日東科学教材社は50年代後半に、学校関連の教材などを販売する目的で設立された会社です。
現在もソフビなどを発売されているようですが、プラスチックモデルからは撤退してしまっている
ようで残念です。
1961年には最初のプラスチックモデルを世に送り出しています。
日東科学が最初の手がけたプラスチックモデルはハッキリしている。
1961年に発売された MEGURO500cc 白バイ 1/15 である。
今でこそオートバイ模型は一般化しているが、60年代前半においては日東科学以外あまり扱かっていなかった。
飛行機・戦車などと比べるといかにも地味でマイナーな印象であったためだろうが、逆に日東科学はそのあたりに
ターゲットを絞りプラモデル業界に参入してきたのである。
三共・マルサン・三和の大手メーカーにしても、三和が一部発売していたものの余り積極的にこの分野へ進出し
ようとはしていない。
この時期のバイク業界も群雄割拠の時代で、今では姿を消してしまったメーカーも数多い。
子供達がプラスチックモデルを作る場合、作る喜びの他に完成した後のカッコよさが問題で、実用車しかなかった
当時ではあまり人に自慢できる物ではなかったことであろう。
日東科学が最初のプラスチックモデルをオートバイに決め、更に白バイとしたのにはおそらくそのあたりの理由があった
からではと想像している。白バイはいつの時代でも子供たちの憧れです。
メグロ 500cc 白バイ これが日東の選択であった。
一般的に日東最初の作品とされ認識されている白バイは
初版ではなく何故か高速インター付近をターンしようとしている
箱絵の物になってしまっている。
おそらく首都高インターあたりの構図であると思われるが
首都高が完成したのは1962年以降のことである。
もちろん、この箱絵が日東白バイを世に知らしめたのは事実で
あるし、本当に良く売れたらしい。
日東科学はその後次々にオートバイ模型を発売し続ける事と
なるのである。
日東科学 オートバイシリーズ
縮尺 1/20
20分の1 統一スケールといううたい文句で
シリーズ化され、再販もされた。
NO.1 ブリヂストン チャンピョン 3型
NO.2 山口 シンクロペット SP55
NO.3 トーハツ ランペット 50型
NO.4 スズキ セルペット 50MA型
NO.5 ヤマハ モペット MF2型
オートバイで1/20というと、スケール性がどうの
こうのという品物ではないのだが、オートバイ模型
には飛行機や戦車とは異なる繊細さがある。
初期日東のロゴは赤地に黄色 NITTO というものである。
旧日東と一般的にいわれているロゴであるが、白バイに配された
ロゴの字体がそれとは違っていることにお気付きだと思う。
この崩した様な字体のロゴは、知る限りこの白バイのみ。
箱はキャラメル箱です
オートバイグループ 4点セット 後に発売されたアソート版
輸出も盛んだったようです。 右上がオリジナルの組説・右下が輸出版の組説です。
ほとんど同じ物ですが輸出版には性能表などが削除されています。
その他のオートバイ模型
オートバイ模型といったら矢張り PROTAR ではないだろうか。白バイと大きさの差はこんな感じですが本格的に
製作するに1/10以上でのスケールが必要でしょう。
この箱絵はFUJIが輸入して国内向けの箱絵に替えたものです。今見ると油絵のようで美しいのですが、当時はあまり評判はよくなかったようです。男たちがバイクに求めたものは先進性ですからね。
ハセガワのDT1は実車に乗っていたこともあり好きな物の一つです。 スケールは1/10です。
地雷戦車と名付けられた日東科学のギミック付きTー55.
マーブル状の敵陣に戦車を侵入させ、仕掛けられた地雷により破壊させられてしまう
という仕組み。
地雷は下の画像のもので、左に飛び出したプレートを本体側に押し込め飛び出した
ストッパー上を戦車が通過すると、ストッパーがはずれ戦車ひっくり返ったり方向を
変えたりするというもの。
後にリモコンに変更になるが、初期のものはゼンマイ動力であった。
それにしても、この箱絵の比類なき度派手さは 、何だ!
このシリーズには、Mー60・Mー41 があったようだ。
どの箱絵も・・・・・・すごい。
<タイガーU型爆破大作戦>
独国 南西部 ルート410 D地区
<リモートコントロール>
リモコンボックス スティックのように握り前後進のみの切り替えとなる
地雷は同じモノで これは上から見たところ
地雷ベースは同じ成型だがカラーは違っている左がゼンマイ・右がリモコンのモノ
<リモコンとゼンマイ地雷戦車の大きさ>
ミリタリー オペレーション
シリーズ
リモコン戦車撃破大作戦
には
6種類があったようだ
<大作戦の遊び方>