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1章 この私が誰であるかは、どうでもよいことです

ある日の交霊会に若いアメリカ軍人が招かれた。アメリカでは知らぬ人のない著名人の息子さんで、何なりと質問してくださいと言われて、シルバーバーチに初歩的な質問をした。まず、シルバーバーチが霊媒のバーバネルの口を借りてしゃベり始めた初期のころのことに言及して、こう質問した。

「最初の質問は簡単です。スワッファーさんから伺った話によりますと、あなたは初めのころは英語があまりお上手でなかったそうですが、どういう言語を話しておられたのでしょうか」

「どこでの話でしょうか。この地上でのことでしょうか、それともわたしの本来の世界でのことでしょうか」

「英語がうまく話せなかったということは、何かほかに表現の手段をお持ちだったはずです。地上ではそれを言語といいますが、それは多分この地上で話しておられたものであろうと私は想像しているのですが……

「ご覧のとおり、ここに一個の物的身体があります。皆さんはこれを霊媒とお呼びになっています。媒介となる霊的な通路の意味です。あるものが届けられるための仲介の道具ということです。

さて、霊界には幾層にもつらなる生命の世界が存在します。そこに生活する者の霊的成長度によって格付けされている世界です。段階的な上下の差があり――互いに融合し合っておりますが――それぞれの界層には、そこに住まうだけの霊的成長を達成した者がいっしょに生活しています。

死後、こちらでの生活を続けていくうちに次第にこの地上世界から遠ざかり、大なり小なり地上との縁が薄れてまいります。わたしもこの三千年間でそこそこの霊的成長を遂げたのですが、ある時わたしを含む相当数の者にお呼びがかかり、地上へ戻って、虚偽と迷信と無知と誤解と偏見の下敷きとなって忘れ去られている永遠の霊的真理、単純素朴な生命の原理のいくつかを説いて、地上世界を救う手だてを講じてほしいとの依頼を受けたのです。

地上世界へ教えを説くためには、わたしの本来のバイブレーションを下げなければなりません――下げるという言い方は正しくないのですが、皆さんにはこれが一ばん分かりやすいでしょう――それは同時に、わたしの個性の何割かを犠牲にすることになるのです。物的波動の世界へ近づくほど、真の自我、霊的な自我は発揮しにくくなるからです。しかも、地上世界とコンタクトするには、わたしの波長と地上の波長とを中継してくれる役(霊媒)が必要となります。

さて、わたしが時おり戻る本来の界層で使用する意志の伝達手段は、地上の言語とは根本的に異なります。表象とか表形といったものは必要でないのです。ですが、地上の人間にわたしの教えを理解してもらうためには、わたしの方が地上世界の言語を勉強するしかありませんでした。そこでわたしも、その道の専門家(エキスパート)のもとで勉強したのです」

「地上ではどこの国にいらしたのですか」

「それはどうでもよろしい。あなたは、わたしの述べることをご自分の理性に照らして、納得がいけば受け入れてください。もしもわたしの言うことにあなたの常識が反発すればそれは拒否なさることです。わたしに限りません。いかなる霊媒の口から出たことでも、霊的というにはお粗末すぎると思われれば、それは受け入れる必要はありません。

わたしが地上世界での仕事を始めてから、もうずいぶんになりますが、開始当初から直面したハンディは、わたしの説く霊的原理の合理性を唯一の旗印としなければならなかったことです。

その正当性については、どなたとでも議論し証言する用意がありますが、それを何らかの権威を振りかざして押しつけることは致しません。わたしが説くところの中身をよく吟味していただきたいというだけです。それには間違いなく霊的純粋性の太鼓判が押されていること、いかなる検証――理性による検証、叡智による検証、常識による検証のどれをとってみても、ボロの出る心配はみじんもないこと、そこには人生の霊的原理が説かれており、それを実行することによって憎しみと悲劇と不正と利己主義――要するに、今地上にはびこっている邪悪なものすべてを排除することができる、ということを申し上げております。

