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――私(ネヴィレ)は、どうしてこの本を書くようになったのか?

一九六六年一月二十日の午後、空はどんよりとして小雨が降っていた。レンガ造りの同じような家々が立ち並ぶロンドンの西郊外の道を、私は急いでいた。その日、私はエナ・トゥイッグと新聞に載せるためのインタビューをすることになっていた。彼女、エナ・トゥイッグは、当時すでに英国内で最も信頼のおける霊媒の一人として名を馳せようとしていた。

一時間のインタビューの後、われわれはティーブレークにした。彼女はお茶を入れるために廊下の向こう側の台所に行った。陶器のティーセットのガチャガチャという音がして、そのうち突然、激しい議論をしているような彼女の声が聞こえてきた。家の中にはわれわれ二人以外、誰もいなかった。彼女がワゴンにお茶をのせて戻ってきたとき、誰か来客でもあったのかと聞いてみた。

「たった今、あなたのお母様がここへこられたのよ」と彼女は答えた。

「お母様は、あなたと話したがっていらっしゃいます」

私の母は一年前にガンで死んでいる。しかしトゥイッグはさらに続けた。

「お母様はすぐそばに、あなたのすぐ後ろにいらっしゃいます」

私は注意深くまわりを見回した。しかし私には何も見えなかった。

「お母様は今、あなたの肩を叩いていらっしゃいます。今度はあなたの額にキスをしていらっしゃいますよ」

しかし私には何も感じられなかった。

トゥイッグは、さらに私の母のこと、私自身のこと、家族のことについても述べ始めた。彼女は、そうしたことについては全く知らないはずであるが、語られた内容はほとんど正しかった。

「お母様は、あなたの奥様のお父様をここに連れてきていらっしゃいます。お母様は彼のことをとてもよく知っていて、彼が好きだとおっしゃっています」と述べた。

妻の父親はオランダ人だが、母の死の三週間後、やはりガンで亡くなっていた。

「お母様は、あなたが将来、とても価値のある仕事をするようになるとおっしゃっています」と教えてくれた。

私は唖然としてしまった。さらにトゥイッグは、

「あなたは将来、ワーシングに行くことになるでしょう」と言った。

私はそれまでワーシングには行ったこともないし、そこへ行こうと考えたこともなかった。

「あなたはご家族の中で、ただ一人、物書きのできる人間です。お母様方はあなたの書く本にとても関心を持っていらっしゃいます」

数分後、トゥイッグは、妻の父親が私に話したがっていると告げた。彼は、

「あなたは素敵な時計を手に入れることになるでしょう」と言った。そして、

「あなたはこれから、目に見えない世界にいる多くの人々のためのマウスピースになるでしょう。あなたの書く本は永遠に世に残るようになるでしょう」と続けた。さらに、

「あなたはご自分のオフィスを手に入れられましたね。心安らぐ静かなオフィスですね」と付け加えた。

その夜、子供たちが寝静まり妻と二人になってから、昼間の出来事を振り返っていた。そして見知らぬ世界から一方的に語られた内容を記したノートを読み返した。そこで語られた大部分の内容は簡単に確認できるものばかりだったが、私のオフィスについては心あたりがなかった。私は一つのオフィスを他のジャーナリスト仲間と共同使用していた。しかし私がそこを引き払い、別のオフィスを設けるというような計画は全くなかった。

そのとき妻が、「そうそう、オランダではオフィスと書斎は同じ言い方をするわ」と言った。母が死んだとき妻は、母の小さな寝室を私の書斎につくり替えたのだった。そして私は、そこでテレビの雑音から逃れて仕事に専念できるようになったのである。

母が本について語ったことは、私に少し勇気を与えてくれた。私が死後の世界について書いた一連の記事は、これまで小冊子として出版されてきたが、今は絶版となっていた。ちょうどそのとき、私はそれをもう一度書き直して、別の小さな本の形にまとめ上げる計画を立てていたのである。

トゥイッグの告げたことの中で、時計の件とワーシングを訪問するという件については、依然として心あたりのないままであった。

翌年四月、妻の母親が死んだ。私と妻は、エナ・トゥイッグの“公開交霊会”の出席を予約した。そこで死んだ妻の母に会いたいと思ったからである。交霊会では妻の母が現れた。そして私の母も現れた。

「あなたは新しい本を手掛けましたね。それ以外にもあなたは別の本を書くようになります。私たちは、あなたがその本をつくるのをこちらの世界から応援します」と言った。

私は小冊子を書き直し続けた。そして試しに部分的に書いたものを出版社の仲介人に送ってみた。ところが彼らは誰もそれに興味を示してくれなかった。結局、私は小冊子を一冊の本にまとめるという当初の計画を断念することになった。そして母たちとの二度の交霊記録は、ファイルの中にしまわれ忘れ去られたのである。

一九七一年、私と妻は、オランダのザイスト(Zeist)にある妻の実家に行った。わずかにあった遺品を貰い受けるためであった。遺品の中には、家族の肖像画二点と、十七世紀のフレジアの農夫の時計があった。(ネヴィレの妻の父親が語った「素晴らしい時計を手に入れるようになる」というのは、このことを言っていたのである――訳注)

一九七二年の初め、「ジョージ・ウッズ」からオフィスに電話がかかってきた。彼は心霊研究家で、一九六〇年に、私はブライトン(Brighton)にある彼の家を訪問したことがある。そのとき私は、死後の世界に関する記事を書いていた。彼は私に、直接談話霊媒の「レスリー・フリント」を通して語られた、あの世からの声の録音テープを聞かせてくれた。その声の持ち主は、自分を「コスモ・ラング」――一九四五年に死んだカンタベリーの大主教と名乗っていた。

私は一九六九年、再びウッズの家を訪問した。どんどん増えていく録音テープのいくつかを記事にするためであった。

そして今回ウッズは、これまでの全部の録音テープを本にまとめるために、またやってこないかと誘ってくれたのであった。ウッズは――「それらの録音テープを聞けば、われわれが死んだときに、どのようなことが起きるのかを完全に知ることができる」と言った。

このたび私は、先回、彼を訪ねたときのようにわざわざ遠くまで出向く必要はなかった。なぜなら彼は、ブライトンから海岸に沿って数マイルのワーシングへ引っ越してきていたからである。(ネヴィレの母親が「彼が将来ワーシングへ行くようになる」と言っていたのは、このことを指していたのである――訳注)

以上が、どうして私がこの本を書き始めるようになったかの経緯である。この本を世に送り出すに際しての私の役割は微々たるものである。肝心な仕事は、ウッズと彼の同僚のベッティー・グリーン女史によってすでになされていた。そのためこの本は、彼らの本と言うべきものである。彼らのライフワークの成果なのである。

私は、目に見えない世界から降ろされた鎖の単なる端くれにすぎない。私はあの世から送られてくる通信の“マウスピース”にすぎないのである。

ネヴィレ・ランダル