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2章 悟りは苦しみの中から生まれるのです

ロンドンが大空襲を受けた第二次大戦のさ中にも、ハンネン・スワッファー・ホームサークルはいつもと変わることなく、毎週一回の交霊を続けた。

当時〈サイキックニューズ〉の主幹だった霊媒のモーリス・バーバネルは、戦後その時のことを振り返って、「こっちの方も一回も休刊にしなかったからね」と、自慢げに語っていた。前の週の交霊会の記録を大戦中もずっと掲載し続けたことを誇りに思っていたことが、この言葉ににじみ出ている。確かに、そのおかげで高級霊界からの純粋無垢のインスピレーションが紙上に載り、多くの人々に確信と慰安と、そして何よりも、生きる希望を与えたことは間違いないからである。

では、当時の記録の中から幾つか拾ってみよう。シルバーバーチが苦労の大切さを力説することはよく知られているが、ある日の交霊会でも改めてそのことに言及して――

「苦しみの要素も摂理の一環です。いわれのない苦しみを被っていると思っている人も、やはり過去において何らかの形で摂理に反したことをしているからこそ、今のその苦しみがあるのです。それが因果律というものです。苦しみを味わってこそ摂理がわかるのです」

「でも、苦しむことだけが向上の唯一の道ではないと思いますが……」とメンバーの一人が言う。

「もちろんそうです。ですが、大切な道の一つであることは間違いありません。苦難や危険や困難から逃避しようとする人が、わたしには理解できません。目的を達成しようとすれば、あるいは、持てる資質を磨き上げようとすれば、試練の炎をくぐり抜けなければなりません。鍛えられ、しごかれないといけません。それ以外に一体どうすれば本当の性根が確かめられるのでしょうか」

すると別の出席者が――

「“慈悲深き神”という概念を説く人がおり、そういう人にとっては、苦難を通しての人格の陶冶(とうや)などということは無縁のようです」

「神が慈悲深いということを、どこのどなたが説いておられるのか知りませんが、神とは摂理のことです。究極においては慈悲深い配慮が行きわたっておりますが、そこに至る過程においては日照りの日もあれば雨の日もあり、雪の日もあれば嵐の日もあり、穏やかな日もあれば雷鳴の轟(とどろ)く日もあり、酷暑の日もあれば酷寒の日もあり、それがすべて法則によって支配されているのです。

わたしは、それと同じことが愛と憎しみ、怒りと純情についても言えることを説いたことがあります。そこにも大霊の摂理の働きがあるからです。が、それが理解できない人が大勢いらしたようです。大霊が憎しみの中にも宿るということが理解できないのです。しかし大霊は、大霊であるがゆえにこそ、必然的にすべてに宿るのです。摂理なのです。完全なる法則なのです」

「では、その摂理に完全にのっとった生き方をすれば、神の慈悲がわかるのでしょうか」と別のメンバーが述べる。

「もちろん、そういうことになります。ですが、そこまでに至る過程は永遠なのです。そのうちあなたも、地上人生を明確な視野のもとに見つめ直す時がまいります。その時、苦難こそ最も大切な教訓を教えてくれていること、もしもあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうことを、しみじみと実感なさいます。辛い教訓ではあります。が、教訓とはそういうものなのです。もしも教訓がラクに学べるものだとしたら、もしも人生に苦労も誘惑も困難もなく、気楽な漫遊の旅だったら、それは頽廃ヘの道を進んでいることになります」

その後の交霊会でも同じテーマが持ち出されて、シルバーバーチはこう語った。

「痛みも苦しみもない人生、辛苦も悲哀もない人生、常に日向を歩き、日陰というものがない人生を送る人は、地上には一人もいません。少なくともわたしは、そういう人を知りません」

すると、こういう質問が出された。

「もしも人格の陶冶にとって苦難が不可欠のものであるとしたら、苦しむことを知らない人たちがいるのは一種の不公平であるように思えますが……」

「苦しむことを知らない人がいる――それはどなたがおっしゃったのでしょうか。苦しみというものは必ずしも第三者の目に見える外面的なものばかりとはかぎりません。心が、精神が、魂が、その内奥で感じるのが本当の苦しみです。人間生活を日常のうわべの現象だけで判断してはなりません。それをどう受け止めていくかは、魂の問題です」