たとえば、わたしはジュリアス・シーザーですと申し上げたところで、それでわたしの述べていることが少しでも価値を増すかといえば、決してそういうものではありません。真理というものは、立派そうな名前を冠した人が言ったからということではなく、真実であるという事実そのものによって価値が確立されるのです」

「もう一つ質問があります。あなたは本来の世界では別の言語を使うとおっしゃいましたが……」と言いかけると、司会のハンネン・スワッファーがそれを遮って、

「言語といっても、こうした言葉ではなくて思念による言語ですよ。霊ならどこの国の人にでも理解できるのです。そうですね?」とシルバーバーチに向かって言う。するとシルバーバーチがその若い軍人に向かって、ていねいに説明する。

「今あなたはわたしに質問なさっていますが、その時あなたは、まず最初に頭の中に思念を抱きます。その思念の中身はあなた自身にはよく分かっています。つまり何を考えているかが分かっていらっしゃるわけです。ところが、それをこのわたしに伝えようとすると、何らかの表現形式、それも、わたしに理解できるものに置き換えないといけません。それを皆さんは“言語”とお呼びになっているわけです。あなたが使用する言葉は、あなたが頭に抱いた思念を相手に理解してもらえる形式で表現しようとする試みの表れなのです。

そうなると、頭に描いた思念が相手にうまく伝わるか否かは、その人の表現能力にかかってくることになりますが、しかし、たとえシェークスピアほどの才能があっても、思念は非物質的なものであり、それを物質的な言語に置き換えるのですから、そのすべてを表現できるはずがありません。しかも、それを聞く側は聞く側で、その内容を理解するためには、その言葉を通して元の思念を想像しなければなりません。

このように、人間どうしでも、とても厄介な操作が長々と行われているのです。それに加えて、言葉にならない思念でも何とか言葉に置き換えないといけませんから、そこに無理が生じ、誤解が生じます。言葉は必ずしも思ってる通りのことを伝えてはいないのです」

「確かに、おっしゃる通りですね」

「ですから、もしも言葉の中継なしに思うことを伝え合うことができれば、地上世界を悩ませている問題のすべて、とまではいかなくても、その多くが解消されるはずです。言葉による誤解とか思い違いといったものが生じないからです。伝えたいことがそのまま伝わり、外交辞令とか、言葉をにごすといった余計なことをしなくなるはずです。

わたしの世界の言語は思念の言語です。つまり、心と心との直接の交信によって通じ合い、地上時代の習慣から脱け切ると、言葉は使用しなくなります。したがって言語の違いによる混乱が生じないわけです。地上でフランス人だった人がスウェーデン人と、エスキモーだった人がイタリア人と、気楽に通じ合います。地上のように、思ったことをいったん言葉というシンボルに置き換えることなく、そのままで通じ合えるのです。おわかりでしょうか」

「ええ、よくわかりました。では、つい最近霊界入りしたばかりの人と、大昔に他界した人との間はどうでしょうか。やはり簡単に通じ合えるのでしょうか」

「必ずしもそうはいきません。考慮しなければならない要素がいくつかあります。まず、人間は霊をたずさえた肉体ではなく、肉体をたずさえた霊であるという考え方から出発しなくてはなりません。物質の世界に生きている以上、どうしても生命を物質的なものとして捉えがちですが、本質的には生命は物質的なものではなく、その根本は非物質的なものです。あなたという存在は本来は物質ではないのです。肉体は物質です。が、本当のあなたは、今の条件下では触れてみることも、見ることも、聞くこともできません。“霊”なのですから……

さて、その本当のあなたの、その時その時の“質”の程度は、それまでどういう生き方をしてきたかによって決まります。その摂理は、身分上下の隔てなく、すべての人間に当てはまることであり、なんぴとといえども、それに干渉することはできません。

わたしのいう摂理とは、自然界の法則という意味です。原因と結果の法則、因果律です。自分第一の生活を送れば、その人の霊性にいじけた生活の結果が色濃く出てきます。利己的生活はいじけた霊性を作り出すように摂理が働くからです。反対に、自分を忘れ、人を思いやる生活を送れば、霊性が発達します。そういうように摂理ができ上がっているのであり、そこに例外はありません。

