モノグラムといえば 「FOUR STARS」 だろうか。1940年代中頃設立され、1954年ごろから
プラモデルを発売した。それからおよそ10年間モノグラムのパッケージには4つ星のロゴが光輝き、
その下にはいかにも模型が好きそうなリーゼントの少年がいた。
この「FOUR STARS」は王者の証であるとともに、その完成度が最高水準に達している保証でも
あったし、所有する者のステータスの煌きでもあった。
今でも”プラモデルの最高峰”と信じて疑わない者は多い。
60年代に入り日本でも多くのメーカーが旗揚げをし、プラモデルという全く新しい業界に参入して
きたが、彼らが理想とし目指したのは間違いなくモノグラムであった。
”1950〜1960年代のモノグラム” はまさに神話の世界の煌きであった。
モノグラムは一体いつ頃から日本に輸入され販売
されたのだろうか。
これは、正直分からない。
今、個人的に確認できているのは右の広告。
1957年9月の雑誌に掲載されている。
写真は ノースアメリカン B−25 1/68
(1955年発売)
57年といえばマルサンが国産初のプラモデルを発売
する1年以上も前のことだ。 文面からして恐らく57年
より以前であることは確実だ。
モノグラムは元々バルサ材製のフライングモデルメーカー
として発足した。
F-86 セイバー 1957年
次第にバルサキットからプラモデルへと移行していく重複期間の
珍品である。
画像のようにナンバリングされ,切り抜かれたバルサ材を接着
させていく。機体上部はバルサ材で被い下部は付属の薄紙を
貼り付け完成させるが、プラモデルのようにディスプレイとして飾る
訳ではない。
ならばこのあまり見栄えの良くないF−86をどうするのか
というと、
何と!驚くなかれこのボディーに外付けの
JETEX 50 POWER UNIT なる火薬を使ったエンジンを
装着し大空を飛ぶのである。
正に、ジェット機というわけだ。
50年近く前の人間はたいした発想を持っていたもんだと
感心させられる。
明日グランドでこのモノグラム F−86 セイバーにジェット
エンジンを装着し飛ばしたなら、みんなの視線釘付け!
これ、確実です。
高々度飛来する爆撃機を迎撃するため開発され
旋回性能より速度、上昇力、高空性能、強力な
火器を重視して開発された為双発形式の機体
となった。
このモデルは4種類の機体形状に対応できるが、
基本となるL型は最終の後期型で、3000機以上
生産された。
L型の内数十機がM型に改装され、M型は夜戦用
である為全面黒色。
J型は燃料槽を増設したタイプである。
幼い時、この変わった形状に畏怖しながらも憧れを
抱いたことを覚えている。
箱絵もいいですね。
レシプロ中練の最後をかざった練習機。
ピーナツ・シリーズにもあった、T-6 テキサンの後続機。
練習機ながら戦時の零戦と同等の高性能を誇っていた。
しかし、不運なことにジェット機時代が到来し、練習機とし
ての寿命は短いものであった。
航空自衛隊でも1機購入していた。