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22.あの世から見た地上の宗教

馬鹿げた教会の教え

アルフ・プリチェットのガイドは語った。

「これまで教会で教えられてきた天国や地獄の話、天使の最後のラッパの話は全くのデタラメです。さらにひどいことには“善い人間は天国に行き、悪い人間は地獄に行く”と言うのです。今日までずっと、その間違った教えが信じられてきました。人は死んでこちらへきても生前と何も変わりません。ただ部分的に、地上よりはよくなり幸せになる、という違いがあるだけなのです」

他の霊界通信も同様に、地上の宗教の“俗悪さ”を指摘している。これまで地上の人間は、死後の世界に対して真実から懸け離れた教えを植えつけられてきたのである。

「マイケル・フェアロン」という教養ある霊からの声が届いた。彼はかつて大学院の院長を務めていたこともあるが、第二次大戦にノーフォークス第一部隊の陸軍大尉として出兵し、ノルマンディー上陸の三週間後、戦死したのである。その彼は、強い調子で次のように述べている。

「教会は、いまだに馬鹿げた天国と地獄の教えを説き続けています。教会の教えに忠実な善人は天国に行き、教会の教えに従わない人間は地獄に行くと言うのです。実際、教会の教えを厳密につき合わせてみれば、全く理屈に合わないことばかりです」

マイケルの母親「A・C・フェアロン」――彼女は一九五四年、ウッズに連れられて交霊会に初めて参加した――もこの話に加わった。彼女は言った。

「先回、私がこの交霊会に参加したとき、マイケル、あなたは確か“どんな人を連れてきてもいいですが、お願いですから牧師だけは連れてこないでください。ごめんこうむります”と言いましたね。それはどういう意味ですか?」

マイケルは答えた。

「偏見があるように受け取られたくありませんが、私は教会やキリスト教に固執している人々のために時間を割きたくないのです。

なぜなら彼らの心はあまりにも狭すぎて、自分が信じる世界の外へ目を向けることができないからです。つまらないわずかな知識を知っているだけで、すべての知識を手にしているかのように思っているのです。聖書に書かれていることだけが、人類の知るべき知識であると考えて、それ以外のことを受け付けようとしません。彼らは、聖書に書かれていることはすべて受け入れていると言いますが、実際には聖書を忠実に実行している人間はほとんどいないはずです」

「それにクリスチャンたちは聖書を正しく解釈していません」フェアロン婦人が言った。

「全体として見たとき、聖書には多くの真理が含まれています。とても善いことが書かれています。それはイエスの説いた単純な教えのことです。もし人類がイエスの言った言葉に従っていたなら、地上世界がこれほど悪くなることはありませんでした。そして結果的に、人類の考え方や霊的成長は飛躍的に伸びていたはずなのです。

問題は、教会がイエスの説いた単純な真理を複雑に解釈し、真理をねじ曲げ、何百年もの間、イエスの教えとは何の関係もないことを説き続けてきたことです」

「どのようにしたら、イエスの真の教えを人々が知ることができるようになりますか?」とフェアロン婦人が尋ねた。

「どんな人でも自分自身の内に、イエスの教えを見い出すことができます。もし人が、聖書に書かれているイエスの教えを読み、知恵と賢明な判断力を用いるなら、その中に本当の真理を見い出すことができるようになります。地上人類は、教会の関係者が何百年にもわたって教会自身の利益のために付け加えてきたエセ真理を、すべて捨て去らねばなりません。

キリスト教会は、自分たちに都合よくつくった教えを広めようとしてきました。そして“もし人が教会の教えを信じ受け入れさえすれば、来世は大丈夫だ”と言うのです。しかしそれは全くのたわごと、デタラメです。その偏狭な宗教的考えに染まった多くの人々は、こちらへきたとき、あまりにも違う現実を見せつけられることになります。キリスト教の間違った教えが、実際に彼らの進歩を妨げてきたのです。

自分たちは神によって選ばれた者だと信じてこちらの世界へきた人々は、ここでも同じような考えに染まった者同士で集まり、他の人々とは別の閉鎖的世界をつくり出すようになります。自分たちだけが将来、地上で肉体を持ったまま永遠に生きるようになる、と信じています。視野が狭いために、本当に心の底から自分たちこそ地上での復活にあずかる唯一の存在である、と信じ込んでいるのです。そして肉体を持って地上に戻れる時――“復活の日”がくるのを待ち続けているのです」