「苦難がそれほど大切なものであり、霊的進化にとって不可欠のものならば、なぜあなたは人の苦しみを和らげてあげる行為を奨励なさるのでしょうか」

「おっしゃる通り、わたしはそのことを大いに奨励いたします。ですが、よろしいですか、わたしは、いつの日かこの地上から全ての苦の要素が取り除かれて完ぺきな世界となると想像するほど愚かではありません。生命の進化は限りなく続くのです。わたしは三千年を生きてきた今、そう悟っているのです。その無限の階梯を登り続けるには、刻一刻と絶え間なく進化していかねばなりません。そして、その進化とは、不完全なものが少しずつ完全になっていくということを意味するのですから、それは当然、苦を伴う過程であるはずです。

そのこととは別に、同じく苦しむのでも、地上には無用の苦しみが多すぎるという事実を指摘したいのです。みずから背負(しょ)い込んでいる苦しみ、みずから好んで無知と愚かさの道を選んだために引き起こしている苦しみ、偏見が生み出している苦しみ、迷信に捉われているために生じている苦しみ――わたしが取り除きたいのは、そうした無くもがなの苦しみです。しかし人間は、本来が進化の要素を秘めた存在ですから、光明へ向けての葛藤の絶えることはありません。何事につけ、創造の過程には苦しみはつきものなのです。

問題は、人間の多くが、自分が今置かれている境遇に不満をかこつばかりで、過去の生活を冷静に振り返り、不満に思える現在の境遇から一歩離れて冷静に反省すれば、この世はすべて闇だ、イヤなことばかりだと思えたその時期こそ、霊的に最も大きく成長していたことが分かるということを、なかなか悟ってくれないことです」

「しかし、場合によっては、苦しみの体験が性格をいじけさせることもあります」

「それは、その体験が魂の本性を引き出すまでに至らなかったということです。それまでに顕現していた側面が、苦難の体験後もまだ真実の自我とはなっていないということです。実在がまだ顔を出していないのです」

別のメンバーが尋ねる――

「霊的な能力の有る人と無い人とがいるのはなぜでしょうか」

「潜在的にはすべての人間が霊的能力を所有しております。人間も本来は霊的存在である以上、それは当然のことです。ただ、人によってその能力が顕在意識の近くまで発達しているためにすぐに発揮される場合があるということです。

ですから今のご質問は“スタイルのいい人と悪い人がいるのはなぜですか”“絵の上手な人と下手な人とがいるのはなぜですか”というのと同じです。その拠(よ)ってきたる原因はちゃんとあるわけですが、それを全部説明するのは大変です」

別の日の交霊会で戦争が話題になったとき、次のような興味ある質問が出た。

「ダンケルクでの英国軍の撤退作戦のとき海が穏やかで、シチリア島での作戦のときも天候が味方してくれたと聞いていますが、これは神が味方してくれたのでしょうか」

「宇宙の大霊はいかなることにも特別の干渉はいたしません。法則、大自然の摂理として働き、これからも永遠に存在し続けます。摂理の働きを中止したり干渉したりする必要性が生じるような事態は一度たりとも生じておりませんし、これからも絶対に起きません。世の中の出来事は自然の摂理によって支配されており、大霊による特別の干渉は必要ありません。もしも干渉が有りうることになったら、大霊が大霊でなくなります。完全でないことになり、混乱が生じます」

「今の質問は、最近多くの高名な方が、ラジオ放送で、神が英国に味方してくれたかのように述べているので、お聞きしてみたのです」

「本当の高名は魂の偉大さが生むものです。それ以外に判断の基準はありません。何を根拠にしようと、大霊が自国に味方するかのように想像してはなりません。大霊とは法則なのです。あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです。窮地に陥ったあなた一人のために、どこか偉そうな人間的な神さまが総力をあげて救いに来てくれるような図を想像してはなりません。スピリチュアリストを自認する人たちの中にも、いまだにそういう風に考えている人が大勢います」

「一人ひとり進化の程度が異なるので理解の仕方も違ってくるのだと思います」

「ですから、わたしが申し上げていることに賛成してくださらなくても、あるいはわたしが間違っている――とんでもないことを言うヤツだ、と思われても一向にかまわないのです。わたしはわたしの見てきたままの真理を申し上げているだけです。永い永い進化の過程をへたのちに学んだままをお届けしているのです。それがキリスト教やヒンズー教、その他、聞いてくださる方の宗教を混乱させることになっても、それは、このわたしには関わりのないことです。わたしはそういう名称や教義、いかなる宗教の概念にもまったく関心がないのです。わたしはわたしが学んできた真理しか眼中にありません。それがわたしの唯一の判断基準です。