つまり現在のあなたは、これまでのあなたの行為――その身体で行ったこと、心で行ったこと、つまりは生活全体の総合結果であるということです。その本来の姿は地上にいる間は見えませんが、死の敷居をまたいで肉体から切り離された瞬間から、その有りのままの姿がさらけ出されます。高すぎもせず低すぎもしません。地上生活中に自分でこしらえた個性をそっくりそのままたずさえて、こちらへ来られます。あなたにとっての本当の財産とは、地上での日常生活で発揮した霊的資質だったのです。だからこそ摂理は公平なのであり、分け隔てがないのです。いやしくも合理的思考能力をもつ者なら、文句のつけようのない判断基準が用意されているのです。

以上のことから死後のことを想像してください。あなたはそうした霊的本性に合った世界へ赴くのです。特別の使命がないかぎり、それより低い世界へは行きたいとは思いません。が、それより高い世界へは、行きたくても行けません。その時に発揮しているバイブレーションより高いものは発揮できないからです。そういう次第ですから、結局は霊的成長度と霊的能力において同等の人たちと交わることになるわけです」

「ということは、古い時代の人であっても霊的に同格であれば、同じ界層でいっしょになれるということですね?」

「そうです。そういうことになるのです。年代には関係ありません。地上の年齢には関係ありません。すべては霊的成長度によって決まるのです。その点が地上世界とこちらの世界との大きな違いです。今あなたが生活しておられる世界では、精神的にそれぞれに程度が異なる人々が同一平面上で暮らしております。が、こちらへ来ると、同じ程度の人たちといっしょに暮らすことになります。といって、たとえば大音楽家の音楽が聴けなくなるという意味ではありません。生活上で交わる相手が同格の霊性を身につけた者に限られるということです。絶対に誤ることのない霊的親和力の法則によって自然にそう収まるのです」

このあと霊界と地上界との交信についての問題点が議論されてから、シルバーバーチがこう続けた。

「地上界は永い間の物質偏重の生活によって、霊性を鈍らせてしまったのです。人類もかつては目に見えない界層との連絡活動を盛んに行っていたのです。内在する永遠の実在の資質である霊的能力について、ちゃんとした認識があったのです。古い時代の記録、たとえばキリスト教のバイブルを細かくご覧になれば――といって、わたしがバイブルにこだわっていると思われては困りますが――太古にさかのぼるほど、心霊的能力が自然に使用されていたことがわかります。残念なことに、それが他の能力と同じように、使用されなくなるにつれて退化していき、今日では、霊的波動を捉えることのできる人は、ごくごく少数となってしまいました。

今日の人間は“牢(ろう)”の中で暮らしているようなものです。その牢には小さな窓がたった五つしかついておりません。それが五感です。目に見え、耳に聞こえ、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、肌で感じるものだけを実在と思い、それ以外の、身のまわりに起きている無数の出来事には、まったく気づいていらっしゃいません。あなたが存在するその場所、およびその周辺には、次元の異なる世界がぎっしり詰まっていて、そこでも生命活動が活発に展開しているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。あなたの感覚ではその波動が捉えられないというだけのことです。

人間が“死”と呼んでいるのは、その物的身体が活動を止めるというだけのことです。往々にしてそれが、残念なことに、魂に十分な準備ができていないうちに起きることがあります。が、いずれにせよ、死とともに、本当のあなたである霊は肉体という牢から解放され、より精妙な身体、霊的身体――幽体と呼ぶ人もいます――を通して自我を表現することになります。それまでずっと無意識のうちにその時に備えていたのです(※)。あなたがたが“死”と呼んでいる現象は、実は、それまでとは比較にならないほど大きな活動の舞台、生命活動の世界へ誘(いざな)ってくれる門出なのです。なぜなら、その時から霊的能力が本格的に機能を発揮しはじめるからです」

