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6章 物質界への再誕

再生の前兆

――物質界へ再生する時期は予知されるのでしょうか。

「目をつぶっていても火に近づくと体で熱を感じるように、再生する時期が近づくと自然に直感するものです。死を予期するのと同じ調子で、また生まれ変わることを予知します。が、それが正確にいつであるかは知ることはできません」

――近づく再生にそなえての準備もあるのでしょうか。

「一向に気に掛けない者もいますし、何も知らずにいる者もいます。それはその霊の霊性の発達程度による問題です。将来のことが何も分からないという不安な状態に置かれることが罰であることもあります」

――再生の時期を早めたり遅らせたりすることは出来るのでしょうか。

「強烈な意念でもって望めば早めてもらうことは出来るでしょう。待ち受ける試練にしり込みして拒否の態度を続ければ延期してもらうことも出来るでしょう。人間界と同じで、霊界にも臆病者や横着者がいるものです。ですが、延期が叶えられても、それだけの代償は必ず払わされます。病気の治療と同じです。こういう療法で必ず治ると分かっているのにそれを拒否すれば、治るのが遅れるのは当たり前です」

――さすらいの状態にありながらも今の状態が結構楽しくて幸せであると感じている場合は、その状態を無期限に延ばすことは許されるでしょうか。

「無期限にというわけには行きません。向上の必要性は遅かれ早かれどの霊もが感じるものです。霊は例外なく向上しなくてはなりません。それが宿命なのです」

――宿る身体はあらかじめ決まっているのでしょうか。それとも最初の段階で選択するのでしょうか。

「生まれ出る新生児にどの霊が宿るかは決まっています。霊が次の人生で体験することに意を決すると、再生の手続きに入ります。神はその霊について裏も表も全てを知り尽くしていますから、新しい人生も予見して、かくかくしかじかの霊はかくかくしかじかの身体がよいということを判断なさるのです」

――霊には宿る身体を選択する自由はないのでしょうか。

「身体を選ばせてもらえることもあります。なぜなら、障害の多い身体に宿れば大変な試練の人生となりますから、それを選ぶことによって遭遇する苦難を首尾よく克服すれば、それは大いに進歩の多い人生となるからです。ただし、それだけにまた挫折も多いわけですから、一人で勝手に選ぶことは許されません。そういう願いを出して許しを乞うということになります」

――選んだ身体に宿る直前になってそれを拒絶することもできますか。

「もし拒絶した場合は、新たな試練を求めなかった場合よりも多くの苦難をこうむります」

――生まれ出る胎児に宿る霊がいないという事態は起こり得ますか。

「神はあらゆる不慮の事態に備えています。生まれ出る胎児には必ずそれに宿るべき霊も決められています。計画なしに創造されるものは何一つありません」

――肉体に宿りきった瞬間は死後の意識の混乱と同じものを伴うのでしょうか。

「伴います。死後の混乱よりも大きく、とくに期間がずっと長く続きます。死後は肉体への隷属状態からの解放ですが、誕生は再びその状態に入り込むのですから」

――再生する瞬間は霊自身にとって厳粛な気持になるものでしょうか。

「譬えてみれば危険な航海に出て行く時の心境です。果たして無事荒海を乗り切ることができるかどうか、大いなる不安の中での船出です」

――その不安というのは新しい人生での試練を無事克服できるかどうかということから生じるのでしょうか。

「そうです。とても不安です。それにどう対処するかによって霊的進化を遅らせることになるか速めることになるかが決まるからです」

――再生する時、見送ってくれる仲間がいるのでしょうか。

「それはどの界層に属するかによって違ってきます。情愛の強い界層であれば、愛する者たちが最後の別れの間際まで付き添い、勇気づけ、再生後もずっと付き添うこともよくあります」

――夢などによく姿を見せながらその容貌に記憶がないということがよくあるのですが、それはその類いの霊でしょうか。

「そうです、そういうことが非常に多いです。牢に入れられた者を見舞うのと同じように、あなたのもとを訪れてくれているのです」

魂と肉体の合体

――魂が肉体と合体するのはいつでしょうか。

「受胎の瞬間から結合作用が開始されますが、完了するのは誕生の瞬間です。受胎の瞬間に、その肉体に宿ることになっている霊と受胎した細胞とが流動質の紐でつながります。そのつながりは日を追って緊密になり、出産後の産声(うぶごえ)によって地上の人間の一人となったことを告げることになります」

