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3章 知識はすべて、ためになるのです

シルバーバーチは、永年にわたって、世界中の数え切れないほどの愛読者から、敬愛と賞讃を得てきた。そして今なおその広がりは止(とど)まることを知らないが、これから紹介する二人の子供は、一人は八歳、もう一人は六歳の時からシルバーバーチの大の仲良しで、毎年一回、大体クリスマスの前ごろに交霊会に出席している。

名前は姉がルース、弟がポールといい、ジャーナリストで心霊書も数多く著しているポール・ハリス氏(ペンネームはポール・ミラー)のお子さんで、交霊会に出るようになってすでに六年目になる。奥さんのフェイもスピリチュアリズムに理解があり、一家揃ってシルバーバーチのお友達ということである。

この二人の子供が出席する時は、前もって質問事項を自分たちで考え、大人からの助言や指示は受けないことにしている。では、父親のハリス氏が綴ったある日の交霊会の様子を、そのまま紹介しよう。

ハンネン・スワッファー・ホームサークルの支配霊であるシルバーバーチのそばに二人の子供が立っていた。その二人が、代わるがわる、クリスマスタイム(十二月二十四日〜一月六日)のしばしの別れの挨拶をすると、シルバーバーチはまず姉のルースに

「上品さと同時にたくましさを、そして愛と叡智を身につけるようにね」と言い、続いて弟のポールには

「たくましくなりなさい。そして、自分には霊の力が守ってくれてるのだという確信を忘れないようにね」と言い、最後に二人に向かって

「わたしはいつでも、わたしの存在のすべてをかけ、愛の心と霊の力を傾けて、お二人のために尽しますよ」と述べた。

確かに、そう述べたのであるが、こうして活字にしてしまうと、二人の子供が質問し、シルバーバーチが答えるという形で、年一回、六年間も続けられてきた三人の間の情愛の温(ぬく)もりは、その片鱗すら伝えられない。一時間と二十分、二人は真剣そのもので質問し、自分たちの意見を述べた。幼いとはいえ、スピリチュアリズムの真理が二人の生活の一部となり切っているようだ。

二人は質問すべき問題を二人だけで話し合って決め、大人のサゼスチョン(提言、助言)を一切ことわった。その問答が始まった。

ルース「人間が死ぬときの死に方が、霊界へ行ってから影響するのかどうかを知りたいのです。つまり自然な死に方のほうが霊界へ行きやすいのかということです」

「もちろんです。大きな違いがあります。もしも地上の人間のすべてが正しい知識をもち、自然な生き方をすれば――もしもですよ――そうすれば、死に方があっさりとして、少しも苦痛を伴わなくなります。そして、死後の霊的身体を調節する必要もないでしょう。ところが残念なことに、実際はそんなにうまく行っておりません。

地上を去って霊界へ来る人のほとんどが、自分がこれからどうなるのか、自分というのは一体どのように出来あがっているのか、霊的な実在とはどんなものかについて、恐ろしいほど無知なのです。その上、地上で十分な成長をしないうちにこちらへ来る人が、それはそれは多いのです。

そういう人は、わたしがたびたび言っておりますように、熟さないうちにモギ取られた果物のようなものです。ルースちゃんも知っているとおり、そんな果物はおいしくありませんね? 果物は熟せばひとりでに落ちるものなのです。霊が十分に成熟すると、自然に肉体から離れるのです。今わたしのいる世界へ、渋い果物や酸っぱい果物がぞくぞくと送り込まれております。

そのため、そういう人たちをこちらで面倒をみたり、監視したり、手当てをしたり、看護をしたりして、霊界に適応させてあげないといけないのです。みんなが、ちゃんとした知識をもって来てくれれば、わたしのように地上の人間の面倒をみている者は、とても手間がはぶけて助かるのですけどね。ルースちゃんの言う通り、死に方によって大変な違いが生じます。以上のような答えでよろしいですか」

ルース「ええ、とてもよくわかりました」

ポール「昔のインディアンは、儀式のようなことをして雨を降らせることができましたが、それには霊界の人はどのように関係しているのですか。何か関係があるのですか」

「関係ありません。心霊的法則(サイキック・ロー)と霊的法則(スピリチュアル・ロー)とは少し違うのです。まったく同じではないのです。どちらにでも言いかえることができると思っている人がいますが、同じものではありません。

かつてのインディアンは、地上の物的現象に関係した心霊的法則について、よく知っておりました。純粋に物的な現象です。そして、腕のいい熟練したまじない師は、儀式によってその心霊的要素を引き寄せる能力をそなえていたのです。

実は、これは簡単に説明するのが難しい質問なのです。とにかく霊界とは何のつながりもないのです。地上の物的な現象と関係した心霊的な法則とのつながりの方が大きいのです。こんな説明では、ポール君にはよくわからないでしょうね?」

ポール「いえ、わかります。ただ、その心霊的法則というのはどんなものですか」

「やっぱり、そこまで話さないといけませんかね」

ここで、交霊会の終わりが近づくまで大人は口出しをしてはいけないとの約束を忘れて、メンバーの一人が「それはサイコメトリ(※)のようなものでしょうか。あれは必ずしも霊的法則とは関係ないと思うのですが」と尋ねた。

――ハンカチ、ボタン、帽子、衣服などを手に持つだけで、その所有者についての情報をキャッチする能力で、海外では犯人捜査に応用されて実績をあげた実例がある。これにも霊が関わっている場合と関わっていない場合とがある。日本語では“精神測定”と訳されている。

