鞄本プラスチックス
1956年10月 ”日本で始めてのオールプラスチック製ソリッドモデル” を発売する。 
そう宣した日本プラスチックス。  はたして本当に発売されたのだろうか? 
同社原子力潜水艦ノーチラスは?  その後の日本プラスチックスの行方は?
 

原子力潜水艦ノーチラス号
2008年は国産プラモデルの誕生50周年ということで、これに関する
書籍が多く発売されました。
その中で特に興味を惹かれたのが日本プラスチックスのノーチラス号
の発売時期に関する記述で、それによると1959年5月頃又は12月?
(2種類の記載がある)に世に出たというものである。
日本模型新聞からの情報ということで、その信憑性は高い。
ただこの記述が事実だとすると、認識しておかなければならない問題
が発生する。 

左の画像を見ていただければお分かりになるように、マルサンの箱絵
も日本プラスチックスの箱絵でもそのテーマとするところは 
”ノーチラス号による北極点の潜断成功” を扱ったものです。
この偉業が成されたのは1958年8月のこと。

つまり、これをテーマとした箱絵を取るものは 1958年8月以降に発
売された製品であり、言い換えれば1958年7月以前に発売すること
は不可能であるという事実です。

そしてもう一つ知っておいていただかねばならないモデルが存在する。
それは  ”NBK 原子力潜水艦 ノーチラス号” である。 
<日本プラスチックス 原子力潜水艦 ノーチラス号>
<マルサン 原子力潜水艦 ノーチラス号>

NBK 原子力潜水艦 ノーチラス号
NBK 原子力潜水艦 ノーチラス号> は1959年2月
に発売されました。 これは日本模型新聞にも記載があるの
で間違いないでしょう。
日本模型の伊号潜水艦と発売月が同じということになります。

同時に発売された2社の潜水艦モデルですが、独自の自動
浮沈装置を持つ日模の伊号潜水艦に比べ、NBKのノーチラ
スはオリジナリティーに乏しく、同じゴム動力で駆動するにも
関わらずセールスの状況においては格段の差が生じ、NBK
のノーチラス号は早々市場から姿を消していったと想像され
ます。
ただここでは 日本模型 VS NBK の極初期潜水艦対決
の顛末を考察するものではありません。

結論からいいますと、”NBKのノーチラス号と日本プラス
チックス・ノーチラス号” 
とはまったく同じプラスチックモデ
ルであった。

この事実の確認です。

日本模型 伊号潜水艦
日本プラスチックス ノーチラス号
NBK ノーチラス号
日本プラスチックス ノーチラス号
NBK ノーチラス号
NBK ノーチラス号
日本プラスチックス ノーチラス号
右側面
NBKのノーチラス号と日本プラスチックスのノーチラス号の
ボックスサイズがほぼ同じであることと、箱絵のテーマも同
一だということが確認できる。
組立説明書
両社ノーチラス号の主要船体パーツの比較です。
艦底部に見える金属板は、その上部に着く浮き代わりの
発泡スチロールの押さえのプレート。
両モデルが完全に ”同一の金型から成型された” もの
であることが分かります。
外 箱
船体パーツ
それぞれのモデルの組説です。

原子力潜水艦という表示の色が
異なっていますが、何といっても
一番の違いは、左上の両社のロ
ゴマークが完全に別物ということ
です。
組立方法の注意書き
Aはそれぞれ接着剤の利用し方の説明
ですが、日本プラスチックの方はかなり詳
しく、NBKの方は単に接着剤とあるだけ
です。
Bの文面は同じものだが、日本プラスチッ
クの方は如何にも違和感のある後付け。
両社の組説 基本的にはまったく同じもの
浮かせ方
左が日本プラスチックスのもので、右がNBKの組説
からのものです。
文面はまったく同じですが、やはり日本プラスチック
スの方は明らかに字体の異なる記述を後から追加
した感じです。
日本プラスチックスのノーチラス号と NBK製のノーチラス号はまったくの同一のモデルである、という事実がこれではっきりとしました。 
NBKのノーチラス号は1959年2月に発売されたのですから、そうなると日本プラスチックスのノーチラス号が1959年5月頃(12月)
発売となると・・・・・・・いったい? 
考えられるのは

1)発売の早いNBK製がオリジナルで、日本プラスチックスのノーチラス号は箱変えをしNBK製のモデルを発売したもの。

2)日本プラスチックス製がオリジナルであるが、同社は発売をせずOEMという形でNBKに供給しNBKが一般発売をした。 しかし、
 その3ヶ月後(または9ヶ月後)、今度は自社ブランドとして日本プラスチックスが発売にこぎ着けた。

3)日本プラスチックスが1959年2月以前に自社商品として販売し、1959年2月にNBKが供給を受け発売した。 
一番合理的で自然な流れは、1)の発売時期が早い方がオリジナル
で発売時期が遅い方が再販とみる考え方だと思います。
これはこのケースにあてはめても、特に問題はありません。

ただ 1)の場合NBKが次期モデルとして世に送り出した 第二次大
戦軍用機シリーズが翌年1960年3月の発売で、この間1年以上も
のブランクがあったということ。 マルサンは最初に4モデルを発売し
たし、日本模型もNBKほどではありませんが同じように発売期間が
開いていますが、これは伊号潜水艦が予想以上に爆発的な売れ行
きを示した為、生産で手一杯であったのではと想像される。 
第二次大戦軍用機シリーズは1/100という如何にも小さなミニモ
デルであり、その成型状態などをみると1年間という開発期間が何
の為に存在し必要であったのか? 違和感を感じます。
また、同シリーズの箱絵上部には「中央商工」というロゴが配されて
いますがノーチラス号にはそれがありません。

