東京都台東区浅草寿町
昭和43年 翔け抜けました。
<海軍 一〇式艦上雷撃機>
1/50
ART.NO. 7026
株式
会社
10式艦上雷撃機は日本における唯一の三葉機。
ハーバート・スミスという外国人に
よる設計で、三菱が海軍の要望によって製作したものです。
1MT1Nとは一号機のことで、後に最初の国産雷撃機として
正式採用となりました。
フォッカーなど海外の有名会社が三葉機式を採用し、
搭載量を増加し運動性を
良くしようとしたが、実用的ではなかった。
結局、わずか20機で打ち切られた。
組立説明図の裏に、面白い記事を
発見!
「マルサン商店では縮尺の正しい
精巧なソリッドモデルを製作された
方の作品を採用し、マルサンプラモ
デルキットとして世界各国に紹介
いたします。」
ライト兄弟の
<KITTY HAWK>
1/40
ART.NO.435
有名なライト兄弟のキティー・ホーク。
本模型には、銀色の糸が添付されており張線を施せるようになっている。
ライト兄弟の人形や、小さなシャベル、燃料缶,助走用の
モノレール軌道等の補助部品が付いている。
< ALBATROSS D-3 SCOUT >
アルバトロスD-3 スカウト ART.NO 438
第一次世界大戦活躍したドイツ軍機。1916年に初めて戦場にその
姿を見せ、連合軍機を圧倒したという。
THE BLUE MAXシリーズに、
付属の
勲章 ブルーマックス
スチール写真
¥300
¥400
<マーチン爆撃機 MB−2> ART.NO.437
エンジン・・・420馬力×2 航続距離・・・800KM
最高速度・・・171KM/H 上昇率・・・・150M/分
最低速度・・・96KM/H
¥400
模型の歴史を語るとき、どうしても省いて通れないモデルがある。
無論、それ自体個々の趣味の世界であり、関心の対象も人それぞれで、
想い入れもまったく異にする。
プラスチックモデルの近代化・浸透の過程において、その出現が一つの扉を
押し開く原動力となったモデルが確かにあった。
それは多くの場合メーカーの思惑や、購入者たちのその時点での志向により
決定されていくのであるが、本流に乗れた物もあれば、行き止まりの迷路に
迷い込んだ物もある。
多くの場合シリーズ化の展開をみたものは、その本流の中にあったといえる。
そして、そのモデルは駄玩具キットの中にこそ出現したのである。
マルサンのマッチ箱シリーズは、恐らくは日本で最初に
この本流となるべく発売されたプラスチックモデルであったのではないだろうか。
マッチ箱シリーズは当時一番生活に密着していたマッチ箱を模した
飛行機の極ミニ寸のプラスチックモデルである。
三共のピーナツシリーズが1/150という統一スケールにしたのとは違い
いわゆる箱スケールで、厳密にいったらそれぞれが微妙に縮尺が異なる。
たとえば カーチスP-40は1/180 ・ ホッケウルフFwー190は 1/155.
といったぐあいである。
シリーズ展開は 下記の通りである。
ART・No 7005 ボーイングB-47
ART・No 7012 スピットファイア.MK3
各¥20
ART・No 7013 ロッキード P38
ART・No 7014 フォッケウルフ Fw 190
ART・No 7015 カーチス P40N
ART・No 7016 グラマン F6F-5 ヘルキャット
ART・No 7017 シコルスキー S 58
マッチ箱シリーズのパッケージの最大の特徴は、何といっても組立て説明図が
箱側面の折返し部にはさみ込むように添付されている点に有る。
このような形式は他に見たことがない。
これでは多分、模型屋のオヤジは
気がきではなかったことだろう。
マルサンは後に ART.NO を400番代に変更する。
その最初のNOにマッチ箱シリーズをあてている。
ART・No 400 スピットファイア.MK3 各¥20
ART・No 401 ロッキード P38
ART・No 402 フォッケウルフ Fw 190
ART・No 403 カーチス P40N
ART・No 404 グラマン F6F-5 ヘルキャット
ART・No 405 シコルスキー S 58
箱添付の組説から、単独のものに変更になる
UPC版
UPCはメーカーではなく、マルサン・サンワ・ニットーなどの
製品を自社パッケージ用に変更をかけアメリカ国内向けに
発売していた会社です。
多くのマルサン製品がその対象となっていました。
<HOKU>
HOKU ? MADE IN JAPAN
これも輸出版ですが、残念ながら詳しいことは
分かりません。
ロゴが MARUSAN のままですから UPC とは
明らかに手法は違います。
パッケージはオリジナルとは違っていますが
個人的にはこのパッケージが一番いいのでは。
マッチ箱シリーズは、上記7種類でそのシリーズを終えている。 確かにスケールモデルとしてはあまりに小さすぎ
残念ながらバランスもいいとはいいがたい。 ただ、一部駄玩具キットとは違い組説も転写マークもしっかりした物が
用意されたいるし、アンプル入りの接着剤も付属していた。そういう意味ではこのシリーズはやはりスケールモデルで
あるといって差し支えないであろう。マルサンがマッチ箱シリーズでターゲットとしたのは、明らかに子供達であった。
それではなぜこのシリーズがわずか6機種で終了してしまったのだろう。それも発売すれば明らかに売上が期待できる
国産機の発売をせず外国機ばかりで。
これは想像の域をでないが、三共のピーナツシリーズがほぼ同じ時期に世に出されたことも無縁ではないはずである。
ならばマルサンは三共にこのミニモデルの戦いに敗れたのだろうか?
ピーナツシリーズは¥30で10円も高い。この差は子供達にとって大問題であったはずだが、¥10高くても多くの子供は
三共を選んだ。 箱もキットのあまりに小さすぎたのだ。
個人的な見解ではあるが、マルサンはあえてこの分野から撤退したのだと思う。
なぜなら同社はプラスチックモデルの
パイオニアであり、そこはまだスタートしたばかりの新天地であった。当時のマルサンに新興勢力三共に対抗する力が
なかったなどという事は決してない。 ただ、プラスチックモデルのお王道を進もうとしていたマルサンにとっては、この
スケールは余りにオリジナリティーを発揮できない分野ではなかったのだろうか。
とにかくこの6機種をもってマルサンはこの分野から撤退し、直後から1/50の大戦機そして最大のシリーズ化となる
1/100シリーズへと飛行機分野の展開を押し進めていく。
その後、国産プラスチックモデルの創始社 マルサン商店から 少なくとも飛行機模型において駄玩具的キットが
発売されることは二度となかったのである。
<Propさんより 資料等のご協力をいただきました>