<東京都千代田区淡路町>
和工樹脂株式会社は 存在は確定しているのだが、その内容がほとんど分かっていない・・・・・・そんなメーカーである。
和工 といってまず思い出されるのが マルサン商店が日本で最初に世に送り出した ”ノーチラス号”と同時発売されたという
ART.No7002 ダットサン1000セダン の製造元ということだろうか。
マルサン商店より先にプラスチックモデルの開発が進んでいないと、”日本最初のプラスチックモデル” の発売のラインナップに
名を連ねることは出来ない・・・・・・・・残念ではあるが、これについてあまり深く掘り下げられた書物・メデアなどは目にしたことがない。
現物・資料などが断片的で何だかよく分からない。 これが現レベルにおける 和工樹脂に対する認識実態であろう。
神田淡路町にあった。 マルサン商店が何点か買取り発売していたらしい。
本当の日本最初のプラスチックモデルを完成させたのはワコーだった。
ノベルティーと委託生産の会社であったらしい。和光と名前を間違えて伝えられてしまった。
など、あまり統一的なメーカー像が見えてこない状況にあるようである。
ただ、和工樹脂株式会社は確かには実存したメーカーであり、 鞄本プラスチック のような今だ幻のメーカーという訳ではない。
全てが解明されたわけではないのは勿論であるが、もう少し情報を整理し掘り下げてみたいと思う。
和工樹脂と言う会社の全体像はよく分かっていない。
ならば何にも分かっていないんじゃないか! といわれるかもしれませんが、そのとうりです。
三共模型製作所などのように、社名からその会社の全てを想像することが出来ないのです。
おそらくは
・樹脂及びプラスチック製品全般を扱っていた会社。
・プラスチック製模型をメインに活動した会社。
のどちらかではないかと想像しますが確証は有りません。
ただ、全体か一部かはわかりませんがプラスチックモデル部門に関することは少しずつ分かってきました。
和工樹脂の企業活動は3点がメインだったようだ
1) 自動車メーカーのノベルティーの生産
2) マルサン商店からのOEM生産
3) 自社ブランドによる一般販売
それぞれの内容に付いてみていく前に、現在確認されている
和工ブランドのプラスチックモデルは下記の7点である。
・ダットサン 1000 セダン
・ダットサン 1000 スポーツカー
・日野 ルノー
・クラウン デラックス
・オースチン
・ヒルマン ミンクス
・プリンス スカイライン
1) 自動車メーカーのノベルティー
・ダットサン 1000 セダン
・ダットサン 1000 スポーツカー
・日野 ルノー
は、ノベルティー商品として取り扱われていたようであるが
他は不明である。
ただ、これはメーカー側から依頼され着手したのではなく、おそ
らくは和工樹脂がどの時点でかは不明だが各メーカーに売り
込みしたのではないかと考えられる。
完全な販促品としてメーカー限定(型費メーカー持ち)である
なら、マルサンOEM・自社ブランドなどの展開は不可能である。
しかし、当時組立プラスチックモデル自体がまだ存在せず
ティントイなど金属製模型に比べ質感的に見劣りするプラス
チック製でこの分野に参入するということは、目新らしさはあっ
たとはいえさぞ苦戦だったと想像する。
2) マルサン商店からのOEM
ノベルティーの生産数だけでは金型償却などが難しい現状では
自社販売ルートが充実していないとすると、即売上に結びつけら
れる方法としては、他社OEM化という事となる。
その頃それに対応出来る体制が出来上がっていたのは、唯一
マルサン商店だけであったと思われる。
実際は和工樹脂側から直接マルサン商店に話を持ちかけたので
はなく、取引先を介してマルサン商店に持ち込まれたようだ。
マルサン商店にしても1958年12月発売を目論んでいた
・潜水艦 ・魚雷艇 ・飛行機 という自社開発ブランド3点のライン
ナップに、自動車モデルが加わればずいぶんと展開が豊になる。
そう考えるのは不自然ではない。
その後予定どうり和工製ダットサンセダンを含めた4点を世に送り
出したマルサン商店であるが、もしかしたら和工に対しマルサンより
早く一般販売をしない、という密約のようなものが存在したのかも
しれない。
1958年12月には少なくても発売されたのだから、ダットサンは
それ以前に間違いなく完成していたはずである。
だが、実際に和工樹脂がオリジナル・モデルとして自社製品を世に
送り出すのは1959年の声を聞いてからであった。
<和工樹脂製のマルサン製品ラインナップ>
・7002 ダットサン1000 セダン 1/25
・7030 ダットサン1000 スポーツカー 1/25
・7031 日野ルノー 1/25
・7032 トヨペット クラウン・デラックス 1/40
以上の4点といわれている。
これに続く7033〜7035までも自動車モデルが名を連ねている。
・7033 ベンツ ・7034 インディアナポリス ・7035 フェラーリ
ただ、個人的にはこの3つのNOも本来、和工製品が入っていたと
考えている。
・7033 ヒルマン ミンクス 1/40
・7034 プリンス スカイライン 1/40
・7035 オースチン 1/40
ART.NO 7035 オースチンは右のものであるが、マルサンの
ナンバーリングは発売中止となるったNOに新規の製品をはめ込む
ということは行われていた。
マルサン商店と和工樹脂との関係はあまり良好なものではなかった
ようである。 ロイヤリティーなどの問題があったのかもしれない。
ただ最初期のマルサン製自動車模型は全て和工製であった。
というより59年当時自動車模型というとほとんどが和工関係で、今でこそ
プラスチックモデルの主力ともいえる自動車模型ではあるが、その当時
模型といったら一般に飛行機模型をさし、あとは艦艇模型といったところで
自動車模型が定着するのは少し先のこととなるのである。
3) 自社ブランドによる一般販売
和工製品の一般小売店による販売はあったのだろうか?
