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16章 霊に尋ねる質問の規範――尋ねてよいこと・いけないこと

(一)一般論として

――霊は、出された質問には喜んで答えるものでしょうか。

「それは質問の内容によりけりです。向上心から出た真剣な真理探求のための質問には、高級霊は喜んで応じるでしょう。下らぬ質問には無関心です。」

――真剣な態度で尋ねた質問には真剣な返答が返ってくると思ってよろしいでしょうか。

「そうとばかりも言えません。一つには返答する霊の霊格の程度によって返答の程度が決まるからです。」

――真剣な質問はふざけた霊を追い払いますか。

「ふざけた霊を追い払うのは質問ではありません。質問する人間の霊格です。」

――真面目な霊にとって特に不愉快な質問とはどんなものでしょうか。

「意味のない質問、あるいは面白半分から出る質問です。取り合わないというよりは、不快感を覚えます。」

――反対に低級霊が特に不愉快に思うのはどういう質問でしょうか。

「彼らの無知あるいは狡猾さがあばかれるような質問です。騙そうとしているからです。そういう気遣いのない質問には、本当かどうかに無頓着に、適当に答えます。どんな質問にでも。」

――面白半分に霊界通信を求める者、あるいは俗世的利害関係のからんだ質問をする者はどうでしょうか。

「低級霊を喜ばせるだけです。自分たちも面白半分にやっているのであり、人間を手玉に取って好きに操って喜んでいるのです。」

――ある質問に霊が答えなかった場合、それは答えたくないからでしょうか、それとも高級霊から止められるのでしょうか。

「両方のケースが考えられます。その段階では教えてはならないことというのがあります。また霊が知らなくて答えられないこともあるでしょう。」

――強く求めれば霊も折れて答えてくれることもあるでしょうか。

「ありません。答えてはならないと判断した場合にしつこく求められると、霊は引き上げます。その意味でも、しつこく返答を求めてはいけないのです。真面目な霊は引き上げますから、代わって低級霊がつけ入るチャンスを与えることになるのです。」

――人間から出される問題はどんな霊にでも理解できるのでしょうか。

「そんなことはありません。未熟霊には理解できない問題が沢山あります。しかし、だからといって未熟霊が答えないというわけではありません。地上でも、知りもしないくせに、さも知った風な態度で答える人間がいるのと同じです。」

(二)未来のことに関する質問について

――霊には未来の予知ができるのでしょうか。

「もしも未来のことが分かってしまうと人間は現在のことを疎(おろそ)かにするでしょう。なのに人間がいちばん知りたがるのは未来のことです! こうした傾向は間違いです。スピリチュアリズムは占いではありません。もし未来のこと、あるいは何か他のことについて断固として求めれば、教えてくれるでしょう。知恵のない低級霊が(高級霊が引き上げたスキをついて出て)適当なことをしゃべるでしょう。これは口が酸っぱくなるほど言ってきたつもりですが……

――でも、こちらから要求していないのに霊の方から予言して、事実その通りになったということがありますが……

「もちろん霊には未来のことが予知できることがあり、それを知らせておいた方が良いと判断する場合もあれば、高級霊から伝達するように言いつけられる場合もあります。しかし、将来のことを軽々しくあげつらう時は大体において眉唾物とみてよろしい。そういう予言の大半は低級霊が面白半分にやっていることです。予言の信頼度の判断はありとあらゆる事情を考慮して初めてできることです。」

――絶対に信じられない予言はどんな場合でしょうか。

「一般の人々にとって何の役にも立たない場合です。個人的なことは、まずもってまやかしと思ってよろしい。」

――そういうまやかしの予言をする目的は何なのでしょうか。

「大ていは、すぐに信じ込む人間の習性をもてあそんで、脅かしたり安心させたりして喜ぶだけです。が、時として高級霊がわざとウソの予言をして、どういう反応を見せるか――善意を見せるか悪意を見せるか――をテストすることがあります。」

編者注――たとえば遺産がころがり込むといった予言をして、欲の深さや野心をテストする場合などのことであろう。

――真面目な霊が予言をする時に滅多に日時を明確に言わないのはなぜでしょうか。言えないのでしょうか、わざと言わないのでしょうか。

「両方のケースがあるでしょう。ある出来事の発生を予知し、それを警告します。が、それがいつのことかは時として知らせることを許されないことがあり、時として知らせられないこともあります。分からないのです。出来事自体は予知できても、その正確な日時は、まだ発生していない他の幾つかの事情もからんできます。これは全知全能の神にしか分かりません。