わたしの申し上げることがしっくりこないという方に押しつける気持は毛頭ありません。わたしに知り得たものを、精いっぱい謙虚に、精いっぱい敬虔な気持で披瀝するだけです。わたしが獲得した知識のすべて、叡智のすべてを、受け入れてくださる方の足もとに置いてさしあげるだけです。これは受け取るわけにはいきません、とおっしゃれば、それはその方の責任であり、わたしの責任ではありません」

別の 日の交霊会に英国陸軍第八部隊所属の一軍人が招かれた。本来はフリート街の青年ジャーナリストである。早くからシルバーバーチの霊訓に魅せられ、これまでの霊言は読んでないものは一語もないほどだった。そして、輸送船の中で、野営地において、あるいは戦場において、戦友と議論を闘わせてきた。それだけに、シルバーバーチヘの質問には“永遠”の問題など、難解なものが飛び出したが、例によってシルバーバーチは直截簡明に答えている。まずシルバーバーチの方からこう語りかけた。

「あなたは今は英国の軍人でいらっしゃいますが、そのあなたにもぜひ参加していただかねばならない、もっと大きな戦いがあります。幾世紀も前から、真理普及のための強大な霊的軍団が組織されているのです。霊的真理に対して絶対的忠誠心をもって臨めば、あなたの強力な味方となってくれます。

あなたへ届けられる“召集令状”は、人のために自分を役立てることを求めています。勲章は授けてくれません。襟章(バッジ)もつけてくれません。等級もありません。しかし、絶対的な忠誠心と堅忍不抜の献身的精神をもって臨めば、必ずや勝利を手にすることができることを、わたしがお約束します。

どうかあなたも、地上世界を毒している諸悪の駆逐のために、わたしたちの味方になってください。わたしたちの新たな道具として、一命を捧げていただけませんか。あなたの行為によってたった一つの魂でも救うことができれば、それだけであなたの人生は無駄でなかったことになります。わたしたちの仕事はそのようにして推進されていくのです」

「一人の人間のすることはたかが知れてるように思えるのです。軍隊にいると、ただ語り合うことしかできません」

「その、たった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事ができるのです。わたしは決して、自惚(うぬぼ)れて大きな口をたたいているのではありません。わたしにも謙虚な気持と哀れみの情はあります。わたし自身が、当初はとても無理と思える仕事を仰せつかったのです。地上の方にはまったく無名のこのわたしが、この声と素朴な教え以外には何の資産もなしに、たった一人で地上へ赴き、自分で道具(霊媒)を見つけ、愛と理性のみで勝利してみよと言われたのです。

おっしゃる通り、たった一人のすることです。見た目にはたった一人です。が、その背後には、自分を役立てたいとの願望に燃える者にかならず授けられる強大な霊力が控えております。わたしは、あらゆる逆境と困難と障害の中にあって、一個の人間(バーバネル)に目星をつけました。その人間をわたしの目的にそって鍛練し、さらに試行錯誤をくり返しつつも忍耐強く、真理普及という仕事に協力してくれる人間(サークルのメンバー)を探し求めました。何かの報酬と引き替えに募ったのではありません。献身的精神を吹き込んでみた時の反応だけで選んだのです。そして、ご覧なさい。わずかな年数のうちに、われわれを伝達手段として、誇り高き道具として、霊的真理が全世界に広められました。

かつても、大きな仕事をたった一人で始めた人がいました。その名をナザレのイエスと言いました。その、たった一人の人間が、愛を基本理念とした新しい宗教の規範を地上へもたらしたのです。

たった一人で大きな仕事を始めた人は、ほかにもいます。その名をリンカーンと言いました。彼は奴隷を解放し、あの大きな大陸を一つにまとめました。

いかがですか? たった一人でも大きな仕事ができることを示す例を、もっと挙げてほしいですか。あきらめてはなりません。真理普及というこの大きな闘いにおいて、わたしたちの味方になられた方に“敗北”はありません。時として後退のやむなきに至ることはあるでしょう。が、知識が無知を追い払い、光が闇をかき消しながら、われわれは絶え間なく前進を続けております。

わたしは古い霊です――皆さんからそう見られております。わたしくらいになると、人間の可能性というものが分かります。そのわたしから、あなたに激励の言葉を述べさせていただきます。一切のあきらめの念を駆逐しなさい。そうです、わたしたちには為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。よろこんでその手を、その心を、その精神を貸してくださる人々の協力を必要とする、大仕事があるのです。