――これには二つの要素が含まれている。一つは、母胎内において誕生後の大気中での生活に備えて成長が進行しているのと同じで、各自の肉体の成長とともに幽体が発達し、知的生活によって霊体が発達し、喜怒哀楽の人生体験によって本体が発達している。もう一つは、毎晩眠りにつくと同時に霊的身体が肉体から脱け出て、霊的世界での勉強や遊び、旅行などを通じて準備している。異次元の体験であるために、特殊な霊能者を除いて、ほとんどがその記憶を顕在意識で捉えることができないが、無意識ではあっても、記憶の層には着々と蓄積されている。

「死後も地上の同じ場所に留まるのでしょうか。それとも、まったく新しい別世界となるのでしょうか」

「宇宙はたった一つです。が、その中に無数の世界が存在するのです。生命はたった一つです。が、それも無数の段階があるのです。こうした霊的実在の問題を扱う際に直面するのが、言語の不便さです。大ざっぱで、ぎこちなくて、意を尽しがたい、ただの符号(シンボル)にすぎないものを使用しなければなりませんので、わたしの本意が伝わりにくいのです。

生命は一つです。宇宙は一つです。そこには限界というものがありません。ここが宇宙の端っこですという、最先端がないのです。ですから、皆さんの視界から消え去った過去の人たちは、今もあなたと同じ宇宙の中で生き続けているのです。しかし、界層が異なります。波長の次元が異なります。次元の異なる意識の中で生活しているのです。それでいて、あなたと同じ場所にいるのです。その肉眼に見えないだけです。それはちょうど、あなた自身は気がつかなくても、あなたは今わたしの世界である霊界にいるのと同じことです。

生命のあらゆる側面が一つに融合しているのです。仕切り線というようなものはありません。その中に物的な側面と霊的な側面とが存在し、同じ場所で融合しているのです。

たとえてみれば、無線の周波のようなものです。あなたのいらっしゃる同じ位置に、周波数の異なる電波が無数に存在するのです。宇宙空間に充満しているのです。が、そのうちのどれをキャッチするかは、受信機の性能一つにかかっています。それと同じで、あなたは今の段階では物的波動に制約されています。それしかキャッチできないのです。霊視能力者というのは同じく光の波動でも物的なものとは次元の異なる、より精妙な波動をキャッチできる人のことです。霊聴能力者というのは、同じく音波でも物的なものを超えた、より繊細な波動をキャッチできる人のことです。すべてはその人の性能にかかっております。

さて、死後のことで、ぜひとも知っておいていただきたいのは、肉体を捨ててこちらの世界――生命の別の側面、いわゆる霊の世界へ来てみると、初めのうちは戸惑いを感じます。思いも寄らないことばかりだからです。そこで、しばらくは地上世界のことに心が引き戻されます。愛情も、意識も、記憶も、連想も、すべてが地上生活とつながっているからです。そこで、懐かしい場所をうろつきますが、何に触っても感触がなく、誰に話しかけても――我が家でも会社でも事務所でも――みんな知らん顔をしているので、一体どうなったのだろうと困惑します。自分が“死んだ”ことに気づかないからです。しかし、いつまでもその状態が続くわけではありません。やがて霊的感覚が芽生えるにつれて、実在への自覚が目覚めてまいります」

この米国軍人には最近他界したばかりの兄弟がいる。その話を持ち出して――

「何度か私は、彼も今いっしょだったらなあとか、この場面をあいつにも見せたいなあ、などと思うことがあります」

「ちゃんと見えてますよ、いつも」

「でも私には、彼が今いっしょにいるということを知る手だてがありません」

「おっしゃる通り、残念ながら、ありませんね。あなたが霊的能力を発達させて、彼の姿を見たり交信したりすることができるようになるしか、方法はありません。彼の方はあなたにない能力が加わっていますから、あなたのことは何もかもわかっています。が、あなたにはまだその能力が発達していませんから、彼のことを知ることができないわけです」

