創製のマルサン
 日本の模型史を語るとき、絶対に省けないメーカーといったらマルサン商店をおいて他にないであろう。

 「日本最初のプラスチックモデルメーカー」 といたら、これは間違いなくマルサンのものである。
図面をひき、金型を起こし、インジェクション成型によるプラスチック製モデルを製作し、販売する。
そして、販促に必要なマーチャンダイジングを行い次々と製品を世に送り出す。 
 これが、メーカーである。
 このシステムを日本で最初に構築したのは間違いなく ”マルサン商店” であった。


 国産初のプラスチックモデルの栄冠に輝いたのは
SSN571
原子力潜水艦 ノーチラス
 レベル社製の”ノーチラス号”をフルコピーしたもので、
図面さえ必要としなかったようだ。
 かといって、何もかもスムーズにいったかといえば
決してそうではない。マルサンはそのころすでにブリキ
のトイを手がけ金型造りの経験はあったが、プラスチック
というと大いに勝手が違ったようである。
 多くの失敗と試行錯誤の中

 原子力潜水艦  ノーチラスは

 1958年12月 いよいよ発売されたのである。
 
1959.2月
(発売直後の雑誌広告)
 ただ、”日本で最初にプラスチックモデルを製作した会社”となると
異論が出るところである。
 マルサンが1958年12月に世に送り出したのは

 ・ 7001 1/300 SSN571原子力潜水艦 ノーチラス号
 ・ 7002 1/25  ダットサン 1000 セダン
 ・ 7003 1/100 PT212哨戒水雷艇 
 ・ 7004 1/200 ボーイング B47 ストラトジェット
 
 以上,4点であった。

 7001がノーチラス号であったため、日本最初のプラモデル
「マルサン ノーチラス号」 となっているが、本来は他の3モデルにも
その資格はある。
 そのうちの 7002 ダットサン セダンはマルサン自身の製品
ではなかった。 「和工」 という会社の持ち込み品で、ノーチラス号
発売の際一緒に市場に出された..。 一般的な見方からすると和工の
ダットサンの方が早く完成していないと、このような芸当は出来ない。

 
<ダットサン 1000 スポーツカー>
<和工製 ダットサン 1000 セダン>

当時のマルサン工場
プラスチックを成型するには型が必
要となる。 その型をつくるには写真・
資料などをもとにして基本設計をしな
ければならない。
  図面にあわせてゲージをきる。
きったゲージからマスターという母
型をつくる。
 マスターには雄型・雌型があり、
 樹脂か金属でつくられ、職人の
 手加工で仕上げられた。

出来上がったマスターに実際に
プラスチックを流してみる。 これを
試験押しといって、プラスチックの流
れにくい部分を再度修正する。
もう一度試験押しをし、インジェク
ション・マシーン(射出成型機)に
マスターを取りつける
 <インジェクション・マシーン>
  
当時の成型機は一分間に1〜2個しか生産できなかったようだ。

 NO.7000
シリーズ
<ART.NO 7002>
”ダットサン 1000” 
マルサン商店が1958年12月に発売
した、4点の内の一つダットサン1000
セダン。
オリジナルは和工樹脂製である。
他の3点が外国製品のコピーであった
のに対し、このモデルだけが日本オリジ
ナルである。
4点の中で¥350と最も高価でもあった。
ディテールなど最初に発売されたモデル
とは信じられないほどの出来である。


付属の転写マークは、1958年オースト
ラリア一周モービルガス耐久競技参加
車。

 マルサンのプラスチックモデルを調べる上で、いろいろな面で役に立つのが
ART..NOです。 7000番台からスタートし400・500・600・800・900番台
まで存在している。

 そんな中でもNO.7000番台はマルサンの中でも初期モデルとなる。
7001がノーチラス号〜NO.7077 ブリタニア310まで続いている。
その内プラカラー・シンナーなどのNOもあり、すべてプラスチックモデルという訳
でもない。

 レベル・モノグラム社のコピーから次第に日本に則した自社開発モデルが製造
されるように進化していくのである。
<ART.NO 7004>
”ボーイング B-47”

<ART.NO 7007>
”スタークラス・レーシングヨット かもめ号”
<ART.NO.7009>
”ダグラス B-66”
かもめ号の裏側はアメリカのメーカーと同じように、透明セロファンが張られ
内部が一部確認できるようになっている。
クルーとスキッパー2体が付属し、箱及びインストにはすでに ”プラモデル”
の表記が見てとれる。
商標登録を1959年4月におこなっているらしいが、かなり早くからオリジナル
のネーミングを検討していたことがわかる。