あなたもぜひ参加してください。あなた自身が手にされた知識を、寛容の精神で他人に披露して、その良さを知っていただくための努力を忍耐強く続けてください。そのうちきっと、少しずつ変革が生じていることに気づかれます。

それしか方法がないのです。集団的暗示や熱狂的説教による陶酔ではいけません。理性と叡智と論理と常識、そして何よりも愛をもって、真実を説くことによって一人ひとり得心させていかねばなりません。結局はそれしかないのです。そう思われませんか」

「そう思います。しかし、それには気の遠くなるような時間が掛かります」

「ある人が言ってますよ、地球はあなたが生まれる前から存在し、あなたが去ったあともずっと存在します、と。その地上での束の間の人生を、なんとか価値あるものにすることに専念なさることです。たった一個の魂のためにあなたの存在を役立てることができれば、それだけであなたの人生は失敗でなかったことになるのです」

「でも、生涯を何一つ他人のために役立つことをしないまま終わる人が大勢います」

「若者はとかくせっかちに考えがちなものです。が、世の中は急激な革命によってではなく、ゆっくりとした進化によって改められていく――それが摂理なのです。わたしは若者特有の熱誠や情熱に水をさすつもりは毛頭ありません。わたしがこれまでに見てきたままを申し上げているのです。ご自分の経験から得られる叡智を道しるべとする――これが一ばんです。わたしたちが人間を導く上でそれを一ばんの拠り所としています。だからこそ説得力があるのです。その方針でやってきて、わたしたちは多くの方が感じ取っておられる以上に、大きな進歩を遂げております。

失望なさってはいけません。わたしたちも、決してあなた方を失望させるようなことは致しません。自惚れているのではありません。霊的法則に関する知識を駆使して、霊的資源を活用する用意があるからです。その資源は無尽蔵なのです。それを活用して、どんな境遇に置かれても、それを克服できるよう導き、そして支援して、あなたの存在をできるだけ有効に生かす道を歩んでいただくように致します。

奉仕(サービス)こそ霊の通貨(コイン)です。宗教とは何かと問われれば、わたしは躊躇(ちゅうちょ)なく申し上げます――いつどこにいても人のために自分を役立てることです、と。神学などはどうでもよろしい。教義、儀式、祭礼、教典などは関係ありません。祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味があるのでしょう。ステンドグラスの窓にしたからといって、一体どうなるというのでしょう。法衣をまとったら、どこがどう違ってくるというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。何の意味もないのです。

自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持を察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘ってください。

わたしが地上へお伝えに戻ってきた真理とは、こうした何でもないことばかりなのです。しかし、こうした基本的な真理にしがみついてさえいれば、道を誤ることはありません。霊的知識を広めることです。ときには拒否され、ときには嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたは、あなたの為すべきことをなさったのです。

しかし、一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちのお役に立てば、それだけで、少なくともあなたの人生は存在価値をもつことになります。

どうか、わたしがこれまでに述べてきた知識の中から、物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの身のまわりに存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ち構えている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。それが、自我の霊的本性のもつ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギとなるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物(ほうもつ)は無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。

わたしたちは金や銀の財宝をお持ちしてあげるわけにはまいりません。が、それより無限大に貴重な、霊的真理という名の宝石をお持ちしております。これは色褪(あ)せる心配がありません。永遠に価値を発揮しつづけます。これさえ携えていれば、人生を生き抜く上での、光輝あふれる照明となってくれます」

「私たち兵士が外地を転戦した時、みんな敵の方が悪いのだと思って戦いました。しかし、考えてみると、その敵もみな、その戦いにかける大義名分があればこそ戦っていたのです。こうした場合、罪の報いはどうなるのでしょうか。われわれは敵が悪いと思って戦い、敵は自分たちこそ正しいと思って戦っているのです」

「いかなる問題においても、わたしたち霊界の者は、地上的観点から見ていないということ、地上的尺度で判断しないということ、人間的な憎しみや激情には絶対に巻き込まれないということ、往々にして人間の判断力を曇らせている、近視眼的無分別に振り回されることは絶対にないことを、まず申し上げておきます。

さらに大切なこととして、いま定住している霊的世界における摂理の働きを体験してきたわたしたちは、地上の人間を悩ませる問題を、人間自身の受け止め方とは違った受け止め方をしていること、あなた方と同じ視野では捉えていないということも知ってください。