そこへ行くと軽薄な霊は人間がどうなろうと一向に構わないのですから、何年何月何日何時何分に、などと好きなことが言えるわけです。その点から言って、あまりに細かい予言は当てにならないと考えてよろしい。

改めて申し上げますが、我々の霊団は人間の霊的向上を促進し、完全へ向けての進化の道を歩むように指導することを使命としているのです。我々との係わりにおいて霊的叡智のみを求めるかぎり、低級霊にたぶらかされることはありません。人間の愚かな欲求や運勢占いに時間を無駄に費やすのにお付き合いさせられるのはご免こうむります。そうした児戯に類することは、そんなことばかりして愉快に過ごしている低級霊に任せます。

そもそも人間に知らしめてよいことには大霊の摂理によって一定の枠が設けられております。その辺の摂理に通じている高級霊は、返答すべきでないことにはあくまでも沈黙を守ります。そうした事情を弁(わきま)えずにしつこく返答を求めることは、低級霊につけ入るスキを与えることになります。彼らは実にもっともらしい口実をこしらえて、人間が有り難がるように話をもっていきます。」

――未来の出来事を予知する能力を授かっている人もいるのではないでしょうか。

「います。物質による束縛を断ち切る力を有している人がいて、その状態において未来の出来事を見ることができます。一種の啓示を受けるのです。そしてその啓示が人類にとって有益と見なされれば、公表することを許されます。しかし、そういう人は例外に属します。一般に予言者と称して災害や不幸を安直に予言している人間はイカサマ師でありハッタリ屋だと思って間違いありません。

ただ言えることは、人類の進化とともに今後ますます予知能力が一般化して行くでしょう。」

――人の死亡年月日の予言を得意にしている霊がいますが、どう理解すべきでしょうか。

「非常に趣味の悪い霊の集団で、その程度のことで人間を感心させて得意になっている低級霊です。相手にしてはいけません。」

――自分の死を予知する人がいますが、これはいかがでしょうか。

「霊が肉体から離れている間に死期が近いことを感知し、それが肉体に戻ってからも意識に残っているケースです。それほどの人になると、その予知によって恐れを抱くことも戸惑うこともありません。一般に“死”と呼んで恐れているものを、ただの“変化”と見なし、譬えて言えば厄介な重苦しいオーバーコートから軽やかなシルクのコートに着替えるのだと考えます。スピリチュアリズムの知識が普及するにつれて死の恐怖は薄らいでいくことでしょう。」

(三)過去世および来世に関する質問について

――霊には人間の過去世が簡単に分かるのでしょうか。

「大霊は、時として、ある特殊な目的のために、いくつかの前世を啓示することを許すことがあります。あくまでも、それを知らせることが当人の教化と啓発に役立つと判断された時にかぎられます。そうした場合は必ず何の前ぶれもなく自然発生的に見せられます。ただの好奇心から求めても絶対に許されません。」

――では、こちらからの要求に喜んで応じていろいろと語ってくれる霊がいるのはなぜでしょうか。

「それは、人間側がどうなろうと意に介さない低級霊のすることです。

一般的に言って、特に大切な意味もない過去世を物語る時は、すべて作り話と思ってよろしい。低級霊は前世を知りたがる人間が有頂天になるように、前世では大金持ちだったとか大変な権力者であったかのような話をこしらえて語ります。また出席者も、あるいは霊媒も、聞かされた話をすべて真実として受け止めます。その時、当人のみならず霊自身もけちくさい虚栄心にくすぐられて、そんな前世と現世との間に何の因果関係もないことまでは思いが至りません。実質的には大金持ちや大権力者だった前世より平凡な今の方が向上していると考える方が理性的であり、進化の理論に適っており、本人にとって名誉なことであるはずなのです。

過去世の啓示は、次の条件下においてのみ信用性があります。すなわち思いも寄らない時に突如として啓示された場合、まったく顔見知りでない複数の霊媒によって同じ内容のものが届けられた場合、そして、それ以前にどんな啓示があったか全く知られていない場合。これだけの条件が揃っていれば信じるに足るものと言えます。」

――かつての自分がいかなる人物であったかが知り得ないとなると、どういう人生を送ったか、また性格上の長所と欠点についても知り得ないことになりましょうか。

「そうとばかりも言えません。知らされる場合がよくあります。それを知ることが進歩を促進すると見なされた場合です。が、およそのことは現在のご自分を分析すればお分かりになるのではありませんか。」

――来世、つまり死後また再生して送る人生について啓示を受けることは有り得るでしょうか。

「有り得ません。有り得るかのごとく述べる霊の言うことは全てナンセンスと思って差し支えありません。その理由は、理性的に考えればお分かりになるはずです。次の物的生活は現在の人生での行いと死後における選択によって決まることであって、今から決まっていることではないからです。