「例ならばいくらでも挙げられるのですが、この二人の子供にいちばんよく理解してもらえるものを考えているところです。たとえば霊視能力の場合を例にとってみましょう。

霊視がきくといわれる人でも、霊界のものは何も見えない人がたくさんいます。この場合は、心霊的能力の一部にすぎません。ですから、心霊的法則の支配をうけ、心霊的な能力で見るだけで、その背後に霊界の存在とのつながりはありません。他界した人の姿も見えません。肉眼に見えない遠くの情景は見えます。予知もできます。未来をのぞいたり過去の出来事を当てることもできます。ですが、そうしたことが霊界と全然つながっていないのです。生まれながらに備わっている、純粋に心霊的な能力なのです。これでわかりますか」

ここで二人の子供の母親のフェイが「私はそういうことがあるとは、思ってもみませんでした。霊界との関わりなしに言い当てたり見抜いたりすることができるとは知りませんでした」と言う。するとシルバーバーチが――

「でも、事実、そうなのです。この地上界の範囲だけの心霊的能力というのがあるのです。現に、多くの人がそれを使用しております。五感の延長と思えばよろしい。霊の世界とは何の関係もありません。物的法則とつながった心霊的法則、ないしは心霊的要素、の範囲内の現象です。易占い――ほんものの場合の話ですが――あるいは、ほんものの水晶占いで、霊的な働きかけなしに見たり聞いたりすることができるように、心霊的能力を駆使できるまじない師は、ある種の儀式によって物的法則の背後にある力を、その心霊能力と調和させて雨を降らせることができたのです。わたしに説明できるのは、こんなところですが……」

別のメンバーが「実によくわかりました。面白いテーマだと思います。私も、そうした能力がどの程度まで延ばせるのだろうかということに関心がありましたので……」と言うと――

「その可能性は大へんなものです。インドにはヨガの修行者で、すごいのがいます。それでも霊界とは何のつながりもありません。彼らが霊の姿を見たら、たまげることでしょう」

メンバーの一人「霊を見たら、その容姿を述べるのではないでしょうか」

「その時はすでに波長の次元が違います。霊媒現象というのは、霊的なものと心霊的なものとの組み合わせです。その融合作用で霊的通信が行われるのです。霊界と交信する能力は、霊媒のもつ心霊能力だけで行われるのではありません。支配霊ないしは指導霊との協力によって行われるのです」

ポール「すみません。ぼくは頭が悪いものですから、サイキックとスピリチュアルとはどこが違うのか、まだよくわかりません。今まではいっしょだと思っていました」

「似てはいますが、まったくいっしょではないのです。心霊的能力のすべてが開発されても、それが高級霊の指導を受けて、スピリチュアルな目的のために使用されるようになるまでは、それは霊的能力とは言えないのです。ポール君は物的身体のほかに、霊的身体もそなえています。その身体には、生まれつきさまざまな心霊能力が潜在していますが、それが開発され、しかも霊界の力と融合した時、はじめてスピリチュアルと言えるものになるのです」

ポール「死後の世界の界層(レベル)について教えてください。シルバーバーチさんはよくその違いについて話しておられますが、どういう違いがあるのですか」

「成長の度合が違うのです。しかし、その違いは地上のようにものさしで計れるものとは違います。もしわたしがポール君に、愚かな人と賢い人、あるいは、欲張りと聖人との違いを寸法で計りなさいと言っても、そんなことはできませんね?

しかし、それぞれの界に住む霊の成長には大きな差があるのです。こちらでは魂の成長に応じた界層、むずかしい言い方をすれば、その人の知性と道徳性と霊性の程度に合った世界に住むようになります。界層の違いは、そこに住む人の魂の程度の違いだけで、霊性が高ければ高いほど、善性が強ければ強いほど、親切心が多ければ多いほど、慈愛が深ければ深いほど、利己心が少なければ少ないほど、それだけ高いレベルの界層に住むことになります。

地上はその点が違います。物質界というレベルで生活しているからといって、みんなが精神的に、あるいは霊的に同じレベルの人たちばかりとはかぎりません。身体は同じレベルのもので出来あがっていますが、その身体が無くなれば、魂のレベルに似合った界へ行くことになります」

ポール「はい、よくわかりました。もう少し聞きたいことがあります。この地球もそういう界の一つですか、それとも特別なものですか」

「いいえ、特別なものではありません。地上世界も霊的な世界の一部です。なぜかと言うと、霊の住む世界はぜんぶ重なり合っているからです。宇宙に存在する生活の場のすべてが、互いに重なり合い、融合し合っており、霊界とか幽界とか物質界という言い方は、一つの宇宙の違った側面をそう呼んでいるだけです。ポール君はいま物質界にいますが、同時に幽界にもつながっているのです」

ルース「あたしは、この交霊会での質問の準備をしながら、シルバーバーチさんはあたしたちよりはるかに多くのことを、あたしたちが夢にも思わないようなことまで知っておられるのだから、あたしたちの方から質問しなくても、ちゃんとお話してくださるだろうなと思ったりしました」