「間違った教義や信条に縛られたままの人間が他界したとき、最初に何が起きますか?」ウッズが尋ねた。

マイケルが答えた。

「死の直後の人間は、五分前と何も変わっていません。その人の考え・性格・個性は全く同じです。したがって生前、強烈な宗教的信念を持っていた人々は、こちらへきても依然としてそれを強く持っています。

しかし徐々に、自分は水の外に出された魚のような存在であることに気がつき始めます。そして、これまで信じてきた古い考え・教え・信条は事実でないことを知るようになります。人がこちらへきて最初に悟ることは、“ここは地上と何ひとつ変わらない、すべてが自然的な世界である”ということです。

人間は地上にいたときと全く同じです。物質的生活をしていたときの重さがなくなっているという点を除いては、そっくり同じなのです。自分が生前に持っていた天国や神などについての古い多くの考えは、単なる人間のつくり出した物質的概念にすぎないことに気がつくようになります」

狂信的クリスチャンの死後の様子と再教育

マイケルの言ったことは大袈裟すぎるのだろうか? 九年後、マイケルの述べたことと同じような内容が、別の霊から届けられた。

「私の名前はブリッグスと言います。地上にいたとき何年もの間、クリスタデルフィアンの信者でした。これはアメリカの一宗派で、自分たちだけが死の世界から引き上げられ、キリストが世界に君臨するためにエルサレムから地上へ戻るとき、ともに地上へ戻ることができる、と信じていました。私は地上にいたとき、自分の狭い視野の中で、自分たちのような教えを受け入れ信じた者だけが神の王国を受け継ぐことができる、と信じ込んでいました。

私は今、これは全く馬鹿げたことだったと思っています。誰もが神の王国を引き継ぐのです。なぜなら、それが自然の法則だからです。人が死ぬとその霊は、霊的世界(霊界)へ行って、そこに住むようになります。霊界は地上を取り囲むように存在しています。われわれは誰ひとり忘れ去られることはなく、誰でも自分の本性と地上で積み上げた内容、また不足している内容に応じて、自分にふさわしい霊的世界へ赴くようになるのです。このことに例外はありません。

別の言葉で言えば、人は自分の考え方・生活を通してつくり上げてきた結果を、そのまま正確に自分自身で受け取るようになる、ということです。宗教それ自体には救いはありません。宗教は必ずしも人間を善くするものではありません。人が善くなるのは、自分が霊的存在であることを自覚して、正しい努力をしたときにのみ可能となるのです」

さらに彼は、あの世へ行ったばかりのときの様子を話し続けた。

「私の心は真理から閉ざされていました。最初こちらへきたとき、ある環境の中に自分自身がいることに気がつきました。そこは私にとって、とても心を満たされる幸せな場所でした。私は“パラダイス”にきたと思いました。

しかし今にしてみれば、そのときの私は全く馬鹿げたパラダイスにいたことが分かります。そこは、完全に自分と同じような考えを持った人々から成り立っている世界でした。私がそれまで信じていたのと同じ信仰を持った人々が集まってつくられた特殊な世界でした。彼らも私と同様、教会の教えを絶対的真理であると信じ続けていました。

私たちは、自分たちの集まりと讃美歌の合唱と祈りに満足しきっていました。そしていつになったら、これまで言われてきたように“復活の時”が到来し、肉体をまとって地上の楽園で楽しく生きることができるのか、と話し合っていました」

彼の再教育の時は、ゆっくりとやってきた。彼が不安を感じ始めたとき、それは始まった。そして彼は自分のグループ以外の人たちの存在に気がついたのである。その人たちも自分と同じように死後の世界にいるように思えた。

その人たちが彼に話しかけてきたが、その中の一人、バーナードという人間が彼を散歩に連れ出した。そしてバーナードは、自分は生前、ローマ・カトリックの司教であったと言った。ブリッグスは恐れた。いつもカトリックとスピリチュアリズムは呪われた邪悪な存在である、と教えられてきたからである。

「心配しないでください」とバーナードは言った。

二人は、ひと続きの小さな孤立した共同体を通り過ぎたが、そこにいた人々は、いまだに三百〜四百年前の地上世界と同じような服装をしていた。そして最後に美しい町に着いた。そこでは人々は自由にのびのびと愛に満ちあふれて生活しているように見えた。ブリッグスは言った。

「そこには、全世界の人々に与えたくなるような平和が満ちあふれていました。私は今、人間はいったん心の束縛から解放され、自分自身で自由に考えるようになると何の障害もなくなる、ということを声を大にして言いたいのです」

彼の“再教育”は、こうして完了したのであった。

キリスト教聖職者の死後の告白

もしマイケルとブリッグスの言うことが正しいとするなら、聖職者や他の宗教指導者は間違ったことを言っているのだろうか? もしそうだとするなら彼らは、あの世へ行ってそこの人々全員から、これまで自分が考えてきたことと違う事実を見せつけられたとき、地上で犯してきた間違いに気がつくようになるのだろうか?