――霊と胎児との結合は受胎の瞬間において確定的なものになるのでしょうか。つまり、結合して間もない頃に霊がその肉体に宿ることを拒否することが出来るのでしょうか。

「両者の結合は、他の霊には絶対に侵入を許されないという意味において確定的と言えます。しかし、物質的なつながりは脆弱(ぜいじゃく)ですから、自ら選択した試練にしり込みして霊が強烈に拒否すれば、そのつながりは切断されます。その場合は胎児は死亡します」

――宿った胎児が何らかの原因で死亡した場合、霊はどうなりますか。

「別の肉体を選びます」

――生後二、三日で死亡するような嬰児に宿って再生することにどんな意味があるのでしょうか。

「その場合、新しい存在としての意義はまだ芽生えていませんから、死そのものの影響はほとんどありません。前にも述べましたが、こうした死は主として両親にとっての試練である場合が大半です」

――霊自身はあらかじめその身体が生き永らえる可能性がないことを知っているのでしょうか。

「知っていることもあります。もし知っていたとすれば、それは新しい人生での試練にしり込みして、そういう身体を選んでいます」

――そうやって、原因は何であれ、せっかくの再生に失敗した場合、すぐに次の再生が準備されるのでしょうか。

「すぐにとは限りません。失敗にそなえて次の再生の準備が整えられていた場合は別として、一般的には新たな選択をするのに時間を要します」

――胎児との結合が確定的となり、もはや拒否することができなくなった時点で霊が後悔することがありますか。

「ご質問の意味が、人間となってからその人生に不平を言ったり、生まれてくるんじゃなかったと思うことがあるかということであれば、そういうことはあるでしょう。が、再生する際の人生の選択を間違えたと後悔することがあるかという意味であれば、そういうことはありません。なぜなら、その時点ではすでに霊としてそういう選択をした記憶は消えているからです。いったん再生してしまうと、霊の時代に意識して選択したことは思い出せません。しかし人生の重荷に耐えかねて絶望することはあります。その場合、自殺ということも起こり得ます」

――受胎から誕生までの期間中に、霊は霊的能力を使用しているのでしょうか。

「妊娠期間中のさまざまな時点で大なり小なり使用しています。新しい物的身体と結合したといっても、まだ合体するまでには至っていないからです。一般的には受胎の瞬間から意識の混濁が始まり、その時点で自分がいよいよ再生の過程に入ったことを直感します。その混濁は日を追って強まり、分娩に至ります。その期間中の霊の意識状態は睡眠状態に近いと思ってよろしい。分娩時が近づくにつれて意識は消え、過去の記憶も消え、それは誕生後もずっと思い出せません。死後霊界に戻ると徐々に記憶が蘇ります」

――いわゆる死産の場合、当初から再生が意図されていなかったケースもあるのでしょうか。

「あります。当初から霊が宿る予定はなく、霊的には何も為されないことがあります。そういうケースは両親にとっての試練としての意義しかありません」

――そういう胎児でも一通りの妊娠期間があるわけですか。

「全てではありませんが、あります。ですが、生きて産まれ出ることはありません」

――堕胎は霊にどういう影響を及ぼすでしょうか。

「無駄に終わったことになり、一からやり直さなければなりません」

――人工中絶はどの段階であっても罪悪でしょうか。

「神の摂理を犯す行為はすべて罪悪です。母親であろうと誰であろうと、生まれ出るべき胎児の生命を奪う者は必然的に罪を犯したことになります。生まれ出る身体に宿って再生し試練の一生を送るはずだった霊から、そのせっかくの機会を奪ったことになるからです」

――かりにその母親の生命が出産によって危機にさらされると診断された場合でも、中絶することは罪になるのでしょうか。

「すでに完成されている人体(母親)を犠牲にするよりも、まだ完成されていない人体(胎児)を犠牲にすべきでしょう」

霊的属性の発達

――人間の道徳性はどこから生まれるのでしょうか。

「その身体に宿っている霊の属性です。霊が純粋であるほど、その人からにじみ出る善性が際立ってきます」

――そうすると善人は善霊の生まれ変わりで、悪人は悪霊の生まれ変わりということでしょうか。

「それはそうなのですが、悪霊と言わずに“未熟霊”と言い変えた方がいいでしょう。そうしないと常に悪であり続ける霊、いわゆる悪魔が存在するかに想像される恐れがあります」

――非常に知的な人で、明らかに高級霊の生まれ変わりであると思われる人が、一方において極端に非道徳的なことをやっていることがあるのは、どう理解したらよいのでしょうか。

