りある言語を超えたことを理解しようとなさっているのであり、それはこれからも続けていくべきことですが、たとえ口では表現できなくても、心のどこかでチラリと捉え、理解できるものがあるはずです。たとえば言葉では尽せない美しい光景、画家にも描けないほど美しい場面をチラッとでもご覧になったことがおありのはずですが、それは口では言えなくても心で感じ取り、しみじみと味わうことはできます。それと同じです。あなたがたは今、言葉では表現できないものを表現しようとなさっているのです」

「大ざっぱな言い方ですが、大霊は宇宙の霊的意識の集合体であると言ってよいかと思うのですが……」

「結構です。ただその意識にも、次元の異なる側面が無限にあるということを忘れないでください。いかなる生命現象も、活動も、大霊の管轄外で起きることはありません。摂理ないし自然法則は、自動的に宇宙間のすべての存在を包括するものだからです。たった一つの動き、たった一つの波動――動物の世界であろうと鳥類の世界であろうと、植物の世界であろうと昆虫の世界であろうと、根菜の世界であろうと花の世界であろうと、海の世界であろうと人間の世界であろうと、あるいは霊の世界であろうと――その法則によって規制を受けないものは何一つ存在しないのです。宇宙は漫然と存在しているのではありません。莫大なスケールをもった、一個の調和体なのです。

それを解くカギさえ手にすれば、悟りへのカギさえ手にすれば、いたって簡単なことなのです。つまり宇宙は法則によって支配されており、その法則は大霊の意志が顕現したものだということです。法則が大霊であり、大霊は法則であるということです。

その大霊は、人間を大きくしたようなものでないという意味では非人格的存在ですが、その法則が人間の霊的・精神的・物質的の全活動を支配しているという意味では、人間的であると言えます。要するに、あなたがたは、人類として、宇宙の大霊の枠組みの中に存在し、その枠組みの中の不可欠の存在として寄与しているということです」

「ということは、神の法則は完全な形で定着しているということでしょうか。それとも新しい法則が作られつつあるのでしょうか」

「法則は無窮の過去から存在しています。完全である以上、その法則の枠外で起きるものは何一つ有りえないのです。すべての事態にそなえてあります。ありとあらゆる可能性を認知しているのです。もしも新たに法則をこしらえる必要が生じるようなことがあれば、神は完全でなくなります。予測しなかった事態が生じたことを意味するからです」

「こう考えてよろしいでしょうか――神の法則は完全性の青写真(ブループリント)のようなもので、われわれはそのブループリントにゆっくりと合わせる努力をしつつあるところである、と」

「なかなかいい譬(たと)えです。皆さんは地上という進化の途上にある世界における進化しつつある存在です。その地球は、途方もなく大きな宇宙のほんの小さな一部にすぎませんが、その世界に生じるあらゆる事態にそなえた法則によって支配されております。

その法則の枠外に出ることはできないのです。あなたの生命、あなたの存在、あなたの活動のすべてが、その法則によって規制されているのです。あなたの思念、あなたの言葉、あなたの行為、つまり、あなたの生活全体をいかにしてその法則に調和させるかを、あなたみずから工夫しなければならないのです。

それさえ出来れば、病気も貧乏も、そのほか、無知の暗闇から生まれる不調和の状態がすべて無くなります。自由意志の問題について問われると、必ずわたしが、自由といっても無制限の自由ではなく、自然法則によって規制された範囲での自由です、と申し上げざるをえないのは、そのためです」

祈り

暗闇から光明へ……

ああ、大霊よ。わたしたちは、あなたの無限の叡智、無限の知識、無限の愛を、ささやかな形ででも啓示できればと心を砕いているところでございます。

過去幾世紀にもわたって、開けた洞察力に富む者たちは、目に見えざる、より大きな、より充実せる、より深き生命の界層を垣間見て、それをその時代の言語と慣習と特色の中で表現してまいりました。

いつの時代にもあなたの永遠の真理の証言者、霊力の存在に気づいた者がいたのでございます。ほかならぬその霊力によって鼓舞され、細やかにして微妙・霊妙なる霊波の存在を悟ったのでした。しかし、地上的条件の必然の結果として、そのいずれもが人間の浅知恵によって着色され、夾雑物の下敷きとなってしまいました。

そこで又しても、あなたの僕たるわたしどもは、あなたのメッセンジャーとして、同じ永遠の真理を、こんどこそ汚れのない形で啓示せんとしております。一時期だけの特別の計らいとしてではありません。歴史的事件としてではありません。奇跡的現象としてではありません。あなたの自然の摂理の一環として啓示せんとしているのでございます。

物質界の彼方に広大なる霊の世界が存在する事実を知らせたいのでございます。その世界では、同じくあなたの子等が、向上と進化を重ねた末にいよいよ叡智の始源に近づき、それまでに獲得したものを、受け入れる用意のできた者に分け与えたいと望んでいるのでございます。

かくして地上には今、そうした霊界からの働きかけに反応する者、霊的な光明と知識と慰安と力と導きを広めるための道具たらんとする者が増えつつあり、今後ともますます増え続けることでしょう。わたしたちはぜひともこの任務を遠く広く遂行し、恵まれぬ人々へ手を差しのべるための手段となってくれる者を、一人でも多く霊力の影響下に引き寄せたいと願っております。

わたしたちの目には、心を苦痛と不安で満たされ、悲しみの涙で目を曇らされ、苦悩を背負い、孤独を味わい、暗くうっとうしい地上世界には希望も慰めもないと思い込んでいる人々の姿が見えます。

わたしたちがメッセージを届けるのはそういう人たちです。そういう人たちこそ、その魂に感動を与えてあげ、あなたの無限の摂理と愛と力への確信をもたせてあげ、自分が決して忘れ去られていないこと、あなたの王国ではすべての子等に豊かな配慮がなされていることを確信させてあげたいのでございます。

わたしは今その仕事に献身し、地上にあって、同胞を苦しみから救い、不安を和らげ、喪の悲しみの中にある人を慰め、暗闇から光明へと導かんとしている同志とともに、手を取り合ってまいるのでございます。