「ええ、お話しますとも。でも、だから何の質問もしなくていいということになるのですか?」

ルース「なりません。あたしが知りたいのは、子供の頃からスピリチュアリストとして育てられて、あたしたち二人は得をしているかどうかということです」

「ご自分ではどう思っていますか」

ルース「わかりません。だって、あたしは霊の世界に住んでいないでしょ? だから、どんな得をするか、自分ではわかりません」

母親「この子はスピリチュアリズムを知らない生活というものを体験していないものですから、比較ができないのです。その点、シルバーバーチさんは両方がご覧になれます」

「わたしは目を閉じていても見ることができます。わたしが“ご自分ではどう思っていますか”と尋ねたのは、ルースちゃんのお友だちには、死んでからのことを知らない人がたくさんいるからです。そういうお友だちは、ルースちゃんとくらベて得だと思いますか、損だと思いますか」

ルース「霊の世界へ行くときに何の準備もできていないという点では損だと思います。その知識も体験もないからです。でも、それ以外のことはよくわかりません。すみません」

ポール「今ルースが最初に言ったことは、その通りだと思います。でも、それ以外のことでは、損も得もないと思います。死ねばどうなるかがわかっているのは得だけど、そのほかの点では別に変わりはないと思います」

「答えは簡単なのです。知識はすべて、ためになるのです。ところが残念なことに、そうとばかりも言えないことが生じるのです。知識はたしかに喜びと幸せと落着きとをもたらしてくれますが、こんどは、それをどう生かすかという責任ももたらすのです。

知識は、無知から生じる愚かな心配(取り越し苦労)を取り除いてくれます。知識は、自分とは何かを自覚させ、これからどうすべきかを教えてくれます。そして、真理を知らずにいる人を見て気の毒に思うようになります。

真理を知らなかったために罪を犯す人は、もちろんそれなりの償いをさせられますが、真理を知っていながら罪を犯す人は、それよりもっと大きな償いをさせられます。より多くを知っているということが、罪を大きくするのです。ポール君は真理を知っているだけ得です。しかし、これからどういう行いをするかが問題です」

メンバーの一人「それだけは、あなたにもどうしようもないことなのですね?」

「わたしがその摂理を変えるわけにはいかないのです。わたしはただ、摂理がこうなってますよ、とお教えするだけです。これまでわたしは何度か、みなさんが困った事態に陥(おちい)っているのを見て、その運命を何とかしてあげたい、降りかかる人生の雪と雨と寒さから守ってあげたいと思ったことがあります。しかし、それは許されないことなのです。なぜなら、そうした人生の酷(きび)しい体験をさせている力と同じ力が、人生に光と温もりをもたらしてくれるからです。一方なくして他方は存在しないのです。試練の体験を通してこそ、霊は成長するのです」

ルース「シルバーバーチさんにもそれが許されないのは、いいことだと思います。困ったことがあるたびにシルバーバーチさんにお願いしていたら、いつも誰かに頼らないといけない人間になってしまうからです」

ポール「人生の目的がなくなってしまいます」

「そうです。その通りです。ですが、それは、わたしにとって辛(つら)いことなのですよ。そういうお二人も、ほんとうの意味で“愛する”ということがどういうことなのか、愛する人が苦しんでいるのに何もしてあげられないということが、どんなに辛いことかがわかる日が来ることでしょう。

そこでもう一つ、さきほど述べたことに付け加えたいことがあります。これは、ルースちゃん、あなたにお聞かせしたいことです。スピリチュアリズムを知ったことによって生じる一ばん大きな違いは、自分が一人ぼっちでいることが絶対にない、ということを知ったことです。いつどこにいても、霊の世界からの愛と友情と親愛の念を受けているということです。

最善をつくしている時には、かならず霊界からの導きの力が加わっていること、あなたの持っているものから最善のものを引き出し、あなたの人生から最高のものを学び取ってくれるようにと願っている、友愛と親切心と協調精神に満ちた霊が身近に存在してくれているということです。このことがスピリチュアリズムがもたらしてくれる、一ばん有り難いことです。このことを知っただけ、ルースちゃんは、それを知らない人より幸せだということになります」

ポール「これまでの人類は、ずっと男性が女性を支配してきたように思えるのですが、これはなぜでしょうか。原因は何ですか」

「原因は、女性があまりに物ごとを知らなすぎたからです」

ポール「それを改めることができるでしょうか」

「改める必要はありません。これまでも、実際は女性の方が男性をリードしてきているからです」

メンバーの一人「これまで、あなたはそういう捉え方はなさらなかったように思うのですが……」

「ええ。でも、これにはそれなりの根拠があるのです。男性が狩りに出ていた時代の名残りです。つまり男性が家を建て、食糧を取りに出かけねばならない時代においては、男性が絶対的な支配力をもち、お腹をすかして疲れた体で帰ってきた時に、女性が優しく迎えて介抱し、食事を用意してあげていました。男性が行動的で女性が受動的だったために、何かにつけて男性に有利な習慣ができていきました。しかし、今それが変化しはじめ、どちらが上でも下でもない、お互いが補い合うようになっている、という認識が行きわたりつつあります」

ポール「よくわかりました。有り難うございました」

「お二人とは、ずいぶん永いつきあいですね。二本の小さな苗木がまっすぐに育っていくのを、わたしはずっと見てまいりました。そして、お二人が絶え間なく増えていく知識と理解力の中で生きておられるのを見て、うれしく思っております。

まだまだ知らねばならないことが沢山あります。でも、少なくともお二人は霊的な真理に守られて地上生活を送っておられ、その目的を理解し、何をしていても、誠意さえあれば決して挫(くじ)けることはないことを知っておられます。わたしはいつも身近にいて、わたしにできるかぎりの援助をいたしましょう。