この疑問の答は、販売されていたという事になる。
全国展開出来たのかは不明であるが、確かに一部販売店
にはおかれていたようである。
右の広告は1959年11月の和工樹脂のものであるが、
”全国デパート・小売店へご用命ください”とある。
ここには、ダットサン1000・ルノー そして、ワコープラカラー
が載っている。 価格帯はマルサンとほぼ同価格である。
その後、和工はこれら1/25シリーズより一回り小さい 1/40
のシリーズを発売していくこととなるのだが、1/40シリーズの
箱絵はロゴマークを抜かせば、ほぼマルサンで発売されたも
のと同じである。
それにしても、なぜこのように和工樹脂は自動車模型にこだ
わって開発してきたのだろうか。
同社のその後は不明であるが、プラスチックモデル自体の
認知が今だ一般的ではなかった当時、動力をもたない
ディスプレイモデルの自動車模型のみでは、さぞ営業は
辛かったと想像する。
時代が早すぎた・・・・・・そんなところであろうか。
NO.103
<箱はマルサンと異なりキャラメルボックスではない>
和工樹脂がなぜ自動車模型にこだわったのかは不明であるが、何らかの関連があったことは
間違いないであろう。 成型品は当時のものとしたらかなりレベルが高く、パーツ類もエンジン・
デフ・プロペラシャフトなど精密なもので、ライト・ホイール・バンパーなどは銀メッキ仕様である。
1958年発売のマルサン製品4点の内、本当の意味でオリジナルモデルいえるのは和工製品
のみで、残りはレベルなどのコピー製品であった。
1958年12月 マルサン商店より日本最初のプラスチックモデルが発売された。
これが、現在一般に通用しているプラスチック製組立模型のルーツである。
しかし、そこにある ART.NO7002 ダットサン1000セダン が問題になるのであるが、これは間違いなく和工樹脂製である。
マルサンが完成した製品の発売を遅らせる特別な理由がなかったのなら、完成後時置かずして世に送り出されたと考えられる。
そうすると、同時発売となった和工製ダットサン1000セダンは、すでにその時点で発売可能状態にあったとみるのが自然である。
この事実こそが、マルサン商店より和工樹脂の方が先にプラスチックモデルを完成していた、とする根拠ではないか。
そして、この説を裏付けるように 和工樹脂製 ダットサン1000セダン のインストには
”本邦最初のプラスチック成型ボデー” とはっきりと記されている。
では、和工樹脂こそが日本で最初にプラスチックモデルを完成させた会社なのだろうか?
その可能性は否定することは出来ないが、個人的にはそうではないと考えている。
1958年12月 にマルサン商店からプラスチックモデルが発売される。 だが、この日にマルサンがプラスチックモデルの開発を
終了させた、というわけではない。 当然、それより以前に完成していなければ発売などありえないのだ。
プラスチックモデル開発終了を成型品完成時とするなら、マルサン商店・和工樹脂 どちらが早かったのか、というと微妙な問題に
なるのだろうが、プラスチックモデル完成を製品というレベルで考えるなら、マルサン商店という事になるのではないだろうか。
ミサイルなどプラスチック製の一部模型部品なら、すでに多くのソリッドモデルで採用されていた。
成型品開発と同時にパッケージデザイン・箱絵・部品の梱包手段・組立設計図はどうするのか、決めなければならないことは
山積みであったろう。 この分野においては老舗玩具メーカー マルサン商店に一日の長があったことは間違いない。
当時は今のように商品企画からすべてをメーカーサイドが主導するのではなく、下請け業者がそれぞれ企画・開発までを行い、
それを親会社等に持ち込み採用されると生産をさせてもらえる、そんなシステムであったようである。
むろん、発売となれば完全なる自社商品としてメーカーは世に送り出すのであるが、特定の販売ルートを持たない下請け業者は
これに従うしかなかったのだ。
和工樹脂の場合は下請けという事ではなかったが、マルサン側の感覚ではこれに近いものだったのかもしれない。
後に独自のWAKOブランドとして、自社販売を試みたのはその辺りが影響していたのではないだろうか。
では、なぜ和工は自らの製品に ”本邦最初のプラスチック成型ボデー” と記述したのであろうか。
ここで注意しなければならないのは 本邦最初のプラスチック模型 と謳われているのではないという事である。
一般に成型ボデーというのは通常自動車の車体をさし、これが船なら船体・飛行機なら機体などと表現されるのではないだろうか。
日本語の屁理屈だ といわれそうなので、事実からもう少し考察してみたい。