概念的に言えば、罪滅ぼしの量が少ないほどその一生は幸せでしょう。しかし、次の物的生活の場(天体)がどこで、どういう経過をたどるかを予知することは不可能です。ただし、滅多にない例外として、重大な使命を帯びている霊の場合はあらかじめ予定が組まれていますから、予知することは可能です。」

(四)世俗的問題に関する質問について

――霊に助言を求めることは許されますか。

「もちろんです。善良な霊が、真摯に求めてくる者を拒絶することは絶対に有り得ません。とくに“生き方”に関して真剣に意見を求める場合はそうです。あくまでも真剣でないといけません。実生活ではいい加減な生き方をしながら、交霊の場では真剣な振りをする偽善者は受けつけません。」

――プライベートな悩みごとに関してのアドバイスも求めてよろしいでしょうか。

「アドバイスを求める動機と、相手をする霊によっては、許されることがあります。プライベートな悩みごとは普段から親しく係わり合っている指導霊が最も適切です。指導霊は身内のようなものであり、当人の秘めごとにまで通じているからです。だからといって、あまり甘えた態度を見せると引き上げてしまいます。

街角で出会った人に相談を持ちかけるのが愚かであるのと同じで、いくら善良な霊でも、あなたの日常生活について何も知らない霊に助言を求めるのは筋違いというものです。また質問者の霊格と回答霊の霊格とが違いすぎでも、良い結果は得られません。さらに考慮しなければならないのは、いくら親(ちか)しい指導霊であっても、根本的に邪悪性の強い人間には邪霊がついていますから、そのアドバイスも決して感心したものではありません。何らかの体験をきっかけとして善を志向するようになればその霊に代わって別の、より善性の強い霊が指導霊となります。類が類を呼ぶわけです。」

――背後霊は私たちの物的利益のために特別の知恵を授けてくれるものでしょうか。

「授けることを許されることがないわけではありません。事情次第では積極的に援助します。が、ただの金儲けや卑しい目的のためには、善霊は絶対に係わり合わないと思ってください。そういう時に積極的に知恵を授けるのは邪霊です。巧みに誘惑して、あとで欺くのです。

ご注意申し上げますが、霊的浄化のために仮にあなたが艱難辛苦をなめる必要があると見た時、あなたの守護霊や指導霊は、それに対処する心構えを支え、あまり過酷すぎる時に少し和らげることはしても、艱難辛苦そのものを排除するようなことは許されていません。それに耐えることこそあなたのためであり、長い目で見た時はその方が良いからです。守護霊というのは叡智と真の愛情をもった父親のようなものです。欲しがるものを何でも与えるようなことはしませんし、為すべきことを避けるようなことも許しません。」

――仮にある人が相続の問題の最中に死亡したとします。そして、その人が残した遺産の在り処が判らず、公正な解決のためにはその人から情報を得る必要があるとします。そんな時、その霊を呼び出して聞き出すことは許されるでしょうか。

「そういう質問をお聞きしていると、あなたは死というものが俗世的労苦の種からの解放であることをお忘れのようですね。地上への降誕によって失われていた自由をやっと取り戻して喜んでいる霊が、多分その霊の他界によって遺産がころがり込むと期待している遺族の貪欲を満たしてやるために、もはや何の係わりもなくなった俗事の解決に喜んで出てくると思いますか。

“公正な解決”とおっしゃいましたが、世俗的な貪欲に燃える者のために大霊が用意している懲罰の手初めとして、その貪欲な思惑の当てが外れるということにも公正さがあっても良いのではないでしょうか。

もう一つの考え方として、その人の死によって引き起こされる問題は、それに係わる人々の人生の試練の一つなのかも知れません。そうなると、どの霊に尋ねても解決法は教えてもらえないでしょう。大霊の叡智から発せられた宿命として、その者たちに課せられた宿題なのですから。」

――埋蔵された財宝の在り処を教えてもらうのはいけませんか。

「霊格の高い霊はそうした話題にはまったく関心がありません。が、いたずら霊がいかにも霊格が高そうな態度で、ありもしない財宝の話をしたり、実際に隠されている財宝についてはわざと違う場所を教えたりしてからかいます。

そうした行為を大霊が許していることには意味があるのです。本当の財産は働くことによって得るものであることを教えるためです。もしも隠し財宝が発見される時期が来れば、それはごく自然な成り行きで見つかるように配慮されるでしょう。霊が出てきて教えるという形では絶対に発見されません。」