「今のお言葉ですと、私にもその能力が備わっているみたいですが……

「もちろん備わってますとも。人間のすべてに備わっているのです。わたしは、この事実を知るだけでも革命的といえるのではないかと考えています。世界の著名な宗教家はみなその事実を説いております。偉大な宗教家の教えの根本には、必ずその事実があります。自分自身がそのお蔭でインスピレーションを受けていたからです。みな同じ霊的始源に発しているのです。どの宗教家も基本的にはまったく同じ霊的真理を説いたのです。すなわち、人間は霊的天命を背負った霊的存在であること、死後の、より大きな生命の舞台に備えるために今この地上に来ていること、そして、多くの人から受けた愛と、自らこしらえた性格と、自ら開拓した霊的資質とをたずさえて、この世を後にするということです。

それがあらゆる宗教の中心的な教えではないでしょうか。そして、その基本的な教えがすべての宗教から、一つの例外もなく、忘れ去られているのが事実ではないでしょうか。厖大な量の教義と神学と教条主義――要するに宗教とは何の関係もない、そして宗教として何の価値もない、人間の勝手な説に置き換えられているのです」

では一体どういう心がけで生きるべきかについて、シルバーバーチはこう説いた。

「あなたはまだ、このわたしをよくご存知ではありませんが、すでによくご存知の方に再三申し上げてきたことを、あなたにも申し上げます。自分で判断して、これが正しいと思う生き方をすればよいのです。世間がどう言おうと構うことはありません。まわりの人が何と言おうと気にすることはありません。自分で正しいと思うこと――この方が得だとか都合がよいとかではなく、心の奥でこうするのが本当だと確信した道を選んで、突き進むのです。

いたって単純なことなのです。ところが地上という世界は、その単純なことでは気が済まないところのようです。複雑なもの、込み入ったことがお好きのようです。そろそろ平凡に思えてくると、真実とはもっと難しいものなのではないかと思いはじめます。そこでわたしは、あくまでも良心の声に従いなさいと申し上げるのです。良心とは内部に設置されている、神の監視装置――当人にとっての善と悪とを選り分け、進むべき道を決断するための手段です。

問題はそのあとです。かくあるべきとの良心からの指示を得たら、その方向にいかなる困難が予想されようと、臆することなく、迷うことなく、その指示に従わないといけません。最後はきっとそれで良かったということになるのです。単純なのです。これ以上わかりやすい話はありません。

あなたには、宿命的に、有利な条件と不利な条件とがあります。しかし、同時に、あなたならではの才能をお持ちです。それを他人のために役立てなさい――わたしからはそう申し上げるしかありません。今生きておられる世の中は、涙と苦しみと悲しみと惨めさに満ち満ちております。そうした中にあって、あなたより幸せの少ない人たちのために役立つことをなさることです。

見回してごらんなさい。慰めを求めている人、導きを求めている人、光を求めている人たちが無数にいます。そういう人たちのためにあなたが何かの役に立つかも知れません。自分ではどうしようもない、不幸な境遇の犠牲になっている人が多すぎます。その日の食べものにも事欠く人が多すぎます。ほこりと不潔と病気の中で暮らしている人が多すぎます。思うにまかせない不自由な身体で生きざるをえない人が多すぎます。

もしかしたら、その中にあなたにも手助けしてあげられる人がいるかも知れません。そういう人たちの身になってあげることが大切なのです。そして、あなたなりの手助けをしてあげる――そこにあなたの試金石があります。

いいですか、ほかのことは信じていただかなくても結構ですから、次のことだけは信じてください。あなたが生涯でたった一人の魂に光明を見出させてあげることができたら、たった一人の人間の飢えを満たし、のどの渇きをうるおしてあげることができたら、たった一人の人間の肩の荷を軽くしてあげ、前途に横たわる石ころを取り除いてあげることができたら、それは地上の全財宝にも勝る貴重な行為をしたことになるのです。

そのためにも、これからあなたは霊的実在について少しでも多くの知識を身につける努力をなさらないといけません。残念ながら生涯を暗闇の中で過ごす人が多すぎます。わたしたちはその暗闇にささやかな霊的真理の明かりを灯してさしあげようと努力しているところです。それは無用の闇だからです。地上にも真の天国となる可能性があるのです。それが実現するか否かは、真理を手にした人が生活の中で実行するか否かにかかっております。

