創製の三共模型
 三共模型は60年当時、三共製作所といっていた。

 サンキョウ・・・・・・これほど子供達に密着していた模型屋はなかったかもしれない。

   黄色地に独特の V マーク。 これに 三共 の文字を配し、子供達を
  未知の世界へといざなっていた。 というより引きずり込もうとしていた。

   ロゴはいろいろ変わったが、この誇らしげな V マークは一貫して存在し続ける。 

三共*ロゴ史
 三共ほどいろいろなロゴを駆使したメーカーはないかもしれない。
最終的には、おなじみの黄色地に赤のVマークに落ち着くのだが・・・・・・。

三共・最初のプラモデルは何か?
 結論からいうと・・・・・わからない。 ということとなる。
 
   か 
 
 のどちらかではないのかと予想していた。
 
 ミス・ワールドはソリッド(木製)の面影を色濃く残しているし。 魚雷艇はその文字がいかにもって感じだ。
                                          
 <付属のモーターと接着剤>
     接着剤の頭の部分には
    「三共」の刻印が見て取れる

これが以前に書き込んだ内容であるが、初期三共に関しての情報は10年前から現在に至るまでこの程度で進展がない。

これの元となっている情報は90年代の雑誌からのものだったのだが、その後新たな事実などの話を聞いたことがない。

10年経ったから次第に分かってきた、あれからさらに10年も経ってしまったのでますます分からなくなってしまった。

残念ながら現在のこの分野の状況は後者に近いものがある。

別段、そんなことはどうでもいいのでは・・・・・と思うこともあるが、プラスチックモデルと共に育ってきた者として少しでも

取得している情報は何とか残していきたいと思っている。

Plastic Solid Model
  三共製作所は1959年YMC出身の松尾 時太郎氏が設立した

会社です。

上の 三共製作所 の広告は知る限り最も古いものと思われる

1960年1月のものである。

オールプラスチックモデル と銘打ち、箱には プラスチック ソリッド

モデル との記載がある。 ソリッドモデルとは木製の模型のことで

当時模型といえば今だこのモデルのことをさしていました。

 発売になったのは

 ・1/96.4 零戦  ・1/120 F-102  ・1/120 F-100 

 ・1/138 F-11F-1F
   の4機種である。

 
1960年1月
 三共製作所の設立は1959年のことであったが、その月までの確認は出来ていない。

設立者が同業界にかかわりのある人物であったとなると、製品発売などの準備期間は案外短かったのかもしれない。

 独立にあたっては水面下での準備は着々と進んでいたのだろうが、今だプラスチック模型が一般に認知されたとはいい難い時期で
あった事などを考えると、そう簡単に事業展開がなったとも思えない。

 目指したのはメーカーである。

 商品の選定・金型の製造・試作・パッケージの決定・卸し先問屋
販売店舗などの販路確保など発売前に処理しておかなければなら
ないことは山積みだったことだろう。

 1959年の三共に関する確たる実績が掴めないのはこの辺が関係
しているのではないかと想像される。
無論、個人的に把握できていない可能性は十分あるが・・・・・・・・、
または、設立月が60年に近かったのかもしれない


 三共製作所は1960年という節目の年を迎えると同時に、満を持して
解き放たれた短距離走者のように怒涛の発売ラッシュをかけてくるので
ある。

 まず、4種の飛行機模型を発売する。

 零戦をのぞく3機種は自衛隊のFX次期主力戦闘機の候補機からの
先行販売で、当時話題となっていたジェット戦闘機からの選択である。

 これら3機はほぼ同じサイズの箱に収まり、スケールはいわゆる
箱スケールであった。 零戦のみが一回り小さい。

 この4モデルが、本当の意味で最初にいつ発売したのかは不明で
あるが、本格的に全国展開をかけたのは1960年1月からで、設立が
1959年なのであるから、それほどの時間差はないと思われる。

 では ”三共模型 最初のプラスチックモデルは何か? ”

 このモデルだ! というよりはマルサン商店と同じようにこの4種同時
発売であったのではないかと想像される。

、命題に対し100%とはいえないが、このあたりが回答では
ないだろうか。

 