――隠し財宝にはそれを監視する霊がついているというのは本当でしょうか。

「地臭の抜け切らない霊がそういうものに執着しているというケースはあるでしょう。守銭奴が財産を隠したまま死亡して、霊界からそれを油断なく見張っていることはよくあります。それが発見されて奪われてしまうことで味わう無念残念は、蓄財の愚かさを教えるための懲罰です。

それとは別に、地中に住んでいる精霊が自然界の富の監理人のように物語られることがあります。」

ブラックウェル脚注――カルデックが編纂の仕事を託された通信には霊団側によって大きく制約が設けられていて、この精霊の問題もその一つであった。ここではノームとかコボールドと呼ばれる地の精のことを指している。人類とは別の進化のコースをたどっている精霊で、鉱夫や霊視能力者によってその実在が証言されている。思うに、世界各地の伝説で語られているフェアリーとかエルフとかサラマンダーと呼ばれている“原始霊(エレメンタリー)”も同系統に属するものではなかろうか。

訳注――もう一冊の『霊の書』にもいくつかの質問が出ているが、その回答には、あまり深入りしないように、といった感じの配慮がうかがえ、「それはいずれ明らかにされる日も来るでしょう」と述べている箇所がある。

(五)他界後の霊の状況について

――死後どうしているかを尋ねるのは許されますか。

「許されます。ただの好奇心からでなく、思いやる心、あるいは参考になる知識を得たいという願望に発したものであれば、霊は喜んで応じます。」

――霊が自分の死後の苦痛や喜びを語ることは許されているのでしょうか。

「もちろんです。そういう啓示こそ地上の人間にとって大切この上ないものです。死後に待ちうける善悪両面の報いの本質が分かるからです。それまで抱いていた間違った見解を破棄して、死後の生命についての信仰と神の善性への確信を深めようとするようになります。(“神の善性”というと“清浄と穢れ”の観念の強い日本人には奇異の感じを与える。私も訳語に抵抗を覚えるが、“神(ゴッド)”と“悪魔(サタン)”の観念の根強いキリスト教国では“神は善”という捉え方が普通であることに配慮したのであろう――訳注)

スピリチュアリズムの真髄が地上の人間の霊的覚醒にあることを忘れてはいけません。また、そのようにして霊が死後の情報を披瀝することを許されるのは、ひとえにその目的のためであり、さまざまな体験から学んでもらうためのものであることを忘れないでください。死後に待ちうける霊的世界の事情にくわしく通じるほど、現在自分が置かれている、思うにまかせない身の上を嘆くことが少なくなるはずです。そこにこそスピリチュアリズムという新しい啓示の真髄があるのです。」

――招霊した霊がすでに他界した霊なのか生者の霊なのかが明確でない時、そのことをその霊から聞き出すことは許されますか。

「許されます。ただし、そういうことに興味をもつ人間への試練として、知ろうとしても曖昧のままで終わることがあります。」

――もしも他界している霊であれば、自分の死の前後の状況について明確な証拠性のある証言ができるでしょうか。

「死の前後の状況がその霊にとって格別な意味があれば証言できるでしょうが、そうでなければ語りたがらないでしょう。」

(六)健康に関する質問について

――健康についてのアドバイスを求めてもよろしいでしょうか。

「地上生活における仕事の成就には健康であることが第一ですから、霊は人間の健康問題に係わることを許されていますし、しかも皆喜んで勉強しています。しかし、何事にも言えることですが、できの良い霊と悪い霊とがいます。できの悪い霊の言うことを何でも信じるのは考えものです。」

――地上で医学者として名声を博した霊だったら間違いがないでしょうか。

「地上時代の名声というのは全く当てにならないものです。しかも死後も地上的謬見(びゅうけん)を引きずっていることがしばしばです。死んだら直ぐに地上的なものが無くなるわけではありません。地上の学問というのは霊界に比べればチリほどのものでしかありません。上層界へ行くほど学問は深みを増します。そういう世界には地上の歴史にまったく痕跡をとどめていない霊が大勢います。

もっとも、博学であるというだけが高級霊の条件ではありません。皆さんもこちらへ来れば、あれほどの大学者が……と思って驚くほど、低界層で迷っている人が大勢いることが分かります。地上の科学の大先駆者だった人でも、霊性において低かった人は、霊界でも低い界層に所属し、したがってその知識もある一定次元以上のものではありません。」

――地上の科学者が間違った説を立てている場合、そのまま霊界へ行けばその間違いに気づくでしょうか。

「ですから、死後順調に霊性が開発されて自分の不完全さに気づけば、学問上の間違いにも気づき、潔(いさぎよ)くその非を認めるでしょう。が、地上的波動を引きずっているかぎり、地上的偏見から脱け出せません。」