以上の大切な前置きを大前提として申し上げますが、そうした問題において何よりまず第一に考慮すべきことは、“動機”は何かということです。自分は正しいことをしているのだと、真剣に思い込んでいる人は、魂に罪過を負わせることにはなりません。いけないことと知りつつも、なおも固執する人間は、明らかに罪過を犯していることになります。なぜなら、道義心を踏みにじり、魂の進化を阻害していることになるからです。わたしたちの目には国家の別はありません。全体が霊的存在で構成された一つの民族であり、一人ひとりが、国家の法律ではなく、大自然の摂理によって裁かれるのです」

「善と悪は、何を規準にして判断したらよいのでしょうか。人間一人ひとりの問題でしょうか、それとも霊的法則の中に細かく規定されているのでしょうか」

「一人ひとりの問題です。一人ひとりの霊的自我の中に、絶対に誤ることのない判定装置(モニター)が組み込まれています。これまでに何度となくこの問題が持ち出されましたが、わたしには一貫して主張している見解があり、それを変更する必要はみじんも認めません。

これまでに獲得した霊的知識を総合的に検討した結果として、わたしはこう申し上げております。すなわち、正常な人間であるかぎり、言いかえれば、精神的・知的に異常または病的でないかぎり、自分の思考と行動を監視する、絶対に誤ることのない装置が正常に働きます。いわゆる道義心です。考えること、口にすること、行うことを正しく導く、不変の指標です。それが、いかなる問題、いかなる悩みに際しても、そのつど自動的に、直感的に、そして躊躇なく、あなたの判断が正しいか間違っているかを告げてくれます。それを人間は、時として揉(も)み消したり、言い訳や屁理屈(へりくつ)で片づけようとします。しかし、真の自我はちゃんとわかっているのです」

このあと議論が発展して難解な哲学的思考(スペキュレーション)の域まで入った時、シルバーバーチは一応それに対応したあと、こう述べた。

「わたしは実用志向のタイプです。現在の地上世界が置かれている窮状を救う上で何の役にも立たない方角ヘ議論が流れかけた時は、いつもお断りしております。わたしは、今地上世界が必要としているのは、基本的な霊的知識であるとみています。人間社会の全組織を改め、そこに巣くっている汚毒、汚物、スラム、不平等、不正を一掃する上で役立つ知識です。そうした環境が人間の霊性の発現を妨げているからです。

地上世界を見回すと、すばらしい花園であるべきところに見苦しい雑草が生い繁り、花がその美しさを発揮する場所がなくなっています。そこでわたしは言うのです――まずそうした基本的な問題と取り組みなさい。戦場で戦ういかなる敵よりもはるかに強力なその敵に、宣戦布告をしなさい、と。

人間の霊性を踏みにじっている敵と戦うのです。人間の霊性を抑圧し、魂を束縛する敵と戦うのです。霊的存在としての基本的権利――神の直射日光を浴び、自由のよろこびを味わう権利を奪う、ありとあらゆる敵と戦うのです。

人間はまずそうした問題に関心を向けるべきです。そしてもし、あなたとの縁によって霊的知識に何らかの価値を見出した人々が、その普及に意欲を燃やしてくれた時は、その方たちにこう忠告してあげてください――基本的な目的は、難解なスペキュレーションを満足させることにあるのではなく、この地上生活において霊的教訓を学べるような環境にすること、言いかえると、現在のように、大勢の者が悲しむべき哀れな姿で霊界へ来るような事態を改めることにあるのです、と」

「私もそう思います。しかし、インドのような国に目をやり、食べるもの、着るものさえ満足に恵まれない民衆のことを思うと、複雑な気持になります。いかにしてインドを救うべきか――これは大変な仕事のように思えます」

訳注――この交霊会が開かれた正確な年月日は判らないが、インドがまだイギリスの植民地として、思想的にも物質的にも苦境にあえいでいた時代であることは間違いない。

「いいえ、霊界からの声と力による導きと援助を素直に受け入れるようになりさえすれば、さほど大変なことではありません。多くの魂を束縛し、怨念と敵意と憎しみを助長し、神の子を迷信と偏見と無知による真っ暗闇の中で暮らさせている教条主義の呪(のろ)いから解放しさえすればよいのです。

永いあいだ“宗教”の名をもって呼ばれてきた古代の神話・伝説にすぎないものを捨てて、その束縛から解放される方法を教え、代わって霊的真理の陽光を浴びる方法を教えてあげれば――宗教の名のもとに行われている欺瞞と誤謬を一掃することができれば、この地上を毒している問題の多くが解決されていきます。わたしは改めてここで、わたしに可能なかぎりの厳粛な気持で申し上げますが、地上世界はこれまで“教条主義”によって呪われ続けてまいりました」