2)の場合はそれぞれの発売日の間隔が、あまりに近すぎるのでは
ないかという疑問が浮かびます。 1950年代後半の商慣習に付い
てははっきりとは分かりませんが、まったくの同一モデルをほぼ同じ
時期に異なるメーカーから発売するという事は、当時としても稀だっ
たと思います。
ただ、この想定で思い起こされるのはマルサンと和工樹脂との微妙
な関係です。 日本プラスチックスとNBKとが同じような状態に置か
れていたとしても、別段不思議ではないのかもしれません。
 <第二次大戦軍用機シリーズ メッサ・シュミットMe109-10>
 
<日本模型 伊号潜水艦>
3)は日本プラスチックスが1956年11月に1/50オールプラスチック製 零戦・F-51Dムスタングを発売する旨の広告を日本模型新聞
に掲載したため、現品の確認がされていた訳ではありませんが、そこに2年という途方もない隔たりが存在したため、同社製品はマルサ
ンのそれよりも発売日が早い、という概念が生じることとなったと推測される。
しかし、原子力潜水艦ノーチラス号が北極点潜断を成功させたのが1958年8月のことですから、この偉業をテーマとしたボックスアート
を箱絵とする以上、そのボックスは1958年8月〜各社発売日までという極めてタイトな期間に製作されたことになります。
マルサン・ノーチラス号でその期間は最大で4ヶ月。 プラスチックモデル自体の開発は当然もっと以前ということになりますが、当時話題
となっていたであろう夢の原子力推進機関による偉業ですから、それをテーマとして使わぬ手は無かったわけです。 
むろん日本プラスチックス・ノーチラス号も例外ではありません。
そうなると各社実際いに発売となり現存する箱絵とは別に、もしかしたら本当のオリジナルのボックスアートが存在していていたのかもし
れません。 レベルのようなボックスアートだったのでしょうか。 

その後の日本プラスチックス
一般的に日本プラスチックスの活動は1950年代末をもっ
て終焉を迎え、姿を消したといわれている。 その後の資
料・同社製品がまったく確認されていないからだろう。
本当にそうなのだろうか? 
消滅した事と 確認できていない、を混同してはならない。 
どこかにその痕跡の欠片は有る・・・・と、探し続ける姿勢が
大切だと思う。  幻ではないのだから。

今回紹介する三共のフライングシャークも、そんなモデル
の一つだと思います。 
<製造業者 日本プラスチック社 と訳せばいいのだろうか?> 
三共模型 フライングシャーク
は箱の表記にも有りますように、
1961年6月頃に発売されたボ
ートモデルです。
スクリューではなくプロペラによ
って推進するものです。
¥200位で発売されていたよう
です。
三共製作所製(模型)フライングシャークというモデルを
はじめて手に取った時、61年製にしては何か古さを感じ
た。
古さ・・・・・・骨董的価値の古さではなく、素材・設計・設定
など要素に対する古さだ。 箱絵も同時期に発売となっ
たアサカゼなどと比較すると如何にも安っぽいし、モータ
ーライズではなくゴム動力である。
三共らしからぬモデルだな、というのが第一印象であった
が、ボックスサイドを見てドキッとした。
”NIPPON PLASTIC”の文字がとびこんで来たからだ。
MANUFACTREDという文字はリンドバーグなどのボッ
クスでよく見るものだ。
製造元日本プラスチック・販売三共製作所。

和工樹脂とマルサン商店との関係を思い起こさせるが、
マルサンのボックスに和工の表記はない。
日本プラスチックの持込か? 三共に依頼されてのOE
Mだったのだろうか? なぜ、三共は自社モデルに他社
名の記載を許したのjか?  疑問は尽きない。
もうす少し先のことだが、このような関係はアイハラと緑
商会との提携関係を思い出す。
製造元相原模型・販売緑商会という関係だ。
同梱されていたハガキ。 アサ
カゼなどのが紹介されている。
三共模型のハガキに
紹介されていたアサカ
ゼである。
こちらは自社開発の製
品だろう。 ボックスもそ
れなりにデザインされて
いると思う。
モーターライズ・TKK-N
O.25を使用するがモ
ーターは付属せずフライ
ングシャークより高い¥
280位で発売されてい
たようだ。
もう一つのフライングシャーク
実は”フライングシャーク”という名のモデルは
一つではなかったらしい。 三共のそれより一
回り小型のモデルが存在していた。
上の袋入りのものがそうなのだが、残念なこ
とに組立て済みで箱がない。 というかもしか
したら駄菓子屋などで売られていた、袋物の
モデルだったのかもしれない。
だが、同じ会社が製造したことは下の台紙の
デザインが共通であることから間違いないだ
ろう。
これが三共名で発売されていたのか、製造
元である日本プラスチックス社のオリジナル
として販売されていたのかは不明である。
ただ、個人的ではあるが三共模型からこの
モデルが発売していた事実を知らない。
 
三共 フライングシャーク
不明 フライングシャーク
三共のフライングシャークと袋入れのモノとのサイズの違いはご覧のとうりですが、
その他に大きく異なるのは動力であるプロペラのブレードの枚数である。
三共のものが3枚で、袋入れの小型の方は2枚ブレードとなっている。
袋入れの方は如何に小型とはいえ、多少なりとも波がある水面で勇ましい台紙の
絵のように走行できたのだろうか?

はたしてこれらのフライングシャークは、いったい・・・・・・・

1956年10月 ”日本で始めてのオールプラスチック製ソリッドモデル” を発売する。 
そう宣した 鞄本プラスチックス

これら情報を提供し、その先の推理は皆さんに託します。