ちなみに ART.NO.7006はプラスチックモデルではなく、”学生用顕微鏡”
となっている。
<ART.NO.7011>
”DC−7 日航機”
”7008 DC-7” の箱絵・転写マークを日本航空のものに変えて発売したもの
である。 元はレベル”DC-7 アメリカン航空”のコピー。
一部組立て済みだが、地球儀を模したスタンドが付属する。 
<マッチ箱シリーズ>
”ART.NO.7012〜7017”
パッケージをマッチ箱に模した、ミニモデル。
当然 箱スケールということになる。

<ART.NO.7019>
”三式戦闘機 飛燕”
”四式戦闘機 疾風”
<ART.NO.7068>
<ART.NO.7026>
”海軍10式艦上雷撃機”
”零戦52型”
<ART.NO.7022>

零戦
<1/35>
1/35という当時最大の零戦模型 1960年発売である。
銀色とグリーンの2色があり、脚付きのためスタンドは
付属していないが、¥30を送ると当モデル用のスタンド
が送られてくる。 その為の自在球が入っている。
この組立て図 四面図は橋本 喜久男氏による。

<ART.NO.7069>
”ブラックフォーク”
エクスプローラーは当時¥600という高価なモデルで
モーターも付属している。
箱絵は小松崎 茂氏風だがサインなどの表記はない。
スピード感もあり少年漫画の口絵のようで 美しい。
モーターボートは子供たちにとって、サクセスストーリー
の頂点に君臨する憧れの乗り物であった。



NO.7069 ”ブラックホーク”は他と同じようにプラスチ
ック・キットとはなっているが、ほぼ完成品である。
おそらく 1/1であると思われる。
”ファミリークルーザー・エクスプローラー”
<ART.NO.7024>
左のものは NO. 7024 エクスプローラの組説の裏に
記載されている マルサン商店のプラスチックモデル製品
リストである。

最初期のものであまり知られていなかった NO.7006 は
”学生用 顕微鏡セット” であったことがわかるが、この
セットがプラスチックモデルの範疇に属するかは不明である。

マッチ箱シリーズは¥30で、後に他メーカーとの関連で
¥20に値下げされる。

NO.7018 は東京タワーとあるが、あまり知られていない。
¥350から想像すると中程度のモデルか。

NO.7040台はプラカラーなどの周辺商品といわれているが
NO.7040は ”ペガサス号ボート” であったようだ。

<ART.NO.7031>
”日野 ルノー”
”トヨペット クラウン・デラックス”
”オースチン セダン”
<ART.NO.7035>
<ART.NO.7032>
この当時のマルサン製カーモデルは全て和工製である。

”1/100 シリーズ”
マルサン商店が最初にシリーズ化したものはマッチ箱シリーズで
次に飛燕など1/50をてがけた。
だが、マッチ箱シリーズではあまりに小さく、1/50はあまりに高価
で子供たちには手が出ない。

そこで登場するのがこの1/100シリーズであった。 大人も子供も
楽しめる といううたい文句である。

このコンセプトが支持されたのだろう、マルサン最大のシリーズとなり
マルサン消滅後も多くのメーカーによって発売される。
キャラメル箱のサイド
ヤコブレフYAK-9 が
<ART.NO.7090>であったことが
わかる
<ART.NO.7064>
"ART.NO.7090”
1/100シリーズはマルサン商店が活動
中はラインナップから外れることはなかった。

当然箱のデザインも時期によって変更されて
いくことになる。

最初に発売された7000番代のものは、梨
地という高級な(?)紙が用いられ、後にこの
シリーズ特長ともいうべき 1/100 という表
示がない。

更に7000番代の箱の裏側は右のように同
シリーズの多機種が描かれている。
後のモデルは表裏同デザインに変更されて
いる。
この箱絵は切り取ってよくコレクションされた。 
”ART.NO.7054”

<ART.NO.7077>
ブリストル ブリタニア310 ”カナダ太平洋航空”

のはずだが、航空会社が違っている。

プロペラの破損などはあるが、機体の雰囲気は良いと

思う。
”ブリストル ブリタニア310”
1/35の零戦 と 1/125

ブリタニア310の完成機の

比較。

 当然 実機の大きさは

まったく違うが、両機とも当時

としてはBIGスケールのモデル

である。