「経済的な側面はいかがでしょうか」

「それも同じ問題の別の側面にすぎません。わたしはどうやら“人騒がせ者”のようです。キリスト教の教えと違うことばかり説いていると批難されております。しかし自分では、そう言ってわたしを批難する人よりも、キリスト教について、その本質をより多く理解しているつもりです。あらゆる問題を煮つめれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち、人間は本来が霊的存在であり、大霊からの遺産(神性)を受け継いでいるが故に、生まれながらにして幾つかの権利を有しているということです。

その権利は、次の生活の場に備えるために、地上生活中にその属性を十分に発揮させるためのものです。その妨げとなるものは――いかなるものでも排除する――それだけのことです。それをどうお呼びになっても構いません。わたしはラベルや党派には関心はありません。わたしが関心を向けるのは“真理”だけです。

あなたも、わたしと同じ立場に立って、発育を阻害された者、挫折した者、精神を歪められた者、未発達者、何の用意もできていない者が、毎日のようにぞくぞくと霊界へ送り込まれてくるのをご覧になれば、多分わたしと同じように、この繰り返しに終止符を打つために何とかして地上を改革しなければ、という気持になられるはずです。

どうか、その若さで霊的知識を手にされたことを喜んでください。それを人生の冬(晩年)になってようやく手にして悔しがる人が多い中で、あなたは人生の春にそれを手にされました。しかし、それを成就すべき夏が、これから訪れます」

祈り

無知という名の暗闇から生まれる恐怖心を追放し……

ああ、大霊よ。あなたの無限なる知性は、この全大宇宙を案出なされた知性でございます。あなたの摂理は、絶え間ない日常の出来事の全パノラマを規制し統制している摂理でございます。あなたの霊力は、森羅万象を支える力でございます。あなたの無限なる霊は、物的存在に生命を賦与し、なかんずく人間を、動物的段階から引き上げ、霊的自我意識をもつ存在の仲間入りをさせた霊にほかなりません。

わたしどもは、あなたを究極の摂理――不易にして不可変の絶対的法則として啓示いたします。その法則の外側で生じるものは何一つ有りえないのでございます。宇宙のすべての存在が、その法則の不変性に無言の讃辞を向けております。それに加えて、あなたの霊的領域においてより大きな生活体験を積み重ねてきたわたしたちは、生命活動のすべてを律している、ある者がゴッド(神)と呼び、わたしがグレイトスピリット(大霊)と呼んでいる霊力の働きの完全さに、感嘆の讃辞を贈ります。

わたしたちが地上に広げたいと願っているのは、地上生活のあらゆる側面を律しているその摂理についての知識でございます。あなたの子等は、それを理解することによって、あなたがふんだんに用意されている恩恵を存分に我がものとして、生き甲斐を実感し、みずからの手で平和の中で生きることのできる社会組織を創り出すことができるのでございます。

わたしたちは、人間の無知という名の暗闇から生まれる恐怖心を追放し、生命の大機構の中で占める“死”の真の意味を理解させ、内在する霊的可能性に目覚めさせ、本当の自我の無限の霊的資質を自覚してほしいと願っております。それが、人間とあなたの間、および全世界の人間どうしを結びつけている霊的な絆を知らしめることになるからでございます。

あなたの霊が地球全体を取り巻いております。あなたの神性の糸が全存在を貫いております。地上の人間は、誰であろうと、何者であろうと、いずこにいようと、絶対に断たれることのない霊的な絆によってあなたと永遠に結びついているのでございます。

子等とあなたとの間を取り持つ仲介者は要りません。大霊の分霊を宿すがゆえに、あなたが用意されている叡智と愛と知識と真理の無限の宝庫に、自由に出入りすることが許されるのでございます。

わたしたちの仕事は、人間の内奥に存在するその霊性を活気づけ、霊的資質を存分に発揮させ、子等があなたの意図された通りの生き甲斐のある人生を送るように導いてあげることでございます。

そうなって初めて人間は、その霊的責務を果たすことになりましょう。そうなって初めてこの病める世界を癒し、愛と善意を広める上で、同胞としての貢献ができるのでございます。

そうなって初めて人間は、それまであなたの真実の姿を見えなくしていた暗黒に永遠に別れを告げて、悟りの光の中で生きることができるのでございます。

あなたの僕インディアンの祈りをここに捧げます。