 60年1月 発売と同時に関西地区でもマルク模型店が三共製品の
販売を開始する。
右上が1959年12月度の同社の広告であるが、そこには三共はもと
よりプラスチックモデルという文字すらない。

 潟}ルク模型店がどのような会社であったかは不明であるが、三共
プラモデル関西発売元となっているところをみると、関東圏は三共が
関西圏はマルク模型店 という分担があったのかもしれない。

 三共製作所の製品はマルサン商店とは明らかにコンセプトが異なり
ターゲットを最初から低年齢層に絞込み、駄菓子屋ルートをメインに
全国隅々に送り込んでいったのだろう。

 そして、その戦略はズバリ的中するのである。

        <1959年12月 マルク模型店の広告>
<1960年1月 マルク模型店の広告>

<販売価格>
 初期のプラスチックモデルの販売価格を知ることは、かなり困難なことである。

60年代前半のモデルの箱には今のようなプライスの表示は原則なく、製品NOのみというのが一般的であった。
現在のように流通が発達しておらず、地方価格といってこれら輸送費などをプラスして定価とすることが多かった
ようである。
これは何もプラスチックモデルに限った話ではなく、車なども東京価格と地方価格が存在していた。

 そんな時代でした。
マルサン
三和模型

三和模型
三共製作所
日  模
マルサン
 ・ゼロ戦   1/96.4  ¥75
 ・F11F-1F 1/138    ¥75   三共製作所の製品が 2点掲載されている。 ¥75で販売されていたようだ。

  1960年初頭の各社の製品価格がわかり、重要な資料である。

  テーブルの上には 日模のソニー号 三和のM-4の完成モデルが見える。
 ・
YMC
三共製作所
<1960年1月の 会田商店 の広告>

1960年2月
<ピーナツシリーズの登場>
 
 1960年2月 いよいよ三共模型の代名詞
ともいえる ピーナツシリーズがその姿を現す。

 発売されたのは 零戦・零観 の2機種であった。

1/150という確たるコンセプトをもち、その後約2年
の間に最終的に60アイテムにも達するシリーズモノ
となる同シリーズのさきがけとなる発売である。

 この驚異的な発売ペースからも、いかに当時の
子供達がこのシリーズを熱烈に支持していたかを
知ることが出来る。
< 初  版 >
< 第 2 版 > 
< 第 3 版 >
< 上が初期パッケージ ・ 下は後期パッケージ >

1960年3・4月
  <ピーナツ・シリーズ>

・NO 3  F-104

・NO 4  飛  燕

・NO 5    隼


              新発売

1960年5月
 一時は三共模型 最初の作品ではないかといわれた

オールプラスチックモデル ミス ワールドであるが、

1960年5月の発売である事がわかった。

 この頃三共製作所は株式会社化されたようである。

 他にこの月に

 ピーナツ・シリーズ

・NO 6 赤とんぼ ・NO 7 雷電  ・NO8 疾風

 が新発売となっている。
  < 謎 >

 三共の広告は上のとうりだが  実際に発売されたのは

・NO 6 赤とんぼ ・NO 7 疾風 ・NO8 二式水戦

 であった?
1960年6月
 この月に 何と ミス ワールドの ブリスターパック版が

 発売となっている。

 三和模型などからも小形の飛行機などのブリスターパック

 が出ていたが、全長210mmもの ボート模型をこんな形

 で発売するとは驚きである。


 なお、好評発売中とある ピーナツシリーズのナンバリン

 グは相変わらずおかしなままだ。

 近日発売

 二式水戦 以下新機種多数とあるのだが・・・・・・・・?

1960年7月
 オールプラスチックボート 第二弾  魚雷艇 が新発売となりました。

 ここに来て ピーナツシリーズは本来の NO に差しなおされたようです。

1960年8・9月
 9月に

・NO 9 雷電 ・NO 10 ムスタング ・NO 11 97艦攻

 新発売

1960年11月
 <ピーナツ飛行場>
 
 1960年 一年間で 15種類が発売されたようだ。 一ヶ月に1機種以上のハイペースだった