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2章 霊の物質界への降誕

降誕の目的

――霊が物質界へ誕生してくる目的は何でしょうか。

「それは、完全性を成就するための手段として神が課した必要性の一つです。ある者にとっては罪の償いであり、ある者にとっては使命である場合もあります。完全性を成就するためには物的身体に宿ってのありとあらゆる体験を重ねる必要があります。個霊としての存在価値を発揮させるのは、浄化のための辛苦の体験です。

降誕にはもう一つの目的があります。すなわち造化の仕事に携わるに相応しい力を付けることです。その目的をもって、派遣された天体の物的環境に調和した物的身体を授かります。それを手段として、神によって割り当てられた各自の仕事を成就することができます。かくして一方で各自の霊性を磨きつつ、その世界の福祉のための役割をも果たすようになっているのです」

――個霊としての存在を得た当初から摂理にかなった道を歩んできた者にとっても必須なのでしょうか。

「全ての霊は無垢と無知の状態で創造されています。そして物的生活における苦闘と辛苦から教訓を得るために物質界へ降誕するのです。公正なる神は、ある者だけに苦難も努力も必要としないラクな人生を与えるようなことはしません。そんな人生では結局は何の価値もありません」

――もしそうだとすると、摂理にかなった道を歩んでも物的生活の困苦から免れないことになり、一体何のために正しい道を歩むのかという疑問が生じます。

「そういう霊は他の霊よりも速やかにゴールに到達するということです。そして、それとは別に、人生の苦労は、得てして霊としての不完全さの結果である場合が多いのです。ですから、そういう欠陥が少ないほど苦労も少ないことになります。妬むことも羨むことも知らず、貪欲も野心もない人は、そういう欠点をもつ者が遭遇する苦悶を味わう必要はありません」

――魂(ソウル)とは何でしょうか。

「物的身体に宿っている霊(スピリット)のことです」

――物的身体に宿る前の魂は何だったのでしょうか。

「霊(スピリット)です」

――すると魂も霊も同一物ということでしょうか。

「そうです。魂も霊です。物的身体と結合する前の魂は見えざる世界で生活する知的存在で、それが浄化と啓発を得るために一時的に肉体に宿るということです」

――人間にはその魂と肉体のほかにまだ何かあるのでしょうか。

「その魂と肉体とを結びつけるものがあります」

――その結びつけるものというのはどういう性質をしているのでしょうか。

「半物質体、つまり魂と肉体との中間的性質をしたものです。異質の両者を結びつけるために必要なものです。霊が物質に働きかけ、物質が霊に働きかけるのは、この半物質体を通してです」

――魂は生命体(肉体)とは別個の存在なのでしょうか。

「繰り返し申し上げている通り、肉体は魂の媒体です」

――肉体は魂がいなくても(離脱しても)存在できますか。

「できます。ただし、魂が去ってしまえば生きていられません。誕生前の(母胎内での)魂と肉体との関係は完全ではありません。が、無事に誕生して両者の結合が確定的となれば、両者のつながりを断ち切ることができるのは肉体の“死”のみです。それを限りに魂は肉体から引き上げます。有機的生命は魂が抜けた身体を生かしめることはできますが、魂は有機的生命のない身体には宿れません」

――もし魂がなかったら肉体はどうなりますか。

「知性のない、ただの肉の塊です。何と呼んでもかまいません。人間でないことだけは確かです」

――同じ霊が同時に二つの肉体に宿って生まれることはできますか。

「できません。霊は分割できません。それゆえ二つの肉体を同時に生かしめることはできません」(『霊媒の書』第七章参照)

――魂は筋肉の数だけ細分化されて、それが肉体の機能を支配しているという説がありますが、いかがでしょうか。

「魂という用語の意味が問題です。例の流動体のことであれば、その説は正しいと言えます。宿っている霊のことであれば、それは間違いです。霊が分割できないことはすでに述べました。流動体を通して肉体器官を動かしているのであって、各器官に分散しているのではありません」

――でも、そういう説を唱える霊がいます。

「無知な霊はよく原因と結果とを取り違えます」

――魂は肉体の外部にあって肉体をくるんでいるという説は正しいでしょうか。

「魂が肉体に宿ると言う時、小鳥がカゴの中に閉じ込められているような図を想像してはいけません。魂のもつ霊的影響力がちょうど電球の光があたり一面を照らすように、あるいは音が四方へ鳴り響くように肉体全体に行きわたり、さらに肉体の外部にまで及んでいます。その意味では肉体の外部にあると言えますが、だからと言って魂は肉体をくるんでいるということにはなりません。