「それはその身体に宿っている霊が道徳的に本当に純化されていないからです。そのためにその人よりも波動的に低い霊の誘惑に負けて悪の道に陥るのです。霊の進化は一本道を上昇していくのではありません。霊のもつ多くの属性が少しずつ進化して行きます。進化の長い旅路において、ある時は知性が発達し、またある時は道徳性が発達するといった具合です」

――霊的属性は物的身体の器官によって制約を受けるのでしょうか。

「肉体器官は霊的属性を発現させるための魂の道具です。ですから、その発現の程度は肉体器官の発達程度によって制約を受けます。名人の腕も道具次第であるのと同じです」

――すると、頭脳の発達程度から道徳的ならびに知的属性の発達程度を推しはかることが出来るのですね?

「原因と結果を混同してはいけません。能力や資質は霊に所属しているのです。肉体器官がそれを生み出すのではなく、それが肉体器官の発達を促すのです」

――その視点から言えば、各自の素質はひとえに霊の発達程度によるのでしょうか。

「“ひとえに”と極言するのは正確ではありません。物質界に再生した霊の資質が持って生まれたものであることに疑いの余地はありません。が、宿った物的身体の影響も考慮に入れなくてはなりません。大なり小なり、内在する資質の発現を阻害するものです」

白痴と錯乱

――一般に白痴は普通の人間よりも下等と信じられていますが、そう信じてよい根拠があるのでしょうか。

「ありません。人間の魂であることに変わりはなく、実際には外見から想像するより遥かに高い知性を秘めていることがあります。ただ、それを発現させる機能が大きく阻害されているだけです。耳が聞こえない人、物が見えない人がいるのと同じです」

――そういう不幸な扱いを受けている人がいることにも神意があると思うのですが、一体どういう目的があるのでしょうか。

「白痴は大きな懲罰を受けている霊の再生です。そうした発育不全ないしは障害のある器官に拘束され、発現できない状態での苦痛を体験させられているのです」

――白痴のような、善も悪も行えず従って進歩が得られない状態での人生に何のメリットがあるのでしょうか。

「そういう人生は何らかの才能を悪用したその罪の代償として科せられているのです。その霊の進化の旅程の一時的中断です」

――と言うことは、その白痴の人物の身体に宿っている霊は、かつては天才だったということも有り得るのでしょうか。

「大いに有り得ます。天才も、その才能を悪用した時は天罰を受けます」

――その身体に宿っている霊は、霊的にはそれを自覚しているのでしょうか。

「自覚していることがよくあります。自分の行動を阻止しているクサリが試練であり罪滅ぼしであることを理解しているものです」

――精神的錯乱状態の人間の場合、霊はどういう状態になっているのでしょうか。

「霊は、完全に自由な状態(霊界に所属している間)では、全ての機能が自在に働き、物質へも直接的に働きかけることができます(心霊現象を生じさせる場合)が、いったん物質界に再生してしまうと条件が一変し、肉体器官という特殊な媒体を通して能力を発揮することになります。ですから、もしもその器官のどれか一つ、あるいは器官の全てが損傷を受けると、その人間の行為ないしは受信機能が阻害されます。眼球を失えば見えなくなり、聴覚を損なえば聞こえなくなるといった具合です。

そういう次第で、かりに知性や意思の表現を司る機能が部分的に、あるいは完全に阻害されれば、器官はそなわっていても、まったく機能しないか、異常な反応をするために、表向きは錯乱した行動を取ります。霊的には異常であることに気づいていても、どうしようもないのです」

――それが自殺という行為を生むことがあるのはなぜでしょうか。

「今も述べたように霊的次元では本当の自我は異状に気づいていて、その機能不全による拘束状態に苦しんでいます。その拘束を断ち切る手段として自ら死を選ぶのです」

――死後も地上時代の錯乱状態が続くのでしょうか。

「しばらく続くかも知れませんが、そのうち物的波動から抜け出ます。それはちょうど、あなた方が朝目を覚ましてしばらくは意識がぼんやりとしているのと同じです」

――脳の病気がどうして死後の霊にまで影響を及ぼすのでしょうか。

「一種の記憶の残影の影響で、重荷のように霊にのしかかっています。本人には自分の錯乱状態での行為の記憶はありませんので、本来の自分を取り戻すのに普通より時間が掛かります。死後の不安定な状態が地上時代の病的状態の長さによって長かったり短かったりするのはそのためです。霊は肉体から解放されたあとも、多かれ少なかれ、肉体とのつながりによる影響を引きずっているものです」

