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7章 社会生活の法則

社会生活の必要性

――社会生活は自然なことでしょうか。

「もちろんです。神は人間を社会という形態の中で生活するように意図されています。言語を始めとして人間関係に必要な能力を授けてあるのはそのためです」

――すると社会から隔絶した生き方は自然法則に反するのでしょうか。

「そうです。人間は本能的に他の人間との交わりを求めるものであり、お互いがお互いの進歩を援助し合うように意図されているからです」

――他との交わりを求めても結局は利己的な感情に負けるのではないでしょうか。それとも、そうした点にこそ神の配剤があるのでしょうか。

「人間は進化という宿命があります。それは一人だけの生活では達成されません。誰一人として才能の全てを所有してはいないからです。そこに他との接触の必要性が生じます。隔絶した一人の生活では人間らしさが失われ、太陽に当たらない植物のように弱々しくなります」

隠遁生活

――原則として社会志向の生活が自然であることは理解できますが、その社会から遁(のが)れた生活への志向も、それで本人が満足するのであれば、悪いとは言えないと思うのですが……

「そういう満足は利己的満足だからいけないのです。酒びたりの生活を送っている人がいますが、あなたはそれを、満足しているのだから良いとおっしゃるつもりですか。自分をその立場に置いてみて、自分以外の人に何の意味も持たないと思ったものは、神はお喜びにならないと思ってください」

――不幸な人々のために生涯を捧げる決意をして世を捨てる人々はどう理解すべきでしょうか。

「そういう人は自ら身を低くすることによって魂を高めています。物的享楽を捨てることと、仕事の法則を成就することによる善行の二つの点で大きな功績があります」

――ある種の仕事の成就のために世俗から遁れて静寂の中で生活している人はいかがでしょうか。

「そういう動機からであれば利己的ではありません。実質的には人のためなのですから、社会から隔絶してはおりません」

――ある宗派では“無言の誓い”というのを教義としておりますが、これはいかがでしょうか。

「言語能力が自然な能力であること、神から授かったものであることをお考えになれば、自ら答えが出るはずです。神は能力の悪用は咎めますが、正しい使用は決して咎めません。もっとも、静寂の時を持つこと自体は結構なことです。そういう時こそ本来の自我が顕現し、霊的な自由が増し、背後霊との内的コミュニケーションが持てます。ですから、そういう目的のために自発的な苦行を行うのは、動機の点で有徳の行為と言えます。が、基本的に見てそういう行に終始する生活は、神の摂理を十分に理解していないという点で、やはり間違いです」