わたしからは、ともかくも人のためになることを心掛けなさい、と申し上げます。わたしにとっては、それが唯一の宗教だからです。讃美歌も、聖書も、教会も、礼拝堂もいりません。その種のものは、世の中をより良くしようという気持を起こさせないかぎり、何の意味もありません。真の宗教とは、いつどこにいても、同胞のために自分を役立てることです。

このわたしが誰であるかは、どうでもよろしい。それは関係ありません。もしかしたら地上で大変な人物だったかも知れませんし、つまらぬ人間だったかも知れません。が、身分や姓名は何の意味もありません。わたしの述べた真理があなたにとってお役に立てば、それで満足なのです。わたしの存在価値が発揮されたことになるからです。

さて、わたしとの対話がお役に立ったかどうかは別として、最後に一つだけ申し上げさせていただきましょう。それは、いついかなる時も、あなたの身のまわりには見えざる存在がいてあなたを導き、守護し、あなたの存在価値を最大限に発揮させるべく働きかけているということです。一人ぽっちでいることは決してありません。見捨てられることは絶対にありません。いついかなる時も愛のマントに包まれております。その愛の力は霊の力です。全生命の始源です。太陽を、月を、星を、海を、山を、全生命を、全宇宙を創造した力なのです」

祈り

この果てしなき創造機構の中にあって……

ああ、真白き大霊よ。全生命の背後の崇高なる摂理にあらせられ、森羅万象を創造したまい、全大宇宙のあらゆる営み、あらゆる活動を制約し規制するための、永遠不変の法則を稼動なされた方として、わたしたちは、あなたという絶対的存在に思いを馳せるのでございます。

あなたの心は、ほかならぬその摂理を案出せる心であり、あなたの愛は、ほかならぬその摂理を維持している愛でございます。すべてはあなたに始まり、存在するものはすべてその淵源をあなたに発しております。すべての存在にあなたの霊が浸透し、したがって何一つ忘れ去られることがなく、何一つ等閑(なおざり)にされることがないのでございます。

あなたの崇高なる御業(みわざ)は、大自然の無数の美の広大なパノラマの中に見ることができます。移りゆく四季おりおりの壮観と美の中に、あなたの崇高なる御業を見出すことができます。絶え間なく、休むことなく機能している進化の法則の中にも、あなたの神性が反映しております。

しかし、あなたの神性の最大の顕現は、ほかならぬ人間の霊性の中に見出すことができます。その最高の表現が、人のために己を犠牲にする行為でございます。

あなたは、子等を永劫(ごう)の絆によってあなたご自身と結びつけておられます。その絆は、切ろうにも切れるものではございません。人生のいかなる出来事、たとえ“死”といえども、子等をあなたから、あるいは子等からあなたを切り離すことはできません。生得の資質ゆえに、すべての叡智、すべての愛、すべてのインスピレーション、すべての知識の泉であるあなたと、常に結びついているのでございます。

わたしどもの仕事は、この果てしなき創造機構の中にあって、地上の子等がその存在意義をより多く発揮し、あなたの道具として、あなたの御心を広め、あなたの真理を普及させる上で役立つ力を身につけるように指導することでございます。

その備えができてはじめて、弱き者に援助の手を差しのべ、苦しむ者の心の支えとなり、挫けた者を救い、道を見失った者に指示を与え、飢えに苦しむ者に食べものを、住む家もない者に宿りを提供し、無知の支配するところに知識をもたらし、闇に包まれたところに光をもたらしてあげることができるのでございます。あなたを知らぬ無数の子等があなたの存在に気づき、豊かな理解力をさずかる生き方を見出す、そのカギを手にさせてあげることができるのでございます。

物質の世界と霊の世界との間に横たわる障害を取り払い、あなたの道具を通して豊かなインスピレーションが絶え間なく地上へ届けられ、あなたの愛がふんだんに流入して、それを必要とする者に行きわたり、喪(も)の悲しみの中にある人の涙を霊的摂理の知識によって拭ってあげる――それがわたしどもの仕事でございます。

ここに、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。