幼児期

――霊はなぜ再生の度毎に幼児の段階を経なくてはならないのでしょうか。

「地上へ降誕する目的は霊性の進化です。物的身体に宿った霊は(生長するにつれて物的器官による束縛が大きくなって行くけれども)幼児期は霊的感覚がまだ強く残っているので、指導を任された背後霊団からの印象を受け易く、それが発達を促します」

――最初の意志表示がただ泣くだけということには何か意味があるのでしょうか。

「母親の関心を引きつけて看護に落ち度がないようにするためです。考えてもごらんなさい。もしも赤ん坊がいつも機嫌よく笑い声ばかり立てていたらどうなります? 母親だけでなく周りの者も、その時に必要としているものに気づかずに放っておくはずです。そうした配慮の中にも大霊の叡知を読み取ってください」

――そうした幼児期から成人へ向けて変化して行くのは、内部の霊そのものが変化するからでしょうか。

「霊が、内在する本来の資質を発揮しはじめるのです。

あなた方は表面上の無邪気さの裏に隠された秘密をご存じないようですね。我が子が一体いかなる人間になるのか、生まれる前は何者だったのか、これからどんな人間に成長するかも知らないまま、あたかも自分の分身であるかのごとくに愛撫し、全てを忘れて育て、その愛は海よりも深いと称(たた)えられていますが、他人でさえ感じる幼な子のあの愛らしさ・優しさはどこから来ると思いますか。その始源は何だと思いますか。ご存じないでしょう。では、それをじっくりお聞かせしましょう。

子供は神の許しを得て新しい物的生活の場へ送られてきます。その際、神は、その人生の酷しさが不当であるとの不満を抱くことのないよう、どの霊も表向きは無邪気そのものの赤子として誕生させます。たとえ宿っている霊が極悪非道の過去を持っていても、その悪行に関する記憶はまったく意識されないようにしてあります。無邪気さによって悪行が払拭(ふっしょく)されているわけではありません。一時的に意識されないようにしてあるだけです。その純真無垢の状態こそ霊の本来の姿なのです。だからこそ、それが汚れて行くことについては、その霊が全責任を負わねばならないことが明らかとなるのです。

赤子が純真無垢の状態で生まれてくるのは、それに宿る霊のためだけではありません。その赤子に愛を注ぐ両親のためにも――むしろ両親のためにこそ――神の配慮があるのです。もしも過去の残虐な行為がそのまま容貌に現れたらどうしますか。愛は大きく殺(そ)がれることでしょう。邪気もなく、従って従順だからこそ愛の全てを注ぎ、細心の看護を施すことが出来るのです。

しかし、親による扶養も必要でなくなる十五才あるいは二十才頃になると、本来の性癖と個性が赤裸々に表に出て来ます。もともと善性の強い霊であれば、いわゆる“良い子”に育つでしょう。が、それでも幼少時は見られなかった性癖や性格の陰影が見られるようになります。

生まれてくる子の霊は、親とは全く異なる世界からやってくることを忘れてはいけません。親とは全く異なる感情、性癖、嗜好をもってやって来た者が、いきなり地上世界に馴染めるでしょうか。やはり神の配剤、すなわち純真無垢の幼児期という篩(ふるい)を通過することによって、その準備をするのです。生成発展の過程にある無数の天体が生み出す全想念、全性格、全生命が最終的に入り交じることが出来るのは、この幼児期の篩の過程があるからこそなのです。

無邪気な幼少時代にはもう一つの効用があります。霊が地上生活に入るのは霊性の発達、言わば自己改革のためです。その観点からすれば、幼少時代の物質性の弱さが背後霊による指導に反応しやすくします。その結果、邪悪な性向が抑えられ、問題のある性格がある程度まで改善されます。この抑制と改善は親たるべく神から運命づけられている者にとって、厳粛な使命でもあるのです。

このように、幼児期というのは有用であり必要不可欠であるばかりでなく、それ以上に、宇宙を支配する神の摂理の自然な配剤でもあるのです」

親しみを感じる人・虫の好かぬ人

――前世で知り合ったり愛し合ったりした二人が次の地上生活で出会った時、それと分かるものでしょうか。

「互いに認識し合うことは出来ません。しかし互いに親しみを感じるかも知れません。そうした前世での縁が親和力となって次の地上生活で愛情関係へと発展することはよくあることです。偶然としか思えない事情の重なりで一緒になることはよくあることで、それは実は偶然ではなく、このごった返した人間の集まりの中にあって無意識のうちに二人の霊が求め合っていた、その結果です」