今日はルースちゃんとポール君の二人が来てくれて、わたしはほんとにうれしく思っております。わたしがいつも身近にいることを知っていただく、いい機会になるからです。わたしは決して遠くにいるのではありません。お二人がお家(うち)にいる時も、学校へ行っている時も、遊んでいる時も、すぐそばにいることがあります。おかしくて笑い出すような光景を見ることもあります。

ですが、わたしの方から学び取ることも沢山あります。わたしは、まだまだ学ぶことが終わったわけではありません。西洋人の生き方や習慣には興味を引かれることが、いろいろとあります」

母親「私たちは、暖炉に火をくベながら、よくシルバーバーチさんのことを思い出すことがあるのですよ。暖炉の前に集まって、シルバーバーチさんは暖炉やいろりはお好きだろうかね、などと語り合うんですよ」

「わたしはいつも、わたしへ愛情を覚えてくださる方々の愛念によって心を温めております。わたしにとっては、地上で窒息しないために吸入できる唯一の酸素は“愛”なのです。地上へ降りてくるためにお預けにされる喜びを補ってくれる最大の慰めは、みなさんからの愛なのです。わたしの本来の住処(すみか)である高級界の霊的生活の壮厳をきわめた美しさを一度体験されたら、一度でもその世界の恩恵をほしいままにできる生活を体験されたら、悪意と敵意、憎しみと闘争、流血と悲劇に満ちた、この冷たくて陰うつな地上生活は、もう二度とご免こうむりたいと思われるはずです。

そんな世界に身を置いているわたしにとって、みなさん方の真理普及の活動によって魂が目を開かされた人々の心に灯された愛念が、何よりの慰めとなっております。地上世界での仕事は困難をきわめます。冷え切った心、歪んだ心のもち主、わたしたちからの叡智や指導はおろか、みずからの愛すら感じなくなっている人々が大勢います。そうした中にあって親近感や同情心、僚友精神や同志的友情がいかに大きな元気づけとなるものであるか、ご存知でしょうか。みなさんが想像される以上に、わたしにとって力となっております。さらに多くの人々へ手を差しのべていくための糧を供給してくださっていることになるのです。

ならば、道を見失い、同情の言葉に飢え、導きと慰めと希望の言葉を求めて、その日暮らしの生活に明け暮れている気の毒な人たちのことに、常に思いを馳せようではありませんか。そういう方たちはみな、この世に自分一人だけ取り残されたような悲哀の中で生きているのです。そういう人たちこそ、わたしたちが霊力の行使範囲に導くために何とかしてあげなくてはならないのです。憂うつな悲嘆の生活を一変させ、希望の光と真理の感触とをもたらしてあげることができるのです。

ご承知の通り、わたしはこれからしばしの間、地上を去ります(※)。うしろ髪を引かれる思いがいたしますが、しかし、時には高い世界のエネルギーを充電し、同じ使命にたずさわる同輩と協議し、失敗箇所と成功箇所、予定どおりに進行しているところと、そうでないところについて指示を仰ぐことがどうしても必要なのです。その時のわたしは、みなさんからの愛をたずさえて行き、わたしからの愛をみなさんにお預けしてまいります。再び戻ってくる日を心待ちにいたしております。

それでは最後に、みなさんとともに宇宙の最高のエネルギー、わたしたちがその一部を構成している大霊のエネルギーに波長を合わせましょう。そのエネルギー、神の力、大霊の息吹きの恩恵をあらためて意識いたしましょう。その最高の力を受けるにふさわしい存在となるように努力いたしましょう。託された信頼を裏切ることのないように努力いたしましょう。高貴な目的のための道具として恥ずかしくない生き方、考え方、物の言い方を心掛けましょう。そして、いかなる事態に立ち至っても、その神聖な使命を傷つけることのないようにいたしましょう。

双肩に担(にな)わされた使命を堂々と遂行いたしましょう。これから振りかかるいかなる受難にも、人のために己れを役立てたいと望む者は、つねに限りない愛を秘めた大霊と一体であるとの信念に燃えて、不屈の決意をもって立ち向かいましょう」

――三月のイースターと十二月のクリスマスの二度、シルバーバーチは本来の所属界へ帰って、地上の経綸に当っている高級指導霊による大集会に出席するという。モーゼスの『霊訓』にも、最高指導霊のインペレーターが同じことを述べている箇所がある。神道の祝詞(のりと)の中に“八百万(やほよろず)の神々を神集(かむつど)へに集へ賜い、神議(かむはか)りに議り賜いて……”とあるのは、多分そのことを言っているのであろう。

以上がハリス氏の記事の全文であるが、続いて翌年のクリスマスにもルースとポールが招かれている。シルバーバーチによれば、二人の存在も計画の中に組み込まれており、二人を通して、それなくしては得られない、掛けがえのない力を得ているということである。

その日の交霊会は、クリスマスにはどういう意味があるのかという話題から始まった。というのは、そのころポールの学校でクリスマスについてのお話があり、ポールはその意味がよくわからなくて、家に帰ってから両親に説明を求めたばかりだったのである。

そのいきさつを聞いてシルバーバーチがこう述べた。

「その問題に入る前に知っておいていただかねばならないことがあります。というのも、永いあいだ地上人類を悩ませてきたどうでもよい問題から先に片づけておく必要があるからです。ポール君は“神(ゴッド)”についてよくわからないことがありませんか」