あの世からの通信者の中で最大の聖職者の一人は「コスモ・ラング」である。彼はカンタベリーの大主教を三十年にわたって務め、エドワード八世が離婚歴のある女性と結婚するに際しては、彼の不屈の反対が王を退位にまで追い込んだのであった。

一九五九年、グリーンはいつもの質問を彼にストレートにぶつけた。

「あなたが死んだとき、どんな様子でしたか?」

「驚きました。私はある意味で偏狭な宗教的信仰を持ち続けてきたと思います。私がそれまで真実だと思ってきたことが、必ずしも正しくないことに気がつきました。そして私は今、これまで信じてきた多くの事柄が実際は間違っていたことを、はっきり認めています。

人類は何世紀にもわたって、曖昧(あいまい)で分かりにくい教理にしがみついてきました。本当の真理とは、イエスが人類に語ったような単純なものなのです。ドグマ・教義――これらはもちろん地上時代の私の人生そのものでした。しかし、そうしたものはこちらの世界には全くあてはまりません。それは意味のないことなのです。人間は死後も生前と何ひとつ変わるわけではありません」

一九六〇年、「インジ」と名乗る男性の声がした。彼は生前、セントポール寺院の司祭長を務めた有名な神学者であった。彼もラング同様、あの世で同じ教訓を学ばねばならなかった。彼は告白した。

「私が地上時代に人々に説いてきた多くの事柄、また真理として語ってきた多くの内容――私は長い間、心の底からそれを真実だと信じていたのです――それが、私をこちらで低い世界に押しとどめました。そして今もそうなのです。

……人は地上を去るとき、強烈に染み込んだ先入観を持ったままのことがよくあるのです。そういうときは、こちらで厄介なことになります。彼らは、私がそうであったように、なかなか真理を学ぼうとしないのです。心の目を開くことができず、真実に対して子供のように素直になることができないのです」

下層世界にある教会

では彼らが言う真理とは、いったい何なのであろうか? また組織化された宗教は、あの世でも存在するのであろうか? 教会で教え込まれた間違った教義を捨て去り、新しく生まれ変わるには、どのくらいの時間がかかるのだろうか?

「そちらにも教会がありますか?」とウッズは一九六二年、エリザベス・フライに尋ねた。

「地上近くの界層世界にはあります。そこにはさまざまな宗派の教会や教義があります。そしてそこにいる人々は、地上にいたときと同じようなことを続けているのです。彼らは自分たちだけの信仰の世界の中で、幸福感を味わっているのです。彼らは無知の状態の中で生きているのです。よく無知であることは最高の幸せである、というようなことが言われますが、どんな人間にも、より多くの知識を求めて飢えを感じるときがくるものです。少しでも多くのことを知りたいと思うときが、必ずくるようになるのです。そしてこれが人間の進歩の始まりなのです」

ガンジーのキリスト教批判

クリスチャンの中には次のように言う者もいる。「キリスト教のある分派は、キリストに対する特殊な考え方をしているため、真理の点で他の宗教よりも劣ってしまっている」と。しかし正統的なキリスト教は、イスラム教・ヒンズー教・仏教など他の宗教よりも本当に優れていると言えるのだろうか? キリスト教のみが果たして、永遠・普遍的な真理を持っていると言えるのだろうか?