――医者が自分が診察したことのある患者の霊を呼び出して、本当の死因について聞き出し、その間違いを確認することによって医学的知識を広げるということは許されるでしょうか。

「許されることですし、とても有益な勉強になることでしょう。高級霊団の援助が得られればなおさらのことです。ですが、そのためには前もって霊的真理について行き届いた勉強をし、真摯に、そして不幸な人々に対する純真な慈悲心をもって臨む必要があります。労少なくして医学的論文の資料や収入を目当てにするようではいけません。」

(七)発明・発見に関する質問について

――霊が学者の研究や発明に関与することは許されているのでしょうか。

「学問の研究成果が真実であるか否かの確認は、学者の天賦の才に係わる仕事です。人間はあくまでも勤勉と努力によって進歩することが建前ですから、学問も人間自身の労力によって発展しなくてはいけません。努力もせずに結論だけを霊から教わっていては、人間としての功績はどうなりますか。ろくでなしでも労せずして大科学者になれることになりませんか。

発明・発見についても同じことが言えます。しかも新しい発見には有効なタイミングというものがあり、また人間の精神にそれを受け入れる準備ができていないといけません。もしも高級霊にお伺いを立てれば何でも教えてもらえるとしたら、人類の精神的発達に合わせた物事の発生の規律が乱れてしまいます。

旧約聖書にも、神はこう述べたとあります――“額に汗してパンを食せよ”と。この比喩は低次元の界層に属する人類の有るべき姿を見事に表現しております。人間は進化・向上すべき宿命を背負っており、それは努力によって獲得しなければなりません。必要なものが既製服を買うような調子で何の努力もなしに手に入るとしたら、知性の存在価値はどうなりますか。宿題を親にやってもらう小学生のようなものです。」

――でも、学者も発明家も霊界からの援助を受けているのではないでしょうか。

「ああ、それはまた話が別です。ある発見がなされるべき時機が到来すると、人類の進化を担当する霊団がその受け皿になってくれる人物を探し、首尾よく地上にもたらされる上で必要なアイディアをその人物の精神に吹き込みます。もちろん本人は自分のアイディアのつもりです。霊団の方でもその人物の功績となるように仕向けます。というのは、最終的にそれを完成させるのは確かに当人だからです。

人類の発達史における発明・発見は全てそうやって地上に届けられてきたのです。といって、誰でもよいというわけではありません。土地を耕す者、タネを蒔く者、そして穫り入れる者と、それぞれに分担が違います。宇宙の秘中の秘を、それを受け取る資格のない者に簡単に授けるようなことはしません。大霊の計画の推進者として適切な者にのみ、その計画の一端が啓示されます。

あなた方も、好奇心や野心から、スピリチュアリズムの目的から外れた、知らずもがなの宇宙の秘密の探求へ誘惑されるようなことのないよう気をつけないといけません。いたずらに神秘主義的になって、挙げ句には失望・落胆の落とし穴にはまってしまいます。」

(八)他の天体ならびに死後の界層に関する質問について

――他の天体や死後の世界に関する霊界通信にはどの程度の信憑性があるのでしょうか。

「それは通信霊の霊性の発達程度によりけりです。発達程度の低い霊は自分の国から一歩も出たことのない人間と同じで、何も知りません。あなた方はよくその程度の霊にしきりに尋ねています。よしんばその霊が善性が強くて真面目であっても、その述べていることの信憑性は別問題です。ましてそれが意地の悪い霊だと、ただの想像の産物にすぎないことを、さも知った風な態度で述べます。

だからといって信頼のおける情報が絶対に得られないと決め込むのも間違いです。霊性の発達した霊が、後輩である人間の進歩・向上のために、自分が知り得たかぎりでの情報を喜んで提供することがあります。」

――それが間違いない情報であることの証拠は何でしょうか。

「多くの情報をつき合わせてみて全てが一致するということが最大の証拠です。ですが、それ以前の問題として、そういう情報は地球人類の霊性の向上という目的にそって提供されるものであること、したがって、たとえば他の天体の物的ないしは地質学的情報そのものよりも、その天体上の知的存在の霊性面についての情報の方が大切であることを忘れてはなりません。というのも、地質学的なものは、たとえ情報そのものは正確な事実であっても、現段階の地球人類には理解できないでしょう。そんな理解困難な情報は人類の霊性の向上には何の役にも立ちません。どうしても知りたければ、その天体へ再生すればよろしい。」