ポール「これまでいろんな人が神についていろんな説き方をしているみたいです。それぞれに違っており、これだと得心のいくものが一つもないのです」

「その通りなのです。忘れてならないのは、人間はつねに成長しており、精神の地平線が絶え間なく広がっているということです。言いかえれば、境界線が取り除かれていきつつあるということです。知識が進歩すればするほど、宇宙そのものと、その宇宙に存在するものとについて、より大きな理解力がもたらされます。

太古においては、人間はまわりの環境についてほとんど知識がなく、自然現象についてはまったく理解していなかったために、何もかも神さまの仕業(しわざ)にしておりました。その神さまについても、人間を大きくしたような存在としてしか想像できませんでした。それが“いけにえ”の思想を生む元になりました。雷が鳴り、稲妻が走るのを見て、神さまが怒っておられるのだと思い、その怒りを鎮めるために、いろいろと生きたものをお供えするようになったのです。

そうした野蛮な小さな考えも次第に大きく成長し、人間は無知の暗闇から脱し、迷信の霧を突き抜け、知識の夜明けを迎えて、宇宙の根源はどうやら人間の想像を超えたものらしいということに気づきはじめました。しかし、だからといって、古い概念がそう簡単に消えたわけではありません。何かすごく大きな男性のような姿をした神さまが宇宙をこしらえたのだという概念が、何十世紀もたった今でも存在しております。

さて、わたしはその概念を一歩進めて、宇宙を創造しそして支配しているのは、男性神でもなく女性神でもなく、とにかく形ある存在ではないと説いているのです。人間的な存在ではないのです。宇宙は法則によって支配されており、その法則は規模においても適用性においても、無限なのです。それは無限の愛と叡智とから生まれたものであり、したがって完ぺきであり、過ったり失敗したりすることがないのです。

わたしは生命とは霊のことであり、霊とは生命のことであり、初めもなく終わりもないと説いております。霊を物質の中に閉じ込めてしまうことはできません。物質というのは霊のお粗末な表現でしかありません。物質界に生きる人間は、視覚と聴覚と嗅覚と味覚と触覚の五つの感覚でしか物事を判断することができませんから、その五感を超えた生命の本質を理解することは無理なのです。

そうした限界の中で生きているかぎり、その限界の向こう側にあるものが理解できるわけがありません。そこで次のような結論となります。すなわち宇宙は自然法則によって表現されていること、その法則の背後にある叡智は完全であること、しかし人間は不完全であるために、その完全さを理解することができない、ということです。人間が一個の形をもった限りある存在である以上、形のない無限の存在を理解することはできないのです。これはとても難しい問題ですが、少しでも理解の助けとなればと思って、申し上げてみました。

人類のすべてが――地球という一個の天体上だけではありません。数え切れないほどの天体上の人間的存在すべてがそうなのですが――わたしのいう大霊、みなさんのいう神(ゴッド)の一部を構成しているのです。大霊とは全宇宙の霊の総合体だからです。これならわかるでしょう?」

ルース「人間は進歩するほど、神について複雑な考え方をするようになり、複雑になるほど、真実から遠ざかっていくのではないでしょうか」

「ほんとうの意味での進歩であれば、そういうことにはなりません。実は“脳”ばかり発達して、“精神”や“霊”の発達がともなっていないことがあるのです。すると頭のいい人が多くなりますが、頭がいいということは、必ずしも偉大な魂、あるいは偉大な精神の持ち主ということにはならないのです。

それは、脳という物質のみにかぎられた発達なのです。そういう発達をした人の中には、複雑なことほど立派であるかに思い込んでいる人がいることは確かですが、ほんとうの発達、精神と魂の発達をともなったものであれば、霊的なことについても、より深く理解するようになります。正しい発達とは、精神的ならびに霊的発達のことをいうのです。そういう発達をしている人は、古い間違った概念を捨てて、ますます真理に近づいてまいります。

いつも忘れずにいてほしいのは、無限の存在である大霊のすべてを、限りある言語で説明することは不可能だということです。大きいものを小さいものの中に入れることはできません。これは当りまえのことです。わかってもらえたかな?

さて、ほかにはどんな質問がありますか」

ルース「人類による最大の発見は何だと思われますか」

「これは難しい問題ですよ。“最大”という言葉の意味がいろいろあるからです。どういう意味での“最大”なのか――物的にか、精神的にか、霊的にか、それを前もって考えてから質問すべきですね。

わたしの考えでは、人類による最大の発見は、人間が動物とは違うことを知ったこと、自我意識というものがあることを知ったこと、霊性を自覚したこと、お粗末とはいえ、身のまわりの現象について知る能力があることに気づいたことです。それが、他のすべての発見へとつながったからです。

いま“霊性を自覚した”と言いましたが、その意味は、人間が肉体だけの存在ではないこと、物質を超えた存在であること、やがて朽ち果てて土に帰っていく物質的容器とは違う存在であることを知ったということです。わたしは、これが何よりも大きな発見であると思います。

しかし、ルースちゃんの質問が、わたしにとっての最大の発見は何かという意味であれば、話はまた違ってきます」

ポール「それを聞きたいです。ぜひ話してください」

「わたしにとっての最大の発見は、地上の多くの人たちが善意と情愛と僚友意識と、そして愛までも、こんなにたくさん持っておられることを知ったことです。また、訴え方が正しければ、その愛を本性から呼び覚ますことができるということ、最高の波長にも反応してくれるということ、気高い品行を志し、気高い思念をもつことができるということ、理想主義、愛他精神、奉仕的精神にも共鳴してくださるものであることを知ったことです。

