舶来プラスチックモデルは数々あれど、日本人に一番なじみ深い
メーカーといったら、やはり REVELL を置いて他に無い。
今回はそのきっかけともなった、1/72 ファイターシリーズ (¥100)
を見てみたい。
”舶来品・外車”
これほど縁遠い言葉も無かった。
「物の無い時代にあって」 と言うくらいだからとにかく物が無かった。
そんな中、外国製品いわゆる舶来品は徹底的に子供(ガキ)には縁が無く
残念なことに親にも無かった。
デパートのショーウィンドウに置かれた、煌びやかなパッケージに未解読な
文字が巧みに配された ”舶来品” を見ては、海の彼方にあるという、その
外国という想像もつかない豊かな国に思いをはせていた。
これが外車ともなると、天文学的距離で知らなかった。
子供達の中では ”外車を見たぞ!!” とみんなの前で言える事が
一つの ステータスだった。 そんな、時代でした。
レベル は、当時最大級の模型メーカーであった。
今でいうならタミヤ、というところだが、大手メーカーらしく発売されていた品も
多岐にわたり、飛行機・艦船・建築物はてにはモンスターなどあらゆる物を網羅
し、世界各地に拠点をもうけ多くの人々にプラスチックモデルの楽しさを伝えていた。
とはいえ、極東の敗戦をいまだ引きずっていたこの国において、これらを手にする
ことは容易いことではなく、まして子供達にとっては ”高嶺の花” 以外の何もの
でも無かった。
マルサンが
ラベール製品 として、60年代初頭から売り出してはいたが これも
”舶来品”の領域を脱しえるものではなかった。
その後、レベル製品は 「郡是産業」梶@が、販売していくこととなる。
当初は、USA版をそのまま販売していたようで組説なども英語バージョンのままだ。
ただオリジナルと違っていた点は ”オール ジャパン レベル コンテスト”と
銘打ったプラスチックモデル作品展を開催するという、葉書大の案内を輸入後封入
した点だった。
昭和41年3月20日から昭和41年5月20日迄となっている (1966)
この当時は
¥240 が販売価格だった。
こちらがレベルオリジナルの
機械を使用した封
おそらくは輸入後、一旦そこの部分を開け案内を入れた
後ろうそくを利用して再度封をしたと思われるビニール袋
(昔、家の手伝いでローソクを使ったこの手の仕事をよく
させられていた)
多分、初期の郡是産業のレベル版はアメリカ版をそのまま販売していた。
USA版の特長は,サイドがレッドだった。
英国版の最大の特徴は、なんといってもUSA・郡是版に対し一回り
小さいことである。
何故か? ということは分からないが、国民性・・・・って事だろうか。
サイドはUSA版レッドに対し、ブラックである。
こらは、わずかの期間しか販売されなかったと思われる
¥240 の表示のあるボックスアート。
それにしても、M56とは・・・・。
時置かずして、ファイターシリーズは¥100 へと価格
改正されていく。
ファイターシリーズ最初の広告
66年、おそらくは8月¥100へと移行され、4点が
発売された。
¥240 → ¥100 は、子供達の心を揺さぶるに十分な
コスト設定だった。
ピーナツシリーズで模型に開眼させられ、レベル・ファイターシリーズ
で本格的なスケールモデラーへと成長していった方も多いのだろうが
とにもかくにも、遥か天上にしか存在しなかった
”舶来品” が、子供達の頭上にはじめて舞い降りた
そんな、記念すべき一品であった。
<箱も群是製になった日本版>
<USA版に応募用紙を封入したもの>
<郡是版には、キャラメルボックスもあった>
<こちらは、チョット珍しいUSA版キャラメルボックス>