――認識し合えればもっと良いのではないでしょうか。

「必ずしもそうとは言えません。過去世の記憶には、あなた方が単純に想像するのと違って、大きな不都合が伴うものです。死後には互いに認識し合い、それまでの過去世を思い出すことになります」

――親しみを感じる場合は決まって前世での縁があるからでしょうか。

「そうとは限りません。人間としての前世での縁がなくても、霊的に親和性がある場合は自然に打ち解けます」

――反対になぜか初対面の時から虫が好かない間柄というのがありますが、何が原因でしょうか。

「霊的な斥力(せきりょく)が働いて、互いに言葉を交わさなくても互いの本性を直感して反撥し合うのです」

――その場合、どちらか一方または双方に邪悪な性質があることの表れでしょうか。

「反撥を感じるからといって必ずしも邪悪であるとは限りません。反撥を感じるのは類似性が欠けているからに過ぎないこともあります。その場合でも互いに霊性が向上すれば相違の陰影が薄れていき、反撥心も消えていきます」

過去世の記憶

――再生した霊はなぜ過去の記憶が消えるのでしょうか。

「神がその無限の叡知によって人間に全てを知ることができないように、また知らしめないようにしているのです。遮ってくれている忘却という名のベールがもし無かったら、暗闇からいきなり直射日光にさらされたように、人間は目が眩んでしまいます。過去世のことを忘れているからこそ自分を確保できているのです」

――地上生活の艱難辛苦は、それもやむを得ないほどの過去の悪事を思い出すことができて初めて納得がいくと思うのです。ところが再生の度に前世を忘れていけば、どの地上人生も初体験と同じであることになります。神の公正はどうなるのでしょうか。

「新しい物的生活を体験するごとに霊は叡知を身につけ、善悪を見分ける感覚が鋭敏になって行きます。そして死の現象を経て本来の生活(霊界での生活)に戻ると、地上での全生活が披露されます。犯した罪、苦しみを生み出した悪行を見せつけられ、同時に、その時どうすればそれが避けられたかも見せられます。その結果各自は、自分に割り当てられた善悪両面の摂理による裁きについて得心がいきます。

そこまで来ると今度は、地上に残してきた罪科の後始末のために、もう一度再生したいという願望が生じます。前回しくじったのと同じ環境条件のもとでの新たな挑戦を求め、先輩霊たちにも援助を要請します。その中には守護霊となるべき霊もいます。守護霊は前回の地上生活での失敗原因を熟知していますから、同じ条件下で遠慮のない試練を与えます。悪想念、罪悪への誘惑によって彼を試します。それに対して、親の躾けのお陰で誘惑に打ち勝ったと思えるケースもあることでしょう。が、実際は彼自身にそなわった善悪判断のモニター、いわゆる良心の声に従ったからなのです。

しかし、その良心の声にこんどこそ従うことが出来たのは、二度と同じ過ちを犯すまいと誓った過去の体験があるからなのです。新たな物的生活に入った霊は、このように堅忍不抜の覚悟で臨み、悪行への誘惑に抵抗し、かくして少しずつ霊性を高めて、霊の世界へ戻った時には一段と向上しているのです」

――そうした過去世についての啓示は地上生活中には得られないのでしょうか。

「誰でもというわけには行きません。どういう人物だったとか、どういうことをしたといった程度のことなら、垣間見ている人は少なくないでしょう。が、それについて語らせたら、奇妙な啓示になってしまうでしょう」

――自分の過去世について漠然とした記憶があって、それが目の前をさっと通り過ぎ、もう一度思い出そうとしても思い出せないという人がよくいるのですが、そういう場合は幻影でしょうか。

「真実の場合もありますが、大体において幻影であり、用心が肝要です。想像力が興奮状態になった時の反映に過ぎないことが多いからです」

――人生の有為転変は過去世の罪滅ぼしであるとなると、その有為転変を見て、その人の前世についておよその推察は可能でしょうか。

「可能なことはよくあるでしょう。受ける罰は犯した悪行に対応するのが鉄則ですから。しかし、それを全てに当てはまる尺度とするのは関心しません。直観的判断の方が確実です。霊にとっての試練は過去の行いに対応すると同時に未来のためを考慮に入れたものなのですから」