この冷たくてうっとうしい、およそ魅力のない地上での仕事に打ち込んできた、これまでの永い年月を振り返ってみて、わたしは一度もお目にかかったことがないにもかかわらず、わたしの訓えで救われたという気持から、感謝の愛念を贈ってくださる方々が増えることによって、地上にこうまで温かさがもたらされるものかと、驚きの念を禁じえません。

それほど多くの愛を頂戴することになろうとは、予想もしていなかったのです。わたしにとっては、それこそが感謝の源泉であり、それがわたしをさらに鼓舞し、同時に、もったいないことだという気持にもさせられます。なぜなら、わたしには、それに値するほどのことはしていないという自覚があるからです」

ルースとポールにとって、この答えはさすがに意外だったようである。子供心に、もっと楽しい話を予想していたのであろう。しかし、二人はかえって興味をそそられて、さらに質問する。

ポール「シルバーバーチさんが地上へ降りてこられてから、地上ではどんな変化があり、霊界ではどんな変化がありましたか」

「大ざっぱに言えば、地上における変化は“文明化”といわれる過程でしょう。人類は物質的な面で大きく飛躍しました。大自然の仕組みについて多くの発見をしました。山頂を征服し、海底を探査するようになりました。大陸と大洋を横断するようになりました。物質的な面では非常に高度なものを成就しました。驚異的な発達ぶりだったと言えましょう。

しかし、同じ発達が精神面と霊的な面に見られないのです。人類は、物質と精神と魂のうちの、物質面だけが異常に成長してしまいました。他の二つの側面がそれについていってないのです。それが、利己主義という地上でもっとも厄介な罪を生み出すことになったのです。

さて、こうした事実から学ばねばならない教訓があります。それは、物質面での発達を、全面的でなくてもいいから、霊的ならびに精神的側面にも、ある程度は反映するようにならないかぎり、人類は、みずから生み出したもの、みずからの創造の成果を、平和的な生活の中で味わえるようにはならないということです。そうならないかぎり、地上には混沌と無秩序と不協和音が絶えないということです。善いことをしようという意欲を起こさせ、協調と奉仕の仕事ヘ鼓舞するのは、精神と霊の発達なのです。

精神と霊の発達は利己主義を滅ぼし、代わって霊的教訓をもたらします。精神と霊に宿された才能を開発し、その上で、物質的文明の産物を自分一人のためでなく他のすべての人のために活用するようになれば、いわゆる地上天国が実現します。地上世界のすべての人間が、自分より恵まれない人のために役立てる、何らかの才能をそなえているものです。

さて、その間に霊界ではどんな変化があったかというご質問ですが、これは地上世界のことよりはるかにお答えしにくい問題です。簡単に言ってしまえば、地上とのコミュニケーションの橋をかける仕事がかつてなく組織的となり、二度と地上世界がチャンネル(霊媒・霊能者)の不足から霊界と絶縁状態とならないよう、入念な計画が練られ、そして実行に移されているということです。これ以上の説明は難しいです」

メンバーの一人「霊界においてそうした大きな仕事が成就され、コミュニケーションのための回線が敷設され、計画が順調に推進されていることを知って、わたしたちもうれしく思います。これには優れた霊媒が要請されることになりますが、今それが非常に不足しております」

「道具はそのうち揃います。霊力が多くのチャンネルを通じて恩恵をもたらすようになります。どんどん増えていきます。これまでの成果だけを見て、この程度のもの、と思ってはなりません。決してこの程度で終わるものではありません。昨日よりは今日、今日よりは明日と、ますます大きなことが成就されていきます。それが進歩というものです。われわれも進歩していくのです。“われわれのあとは誰が引き継いでくれるのだろうか?”――そう心配なさる方がいらっしゃるようですが、あなたがたの仕事が終われば、代わって別の人が用意されます。かくして霊力が今日以上に地上へ流れ込み続けます。それは誰にも阻止できません」

ルース「今スピリチュアリズムという形で霊界と地上界との間のコミュニケーションが開かれておりますが、それ以前にも大きなコミュニケーションの時代があったのでしょうか」

「一時的にインスピレーションがあふれ出たことはありますが、長続きしていません。このたびのコミュニケーションは組織的であり、協調的であり、管理・監督が行き届いており、規律があります。一大計画の一部として行われており、その計画の推進は、皆さんの想像も及ばないほどの協調体制で行われております。背後の組織は途方もなく巨大であり、細かいところまで見事な配慮がなされております。すべてに計画性があります。

そうした計画のもとに霊界の扉が開かれたのです(※)。このたび開かれた扉は二度と閉じられることはありません」

――一八四八年の米国での“フォックス家事件”を皮切りに、地球規模の霊的浄化活動が始まったことを指している。

ルース「あたしたちが眠っている間は何をしているのでしょうか」

「皆さんは毎晩、その肉体を後にして別の世界へ行きます。訪れた世界での体験は二種類に分けることができます。一つは教育を目的としたもので、もう一つはただの娯楽を目的としたものです。教育的体験では、いずれ訪れる霊界生活で使用する霊的身体について教わります。娯楽を目的とした体験の場合は、たとえば霊界で催されている、いろいろな会場を訪れます。