WAKOブランド 最初のオリジナルモデルは ダットサン1000セダンであるが、現在2種類のパッケージの存在が確認されている。
そのどちらのパッケージにも 「COPYRIGHT 1959」 との記載がされている。 つまり最初の発売は1959年ですよメーカー
自らが保証しているのである。 一番を主張するなら、1958とか1957でなくてはならない。
マルサン商店が1958年12月にプラスチックモデルを発売したということは、1959年初頭にはすでに業界紙や一般媒体などを
通じて皆が知るところであり、その年になってから発売された製品を 実は本当は当社製品が一番だったんです・・・・などと
いったところで無意味なことだ。
それになにより、マルサンの発売劇に直接的に参加している会社が、OEM先に背任するような行為をしたとは考えられない。
その後も 7031 日野ルノー 7032 トヨペット・クラウン・・・・・・・・・と、マルサン商店との関係はまだ続いていくのであるから。
WAKOという会社が模型史の表舞台に出てきたのは、マルサン商店の調査を進めて
いた時の副産物のよなものだったのかも知れない。
物事を調べていくと、時として予想に反した展開を見せることがある。
いつWAKOという会社の存在が明らかになったは知らないが、日本最初のプラスチック
モデル4点の内1点が、実はマルサン製ではなく他社製品であったと確信した時の
研究者の興奮度はいかばかりであったろう。
しかし、それからWAKOという日本模型史を語る上で欠かせないメーカーの実態解明は
あまり進んだとはいえない。 この辺りを扱った専門誌でさえも数行の記述しかないのが
現状である。
それら書籍の多くには WAKOを 和光 として表記されている。
一般にこの会社に関する資料はまったくといっていいほど存在せず、したがって WAKO はずっと 和光 のままだったのである。
ところがネット時代に入り、今までまったく接点がなく世に出ることがなかった最初期のプラスチックモデルたちが、人々の目に触れる
ようになってきた。 朽ち果てる運命だった和工の製品も、人目にふれることとなる。
その時、 アレ? と気付かされたのが WAKOは 実は 和光 ではなく 和工樹脂株式会社 という社名だったという事である。
情報の少なかった時代のことでもあり、誰かが和工を和光と間違えて伝え、皆がそれを疑いもせず引用してしまったのだろう。
WAKOは、間違いなく 和工 だったのである。
だとしたら、どこからその 和光 なる名が発生したのだろう? 単なる当て字を使用したのだろうか?
右上の和工のプラカラーの広告であるが、ここには ”ワコープラカラー” の表記がある。
どうやら、これには何か理由がありそうだ。
当時も今もプラスチックモデルを製造し一般に販売しようとする時、メーカーが直接顧客に販売することは出来ない。
一般に メーカー → 問屋 → 小売店 → お客様 という流れになってくる。 問屋の中にも一次問屋・二次問屋などがある。
メーカーが自社で直販するには、莫大な店舗数の販売店確保が必要となってくる。 これは現実的ではない
となると和工樹脂も自社オリジナルモデルを一般向けに販売するには、どこかの問屋ルートにのせなければならない。
その全容は不明であるが、和工製プラスチックモデル製品を自社卸しルートにのせていた問屋があった。
それは、当時の大手玩具問屋 三ツ星商店である。
この会社は他の多くの模型メーカーの品物も取り扱いしていたのだが、何といっても三ツ星商店というと業界全体に波紋を呼んび
後々まで火種となって燻り続けることとなる マルサン商店の 商標登録 「プラモデル」 を買い受けた会社として有名だ。
その後、三ツ星商店から日本プラスチック工業協同組合に譲渡され、他社でも使用することができるようになるのである。
その三ツ星商店が問屋・小売店向けに発行していたカタログに、和工樹脂製品を 和光 として掲載している。
なぜ 和工 が 和光 になってしまったのか、またいかなる理由により和光に変更したのかは不明であるが、いかに大手問屋
とはいえ製造元の許しもなく勝手に社名の変更をするとは考えにくく、両社合意の上での決定と思われる。
製造元会社名と流通名が異なることは決して珍しいことではない。 トヨタ クラウン ではなく トヨペット クラウン だったりする。
マルサンvsマルザン ではないが 和工vs和光 工より光の方がお先が明るい・・・・・・・のような気もするが。
和工樹脂株式会社のプラスチックモデルたちは、少なくとも流通時点においては 和工 ではなく 和光 だったのである。
つまり、和光製品であったのだ。