魂には二種類の媒体があります。第一の、ないしは、いちばん奥にあるのが、あなたのおっしゃるペリスピリット(ダブル)で、軽妙で繊細です。もう一つが肉体で、粗野で鈍重です。魂はこの二種類の媒体の中心で、ちょうど果実のタネの胚のようなものと思えばよろしい」

――魂は子供から大人になるまでの一生をかけて成長して完成されるという説はいかがでしょうか。

「霊というのは個霊として一単位であり、子供の時でも大人と同じく全ての属性をそなえた統一体です。一生をかけて成長するのは魂の表現機能としての肉体器官です。その説もまた原因と結果を取り違えています」

――なぜ全ての霊が魂について同じ定義が述べられないのでしょうか。

「この種の問題に関して全ての霊が同じ程度に啓発されているとは限らないからです。知的な発達が遅れていて、抽象的な概念が理解できない者がいます。地上の子供といっしょと思ってください。また、間違った知識ばかりを詰め込まれている者もいます。そういう霊は聞く者に権威をふりかざそうとして、やたらに難しい用語を並べ立てます。これ又、地上によく見かける例です。

それとは別に、正しく啓発されていながら、一見すると全く異なった用語を用いる霊がいます。基本的には同じことを言っているのですが、特に地上の言語では明確に表現できない問題についてはそうなりがちです。それを比喩や象徴的表現を用いて説明するのですが、それが文字通りに受け取られてしまうということもあります」

――国魂(くにたま)とはどういうものでしょうか。

「個霊が産み出される、生命と知性の普遍的要素です。問題は、その用語を使用する人が意味を正しく理解していないことです。魂という用語はとても曖昧で、各自が勝手な想像を加えて解釈しています。地球全体の指導霊的存在、言わば神の大軍のような存在で、人類を正しく導くことを役目としている霊の集団としている者もいます」

――太古から今日に至るまで数多くの思想家がこうした問題について議論してきたにもかかわらず真実に到達していないのはなぜでしょうか。

「正しい永遠の霊的真理に到達する道の先駆的役割を果たしたと見るべきです。彼らも人間でしたから誤りを犯しました。自分自身の考えにすぎないものを真実の光と思い込んでしまったのです。しかし、そうした誤りも、真実との対比において、それを浮き彫りにする役目を果たしたのです。それだけではありません。多くの誤りの中にも、注意深く比較検討すれば、偉大な真理が数多く発見されるはずです」

――魂は身体のどこかに、周りを取り囲まれた存在場所をもっているのでしょうか。

「そういうものはありません。ただ、天才や思考を仕事とする人は主として頭部に、情緒に富んだ人や人道主義的な仕事に携わっている人は主として心臓部にあるということは言えるかも知れません」

――身体の中央部にあるという説もありますが……

「さまざまな思いはどうしても中心部に集中する傾向がありますから、そこに霊が位置していると言えるかも知れませんが、そういう説を立てる人は、霊の働きを生命力の流れと混同しているようです。それはそれとして、魂は知的ならびに道徳的な性格の表現を受け持つ器官に存在することが多いということは言えるかも知れません」

唯物思想

――解剖学者や生理学者、その他、一般的に自然科学に携わる人は唯物思想に陥りがちなのはなぜでしょうか。

「生理学者は、当然、何もかも五感を基準にしてものを考えます。科学者は全てを知り尽くしたと自惚れ、それまでの知識で理解できないものは、その存在自体を認めようとしません。科学そのものが人間を生意気にしてしまい、大自然で人間に知られていないものはないかに思い込んでいます」

――本来なら大自然を支配する大いなる知性の優位性を証明すべき科学的研究の結果が唯物思想を生むというのは嘆かわしいことではないでしょうか。

「唯物思想が科学的研究の結果、というのは正しくありません。科学的研究の成果から誤った結論を出す、人間の不完全性の結果です。人間はとかくそのようにして最高の宝を台なしにしてしまいます。さらに言えば、死は全ての終わりという概念は、実は、それを口にしている当人の方がジレンマを感じているのです。彼らは自信をもってそれを公言しているのではありません。偉そうな態度を取っているだけなのです。

いわゆる唯物主義者の大半はそう確信しているのではなく、死後の生命に合理的証明が得られないから取りあえず唯物論をぶっているだけです。こうして生きている生命が死とともに無に帰するという、あくびの出るような面白くない人生観しか抱けない学者が、ふとしたことで死後の生命に確かな拠り所を見つけてごらんなさい。とたんに、まるで溺れかかった人間のようにその証拠にしがみつくでしょう」