いいですか、ルースちゃん、あなたは昨晩、わたしの世界の庭園へ連れて行ってもらったのですよ。それから、ポール君、あなたは音楽を聞きに行ったのですよ」

ポール「二人ともそのことを覚えていないなんて、つまんないですね」

「たしかに、そう思うのも無理ないかも知れませんね。でも、それは肉体から離れている間の異次元での体験を、肉体の脳で理解しようとするからなのです。ポットの水をぜんぶ一個のグラスに入れようとしても入りませんね。それと同じです。でも、夢を注意して見ていると、好いヒントになるものが見つかるはずですよ」

ルース「わけのわからない夢はどう理解したらいいのでしょうか」

「変な夢のことですか? あれは、異次元の体験を脳で思い出そうとする時にそうなるのです。脳は小さな袋のようなものです。霊体が肉体に戻ってきて、その間の体験を脳に詰め込もうとするのですが、小さな袋には全部が入り切れないのです。それをムリして押し込もうとするために、あのような変な形になるのです。夢というのは、訪れた別世界の体験がそのまま現れるのではなく、その断片的な思い出にすぎません」

ポール「シルバーバーチさんのお仕事で、ボクたちにもお手伝いできることがあれば教えてください」

「わたしに愛の念を送ってください。わたしを信頼し、善意の思念を送ってください。それが、わたしの何よりの食べものであり飲みものなのです。ただただ、愛が欲しいのです。善意をいただきたいのです。それさえいただければ、わたしは幸せなのです。しかし、どうぞ、わたしの仕事のことで心配しないでください。自分でちゃんとやりますので……」

ここで、いったん話題が外れてメンバーの人たちと話したあと、再びルースとポールに向かって次のような感動的な教訓を述べた。

「お二人のこれからの人生が日向(ひなた)ばかりだとは申し上げられません。曇りの日もあることでしょう。時には雨にうたれることもあるでしょう。困難なことがあるでしょう。試練に立たされることもあるでしょう。

人生は一本調子のものではありません。色彩もあり変化もあります。障害に出会うことでしょう。何もかもうまく行く楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もあることでしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ、性格が培(つちか)われるのです。人生を形づくっているさまざまな体験の中で培われるのです。

もしも人生が初めから終わりまでラクに行ったら、もしも乗り切るべき困難もなく、耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこには何の進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞はラクには貰えず、一生けんめい頑張ったあとにいただくから価値があるのです。

そういう価値ある人間になるように努力しなさい。この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来事は何一つ起きないのです。

一つ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思った時は、ひるまず自分にムチ打つのです。それだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして、自分という永遠の霊に傷を負わせたり、害を及ぼしたりするものは、決して生じないということを忘れないことです。

世間でいう“成功者”になるかならないかは、どうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは、自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、ほんとうの自分自身に忠実であること、良心の命令に素直にしたがえることです。

それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分としての最善を尽したのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、死後に待ちうけている生活へのそなえが十分にできているという自信をもって、平然として死を迎えることができます。これが、わたしからのアドバイスです」

ルース「今のお話で、私たちの最後の質問をしなくてもよくなりました」

「さて、わたしはそろそろ行かねばならなくなりました。わたしの去り難い気持はおわかりいただけると思います。せっかくの親しいつながりを、しばらくのあいだ断(た)たねばならないからです。わたしは、もうすっかり地上のお付き合いが好きになってしまいました。しかし同時に、しばらくこのつながりを断たないことには、かえってわたしの存在価値が小さくなることも事実なのです。何となれば、これから先の仕事に必要なエネルギーが摂取できるのは、内奥の世界においてのみだからです。

その世界へ戻ると、わたしは地上へ帰りたい気持が薄らぎます。そこがわたしの本来の住処(すみか)だからです。何しろそこは、天上的なよろこびに満ちた、光輝あふれる世界なのです。しかし、わたしにはまだまだ為さねばならない仕事が残っております。これまでに成し遂げた仕事がそれで良かったのかどうかを確かめたいのです。そこでこれから、霊の絆において親密な同志たちと会ってきたいのです。

わたしの留守中も、どうかわたしのことを忘れないでくださいね。わたしの影響力だけはずっと残っていることを知ってください。そのうち又、わたしみずから引き受けた仕事の推進のために戻ってまいります。皆さんの日常生活を絶え間なく見守り、付き添ってあげるために戻ってまいります。皆さんと生活を共にすることは、わたしにとって楽しみの一つなのです。お役に立つことができることを光栄に思っております。

では、またお会いする日まで、お別れすることにいたしましょう。わたしはいつも愛をもって訪れ、愛をもって去ります。皆さんに神の御恵みの多からんことを!」

ここで参考までに、別の交霊会で子供の宗教教育についてシルバーバーチが語ったものを紹介しておこう。

「今日の子供は明日の大人であるという、ごく当り前の考え方でこの問題と取り組んでみましょう。当然それは、学校教育を終えたあとの社会生活において、その社会の重要な責務を担う上での備えとなるベきものであらねばなりません。

意義ある社会の一員として、いかなる事態においても、社会のため、人類のために貢献できる人物に育てるための知識を授けることが、教育の根本義なのです。それには何よりもまず、宇宙の摂理がいかなるものであるかを説いてやらねばなりません。人間が有する偉大な可能性を教え、それを自分自身の生活と、自分の住む地域社会に役立てるために開発してやらねばなりません。

子供は感受性が強いものです。知能的にも、教えられたことが果たして真理であるかどうかを自分で判断することができません。とても従順ですから、教えられたことは何もかも本当のことと信じて、そのまま呑み込んでしまうのです。