それに対する回答が、二十世紀最大の聖人の一人と言われた人物から送られてきた。「マハトマ・ガンジー」その人である。彼はヒンズー教徒として生まれたが、後に多くのクリスチャンや人道主義者にまで尊敬されるようになった。

「どんな宗教組織の中にも、誠実で立派な人がいるものです。しかし不幸なことに、そうした人々は自分自身が信じる狭い視野から真理をとらえようとします。彼らは長い間、人々に受け入れられてきた教会の教えだけを正しいものとします。彼らは神の啓示は一冊の本(聖書)にのみ記されているとします。そして神の真理は自分たちだけに示されてきたと考えるのです。これまでイエス以外にも偉大な預言者たちが現れてきた、ということを認めようとしません。彼らの宗教は偏狭で表面的な平和的感情を彼らに与えてきたにすぎません。

人間が学ばねばならない最初の教訓は、自分中心の自我を忘れ、可能なかぎり多くの人々に愛を与えることです。そうすれば、それはあなた方に返ってくるのです。イエスや他の偉大な人類の師が語ってきたのは――“自分のことを忘れて他人に尽くす”ということです。その結果として、あなた方は自分自身を見い出すようになるのです。第一の戒めは――“あなたの隣人を自分自身を愛する以上に愛しなさい”ということなのです。それによって、あなた方は本当の意味で生きることを始めるようになるのです」

あの世のコスモ・ラングの宗教観

あの世での数年の生活の後、コスモ・ラング(カンタベリーの大主教)は、ヒンズー教徒であるガンジーや、かつての無学な花売り娘ローズと、ほとんど同じことを述べるようになった。彼は次のように語っている。

「イエスは、『天の父なる神に至る道は、人を愛し、そして必要ならば自分を犠牲にすることを通してなされる』と述べました。またイエスは、『私は道であり、真理であり、生命である』とか『私によらなければ天の父のもとへ行くことはできない』と言いました。それが何世紀にもわたって間違って解釈され、多くの誤ったドグマをつくり上げてきました。キリスト教の教えの間違いの大半は、この『私は道であり、真理であり、生命である』という聖句の誤った解釈によって引き起こされてきました。

イエスは明らかに“自分の行動を手本として生きるように”と説いたのです。イエスの教えの真の意味は、自分にならって物質的な面を犠牲にして生き“霊的力”――それはどんな人の中にも宿っている――を理解し、霊的なことを中心に考え、結果的に肉欲を克服する生き方をしなさい、ということなのです。それが『真理と生命に至る道』という言葉の意味なのです。『私によらなければ誰も父のもとへ行くことはできない』という聖句は、“私がすることを見習って、私がするようにし、私のようになる努力をしなさい。それが救いに至る道です”ということなのです。

イエスは物質的なことには関心がありませんでした。彼は人間の持つ霊的な面に関心をおいていたのです。彼にとって物質的なことは大切ではありませんでした。イエスが十字架上で自分の生命を捧げたのは、その行為によって“人々に地上の存在物は何も大切ではないことを悟らせることになる”と確信していたからなのです。彼にとって重要なのは霊的なことであり、肉欲に打ち勝ち、物質的なものをすべて捨て去り、神のために必要ならばいかなる犠牲も厭わない、という生き方を示すことだったのです。

ご存じのようにイエスは死後、地上にいる弟子たちの前に現れ、死後も生きていることの証(あかし)をしました。そして宗教をつくり上げたのです。宗教といっても今のキリスト教会をつくったのではありません。それについては断言できます。もし彼が死から蘇らなかったとしたら、今日までのクリスチャンの信仰はなかったでしょう。しかし今、私の理解している限りでは、イエスの死後の蘇りには深い理由があり、イエスの地上人生における目的があったと確信しています。

われわれがイエスに従うように努力するとき、たとえ信じている宗教が何であれ、われわれはあらゆるドグマを捨て去り、イエスと同じように単純素朴な人生を送ることができるようになるのです。そしてその飾り気のない自然な生き方の中で、真理を見い出し、それによって正しい道を選択し、いっそう天の神に近づくことができるようになるのです。自ら十字架を背負ってイエスに従い“愛と奉仕の人生”を歩んでこそ、われわれに“真の救い”がもたらされるようになるのです」

英国国教会の大主教、ヒンドゥーのリーダー、そして無学な花売り娘は、自分たちが理解したことを語った。そして正しい信仰は、すべての人たちのすぐ身近にあることを教えているのである。もし「ラング」と名乗る人物(霊)の言うことが本当であるなら、これまでの正統派キリスト教の信仰とは根本的に対立・矛盾することになる。また今日までキリスト教によって教えられてきた教理も、救いも、希望も、全く存在しないことになる。

では、あの世から通信を送ってきた人物が、果たして「コスモ・ラング」自身であると断言できるのだろうか? その人物は、確かに「コスモ・ラング」その人であると言えるのだろうか?