このように、子供を教育することは、実に貴重でしかもデリケートな原料を扱っていることになります。教え込んだことがそのまま子供の性格のタテ糸とヨコ糸となって織り込まれていくのですから、教育者たるものは、まず教育というものの責任の重大さを自覚しなくてはなりません。その子の潜在意識にかかわることであり、教わったことはそのまま潜在意識に印象づけられ、それがその子のその後の思想を築いてゆく土台となるのです。その意味で、筋の通らぬ勝手な訓えを説く宗教家は、動機がどうあろうと、人類とその文明に大きな障害を築いていくことになり、罪を犯していることになるのです。

子供に種々さまざまな可能性が宿されていることを知らない人、霊的真理に通じていない人、子供が大人と同様、本来が霊的存在であり神の子であることを知らない人、宇宙における人間の位置を理解していない人――こうした人に育てられた子供は、健全な精神的発育を阻害されます。

ここで子供の物的生活における必須の要素について語るのは、わたしの領分ではありません。それについては、すでに十分な知識が普及しております。あらゆる分野の科学と、あらゆる分野の生命現象についての教育、地上なりの豊かな文学と芸術と教養の真価を味わえる精神を培う上で役立つもの、それを授けてやるべきであることは明白です。

そこで、宗教の問題にしぼって申せば、宗教とは個々の魂が人生のあらゆる闘いに堂々と対処し、そして克服していく上での指導原理なのですから、教育上きわめて重大な意義を有することは明らかです。子供の一人ひとりが神の一部であり、本質的に霊的存在であるからには、“自由”がもたらすあらゆる恵みを受けて生きるように意図されております。その魂を幼い時期から拘束し自由を奪うようなことをすれば、それは魂の基本的権利を無視することになります。隷属状態に陥らせることになります。霊的奴隷としてしまうことになります。

“自由”こそが教育の核心です。わたしの観るところによれば、宗教についての正しい真理を教わった子供は、自由闊達に成長します。教育にたずさわる人が、子供に真の自由を与えようという意図からでなく、古い神話や寓話への忠誠心を植えつけたいという願望から物事を教えていけば、それは子供の精神の泉を汚染することになります。知性が十分に発達していれば拒絶するはずの間違った教義を教え込むことは、宗教的観点からみても教育的観点からみても、その子にとって何の益にもなりません。

それだけでは済みません。そのうちきっといつか、魂が反発を覚える時期がまいります。無抵抗の幼い時期に間違ったことを教えてくれた人々に対して、背を向けるようになります。幼い魂は、若木のように、たくましく真っすぐに生長するように意図されております。それが間違った育て方をされるということは、存在の根をいじくり回されることであり、当然、生長が阻害されます。

霊について、神とのつながりについて、正しい真理を教えずに、倒れかかった教会を建てなおし、空席を満たそうとする魂胆から、誤った教義を押しつけんとする者すべてに対して、わたしは断固として異議を唱えます。宗教についての真実を申せば、真理のすべてを説いている宗教など有りえないということです。どの宗教も、真理の光のほんの一条(すじ)しか見ておりません。しかも悲しいかな、その一条の光すら、永い年月のうちに歪められ、狂信家によって捏造(ねつぞう)されております。

子供には、宗教とは人のために自分を役立てることであること、ややこしい教義に捉われることなく、まじめで無欲の生活を送り、自分が生活している社会のために尽すことであること、それが神に対して真に忠実に生きるという意味であることを教えてやらねばなりません」

祈り

無用の悲劇に終止符を……

これより大霊の祝福を求めて、お祈りをいたします。変幻きわまりない生命現象の背後に控える摂理と目的とを、地上の子等に啓示するための仕事の一環として、わたしたちが知識と叡智と悟りを広めんとする努力は、大霊のご加護なくしては報われません。

宇宙の大霊なるあなたは、これまで子等によって誤解され続け、誤り伝えられてまいりました。復讐心を燃やし、血に飢え、犠牲(いけにえ)を求め、ある者は可愛がってある者は見捨て、限られた少数の者だけに恩恵を与え、自分に背を向ける大衆は無視する神(ゴッド)として、恐怖の中で崇められてまいりました。

それに代わってわたしたちは、あなたを生命の法則――不変・不滅の自然法則、悠久の過去より存在し悠久の未来へも存在し続ける摂理として啓示いたします。魂の働きを束縛する迷信という名のくさりを解きほどき、魂の目を見えなくしている目隠しを取り除き、魂の耳栓を取りはずし、心の扉を開いて、天命の全うヘ向けての導き手となるべく、より大きな真理、より大きな叡智、より大きな視野を受け入れる用意を整えさせるのは、その知識をおいて他にないとの認識のもとに、その普及に尽力しているのでございます。

わたしたちは、大自然の摂理についての誤解が生み出す無用の悲劇に終止符をうち、当然の権利として人類が手にすべき平和と調和の障害となっている、あらゆる専制的非道、理不尽な既得権、自己中心主義を排除したいと願っております。永いあいだ人類の視野を曇らせ、調和と福祉と協調的生活の達成の障害となってきた、無知という名の霧を晴らすべく努力いたしております。

わたしたちは、持てる力とインスピレーションと愛を、受け入れる用意のある者には惜しみなく授けます。いかなる差別もいたしません。子等が神(ゴッド)と呼んでいるところの父なるあなたの存在に触れて、あなたの聖なる力と叡智を我がものとなし、生活の中にそれを顕現させ、かくして無用の悲しみと悩みと苦しみに代わって、新しい知識、新しい目的、新しい悟りの中で暮らすことになってほしいと、ひたすらに祈るものです。